ASMR(咀嚼音)

「これで音、大丈夫?」


 イヤホンから木染の声が聞こえてくる。

 少し掠れた声で、ゆっくり落ち着いている。

 指でOKのサインを返すと、木染は目だけで頷いた。


「じゃあはじめるね」


「みなさん、はじめまして『ASMRな夏休み』です。

 このチャンネルではASMR動画を投稿していきます。

 第一段の今回は『咀嚼音』。

なぜかというと、私の弟の好きなASMRだからです。


 私には小学生の弟がいるんですが、この子が最近ASMRにはまっていまして、お姉ちゃんもASMRできないのーなんていうんです。

 そこで弟がもうすぐ誕生日なのもあって、こうしてASMR動画のプレゼント、というのがこのチャンネルのコンセプトです。

 だから基本的には弟の好きなASMRをやっていこうと思ってます。

 ちなみにこうして動画投稿しているのは、その方が弟がみんなに自慢できそうだからです。

 いいねがたくさんついてると、弟がもっと自慢できると思うので、よかったら高評価してくださると嬉しいです。

 チャンネル登録は……してもらえたら嬉しいですが、あんまりいっぱい動画を出すか分からないので、よければしてくださいって感じです。

 よし……こんなところかな。それでははじめていきたいと思います。緊張しています。

 弟、お姉ちゃん頑張るから」


 緊張と照れからのぶっきらぼうな物言い。しかし、弟への愛情に満ちた挨拶だった。


「じゃあ、はじめの食材はこちら。お煎餅です。お土産でもらったお煎餅です。固めで、密度があって、食感はそれほど軽くないと思います。面白い音がしてくれるといいんですけど……」


 受け売りの説明をそのまま話すと、ためらいがちに木染が煎餅を口に含む。

 息をのむ音、口を開く音、噛みしめる瞬間の「よし」と言う小さな声。

 まずはじめに聞こえてきたのは軽やかな割れる音だった。

 それからざくざくと少しこもった音が小気味よく、地面を踏みしめるようなリズムで鳴る。

 それが不規則に繰り返される。

 たまに混ざる固い音が心地よい。

 時折、力を込めて噛んだと分かる声がした。

 しばらくして喉をならして飲み込むと、木染がマイクに向かって話しかけた。


「半分。丁寧に食べようと思うと、なかなか時間がかかります。音はどうでしょう? 私は聞きながらじゃないので、よく分かんないんですけど」


 ちらりと木染がこちらを見た。

 ジェスチャーでよかったと伝えると少しほっとした様子を見せた。


「よさそう、かな。それじゃ反対側の耳に寄りたいと思います」

「ふう……えっと、食べます」


 木染が煎餅を食べるのを再開する。

 先ほどと同じくらいの時間をかけて、やがて食べ終えた。


「んぐ……はあ、ご馳走様です。ええと、醤油がとても美味しくて……あ、違う。ええと……いい音……だったでしょうか。……リアルタイムじゃないから、分かんないですね。……はい、終わります」


「あ、ごめん。忘れてた。高評価とチャンネル登録お願いします。ええっと……少なくともあとふたつくらいは撮ろうと思ってます。よろしくお願いします」


 イヤホンを外す。木染が深いため息をついた。


「お疲れ様。とりあえず……お水のみたい」

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