2 怖い話

 ようやく『怖くない話』による笑いが収まったらしい。


「それで、次はどっちが話す?」


 俺とハジメを見比べながら、サトシはそう尋ねてくるのだった。


「えー、まだやんのかよ。もういいだろ」


 ナオキはエアコンのリモコンに目をやる。よほど暑いのだろうか。それとも、まともな怪談を聞かされるのが嫌なのだろうか。


 サトシは相変わらず後者扱いして、勝手に話を進めていた。


「ハジメ、どっちがいい?」


「……僕は最後がいいかな」


 ハジメが申し訳なさげな視線を送ってくる。


「じゃあ、俺か」


 話せるようなネタが思いつかないらしいハジメに気を遣った……ということもあるが、トリは期待がかかりそうなので嫌だったということもある。ハジメは本当に最後でよかったんだろうか。


 だから、「いいネタが出せるように、できるかぎり話を引き延ばしてやるか」なんてことを考えながら、俺は怪談を始めるのだった。


「これは俺が子供の頃の話なんだけど――」



          ◇◇◇



 毎年この時期になるたびに、俺は思い出すことがあるんだよ。俺が体験したのも、ちょうど夏休みのことだったからな。


 忘れもしない、小学校五年生の時のことだ。その頃、俺は両親と弟、それから父方の祖父母と一緒に暮らしてて。だから、毎年夏休みになると、普段顔を合わせない母方のじいちゃんばあちゃんのところに行くのが習わしになってたんだ。


 その年も、俺たち家族は、じいちゃんたちの家に数日の間泊まることになって。そのことに子供の俺はすごくワクワクしてた。


 ていうのも、俺ん家も田舎だけど、じいちゃん家はさらに田舎でさ。本当に山の中って感じなんだよ。だから、夏場は特に昆虫採集やら川遊びやらをするのにぴったりだったんだ。


 で、じいちゃんの家に着くと、俺は早速弟と一緒に外に遊びに行くことにして。その日は特に暑かったから、川で泳ごうってことになった。


 ただうちの親は放任というか適当というか、子供だけで川に行ったりしても全然気にしないんだけど、じいちゃんは危ないからダメだってうるさくてさ。俺はもう高学年だし平気だって言ったんだけど、結局じいちゃんの畑仕事が終わるのを待ってから行くことになったんだ。


 待たされたのが気に入らなかった俺は、生意気にも川に向かう途中でぶつくさ文句を言ったよ。そうしたら、じいちゃんは「実は大昔、あの川で溺れた子がいたんだ」って言い出して。「その時は大人が誰もついてなかったから助けられなくて、結局死んじゃったんだ」って。


 ただそんな事故も何十年も経つ内に忘れられて、じいちゃんが子供の頃になると、また大人の見てないところで川遊びする子供たちが出始めたらしい。すると、今度もまた水難事故が起こっちゃって…… といっても、幸運にもちょうど大人がそばを通りかかったから、その子は助かったみたいなんだけどな。


 でも、問題が起きたのはそのあとだった。その子は意識を取り戻すと、妙なことを言い始めたんだよ。「誰かに足を引っ張られた」って。


 それで、その子の足を見てみたら、実際に小さな手形みたいな跡が残ってて……


 昔の事故のことを覚えてた人は、「あの時の子が引っ張ったんじゃないか」って言ってな。「きっと一緒に川で遊んでくれる友達を捜してるんだろう」って。だから、それ以来、あの川では絶対に子供だけで遊ばないように言い伝えられてるんだって、じいちゃんはそう言ったんだ。


 話を聞いて、弟はかなりビビったみたいだったなぁ。川遊びではしゃぐにははしゃぐんだけど、不意に笑顔が消えて、不安そうに自分の足元をじっとみたりしてさ。あれだけ注意してたじいちゃんも、「今は大人がいるから大丈夫だ」って言い聞かせたくらいだったよ。


 俺? 俺はあんまり信じてなかったかな。だって、そんなヤバい話が本当なら、もっと前から教えてなきゃ変だろ? もしかしたら、子供だけで勝手に川に行っちゃうかもしれないんだから。


