第9話 デイジー、ギルドに行く
朝早く、デイジーは家の前の湖面の前に立っていた。
まるで鏡面のような湖面にデイジーの目をつむった姿が映っている。
デイジーは精神を統一していた。
深い呼吸を繰り返し、大気に自分を溶かしていく。
ゆっくり、ゆっくり。
デイジーはこの世界と合一していく感覚を得る。
空高く、うずまく雲の大気すら掌中にある感覚になる。
「ハッ!」
一気に目を見開く、髪は毛先がピリピリと持ち上がり、体は身震いする。
呼応するように、湖面のはるか上空にある雲が一気に晴れた。
「ふぅ」
デイジーはスッキリとした面持ちになった。
攻めの“理合”だった。
それも極大化したバージョンだ。
理合は相手の攻撃に合わせるカウンターが主だが、積極的に大気に満ちる理と同調することで大きな力を発揮できた。
デイジー自身に大きな力は必要なかった。
今、天空の雲を割ってみせたのも、目の前にある空気にほんのわずか力を加えたに過ぎない。
あとは連鎖反応のようにして大きな力となっただけだった。
強力な力だ。
ただし、この力は実戦向きではない。
同調するまでに時間がかかりすぎる。
その間、無防備でもあった。
一人きりで戦わざるを得なかったデイジーにとって、攻めの“理合”はせいぜいが実家のリビング程度の間合いでしか実戦投入できるものではなかった。
そのくらいなら、ほんのすこしのタメで小さい範囲の同調が行えて、隙もわずかで済む。その分威力は各段に落ちるが。
「わっ!いまなんか急に晴れませんでした?」
「おはよう、ルーファス君。早いね」
「あっ、おはようございます!お師匠さま」
スッキリしようとしたモヤモヤの原因が朝一で来てしまった。
モヤモヤついでに思い出すと、過去戦った大人のルーファスには攻めの“理合”が通じなかったことが思い出される。
それにもムッとした。
「あの…」
ルーファスはなにやら後ろ手になってモジモジしている。
「なに?」
ついデイジーはムッとした気持ちのままつっけんどんな対応をしてしまった。
「これ!よければ受け取ってください!」
後ろ手からバッと出されたものは、白い花束だった。
「え?」
「あの…家の庭に咲いている花なんですけど、きれいだったから、よくデイジーさんに似合うと思って…」
「あ、そう…」
デイジーは一気に顔が熱くなった。
きれいだったからわたしに似合うってなんだ!?
てゆうか、花なんてプレゼントされたの初めてなんだが!?
「あの…」
ルーファスは花束を手渡そうとしたままだった。受け取らなければ。
「あ、ごめん…」
花束を受け取ると、一気に甘い香りが鼻腔を刺激した。
「いい匂い…」デイジーの表情が自然とゆるむ。
「えへへ」
ルーファスはようやくうれしそうにほほ笑んだ。
まるで子犬のように、美少女のように。
「…ずっる」
「え?」
こんなの許しちゃうな。
昨日のお詫びの意味を込めての花束だったのだろうが、これを自然にできているとしたら、ルーファスというのは魔法の才以外にもとてもやっかいな才能があるのではないか。
デイジーは目の前の美少年におおきな危惧を覚えた。
「…ごめんね」
「え?」
「なんでもない」
昨日、ちょっとめんどくさい奴と思ってデイジーは申し訳ないなという気持ちになった。
子供だもん、当たり前だよね。
だけど、子供なのに末恐ろしいやつでもある。
デイジーは改めてルーファスを全力でアイスクリーム屋さんにしなければならないと思ったのだった。
「それで、今日は朝早くからどうしたの?」
デイジーは花束を花瓶がないから、コップに入れて飾った。クロが寝ぼけた顔で花の香りをふんふんと嗅いでいる。
「はい!ギルドに提出する書類ができましたから、一緒に行きましょう!」
「もうできたの?」
「はい!」
ニッコニコでルーファスは答える。やる気がまぶしい。
ギルドかぁ~とデイジーは内心思った。
ギルドは商工ギルドのほかに冒険者ギルドも兼ねていて、ギルド長のドワーフはよく殺していた相手だった。
「う~ん、わたしも行かなきゃダメ?」
「はい。書類代行はだいじょうぶなんですけど、登録は本人がやることに決まってます」
「決まってたかあ」
