第4話

 ビルの中はもはや建物と呼べるかどうかすら疑問なほどに荒廃している。壁が剥がされ、床が削られ、天井は所々穴が開いていて、上階の様子が見える。ガラスの割れた窓から、太陽の光が差し込んでいる。その光が、室内に舞っている埃を幻想的に照らし、非日常感に拍車をかける。なんだか文明崩壊後にさまよってるみたいだな。この光景に植物のツルなんかが入ってきたら、ポストアポカリプス映画のワンシーンだ。のんきにそんな事を思いながら、ゆっくりと階段を上り、2階へ上る。1階はガランとしていたが、2階にはまだデスクや間仕切りが放置されていて、そこには虫の死骸や卑猥な落書きが残されている。


 外の様子を確認しようと窓に近づくと、視界の端で何かを捉えた。とっさに壁に隠れ、気づかれないように除く。そこには、弓を持った緑色の小人が窓から外の様子を伺っているのが見えた。その姿は、どう見ても、モミワーに登場するゴブリンのようだ。まだこちらには気づいていない。毛玉以外のモミワーのキャラクターに興奮を抑えきれない。だが同時に、簡素だが確実に相手の命を絶つであろう弓矢を見ると、尻のあたりがぞわりとした。


 さて、どうしよう。黙って別の方向へ行くか。自ら倒すか。毛玉を呼び出すか。ゴブリンは意外に小さい。ゴブリンはモミワーで一番雑魚のモンスターだ。普通に考えて、キャラクター同士の1:1の戦いならまず負けないだろう。しかし、俺はゲームのキャラクターではない。武器を持った子供に無傷で勝てるのかと問われれば、間違いなくNOだ。倒すなら、おとなしく毛玉を頼ろう。しかし、しくじった時に仲間を呼ばれたら厄介だ。例え雑魚のゴブリンでも、4人も集まってしまったら、毛玉1匹じゃ倒しきれずにやられてしまう。いや、そもそも仲間はいるのか?


 俺とクソ野郎の状況が同等であると考えれば、モミワーの所持キャラクターは1匹だけ。ガチャで新規キャラをひくことは出来ない。1匹しかいないなら、キャラクターは自分の近くに置いておくのが安全だ。つまり、ブロンド美女を語ったクソ野郎もこの近くにいる、ということだろうか?だが所持しているのがゴブリン1匹じゃなかったら?


 モミワーにおいて、ゴブリンは単独で出てくる事はない。かならず6匹以上のグループで出てくる。戦闘のレベルが上がると、更にビッグゴブリンやらゴブリンリーダーやらゴブリンキングやら付属品が付いてくる。まあ、警戒するに越したことはないだろう。毛玉を呼び出して…。


 いや、待て。今毛玉を呼び出したら、こいつでかい声で「よく寝たー!」とか言って、俺たちの位置がバレるんじゃ…。どうにかして今の状況を毛玉に伝えて、静かに出てこいと伝えないと…。人差し指を口にあてる”静かに”ポーズは、こいつに伝わるだろうか。こんなことならピンチのサインとか決めとけば良かったなあ、クソ。万が一の場合、少しでも相手に声が届かないように、1階に戻って毛玉を呼び出す。静かにポーズが伝わったのかわからないが、毛玉は大声を出すことなく黙って現れた。


「おお、やればできるじゃねえか。今かなりピンチでな。」


 できるだけ小声で状況を説明しようとする。だが毛玉はこちらを一瞥することなく、周りをキョロキョロと見回している。その宝石のような青緑の瞳からは、いつもより真剣な印象を受ける。


「師匠!敵が見えます!」


 毛玉も状況を察知して、小声で話しかけてくる。


「見えるのか?」


「はい、壁ごしに2体。この大きさと恰好は…ゴブリンですかね。」


「すごいな。壁越しのモンスターがわかるのか?種類も?」


「はい、見えます。敵の種類はシルエットの予想っすけど。赤く光ったシルエットが、あっちとあっちに。」


 俺がさっき目撃した1体の方と、そことは反対の位置を鼻先で示す。モミワーでは敵を目視でとらえて、”識別ロール”に成功すると、モンスターの種類がわかったもんだが。まあ情報を得られるのは、ありがたい。