 だから、「俺たちが溺れるのを防ぐために、じいちゃんが嘘をついてるんだろうな」っていうのが俺の感想だった。実際、その時も結局何も出なかったしな。


 ところが、だ。


 その日の夜のことだった。川遊びで疲れてたはずなのに、夜中にふと目が覚めてな。


 田舎といっても月明りがあるから、本当に真っ暗になるわけじゃない。だから、目覚めた時、天井の様子もよく見えて。


 そこに黒い影みたいなのが張りついてるのが分かったんだ。


 その影っていうのは、ちょうど人間みたいな形をしててさ。それも結構小さくって。俺はすぐに直感したよ。


「ああ、もしかして、これが川で溺れて死んだって子かな」って。


 で、そのことに気づいた俺は――


 疲れててまだ眠かったから、明日でいいやと思って寝ることにしたんだ。



          ◇◇◇



「なんつーか、お前はガキの頃からぼんやりしてたんだな」


 俺の話を聞き終えたナオキはそうぼやいていた。


「ガキの頃からって、別に今もしてないだろ」


「してるだろ。お前このまえも一階分、教室間違えてたじゃねーか」


 選択科目だったので、この失敗談は同じ講義を取っていたナオキにしか知られていなかった。そのせいで、「さすがにそれはないだろ」とサトシにいじられてしまう。


 助け舟を出してくれたのはハジメだった。


「それで、そのあと黒い影とは何かあったの?」


「別に何も」


 ハジメの困り顔やナオキたちの呆れ顔を見て、俺はようやく失言に気づく。せめて「怖かったから神社に行った。そのおかげか、それからは何もなかった」とかなんとか嘘をつくべきだった。これでは本当にぼんやりしたやつだと思われてしまう。


「一応、朝起きてから、天井にコロコロかけといたけどな」


「汚れじゃねえんだぞ」


「お札を貼れ、お札を」


 すかさずナオキがツッコミを入れ、それにサトシも続いた。どうやら今度のも失言だったようだ。


「もう怖い話でもなんでもねえなー」


「それは二人のせいだろ」


 せめてもの仕返しとして、俺はナオキにそう反論する。あくまでも二人が怖くない話をしたから、それに乗っかっただけだった。怖い話をしようと思えば、普通にできたのだ。


 だが、そもそもの元凶であるサトシは、まったく反省していないらしい。


「じゃあ、ラストはハジメか。


 あからさまなフリだった。


 サトシへの仕返しと、ハジメのプレッシャーを軽減する意味で、俺は「適当でいいぞ」と声を掛ける。この両極端な意見に、当人は微苦笑を浮かべるばかりだった。


 しかし、話を始める頃には、怪談を語るのにふさわしいような、緊迫感のある顔つきをするのだった。


「僕の話も、自分で実際に体験したことなんだけどね――」



          ◇◇◇



 ついこの前の、夏休みに入ったばかりの頃のことだった。


 僕は、夜は大体エアコンじゃなくて扇風機をつけて寝てるんだ。電気代が気になるからね。それもつけっぱなしじゃなくてタイマーにしてさ。


 ところが、その日は超熱帯夜って言うのかな。夜になっても気温が全然下がらなくって。あまりに暑いもんだから、僕は夜中に目を覚ましちゃったんだ。


 で、暑くて倒れてもまずいから、今度は扇風機をつけっぱなしにして寝ようとしたんだよ。でも、寝汗のせいで体がベトベトして気持ち悪くてさ。「じゃあ」と思ってシャワーを浴びたら、次は目が冴えてきちゃって。


 だから、眠くなるまで何かしようかと思ったんだけど、寝る前にテレビとかスマホとか見ると睡眠の質が落ちるって言うでしょ? 明日バイトが入ってるのに、それは困るなって。


 それで、僕はベランダに出ることにしたんだ。そうそう、ちょうどそこのことだね。外なら多少は涼しいだろうし、星を見るのは結構好きだからね。


 夏の星座? それはやっぱり、はくちょう座、わし座、こと座かな。いやいや、全然マイナーじゃないよ、いわゆる夏の大三角形だから。はくちょう座のデネブ、わし座のアルタイル、こと座のベガで三角形ね。


 あとはさそり座とかいて座とかもあって、僕はそういうのをぼんやり見てたわけ。すると、その内にアパートの近くの道路にカップル……なのかな。二十代くらいの若い男女がいるのを見つけてさ。


