左耳にASMR。右耳にブラコン。
「じゃあ今日から動画を撮るわけだけど、何からはじめればいい?」
「リスト……こんなの作ってくれたんだ。ふーん……耳かき、スライム、炭酸、咀嚼音……確かに、どれも調べて出て来たやつかも」
「弟? 咀嚼音とかスライムのやつ見てたかな。画面が何か禍々しいのが多かった気がする」
「そっか、そうだよね。好みがあるのか。じゃあまずはそれからやった方がよさそうだね」
そこまではふんふんと頷いていた木染が急に表情を暗くした。
「咀嚼音か……」
「いや、咀嚼音って、ものを食べるときの音だよね?」
「……ハズくない?」
「くちゃくちゃ食べるなってお母さんに育てられてきたし、少し抵抗あるんだよね」
「あ、だからいいってこと? ちょっと悪いことだから逆にみたいな」
「違う? ふーん……難しいんだね」
「聞いたことは……実はないんだ。他は勉強のために聞いてみたけど、咀嚼音はなんとなく避けちゃって。弟が聞いてるのは知ってるけど、イヤホンだから、どういう音かは知らない」
「……そうだね。聞かなきゃはじまらないよね。……うん、大丈夫。いつまでも逃げられないとは思ってた」
「思ってる感じではない? うん……それだったらいいんだけど」
動画を検索して、イヤホンを木染に差し出す。
「準備ありがとう。はい、あんたのイヤホン。かたっぽ」
木染が自然な態度でイヤホンを片方渡してきた。
左耳のイヤホンだった。今はひとつのパソコンを並んでみている。
木染は右側。
「何してんの? あんたも聞かないと分かんないでしょ」
「あとごめん、もう少し寄ってもらっていい?」
ただでさえ詰めていた距離をさらに詰める。
木染の髪が頬にあたる。
何も気にしていない木染が言う。
「私、もうイヤホンつけたから、再生していいよ」
誘惑に負けて、そのままイヤホンを耳にいれ再生を押した。
流した動画は情報をテロップで説明して、淡々と咀嚼音を流すというもの。
「んん……」
緊張しているのか、やはり嫌なのか、木染が不安げな溜め息を時々漏らす。
動画はすぐに実際に咀嚼音を鳴らすところまで進んだ。
「海老の天ぷら……。んん、うわ……あ。んんん? ……うう!」
木染は自分が声を漏らしていることに気づいていないのか、相槌のように反応し続けた。
左からは再生された動画の音、右からは木染の声。
十分ほどの動画だったが、木染はリアクションをしながら最後まで聞き終えた。
どうやら慣れるまで時間がかかったようだが、最後の方は少し楽しそうだった。
動画が終わると、木染は何かを成し遂げたかのように息をついた。
「ふー……なるほどね。確かに思ってたようなのではなかったかな。天ぷら系なんかは、うん、結構好きな感じだったかも」
「ねえ、あんたはどれがよかった?」
「ねえって。……どうかした? なんか怒ってる?」
「え、なに。急にあやまって」
「イヤホン? え、ふたりで聞くなら、普通左右逆……? あーそっか、なるほどね。何か変だと思った。だからか」
「えっと……それで? なんであんたがあやまってんの」
ピンと来ていない様子の木染に理由を説明すると、おかしそうにくすりと笑った。
「ラッキーだと思ってつい黙っちゃったって……ふふふ、そうなんだ」
「そんなの怒らないよ。んー……まあ、あんたなら別にいいかなあって感じ」
「まあ悪いと思ったなら、張り切ってASMRの録音手伝ってよ」
「それで? まずははじめに咀嚼音から録ってくの?」
「……うん、大丈夫。やってみる。……あ、でも出来れば食感がぐちゅぐちゅしてないものの方が嬉しいかも」
「ふんふん……ぐみとときゅうりとお煎餅の中なら……じゃあお煎餅ときゅうりで今日のところはやってみようかな」
「え、あ、もう機械の準備も終わってるんだ」
「急いでるけど、昨日の今日でこんなに? ふーん……あんた、やっぱいい奴だね」
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