「2体だけか?」


「見えるのは2体だけっす。でも、敵意みたいなのは、もっと感じますね。」


「敵意?その敵意の方向はわからないのか?」


「すみません、正確にはわからないっす。敵意が大きいからわからないのか多すぎてわからないのか…。」


 不吉なことを言いやがる。


「ゴブリン1体に”ふいうち”なら、お前でも倒せるか?」


「……確実とは言えないっすけど。多分、行けると思います。」


 モミワーでふいうちといえば、先攻、ボーナスターン、ダメージ2倍の大チャンスだが、逆に敵からふいうちを受けると、格下でも全滅しかけないおそろしいシステムだ。範囲魔法を2回行動でふいうちなんてものを受ければ、まず全滅は必至だ。この現実でボーナスターンがどう生きるのかはわからないが、ダメージ2倍ってのは、多分そのままいけるんじゃないか?もしそんなシステムが無いとしても、背後から犬が襲い掛かってくればタダじゃすまないだろう。さいあく、俺も援護できるように、近場の折れたパイプでも装備しておこう。




 俺が見つけた、窓から外をのぞくゴブリンの元に戻る。


「どうだ?いけそうか?」


「奇襲してみるっす。」


 毛玉は音を立てる事なく、すいすいとゴブリンの背後まで近づく。そして、前足でゴブリンをつかみ、右肩から噛みついた。前足からはするどい爪が飛び出し、ゴブリンの肩へ深く突き刺さっている。噛みついた口には、真っ白に輝くナイフのような牙が生えそろっていた。毛玉をただの可愛い小動物だと思っていたが、その姿は虎や狼を凌ぐ凶悪さで、思わず息を飲んだ。


 噛みつかれたゴブリンは崩れ落ち、その場に倒れこんだ。首からは致命的な量の鮮血が流れている。ゴブリンは口をパクパクとさせ、何か声をあげようとしているが、声にならない。倒れこんだゴブリンの頭に、毛玉はさらに噛みつこうと口を開く。とどめをさすためだと理解した俺は、とっさに目をそらした。2人の方から、鈍い音が聞こえ、そっと目を向けると、ゴブリンの姿はなかった。悲惨な行為を行ったにも関わらず、毛玉は「やりました!」と、嬉しそうにこちらへ駆けてくる。


「ゴブリンはどうしたんだ?消えちまってるけど。」


「パーンと消えましたよ。見てなかったんすか?」


 ビビって目をそらしたとは言えない。


「あ、ああ。周りを警戒してたからな。」


「おお!さすが師匠っす!」


 死体が消えるというのは精神衛生上ありがたい。毛玉の口にも鮮血はついていないようだし、死ぬとスマホに戻るかこの世から跡形もなく消えるのか。まあ今は消えるって事実だけで十分だ。


「それで、次の敵影は見えてるのか?」


「見えます。けど3体見えますね。この階に来てから、上の階の敵が見えるようになったっす。」


「なるほどな。何m以内の敵影が見えるって感じか。となると、よほどの状況じゃなければ、俺たちがふいうちを受ける危険性は低いな。お前は敵を倒す時以外、索敵に集中してくれ。」


「了解です!」




 こそこそと動きながら、孤立しているゴブリン達を同じ手順で倒していく。毛玉がゴブリンの元へ向かっている間、ステータスを確認して経験値の獲得するタイミングを把握しようとしたが、全くわからなかった。少なくとも、単純に敵を倒せばいいというものではないようだ。やはり”人間性の理解”ってやつが必要ってことらしい。


 思案しているところに、またゴブリンを1匹退治した毛玉が戻ってきた。5階まで上がってきて、もう7匹倒したが、敵影はまだ見えるらしい。


「一体何匹いるってんだよ。」


「わたしはまだまだいけるっすよ!」


 毛玉はふんっと胸を張って答える。バッテリーもまだまだ問題はなさそうだ。1時間で10%ほど減っている。メッセージのやりとりで少し消費していたとしても、毛玉を出しながら消費するバッテリーは微々たるもののようだな。と考えたところで、メッセージの事を思い出す。そういえば、クソ野郎はあれからだんまりだな。一応メッセージで牽制しておくか。


「おいクソ野郎。お前の手駒がどんどん減っていって、焦ってんじゃあねえのか?謝るなら今のうちだぞ、かっぺ野郎。まあ謝ってもボコボコにするまで許さねえけどな。」


 クソ野郎は、自分のゴブリンがどんどん倒されているというのが、わかってるんだろうか。返事を少し待ってみたが、来る様子はない。焦っているのか、何か手があるのか。


 よく考えれば、ビルの階ごとにゴブリンを設置して、適当な警備態勢を取らせているってのはおかしくないか?俺なら窓の警戒は少数にして、階段を守らせる。上階へくるには階段を上るしかない。それに、俺はとっさにこのビルに入り込んだだけなのに、このビルに敵が大勢いるってのはおかしくないか?上階に誘い込むための罠?それとも、全てのビルにゴブリンを配置しているから問題ないとか?だったら、こんなちまちま倒しても意味はない気がする。うーん、とはいえ俺にはこの手しか無いし。考えるだけ無駄か?