 さっき夏の大三角形の話をしたけど、アルタイルっていうのは日本で言う彦星で、ベガは織姫なんだよ。だから、そのカップルを見た時、「ああ、織姫と彦星だな」なんて思って。悪いとは思ったんだけど、僕はしばらく二人のことを眺めてたわけ。


 あれは別れ際だったのかなぁ。二人はその場で少し話をしたあと、男の方が肩に手を置いて、女は背伸びをして。うん、キスをする体勢を取ったんだ。


 僕も最初はそう思ったよ。


 ところが、次の瞬間、男の顔が裂けたんだ。


 なんて言えばいいのかな。花のつぼみが開くみたいな感じっていうのかな。とにかく男の顔が四方八方に裂けて広がったんだよ。


 かと思えば、すぐにその顔は閉じていた。


 それも女の体を取り込みながら、ね。


 そう、男は女を丸飲みにしたんだ。


 顔が裂けたことにまずびっくりしたけど、これにはもっとびっくりしたよ。化け物ってだけでも恐ろしいのに、人間を食べる化け物だからね。思わず、「ひっ」って悲鳴を漏らしちゃった。


 そうしたら、男はぐりんってこっちに首を向けてきたんだ。


 もうさぁ、怖いやら驚いたやらで、僕は慌てて部屋に引っ込んだよ。だって、悲鳴に反応したくらいだからね。あいつは目撃者の僕も口封じに食い殺すつもりに違いないと思って。


 で、アパートから逃げようか、このまま部屋に隠れてようか考えた。といっても、怖くてろくに動けなかったからね。僕には隠れるしか選択肢がなかった。脚をがくがく震るわせながら、ベッドの下に潜り込んだんだ。


 ベッドの下ではいろいろ後悔したよ。扇風機つけっぱなしで寝ればよかったとか、ベランダなんか出るんじゃなかったとか。そうやって、後悔して後悔して後悔して…… 気がつけば朝になっていたんだ。


 でも、朝になったからって全然安心はできなかった。あいつがいつ襲ってくるかなんて分からないからね。もしかしたら、気を抜いた途端、ベランダから飛び込んでくるかもしれない……なんて想像もしたよ。


 ただ、ご飯食べたりバイトしたりして時間が経つにつれて、だんだんとあれは寝ぼけて夢を見ただけじゃないかっていう気もしてきた。常識的に考えたら、あんな化け物がいるわけないからね。だから、しばらくの間は、怖いような怖くないような何とも言えない気持ちのまま過ごすことになった。


 転機があったのは、化け物と遭遇してから三日後のことだった。僕のところに警察官がやってきたんだ。


「〇号室の方の行方が分からなくなってしまいましてね」


 刑事さんに詳しい話を聞いてみると、僕が化け物を見たあの日以来、アパートの住人の一人と連絡が取れなくなっちゃったって言うんだよ。


 これは多分だけど、暗くて一瞬のことだったから、化け物には僕の顔や部屋の場所がよく分からなかったんだろうね。それで適当にあたりをつけて、アパートの住人を襲ったんだ。だから、僕は今まで無事だったんだろう。


 でも、それは逆に言えば、化け物はやっぱり実在してたってことになってしまう。だから、笑われるのも承知の上で、僕はあの夜のことをすべて話すことにした。


 そしたらね、刑事さんは僕の話をまったく疑うことなくこう言ったんだ。


「ああ、お前だったのか」


 その瞬間、刑事さんの顔が裂けて――



          ◇◇◇



「普通に怖い話かよ!」


 ナオキが真っ先に声を上げた。


「怖かったのか?」


「そういう意味じゃねえよ!」


 サトシにからかわれて、ナオキはすぐに否定する。しかし、「過剰反応するあたりが怪しいな」とまともに取り合ってもらえなかった。


 そのせいで、ナオキは話をした本人を再び非難し始めるのだった。


「ハジメはもっと空気を読めよ」


「確かにナオキがビビってるのを察してやるべきだったな」


「だから、そうじゃねえって」


 俺にまでからかわれたことで、ますます苛立ちが募ったのだろう。ナオキは苦情のような説教のような話をさらに続けた。


「あのなぁ、ハジメ。今のは怖くない話をする流れだっただろ」


「分かってるよ」


 ハジメはけんもほろろにそう答えた。


は怖くないからね」


 その瞬間、ハジメの顔が裂けて――




(了)

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本当にあった怖くない話 蟹場たらば @kanibataraba

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