第3話 デイジー、”家族”をやめる

「家族をやめる、だと?」

「はい、そうです」


ロンは一笑に付した。

「そんなことが許されるわけがなかろう」

「なぜです?」

「家族というものは特別なものだからだ。自らやめることなどできん」

「それは頭の固い発想ではありませんか?動物は大人になったら巣立ちます。一生家族に囚われるのは不自然です」

「お前はまだ子供だ」


デイジーはめんどくさくなった。ため息をついた。

「はぁ…、言い方が優しすぎたかしら?わたしが家族を捨てる、と言っているのよ。あなたに決定権なんか無いわ」


不遜な言いぶりに、ロンは一気に険しい顔になった。

「…力を得てずいぶん増長しているようだな。だが、勘違いするな。お前に決定権などないのだ。さあ、いつものように額づいて詫びろ。今なら許してやる」


詫びたところで、さんざん火焙りにするくせに。

デイジーは火傷痕の残る手のひらを無意識に握っていた。

「…けど、ここで殺してしまったらこれまでと同じよね。まためんどくさいことになるわ」

「そうだな」

小声でクロに愚痴る。


デイジーは手を開き、またため息をついた。

そして、めんどくさい仕事をかたづけるかのように、一息に言った。


「なるほど。それでは武門貴族の娘らしく、権利を奪いとってみせましょう。わたしが勝ったら、この家の財を頂きましょう。財だけでけっこうですので、あなた方は出ていってくださいね。ゴミは要りませんから」


ロンは青筋を立てた。

部屋の温度が急激に上昇していく。

「…いいだろう。その舌切り落として、豚のエサにしてやろう。お前に人並みの権利などあると思うな。今日からお前は豚のエサ並みの権利しかないと思え!」


「ひゅ~」クロが口笛を吹く。「言うことエグイね~、デイジーのお父さん」

「まったく。娘にかける言葉とは思えないわね」

デイジーは鼻で笑った。


それと同時に炎が放たれた。

デイジーは両手を前に差し出すと、クルンと炎を巻き取るような仕草をして、ロンに炎を返した。


「な!?」

炎は倍以上の大きさになって、ロンの足を燃やした。

勝負はあっさりと一瞬で決した。


イライザがいそいで水魔法を使い、消火する。

ロンは重症だが、虫の息というほどではなかった。

「はやく治癒魔法をかけろ!バカ執事ども!」と怒鳴る元気があった。


執事たちは、当代随一の炎魔法の使い手であるご主人様が、あっさり10歳の娘に負けてしまい呆気にとられていた。

なにせ、かれらもまたデイジーをバカにした扱いをしていたのだ。内心、戦々恐々だろう。


チラチラとおびえた目でデイジーを見ながら、治癒魔法を使える執事たちは慌ててロンに群がっていった。

「わたしの時はめんどくさそうに治癒するクセに」

デイジーは執事たちを見て、少し不満顔だった。


「よしよし」

クロが肉球を頭においてくれた。

「ありが…」


その時だった!