「師匠、どうかしたんすか?」


「…ちょっと考えたんだが。これ罠って可能性はないか?」


「罠?どういう罠っすか?」


「俺たちを上階に誘い出す罠。」


「上階に誘ってどうするんですか?」


「しらん。あー…逃げられなくなったところを袋叩きとか?」


「なるほど。」


 しばらく毛玉は考えて、口を開く。


「でも、それって上階である必要性あります?2階でも3階でもよくないっすか?上階へ誘い込むために手持ちのゴブリンたちを倒されるのは、逆に非効率って感じがしますけど。」


 毛玉のくせに、中々するどい意見だ。


「そりゃあ、うーんと、多分手駒が大勢いるから。とか?」


「わたしを出すのにバッテリーが減るんすよね?相手もその条件があるとして、そんな大勢出せるもんなんすかね?」


「お前を出すのにだいたい6%くらい減るから。相手も同じ条件…まあ少なく見積もって5%だとして。」


 ドミナント以上のバッテリー容量のあるスマホは存在しない。


「出せるのは20匹。維持するのにも少しずつバッテリーは減るから、20匹全部出すことはできないだろう。となると多く見積もっても呼び出せるのは15匹~17匹くらいだとして。」


 今7匹倒した。上の階に見えてる2匹を入れて9匹。残りは6~8匹。


「…6匹から一気に攻撃されたらやばいかもな。」


「でも、上る前に姿は見えてるんすよ?」


「そうだな、敵影は毎回確認できてる。」


 6匹全員が待ち構えているなら、上っていかなきゃいいだけの話だ。考えるとますますわからない。


「相手が1人じゃなくてグループだったらどうだ?スマホが2台あれば単純に2倍だ。」


「うーん、そうっすねえ。そうだったらかなりやばいっすね。」


「ちなみに、俺の姿は敵みたいに壁越しでも見えるのか?」


「見えないっす。」


「ううん、人間は無理なのか、単純に俺が見えないだけなのかわからないな。」


「でも大家さんも見えないっすよ。」


「ああ、そうか。じゃあ敵意のある相手だけが見えるのかな。いや、普通に考えればお前と同じゲームのキャラクターだけが見えると考えるのが自然か。」


 いかんせん情報が足りない。少しずつとはいえ、バッテリーは減っている。まだまだ持ちそうだし、ちくわもあるから大丈夫だとは思うが。と思ったところで閃いた。


「なあ、俺たちの方が我慢比べをする上で、圧倒的に有利じゃあないか?」


「なんでですか?」


「そりゃお前、俺はお前しか出してないだろ?あっちが俺たちと同じ条件だと仮定すると、バッテリーの消費は圧倒的にあっちが多い。はずだ。」


「なるほどぉ!」


 ちょっと考えればわかる事だった。出すのに5%、それが15匹分で75%バッテリー消費。維持するのにじわじわ減っていく分を考えて…どれくらいだ?まあ、でも俺よりは間違いなく多いだろう。


 クソ野郎の方から探しに来たりしている様子はない。だったらここで敵の様子を見ながら、クソ野郎のバッテリーが切れるのを待てばいい。クソ野郎の位置がわかってれば完全勝利なんだが。


「ひとまず1時間待ってみるか。お前はスマホの中に…。しまったら敵が動いてるかわからないか。」


 こっちのバッテリーを温存しながら待とうと思ったが、だめか。


「じゃあ、このビルから出て、敵が見えない安全なところでスマホに入って待ちましょうか?」


「いや、それじゃあ相手のバッテリーが切れたかわからん。上の階にいるゴブリンが消える=バッテリー切れと考えるのがいいと思う。お前は上のゴブリンと、階段から上がってくる奴がいないか注意していてくれ。」


「わかりました!」


 この作戦は、クソ野郎の”キャラクターを出したりしまったりするのが俺と同じ条件”という大前提が成立しないと意味ないんだが。まあ1時間くらいなら、こっちにはちくわがあるしな。ついでに1時間でどれくらいバッテリーを消費するのか見ておくか。


 今のバッテリーは75%。1時間でここからどれくらい減るかだな。そんなに減らないと思っているが。

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