「それにギルドに行くのは顔なじみを作るためにも必要なことですよ。商売の基本はコネですから」
「そっかあ」
デイジーは覚悟を決めた。
「じゃあ、いこっか」
「はい!」
クロがデイジーの肩に飛び乗った。
「行くって言ってくれてよかったです。ちょっとドキドキでした」
ルーファスは隣を歩きながら言った。街の朝は眠たげだが、慌ただしそうだった。多くの人がどこかに向かって移動している。
「まあね~。デイジーさんは日々大人になってるんですよ」
「さすがお師匠さまです!」
どこまで本気かわからないが、とりあえずキラキラした笑顔でルーファスが微笑む。
「…キミが女の子だったら、きっと国を傾けていただろうなあ」
「またお師匠さまは変なこと言って~」
ルーファスが困り顔をする。
困った顔を見たいがためにウザ絡みをするおじさんの気持ちがわかってしまいそうだった。
「朝からヘンタイはよしなさいよ」クロがボソッと耳元でいう。
「は~い」
「あ、ここですよ」
ギルドに着いた。何の変哲もない木造の建物だった。両側を石造りの建物で挟まれているから、余計みすぼらしく見える。
「ずいぶんぼろっちいね」
「協会員の金をみだりに使用してはならないという理念に基づいていますね。ちなみに右側が税務署で左側が警察署です」
「oh・・・」
デイジーは絶句した。
「さ、入りましょう。もう開いているはずですから」
なかはずいぶん賑わっていた。商人風、職人風、冒険者風の人々が入り混じって何やら話している。熱気がある、そうデイジーは感じた。
「お、酒」
クロが鼻をピンと上にあげて反応する。
広い一間の一角には、軽く酒を飲めるところが併設されているらしく朝から冒険者風の男たちが吞んでいた。きっと仕事帰りなのだろう。
「呑まないよ」デイジーはクロに一言添えといた。
「え~」
クロは不思議なことになにも飲み食いを必要としないし、排泄すらしない。ただ、趣味的に酒は好んでいるようだ。中に入ったものがどこにいくのかはわからないが、しっかり酔って気持ちよくはなれるようだった。
何回か一緒に酒を飲んだことがあるが、いつもより明るく甘えっ子になる良い酒だ。
でも、今日はほかに用事がある。
「え~と、ああ、こっちですね」
ルーファスが三つあるうちの受付から商業ギルドの受付へとデイジーをいざなってくれた。
「すまんのう、何から何まで、ルーファスちゃんや」
デイジーは一気に老け込んだ気がした。まあ、実際、トータル数千歳くらいのはずではあるが。
「いえいえ。え~と、すいませ~ん」
ルーファスが受付の奥に声をかけると「はぁ~い」といやに妖艶な返事が返ってきた。
「な!?」
受付にまず現れたのは、巨大な胸だった。
ついでロングヘアで垂れ目でニットワンピースを着た女性が現れた。
「おぉ…」
クロが小さく感嘆の声を漏らす。
「なっ!?」猫みたいなもんのクセになにをっ!?てゆうかアンタ精霊でしょっ!?ちょっとはそれらしくしなさいよっ!という視線をデイジーは瞬時に向ける。
クロはふいっと視線をそらした。
「はっ!?」
見ると、ルーファスまで目を奪われていた。ぽっーとなって上を見上げている。
悲しいのは本能か。見た目は美少女なのに、ルーファスはしっかり男の子だった。
「あらあらぁ、可愛い子たちねぇ~どうしたのかしらぁ~?」
「えっ…あっ」ルーファスは声をかけられてようやくデイジーの視線に気づいて「は、はい!お店の登録に来ました!」とつっかけるように言った。
「ふ~ん」
「な、なんですか、お師匠さま」
「なんでもないけど。ほら、お姉さんとちゃんと話して。見てるから」
「は、はい…」
ルーファスは顔を赤くして受付のお姉さんと対峙した。
お姉さんはデイジーとルーファスの二人を交互に見て、なにやら得心したような顔をしてから、ニヤニヤした。
「キミってぇ~、もしかして男の子~?」
「え、はい、そうですけど…」
「ふ~ん」デイジーを見て「いいね~、なんか初々しいね~」とほほ笑みかけてくる。
なんだこの女は。なにか勘違いしているようだ。
「あの…」
「おい、マチルダ!今夜空けとけよ!飲みに行こうぜっ!」
