第2話 デイジー、初めて自由を求める

10万回目まで、デイジーはただただ“家族”に尽くした。


なぜなら、最初の生で「なぜみんな、わたしに酷いことばかりするの?」と聞いたら「家族みんなが、あなたを愛しているからよ」と母に言われたからだ。


デイジーは“家族”を信じた。


きっと私のことを思って…!

きっと私がなにか気に食わないことをしたから…!

きっと尽くせばいつかは愛してくれる…!


初めて死に戻った時は混乱したが、次第に死に戻りは、神様が”家族”をやり直すためにくれているチャンスだと思った。


今度こそ…!

今度こそ…!

今度こそ…!


だけど、”家族”がデイジーにやさしくしてくれることはなかった。


「ああ、死んじゃった」

おもちゃが壊れた時くらいの残念さで、いつも死に追いやられてきた。


10万1回目の時は、ジェイソンとキャロットに地下室に閉じ込められて、凍え死にそうだった。


その時、古い本を見つけた。


東洋のどこか遠い国の武術指南書だった。書いてある文字はわからなかったが、簡略な絵が入っていた。


デイジーはそれを見て修行することにした。

本を見て座禅を組んでみたり、石壁を血みどろになるまで素手で殴ってみたり、鬱血するまで逆立ちしてみたりした。


何度も何度も、死に戻って。


死に戻りは、戻る地点がいつもバラバラで、死ぬまでの期間もバラバラだった。その期間をすべて修行にあてた。


デイジーは愚直だった。

どうしても知りたいことがあったのだ。

薄皮を積み重ねていくような努力を、死を超えて繰り返した。


99万1回目の時、ジェイソンが肉体強化魔法を使って殴ってきた。この時のデイジーは14歳くらいだった。


決定的な変化が訪れたのは、その時だった。

ふと、なにかがつかめた気がした。


すべての力の流れが理解できた。

物理も魔法の力も。


ジェイソンはスローモーションで動いているように見え、体を纏う魔力の流れや力の方向がはっきり見えた。


手に取るように明らかで、実際ちょっと手で流れを変えてあげるだけで頭を派手に床に打ちつけて、ジェイソンは死んでしまった。


ジェイソンの死体を見て、デイジーの口元には薄笑いが浮かんでいた。

デイジーは復讐することに決めた。


99万回も殺されたのだから、そのくらいの権利はあるだろうと思った。

澱のようなものが心に積もっていた。


デイジーはジェイソンの顔を足で踏みぬいた。


「ひくわ~」

「だれ!?」


まわりを見渡してもだれもいない。しかし、唯一自分の影から妙な気配が感じられ、デイジーは震脚するように影を踏みぬいた。


すると、影のなかからまるくて黒いものが飛び出してきた。


「…猫?」

「へぇ、オレが見えるのか?こいつは面白くなってきた」


ふぁああとあくびをしたその猫は、伸びをしてから握手を求めてきた。

「オレの名前はクロ。ずっと見ていたよ」


それがクロとの出会いだった。



それからデイジーはありとあらゆる苦しみを“家族”に与えた。

父は火責めに、母は水責めに、兄は殴殺し、妹にはあらゆる糞を食べさせて中毒死させた。


たしかに最初の頃は熱病のなかで踊るような愉しさがあった。

けれど、やがて復讐の熱はひき、次第に楽しくも快くもなくなった。むしろ不快な気分になるほうが多くなった。


澱は薄れた。


ある時、デイジーは本当に知りたかったことを、自分の炎で焼かれて虫の息の父に聞いてみた。


「私に暴力を振るうの、楽しかった?」


デイジーは勇気をふりしぼった。どうしても知りたかったのだ。


なぜ、なにもしていない自分に“家族”は暴力を振るうのだろう?

本当に、母の言う通り自分を愛しているからだろうか?