「ニンジンになっちゃえ!」

妹のキャロットが杖を差し向け、魔法を放ったのだ。

キャロットの変身魔法は、魔法をかけられたものを野菜にしてしまう恐ろしい魔法だ。


デイジーは糞や虫を野菜に変えた料理をイタズラと称して食わされていた。

もちろん、人でも野菜に変えられてしまう。それが背後から、デイジーにむかって放たれたのだ。


しかし、デイジーは落ち着いて振り向きざまに片手をヒラリと捻った。まるで慣れっこの仕草だった。


「え?」

魔法は跳ね返り、床にはいつくばってポカンとしていたジェイソンに当たった。


「ああっ!」

キャロットが叫ぶ。ジェイソンは立派なニンジンになってしまった。


デイジーはゆらりとキャロットの目の前に立った。

表情は影になっていて、キャロットからはよく見えない。

それがむしろキャロットの恐怖を煽った。

「ひっ!?」


デイジーはしゃがんで、怯える妹の頬に触れた。

「ま、まて!キャロットだけは…!」

背後から父の必死な声が聞こえた。


その声を聞いて、デイジーは一瞬、心にぽっかり穴があいたような気分になった。

その穴は無限に暗い興奮を求めていた。


けれど、デイジーは前を向いた。涙を流しガタガタと震えているキャロットの頬をなでた。


もう“家族”じゃないものね。


デイジーはキャロットを殺さなかった。

デイジーは立ち上がり、深いため息をついた。


そうしてからロンの方をふりかえって「それでは約束を守ってくださいね」とロンに言った。念のため、もう一度言っておいた。


「わたし、“家族”やめますから」





結局デイジーが家を出て、財産の三分の一をもらうことにした。

三兄妹への生前分与をデイジーだけ先にしてもらった形だ。今回の件がなければデイジーに分与するわけもないが。


財産など要らないと叩きつけて家を出る手もあったが、10歳の子供の姿を鏡で見ると、あまり賢い選択とは思えなかった。

もらえるものはもらっておくべきだ。


杖をついて悔しそうにしているロンと、同じく悔しそうにハンカチを噛んでいるイザベラなんてものも見れたことだし、もらってよかった。

財産をもらったというより慰謝料気分だ。


「本当に全部もらわなくてよかったのか?」

クロが聞いてくる。今は新居に向かう馬車のなかだ。


「いいのよ。じゃないと、まためんどくさいことになるし」

もしもすべてを奪えば家族の執着が止むことはないだろう。

そして、腐っても大貴族のロンが王国に泣きつけば、いつものように軍や生え抜きの魔道士がやって来てデイジーを殺すだろう。


「ルーファスとか来ちゃう?」

「そういうこと」


デイジーは理合を手にしているとはいえ、最強というわけではない。

世の中には神に愛されたか、悪魔に魅入られたかした天才や怪物というのがいる。

ルーファスというのは、怪物の方だった。


大賢者ルーファス・カレイドス。たった17歳で大賢者の称号を与えられた歴史上類を見ない怪物。


99万回目以降の半分、実に5000回くらいはこの男にデイジーは殺されていた。

空高くから放たれる絶対零度の魔法は、質・量ともにケタ違いだった。


「あんなの処理しきれないわ」

「ルーファスって今いくつなんだ?」

「わたしと同い年よ」

あんまり負けるから悔しくて調べたことがあった。兄と同じ魔法学園〈ユグドラシル〉に通っている時期だろう。


「へ~、10歳か。チャンスなんじゃないか?」

「なんの?」

「今なら殺れるんじゃない?」

「物騒なこというわね。暗殺しろってこと?でも、そうね…。たしかに今なら勝てるのかも…?」

ルーファスが頭角を現してくるのは10代後半からだ。10歳に死に戻った今なら、十分こちらに利があるのかもしれない。


「もしかしたら、そのために10歳に死に戻ったんじゃないか?」

「…そうね。これは一考の価値ありかもしれないわ」

ルーファスを倒した先の未来は見たことがなかった。もしかしたら、ルーファスを倒したら、死に戻りも終わるのかもしれない。


「て、やめてよ。そういうのやめるために家族やめたんだから」

「え?そういうのってなんだ?」

「暴力」

「家出るとき、振るってたじゃん…」

「あ、あれは正当防衛よ…!」

「挑発してた気がするけど」

「そういう根拠のない疑惑を向けるのはやめてほしいわ」

「めんどくさくなって、力技に持っていってた気がするけど」


デイジーは馬車の外を見て、物憂げにため息をついた。

「ハア…、そもそも、わたしは一体なんのために死に戻っているのかしらね?」

「急な話題転換するじゃん…。さあ?理由なんてあるのかね?」

クロがにべもなく応える。


「わからないわ」

これまでは家族が理由だと思っていた。復讐にせよ、結局のところ家族に縛られての行為だった。

デイジーはピンときた。


「もしかしたら、家族やめたから、もう死に戻らないとかあるのかな?」

「どうだろ…?死んでみるか?」

「…やめとく。そもそも死に戻りがなんなのか、魔法かどうかすらもわからないんだから、なにもわかるわけがないわ」


魔法と言うのは、ロンが言っていたように突然発現する。

その点では、死に戻りは魔法の一種のようにも思われるが、魔法にはもう一つ共通する特徴がある。


それは発現したら、まるであらかじめ備わっていた手足のように感じられ、自分でコントロールできるという点だ。

死に戻りはコントロールできないし、手足のように感じられたこともなかった。

だから魔法なのかなんなのかすらわからない。


それに魔法というのは、一人につき一つの魔法しか使えないというのが原則だ。

デイジーには、デイジーの魔法がすでにあった。


「誰かにかけられたんじゃない?」

「心当たりがないわ」

「まあ、加害者はいつもそういうからな…」

「失礼な。被害者代表みたいなわたしをつかまえて、よくそんなことが言えるわね」

「いやいや、だいぶ加害者もしてたじゃん。やっぱりだれかの呪いなんじゃない?」

「やめてよ。これから一人暮らしだっていうのに」


「あの…、お嬢様、着きましたけど…」

遠慮深そうに御者が声をかけてきた。声にはおびえがふくまれている。一人でぶつぶつと物騒な話をしているように聞こえただろうから当然だ。


「ありがとう」

デイジーは平然と馬車をおりた。他人には見えないクロを肩にのせて。


「ふ~ん、これがオレたちの新居か。わるくないな!」

「なにをちゃっかり…。でも、まあ、そうね」

目の前には、マルグリット家の別荘が建っていた。湖畔と巨大な木々にかこまれた瀟洒な別荘だった。


この別荘を中心にした広大な土地は、デイジーが受け継いだ財産のほんの一部であった。


「わるくないわ」

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