第4話 デイジー、一人暮らしを満喫する
一か月後。別荘のなか。
デイジーはため息をついた。
「ハア…!一人暮らし、最っ高っ!」
デイジーは大きなベッドにジャンプして仰向けに倒れこんで、大の字になった。表情は明るい。
初日は広いリビングで両手を広げ、クルクル回ってみた。全部自分の空間というのははじめてで、ふしぎとそれだけで踊りだしたい気分になったのだ。
次の日、ドキドキしながらも一人で近くの街を歩き、店に入り、食べたことの無い美味しい料理を食べた。
特にさっそく行きつけになったカフェ〈アドリアネ〉は新鮮なサラダ、グラタン、ケーキ、パン、ローストビーフ、コーヒーなどすべてが美味しくデイジーは舌鼓を打った。
コーヒーの香りを楽しみながら街の風景をカフェテラスからぼんやり眺め、ため息が自然と出てくる。
それは幸せなため息で、デイジーの表情にはおのずから微笑が浮かんでいた。
夜は誰にも気兼ねせず、いつまでも安心して眠った。
広いベッドで柔らかな羽毛布団に包まれて二度寝する。
虐待や復讐の日々に覆われていたデイジーにとって、どれもはじめてのことだった。
「家族やめて良かった〜!」
喜びを噛み締めた。
「もうため息なんてついてるヒマないわ!不安や後悔で今を塗りつぶされないって、なんて清々しいんだろう!あっ!歌詞になるかも!」
市場で衝動買いしたリュートを適当にかき鳴らして歌う。
「今はなんでもやってみよう~♪ちょっとでも欲しいって思ったら、我慢せずに飛びついてみよう~♪自分の幸せを生きてみよう~♪」
デイジーはめちゃくちゃな演奏と歌に一人で大笑いした。一人なのにコロコロと表情が変わった。
今、デイジーはすべてが楽しかった。
「…うるさい」
「む、水をささないでよ」
けれど、なぜかクロは不満げだった。
「はしゃぎすぎだ。ご近所さんに迷惑」
「ご近所さんなんて、森のクマさんしかいないわよ」
「じゃあ、クマさんに迷惑」
「え~?なに~?なんでそんな不機嫌なの?」
「べつに不機嫌じゃないけどさあ…。退屈じゃない?」
「なんで?どこが?超充実してるよ」
「そうかなあ?前の方が刺激的だったじゃん」
「クロって子供みたいなこというのね」
「子供はデイジーだろ」
「見た目は10歳でも中身は合計数千歳の淑女ですから~」
「戦いの経験値しかないくせに」
「だから、今経験積んでるんです~。あっ、わかった!」
「なにが?」
「クロってばさみしいんでしょ!」
「…はあ?」
「わたしの世界がひろがることで、わたしを独り占めできなくなることがくやしいのね…!」
「……」
「ごめんなさいね。かまってあげられなくて。ゆるして!」
デイジーはクロに抱きついて、ほおずりした。
クロは心底うざそうな顔で、デイジーのほおを肉球で押しのけた。
「ん~!ちゅっ!ちゅっ!」
「フシャー!」
あんまりしつこいので、クロは威嚇した。耳がイカ耳になっている。
「ごめんごめん。でも、わたしクロがいてくれてうれしいんだ~!」
「な、なんだよ、急に」
「だって、もしもクロがわたしの作り出した幻影なら、わたしが幸せになったら消えちゃうかもしれないって思ってたからさ~」
「ああ、そんなこと言ってたな」
「だから、ホントにいてくれてありがとっ!」
デイジーは懲りずにまたクロに抱きついた。
「こらー!」
「ひぃ、ごめんなさい」
ふつうに怒られた。
「でもねっ、でもねっ!」
「…なんだよ」
「ほんとうに、今まで一緒にいてくれてありがとね。なんだかんだ言って、クロがいてくれたから、今がある気がするんだあ」
「…ただそばにいただけだし」
「辛いことあったあとに、肩乗ってくれたり、さわらせてくれたり。温かくて、やわらかかった。すごく助かったよ」
「お、おう」
「ありがとう」
デイジーはクロの頭をなでた。
クロはおとなしくなでられた。
のどからはゴロゴロと音が鳴った。
デイジーは幸せに音色があるとしたら、きっとこれだと思った。
「…まあ、感謝してるっていうなら素直に受け取るけどよ。なんだ?仕事まで始めるっていうだろ?いきなり無理しすぎんなよ?」
「はぅ!」
デイジーは胸をおさえた。
「どうした?」
「なんか、キュンてしたかも…。もう!クロったらカッコいいんだから!」
「ハイハイ」
デイジーはまたまた抱きついたが、今度はクロは怒らなかった。尻尾をタシンタシンと床に打ちつけて、やはりゴロゴロいっている。
「お仕事するの、クロは反対?」
「ん?そんなことはないよ。デイジーの好きにしたらいいさ。ただ今は10歳の体だから、体力面に気をつけろよってこと」
「うん!」
「…まったく、子供みたいに素直になっちゃって」
クロはデイジーの頬をなめた。
「くふふ、ざりざりする」
「このまま顔を削ってやる」
「きゃはは、やめて~」
コンコン、コンコン
いつの間にかドアが外からノックされていた。
「あら、だれかしら?」
デイジーはいそいで白手袋をはめた。火傷の痕を隠すために人前に出るときは白手袋をはめることにしていた。
ドアを開けた。
「…こんにちは」
とんでもない美少女が立っていた。金髪のおかっぱは陽に透けて、大きな瞳はエメラルドのようだ。この世のものとも思えない神秘性はエルフを思わせるが、耳はとんがっていない。引き結ばれた赤い唇は、すこし緊張しているようにみえる。
「あの、〈どうぶつの歯医者さん〉はここで合ってますか?」
見ると、少女は手にバスケットを持っていた、そのなかに患者はいるらしい。
デイジーはうれしくなった。
「はい、そうです!ようこそ〈どうぶつの歯医者さん〉へ!」
はじめての仕事がさっそくやってきたのだ。
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