本当にあった怖くない話

蟹場たらば

1 怖くない話

「なぁ、暑くないか?」


 不躾にもナオキがそんなことを言い出した。


「そう? 普段はこんなもんだけど」


 念のためという風に、家主のハジメはテーブルのリモコンを手に取る。しかし、エアコンの設定温度はやはりいつもと変わらないようだった。


「人数が多いからじゃないか?」


 俺は横からそう口を挟んだ。決して広いとは言えない部屋に、大の男を四人も詰め込んでいるのである。体感温度は当然高くなるだろう。


 八月初旬、S大生の俺たちは夏休みを迎えていた。


 一年の頃のように、「あれをやろう」「これに挑戦してみよう」という初々しい意気込みはない。かといって、三年生の先輩たちのように、「就活の準備を進めよう」という将来に対する真面目さもない。そんな慣れとだれが入り混じったような、大学二年の夏休みだった。


 だから、この日も俺たちは、貴重だという周囲の声をまったく無視して、時間をドブに捨てるような一日を過ごしていた。喫茶店に行ってはどうでもいい話をし、カラオケに行ってはどうでもいい話をし、ファミレスに行ってはどうでもいい話をし…… そうして夜遅くになっても、まだハジメのアパートでどうでもいい話をしようとしていたのである。


 他人の部屋だというのに、ナオキはお構いなしに「お前らは暑くねえの?」とうるさい。それでハジメも気を遣って、エアコンのリモコンを本体に向ける。


「ちょっと待った」


 そう制止したのはサトシだった。


「せっかくだし、怪談でもどうだ?」


 何がなのか、よく分からない提案だった。


 とはいえ、今日は一日、海水浴もバーベキューも里帰りもキャンプもせず、ただダラダラとだべってばかりだった。無理矢理に挙げるとしても、せいぜいアイスを食べたりビールを飲んだりしたことくらいのものである。それに比べれば、怖い話をするというのは、はるかに夏らしいイベントだと言えるだろう。


「僕はいいけど……」


 二人はどうかと、ハジメは遠慮がちに答える。


「俺も」


 趣味というほどではないが、俺は普段からちょくちょくホラー映画を見たり、ネットロアを読んだりしていた。怪談の類は嫌いではなかったのだ。……それに季節の行事に参加することも。


 しかし、ナオキだけは憮然としていた。


「怖い話で涼むとか何時代だよ。もう令和だぞ令和」


「エアコン使い過ぎないのはむしろ現代っぽいけどな」


「SDGsだね」


 俺の言葉に、ハジメがそんな相槌を打つ。ナオキは「そういう話じゃねえだろ」とますます語気を強めた。


「何だよ、ナオキ。ビビってんのか?」


「んなわけあるか」


 からかうようなサトシの言い草がよほど気に喰わなかったらしい。ナオキはムキになったように反論する。


 おかげで、あっさり挑発に乗せられてしまったのだった。


「大体、偉そうに言うけど、お前に涼めるような話ができんのかよ?」


「ああ、できるとも」


 言い出しっぺだけあってか、サトシは自信満々だった。


 そして、それまでの朗々とした口調から一転して、ぼそぼそとした低く小さな声で語り始めたのである。


「これは俺の親戚が、一人暮らししてた頃に実際に体験した話なんだけどな――」



          ◇◇◇



 俺の叔父さんは工場に勤めててさ。確か、自動車の部品を作ってるって言ってたかなぁ。まぁ、この話にはあんまり関係ないことだけど。


 俺も詳しいことはよく知らないけど、製造業って言うの? ああいう仕事っていうのは始業時間が早いのが珍しくないらしくて。八時スタートは当たり前、七時や六時なんてところもあって。叔父さんの工場も始業が七時半なんだってよ。


 でも、当たり前の話だけど、従業員はそれよりももっと早く起きなきゃいけないよな? 身支度だの通勤だのの時間が必要だから。だから、叔父さんも毎朝必ず六時には起きてるっていうんだよ。


