10.数字の羅列
その日の夜、ミラは闇から逃れるように頭から毛布を被り、自室のベッドの上で体を震わせていた。
眠れるはずがなかった。
ミラは年端も行かぬ子どもではない。独り立ちしていてもおかしくない年齢だ。まさか、魔族が登場するおとぎ話を思い出して怯えているわけではない。
もっと具体的で恐ろしいものを想像すると、汗が止まらなくなった。
窓の外で葉がざわめいている。それは、殺気立つ施設長の怒声のように聞こえた。
自室の戸がかたかたと鳴っている。それは、毒を準備してやってきた司教の足音のように聞こえた。
ミラとアルネブの会話を聞いたニハルは、何を施設長に伝えたのだろう。
この耳について喋っただろうか。廃教会の魔女の話はしただろうか。
施設長や司教はその話をどこまで信じているのか……。
一睡もできず、日の出の時間を迎えた。朝の聖歌を歌い終えると、子どもたちがわらわらとミラの元へ集まって来た。顔色の悪い彼を心配してのことだった。
*
それから数日。空には爪の先ほどの月が昇っていた。
ミラは、夜の街を訪れていた。道には人が多く賑やかだ。夜食を売りに来た商人たちが家の窓を叩くと、中から子どもの手が伸びた。
「毎度あり!」
商人がそう言ったのが、はっきりと聞こえた。窓が閉ざれた家の中から笑い声が漏れた。無論、口を利いてはならないとされている時間である。民衆のあまりの信仰心の薄さに、眩暈がしそうだった。
ちりんちりんと鈴の音が鳴って、ミラは足元を見下ろす。痩せこけた少女が道端に座っていた。ミラは食糧庫からくすねたパンを取り出して一つ与え、「ありがとう」という言葉を聞き流し、音で溢れる街を立ち去った。
廃教会へ踏み入れる。シリウスはうつ伏せになって、礼拝堂の床に何かを書きつけていた。彼女は度々、チョークを手に床に這いつくばることがある。
以前、床に書き綴ったこの見慣れぬ文字は一体何かと尋ねたことがある。彼女は、数字の羅列だと教えてくれた。魔族の占いのようなものをしているそうだ。天候や、星の動きも予測できるという。
ミラに気がつくと、彼女は手を止めた。ゆっくりと這って足元まで来たが、怯えたように窓の外を見上げる。月が浮かんでいるからだ。月の光は太陽の光を反したもの。今宵の月光はささやかではあるが、弱りきった魔女には障る。
「お兄様、光が怖い……」
ミラはぶるぶると震える彼女を抱きしめ、アルネブ、そしてプロキオンの話を聞かせた。
『シリウス、よく聞いてほしい。ぼくは近いうち殺されるかもしれない。きみもどうなるかわからない』
「……」
彼女は戸惑いを浮かべ、そして顔を伏せた。
しかし次に顔を上げた時、その目には航海士を導く星のような輝きが灯っていたのだった。
*
空が白み始め、子どもたちは客室のドアを叩いた。
今日は待ちに待った
司祭が準備を済ますと、みなで廊下を移動した。子どもたちは戒律を守って
特別な日だ。教会の計らいで、普段は食べられないような食事も用意される。
飾りつけを済ませた礼拝室に入るや否や、子どもたちはぎゃあっと悲鳴を上げた。祭壇の前にミラが倒れていたからだ。右足があらぬ方向に曲がっている。
「ま、魔族の呪いだっ!」
規律を破ってニハルが叫ぶ。すると子どもたちは火が付いたように泣き喚いた。何事かとプロキオンが駆け付け、彼らを
『何があった』
血相を変えた司祭が、ミラの傍らに膝をつき唇代語を使った。応えるために、ミラは泥で汚れた両手を出す。
『魔族にやられました。おそらく、殺されたアルネブの復讐でございます』
司祭とプロキオンが青い顔を見合わせる。
『夜中、目が覚めると、私は外におりました。決して近寄ってはならないと言われている、あの廃村です。私を抱えて走る者に、おまえは誰かと尋ねると、魔族だとはっきり答えました。そして崩れた教会まで連れて行かれたのです。足をやられましたが、雲間から月の光が差しこみ、やつらが怯んだ隙に命からがら逃げ出したのです』
ミラはむせ、その場で嘔吐した。プロキオンが手を伸ばしたが、遮って続ける。
『夜になれば魔女が
唸るような次期施設長の言葉に、子どもたちが再び叫んだ。
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