自室にブラコンと無理難題

「お邪魔しまーす」


 形式的な挨拶をして、木染が玄関に踏み入る。


「へえ……ご両親帰ってくるの遅いんだ」


「は? 嘘? どういう嘘? ……まあいいや、あんたの部屋案内してよ」


 慣れない二人分の足音を連れて二階の自室へと上がる。

 木染は黙って後ろをついてきた。


「失礼します……へえー男子の部屋ってこんな感じなんだ。なんか統一感ない。でも、これ多分綺麗な方だよね。うちの弟なんか、まだ部屋はないんだけどさ、全然片づけないからいつもリビングにものが落ちてる」


「あ、ヘッドホン。これでASMR聞いてるんだ? へえ、イヤホンもあるの? 使い分けるんだ。へえー、なんか通っぽいじゃん」


「……ああ、うん、そう。ASMRの話を聞きにきた」

「それで、今日あんたに聞きたいのは……ASMR動画の撮り方、なんだけど」


「うん、そうなんだ。撮りたい……んだよね」

「弟がさ。なんかやっぱり可哀想でさ。もしめっちゃ難しいとかじゃないなら、撮ってあげたいなって思って。ASMR動画ってほら、顔出さなくてもいいから。できないこともなさそうなのかなーとか。もしyoutubeとかあげたら、あいつもこれがお姉ちゃんだって学校で言えるじゃん?」


「道具? 普通にスマホじゃダメなの?」

「あれ、スマホってマイクにできるよね……? あ、なんか声を調節するとか、動画を編集する機械がいるんだっけ」


「だみいへっどまいく……? スマホで撮るんじゃダメなの? 全然ダメ? は?」


 説明すると、木染が手元でスマホを操作しはじめた。


「はあ? なにそれ。調べて出てくる? えっと……だみいへっどまいく? へえー……あ、Amazonで買える……ってなにこの値段⁉ たっか……無理無理!! 私、お小遣い五千円なんだけど」


 木染が思わず顔を上げた。そして、少し媚びるような声で言った。


「……あんた、ASMR詳しいなら持ってたりしないの?」


「だよね……はあーどうしよう……ASMRってお金持ちの仕事だったんだ」


 思わず天井を見上げた木染に安価なマイクの存在を伝えると、勢いよく食いついた。


「え、安いマイクもある? ……あんたさ、そういうのは先に言いなよ。どれどれ。へえ、二万くらいでも買えるんだ。まあちょっと痛いけど、これくらいなら……」


「えっ?! あんた持ってるの?! やるじゃん!」


 思わず前のめりになって、木染が期待の目で見つめてくる。

 しかし、正直簡単に貸したいものではなかった。


「……」

 たったひとつの返事を待って木染が息をのむ。


「……?」

 徐々に訝しむような反応に変わっていった。


「……え、貸してくれるわけじゃ……」


「あ……なるほど、そうだよね。あんたも持って帰られるのは嫌だよね。じゃあ、私がこの部屋で使わせてもらうぶんにはおっけーってこと?」


 妥協点かと肯定すると木染は安堵の息を漏らした。


「よし、じゃあ、それでお願い」


 緊張が解けたのか、木染が伸びをしはじめる。


「はー……よかったー……どうなることかと思ったけど、これなら何とかなりそうかな」

「じゃあ次はさ、どういう動画がいいとか教えてほし……」


 その時、スマホのバイブが鳴った。

 怪訝そうな顔をした木染が「ごめん、ちょっと待って」と告げ、スマホを確認する。


「うわー……まじ?」


 申し訳なさそうに木染がこちらを見た。


「ごめん、なんかお母さん会社が遅くなるらしくて、早く帰らなくちゃダメになっちゃった」


「……あのさ。悪いんだけど、明日また遊びに来てもいい? だって土曜日じゃん。休日あんま無駄にしたくないっていうか。どうせなら、早く撮ってあげたいんだよね」


「う……そこを……なんとか……!」


 木染が手を合わせて拝む。


「いや……その……実は弟、もうすぐ誕生日でさ。できれば、それに間に合うといいなって、思ってて……」


「誕生日? ……十日後」


「しょうがないじゃん。テストもあったしさ。元々別のものをあげる予定だったんだって。でも、ASMRが最近好きみたいだから……」


「あ……うん。ありがとう。……あんた、結構優しいじゃん」


「いや、意外っていうか。良かったって……それだけだよ」


「何? 別に感謝してるだけでしょ。はあ、やっぱうざい。もういいから、とりあえずスマホ出して」


「連絡先、交換するでしょ。明日から忙しくなるんだからさ」

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