100万回生きたデイジーは復讐にも飽きたので自由に生きてみることにした

楽使天行太

第1話 デイジー、10歳に死に戻る

「…あら、今回はずいぶん戻っちゃったのね。はじめてじゃないかしら?」

デイジーは自分の小さな手を見つめてぼやいた。


「ねえ、わたしって今何歳かしら?」

デイジーは妹のキャロットに話しかけた。デイジーの背後で尻もちをついて、キャロットはデイジーを見上げている。


デイジーの背にまたがって、お馬さんごっこを強要していたところを急に立たれて、キャロットは転げ落ちたのだった。

「…はあ!?」


「あら、妹なのに、お姉さまにそんな口を利いてはダメよ。それに自分の足で歩きなさい。そんなんだから、おデブちゃんなのよ」

キャロットはデイジーの妹だが、デイジーよりもずいぶん体重があり、ぽっちゃりしている。対してデイジーは鶏がらのようにやせていた。


「なにいってんの?全然関係ないし!」


デイジーはキャロットの言葉を無視して、ただ観察する。

え~と、キャロットの見た目からすると、今のわたしは十歳くらいか。

「っつ」

デイジーは膝にしびれるような痛みを覚えた。


ロングスカートをたくしあげて見てみると、小さな膝からは血が流れていた。


「いった~!このバカ!」

デイジーは思わず手を伸ばして、キャロットの頭を叩いた。


「え…?」

信じられないという顔でデイジーを見上げ、みるみる涙が目にたまっていく。


「いやいや、泣きたいのはこっちだから。常識で考えて?」


デイジーは思い出した。


この日は一家団欒の場で、キャロットが一時間もデイジーの背中に乗って過ごしたのだ。イスやお馬さんとして。


お腹が減っても、デイジーは何も食べることができなかった。夜中に膝が痛んでも、耐えて泣くことしかできなかった。


「…こいつめ!」

デイジーはもう一発キャロットの頭を叩いておいた。


キャロットはついに大げさに泣き出した。


「ハイハイ、泣いたらいいわ」


デイジーはキャロットの泣き顔を無感動にながめた。もう何千回も見ているので、なんの価値も感じない。


ただ、キャロットが泣いたということは、このあとの展開は大体予測できた。


「おまえぇ!何してる!」

「あらあら、お兄様。鼻息が荒くてステキね」


キャロットが泣くと、兄のジェイソンが必ずといっていいほど庇いにやってくるのだ。


「麗しき兄妹愛ね」

デイジーは自分もジェイソンの妹なのだが、まるで他人事のようにつぶやく。


ジェイソンが肉体強化の魔法を唱えながらみるみる肉迫してくる。ジェイソンの腕は普段の二倍、三倍にも膨れ上がり、濃厚な暴力の匂いを発散させた。


ただでさえ壮健な十七歳の若者である。通っている魔法学園でもランカーとしてもてはやされ、魔法の威力も申し分ない。


デイジーは迫りくる脅威を前に、よそ見をした。


ああ、やっぱりここは家のリビングよね。父に母、執事にメイドもいるわね。


「オラァ!!!!!」

ジェイソンの拳はデイジーを殺す気で放たれていた。


なるほど。今回はここで終わるのね。太っちょの妹のバカげたお馬さんごっこに逆らったら、死の鉄槌が兄から降るというわけだ。


なんて理不尽。


デイジーは必ず家族に殺された。父には炎魔法で、母には水魔法で、兄には物理攻撃で、妹には変身魔法で殺された。


とても酷い虐待を受けていたというわけだ。なぜなら、名門貴族のマルグリット家において、デイジーは魔法の才に乏しい欠陥品だったからだ。


それだけで、かれらにとっては、実の子供だろうが、姉妹だろうがまったく価値のない存在だった。


いや、むしろ恥であり、マイナスな存在だった。


デイジーはまるでその評価を受け容れるかのように、いたずらに殺されては、死に戻りを繰り返した。


99万回目までは。


「ふっ」

デイジーは軽い息吹を吐くと、迫りくる拳の前に細枝のような腕を出した。


「あがっ!?」

すると、どうだろう。ジェイソンの拳はデイジーの腕をぬめりと滑るような動きをして、体ごと床に激突してしまったのである。


石材の床に顔から突っ込んでしまい、ジェイソンは痛みに悶絶することになった。


「ふぐぅ!ふぅ~!」

ジェイソンは呼吸を不規則に止めたり、吐いたりして急激に襲ってくる痛みに耐えようとしていた。


「ふふっ」

十歳の幼いデイジーは微笑んで、兄のジェイソンを見下ろす。


「お兄様は苦しそうな顔が本当によく似合うわ」

10000回見ても、笑えるものは笑えた。




「まったく、すっかり性格悪くなっちゃって」

デイジーの影の中から声が聞こえた。


ドンッ!とデイジーは自分の影をふんだ。