デイジーが受付の女の勘違いを正してやろうとしたとき、後ろから酒臭い息がふりかかってきた。女はマチルダというらしい。
「あら~、ジェッツさん、奥さんいるじゃない~」
ジェッツと呼ばれた男は手に持ったジョッキを空にしてから「ぷはー、いいんだよ。どうでもいいんだよ、そんなことは」と管を巻いた。
なにやらめんどくさい雰囲気になって来たぞと思っていたら、案の定だった。
「おっ!なんだこりゃ!とんでもねえ美少女じゃねえかっ!エルフか!?嬢ちゃん?」
とルーファスに絡みだしたのだ。
「え、いや…」
酔っぱらいの相手に慣れていないのだろう、ルーファスは見るからに困っていた。
「ちょっと~、その子は男の子だから~、手を出さないで~」
マチルダが助け船を出す。
「えっ!?男の子?ホントかよ?」
「ひゃっ!?」
しかし、逆効果だったらしく、酔っぱらいジェッツの手は無造作にルーファスに向かって伸びて行った。
「これ」
デイジーはその腕を途中でつかんだ。
「んあ?なんだぁ?嬢ちゃんが相手してく」
デイジーは理合を使い、ジェッツの重心を操作し、その場でくるんっと回転させて背中から落とした。
「あっ、がっ」
息ができないようで、ジェッツは陸にあがった魚のように口をパクパクさせた。
「顔、顔」
クロが注意する。
デイジーの顔にはいつの間にか愉悦的な笑みが浮かんでいた。
「おいおい、ジェッツ兄どうしたことだ!?」
ジェッツの仲間たちが集まってくる。みんな酒臭い。
酒臭い大人たちに子供たちが囲まれている構図だった。
「ちょっと~」
マチルダが間の抜けた声をかけた時だった。
「ぬぁにをしてるかっ!!!」
マチルダの声をかき消して、広間中に胴間声が響く。
でたよ…。内心デイジーは思った。
ジェッツの仲間たちの二倍も三倍も横に太い巨大なドワーフが現れた。
「このギルド長、金鉄のザッケルがいるのを知っての狼藉か、馬鹿野郎ども!」
ドスンドスンと地響きが鳴りそうな足音でザッケルはやってきて、酒臭い男たちの間に割って入った。
「んんっ?ジェッツはなんでこんなところで寝てるんだ?」
「え?いや、さあ、わかりません。なんか急に倒れて」ジェッツの仲間の小太りが応える。
もう一人の細い方が「いや、でも、なんか倒れる前にくるんって宙返りしてから倒れてたぜ?」と言う。
「なんだそりゃ?」
ザッケルは呆れていた。
「あの~」とマチルダが声をかけた。「たぶんなんですけど~、ジェッツさんは子供たちにいいとこみせようと思ってバク宙しようとしたんじゃないですか~?で、失敗しちゃったんだと思います~」
いまだに痛みでウンウン言っているジェッツをその場にいる全員が見下ろした。
「…おい、お前ら、介抱してやれ」ザッケルがそういうとジェッツの仲間たちは「そうっすね…」と言って、ジェッツを引きずっていった。
チラリとマチルダを見ると、二人だけの秘密だよ、とでも言うかのように笑みを向けてきた。
…悔しいが、この女はモテる。デイジーは思った。なので、心のなかで、ありがとうと言っておいた。
「ん?お客さんか?」
ザッケルはマチルダにデイジーたちのことを聞いた。
「いいえ~、ギルド登録の方です~」
「なに?」ザッケルはひざまずいてデイジーたちの目線と同じ高さになった。「嬢ちゃんたちはどんな店を開くんだい?」
思いのほか柔和な笑顔と物腰でザッケルは聞いてきた。
「え~と、〈どうぶつの歯医者さん〉です」とデイジーが応える。
「ほう!そいつぁ珍しいな!こりゃ~将来有望だ!よろしくな!」と一際力強い笑顔を残すと、ザッケルはさっさと退散してしまった。
金鉄のザッケル。冒険者としてもS級でその鋼のような肉体から放たれる一撃は山をも吹き飛ばす。獲物はハンマーで、神々の遺物と呼ばれる逸品を使っていた。
そして、何回もデイジーと死闘を繰り広げ、何回も殺した。
だが、今生では殺し合いなんてしないでいいし、あんな笑顔を向けられもする。
「…幼女最強かもしれん」
デイジーがつぶやいている後ろで、ルーファスとマチルダは事務手続きを進めていた。
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