 朝一どころか二コマ目の講義もサボってるような俺からすると、かなりきつそうに感じるんだけど、叔父さんによると案外そうでもないみたいだ。その内、習慣になるから大したことないって。場合によっては、アラームが鳴るよりも早く目が覚めたり、休日にまで早起きしちまうこともあるんだってさ。


 で、肝心ののことだ。


 その日も日曜日だっていうのに、さっき言った習慣のせいで、叔父さんは五時過ぎに目が覚めたらしくてな。しばらくそのままゴロゴロしてたんだけど、どうしても二度寝できそうになかった。だから、いっそ早起きして目いっぱい遊ぼうと思って。積みっぱなしになってたゲームをしたり、普段は作らないような手の込んだ飯を作ったりしたんだと。


 ただ明日は日曜だからって、前日遅くまで起きてたせいだろうな。昼飯を食べたあと、朝は全然感じなかった眠気が急に襲ってきて。それで一旦寝ようか、それとも起きてようか、どうしようかってベッドに寝転んでスマホをいじってた。で、その結果、自分でも気づかない内に寝落ちしちまってて……


 ふっと目を覚ましたのは、人の声が聞こえてきたからだった。


 家の外から、子供たちの笑い声が聞こえてきたんだよ。


「ああ、子供は元気だなぁ」って、叔父さんは苦笑いして。「俺とは全然違うな」って。


 それで、「一体、何をしてるんだろう」と思って、窓の外を見たんだんだ。


 でも、叔父さんは、自分が部屋の電気つけっぱなしで昼寝しちゃったのを忘れててさ。


 寝てる間に、外はとっくに真っ暗になってんだよ。


 これを見た叔父さんは、慌てて枕元の目覚まし時計に目をやった。


 すると、もう深夜三時だったんだ。


 けど、叔父さんはこの時はまだ、時計の方が間違っている可能性を考えてたみたいなんだ。「電波時計だってたまにはずれることもある」って。「せいぜいまだ夕方だろう」って。そりゃあ、そうだよな。そんな深夜に、子供が外にいるはずがないんだから。


 だから、叔父さんは怯えつつも冷静に、スマホの画面を確認した。


 そうしたら、時刻はやっぱり深夜の三時だった。


 その瞬間、さすがの叔父さんも思わず悲鳴を上げたらしい。


「もう日曜終わり!?」



          ◇◇◇



「そっちかよ!」


 思わずという調子で、ナオキが声を上げる。


 しかし、当のサトシの態度は泰然としたものだった。


「でも、怖いだろ?」


「ある意味ではな」


 土日に一日バイトをするのですら、面倒くさく感じるくらいなのだ。平日毎日働いて、なおかつ責任の大きな仕事をこなしている正社員は尚更だろう。休日の大半を寝て過ごしてしまうというのは恐怖に違いなかった。


 とはいえ、社会人になるのはまだ二年以上も先の話である。今の俺には心霊現象の方が気になるのだった。


「結局、子供の声はどうなったんだ?」


「時間を確認して目が冴えた時には、もう聞こえなくなってたからな。多分、夢とごっちゃになってたんだろうって」


 ごく常識的な回答だった。体験談ということを考えれば当然かもしれないが。


「怖い話なんてそんなものだよね」


 ハジメも俺と同じような感想を呟く。こうして霊の存在は完全に否定されてしまった。


 そのせいで、ナオキは再び不満を口にし始めるのだった。


「ったく、全然涼めねえじゃねえか。そんな話でいいんだったら俺にだってあるぜ」


「へえ、本当かよ?」


「これは俺の地元の友達から聞いた話なんだけど――」



          ◇◇◇



 俺の地元にケンジってやつがいてさ。中二の時だったかな? とにかく中学からのツレなんだわ。


 で、去年の夏休みのことなんだけど、そのケンジのやつ、大学の友達と家でだべってて。いつの間にか、夏だしってことで怖い話をする流れになったんだよ。そうそう、ちょうど今の俺らみたいにな。