床に転がったジェイソンは固まり、いつもなら颯爽と助けてくれるはずの兄があっさりやられて混乱しているキャロットはビクッとした。


デイジーはそんな二人には目もくれない。

「うるさいわよ、クロ。出てらっしゃい」


影が一瞬球状に丸まったかと思うと、ポンッとはじけて飛んで、それはデイジーの肩に乗っかった。


それはまるまるふとった猫だった。真っ黒な影のような黒猫で、額に青色の宝玉がついている。


クロはしゃべった。

「今回はずいぶん小さいな。ちょっと乗りづらいぞ」

「こちらからの感想を言わせてもらえば、いつもより重いし暑苦しい」

「じゃあ、いつもよりオレを感じられてラッキーだな」

「はいはい」


しかも、なかなかの減らず口だ。


「…気が狂ったの?」

おびえつつも、キャロットがつぶやいた。


無理もない。なぜなら、かれらには、デイジーが急に暴れだし、自分の影をふみつけ、独り言を言っているようにしか見えないだろうから。


クロは、ほかの人には見えない。


「あなたってわたしの孤独な心が生み出した幻影なのかしら?時々不安になるわ」

「不安にさせたか。罪な男ですまない」

「そうね。見ているだけで何もしてくれない。本当に罪な男よね」

「ずっとそばにいた…それだけで尊いだろう?」

「それって自分で言っていいセリフじゃなくない?」


急に母のイザベラが頓狂な叫び声をあげた。

「な、ななななにをしているの!?」


あまりにいつもの日常とはかけはなれた光景に固まっていたが、ようやく頭が動き出したらしい。


「お母さま、お酒はほどほどにしたほうがいいわ。いつもより反応遅くてよ」

「なにを言っているの!?いえ、答えなさい!あなたが、ジェイソンとキャロットになにをしているの!」


「…え~と、キャロットはお姉さまを一時間もお馬さんにして、膝をケガさせたのではたきました。二回。あと、ジェイソンお兄様は魔法で肉体強化した拳で殴ってわたしを殺そうとしたので、“理合”で床にいなしたところ顔から激突しました。痛そうですね」

デイジーは他人事のように感想を添えた。


イザベラの顔面は怒りで赤黒くなっていた。


「こわ」

クロが耳元で感想をもらすと、コショコショとヒゲがデイジーのほっぺたにあたった。


「ふふ」

思わず笑みがこぼれる。


「なにを笑って…!!!!」

イザベラは袖口からつえを取りだし、空中に円を描くように振るった。


空中に水の玉がいくつも出現し、イザベラのつえの動きに呼応して、巨大で鋭い釘のように形を変えていく。


「あーあ、怒っちゃったよ」

「半分はクロのせいでしょ」


言っている間に水の巨大釘は、デイジーに向かって放たれていた。


デイジーはなんでもない様子で両腕を前に出し、向かってくる巨大釘に合わせてクルンと円を描くように腕を回した。


「わっ!」

「きゃっ!」

水釘は天井や壁のみならず、ジェイソンやキャロットの眼前の床に突き刺さった。あまつさえ、残りの一本は真逆の方向に飛んでいき、イザベラ本人に向かっていく。


「ひっ!?」

イザベラは魔法を解けばいいのだが、とっさのことで反応できない。


イザベラの体が自らの魔法に貫かれた、と見えた瞬間、大量の水蒸気が発生して水釘が蒸発した。


「…“理合”と言ったか?」

水蒸気のなかから、父のロンが現れた。


ロンの手には青い炎の残り火が灯っていた。


ロンは当代随一と言われる炎魔法の使い手だった。その炎で妻の水釘を一瞬で蒸発せしめ、あわや自らの魔法で串刺しになる妻を守ったのだった。


「かっこいい~」

クロが軽口をたたく。


「たしかに炎魔法って花火みたいできれいだよね」

デイジーはうなずく。


「あ、あなた…!」

イザベラは夫にすがりつこうとした。


しかし、今のロンの興味は、死にかけた妻にはなかった。手で冷たく制す。視線はめずらしくデイジーに注がれていた。


「質問に答えよ。“理合”と言ったか?」

「ええ、お父様。言いましたよ」


なんでもないことのようにデイジーは答える。


しかし、ロンは興味深げに、うれしそうな笑みを見せた。


「ほう…。我らが祖、リー・マルグリットの秘法はお前に受け継がれたというわけか。いつ発現した?」

「発現?」

「魔法というものは、神の恩寵の如く突然発現するものだ。そのくらい知っていよう」

「…ああ、そういうことでしたら、これは魔法じゃないですね」

「なに?」


「たゆまぬ努力の結果ですわ。気が遠くなるほどの。それも、気が狂うほどの…」

デイジーは思いを馳せた。百万回目の生、今に至るまでの道のりを。

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