あるいは、きっと暴力は楽しいのだろうとも考えた。

けれど、復讐の熱がひいてしまえば、暴力は楽しいものとはデイジーには感じられなかった。

ましてや、“家族”は復讐からデイジーに暴力を振るっていたのではない。


自分に暴力を振るってきていた“家族”の本当の気持ちを知りたかった。


もしかしたら、かれらは心の中で苦しんでいたのかもしれない。

わたしを愛しているからこそ、暴力を振るったのかもしれない。


死ぬたびに、まるで鎖で紐づけられたかのように記憶がよびおこされるのだ。

『なぜみんな、わたしに酷いことばかりするの?』『家族みんなが、あなたを愛しているからよ』


デイジーの手のひらは、幼い頃から繰り返し父に焙られたていた。泣き叫ぼうが、躾だといい、やめることはなかった。

躾は、愛しているからするものでしょ?


しょっちゅう焙られるから、治癒魔法を使える執事たちも治癒をめんどくさがった。デイジーの手のひらには無数の火傷の痕が残っている。


「私に暴力を振るうの、楽しかった?」


質問の答えを待つ間、デイジーは無意識に手を握った。

この時のデイジーは17歳くらいの姿だったが、まるで不安げな幼児のようだった。


けれど、父は質問には答えなかった。


代わりに必死にこう言った。

「キャ…ロットだけ…は、助け…てくれ」


デイジーの背後でキャロットは震えていた。

「…なんで?」


デイジーがそう聞くと、父は媚びるような哀れな笑顔をした。

「だっ…て、”家族”…じゃないか」


デイジーは、その答えを聞くと、すぐさまキャロットを殺した。

その時、デイジーはようやく理解した。


デイジーは”家族”じゃなかったのだ。


”家族”じゃないから、ずっと殺されてきたのだ。

神様がくれた”家族”をやり直すためのチャンスなんかじゃなかった。

”家族”が私を愛してくれることはなかった。

”家族”じゃなかったから。


理屈に合っている。

デイジーはようやく理解した。

なんとなく、心の奥底でわかっていた。


頬に涙が一筋伝った。

けど、信じたくなかった。

信じたかった。

自分も“家族”の一員だって。


愚かだろうか。

そうかもしれない。

でも、それでも、愛されたかった。


一筋流れると、涙は溢れて止まらなかった。

ロンはキャロットの亡骸を抱いて泣いていた。

ロンももう死の間際だった。呼吸がうすくなっていく。


デイジーはロンを後ろから抱きしめた。

ロンは安らかに目を閉じようとした。


デイジーはロンの首にゆっくりと力を入れた。

ロンは目を見開き、苦しそうにもがいた。命の灯火を最後に大きく燃やすように。

「ひ」

ロンはのどから空気の音を漏らすと、動かなくなった。


デイジーのなかで、“家族”は永久に死んだ。


クロはしゃべらず、そばでだまって見ていた。




その後、デイジーはまたしばらく荒れた。


この世のすべてが憎く感じられ、“家族”を殺したあと、大陸中を暴れまわり、王国を混乱に陥れ、女悪魔と呼ばれたことすらあった。


そういえばその頃だ。ある老魔導士に、デイジーの使う力は“理合”というのだと教わったのは。


その後も“理合”でもって暴力を振るい、最強の魔導士や天才剣士と戦った。


だが、もう飽きたのだ。

復讐にも飽きたし、暴力にも本質的に向いていないことに気づいた。


何も楽しくなかった。

あるのは暗い興奮だけ。

振り回されているだけだ。

自由じゃないのだ。



「デイジー」今目の前にいるロンは、デイジーに向かってやさしくささやいた。「その“理合”の力、存分に我がマルグリット家の繁栄のために使うがいい。ついては」


「あっ、ちょっと待ってください」

デイジーはロンの言葉をさえぎった。


「…なんだ?」

「ちょっとご報告したいことが」

「…申してみよ」


デイジー・マルグリットは、うつむいていた顔を上げて前を向いた。


「わたし、今回をもって“家族”やめさせてもらいます」

瞳には、強い光が宿っていた。


デイジーは100万回目の人生にして、初めて自由を求めていた。

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