 まぁ、最初の方は普通に怪談を話してたみたいなんだ。写真を撮ったら体の一部がかすんでて、あとでそこを怪我したとか。部屋で視線を感じるから妙だなと思ったら、棚の隙間から目が覗いてたとか。そういうやつな。


 ところが、その内に友達の一人が、「どうせなら本物を見に行かないか」とか言い出してさ。なんでも、そいつの家の近くに廃ビルがあって、それが雑誌やネットに載ってるような有名な心霊スポットだとか言うんだよ。


 ケンジのやつはアホだから、「よっしゃ、いっちょ行ってみっか」とか深く考えずに賛成して。他のやつらも、「いいね」とか、「本物の心霊写真が撮れるかもな」とか言い出して、本当にその廃ビルに行くことになったんだとよ。


 ただ実際行ってみると、かなり雰囲気があるところだったみたいでな。壁は汚れてるし、窓は割れてるし。心霊スポットって知らなくても、出るんじゃないかと思わされるような場所だったらしい。


 でも、誰も流れ的に今更やめようとか言い出せなくて。「いるわけねえよなぁ」とか、「さっさと出てこいよ」とかなんとか強がりを言いながら、ビルの中を歩き回ってたんだ。


 そうしたら、その内にカツン、カツンって音が聞こえてきたんだ。


 ケンジは最初、自分の勘違いだと思ったみたいだ。内心かなりびびってたから、そのせいで聞き間違えたんだろうって。


 でも、今まで騒いでた他のやつらも黙り込んじまっててさ。それを見て、本当に音がしていることに気づいたんだ。


 そうやってケンジたちが立ち止まったせいだろうな。今度はさっきよりも鮮明に、カツン、カツンって音が聞こえてきた。だから、「これ何の音だ」「分からん」とか言って。誰かが「足音じゃね?」って言い出して……


 で、その足音が向こうの曲がり角の方から、少しずつこっちに近づいてくるんだよ。


 だっていうのに、ケンジたちはこの期に及んでメンツを気にしてたみたいで。「誰かが先に来てたんだろ」「女の子だったらどうする?」とか言うだけで、誰も逃げようとしなかったらしい。


 それで、とうとうその足音のやつが、角を曲がって姿を現して――


 ケンジはすぐに叫んだ。


「首がない!」


 そうなんだよ。向こうから歩いてきた女には首から上がなかったんだ。


 頭がなくて、血まみれのワンピースを着てて。明らかに生きてる人間じゃなかったんだよ。


 ただケンジはアホはアホだけど、よく気がつくっていうか、目ざといっていうか、そういうところがあってな。その女の幽霊だか化け物だかを見て、もう一つ発見したことがあったんだ。


「胸はある!」



          ◇◇◇



「くだらねえなぁ」


 自分を棚に上げて、サトシはそう文句をこぼした。


 すると、ナオキは両手で握りこぶしを作って、それをTシャツの中に突っ込んだ。胸のつもりのようである。


「でも、Fはあったらしいぜ」


「知らねえよ」


 サトシは今度も文句をこぼす。


 しかし、先程から字面に反して、口調には笑い声が混じっていた。本当はかなりツボに入っているらしい。


「二人もなんか言ってやれ」


 噴き出しそうになるのを誤魔化すためだろう。サトシは今度、俺たちに話を振ってきた。


 だが、確かに言いたいことがないわけでもなかった。


「胸がどうとか言うのは今時よくないんじゃないか」


「SDGsだね」


 俺の感想に、ハジメもそう同意する。


「お前らいつまでその話をひきずってるんだよ」


 ナオキは呆れたような視線を向けてきた。


 話題が多少変わったというだけで、中身の方は昼間の時とまったく変わっていない。俺たちの会話は、どうでもいいような内輪だけの笑い話で、怪談ではなくただの雑談になってしまっている。


 この時はまだそんな風に思っていた。

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