6.アルネブ

 メシエが施設を去り、一月ひとつきほど経った。

 今日の夜も、空に月は無い。子どもたちが寝静まった後で、ミラはシリウスの元へ行かなくてはならなかった。


 施設の二階に設けた教室で幼児たちに外国語を教えてやっていると、外がなにやら騒がしい。

 教師役のミラは授業を中断し、窓から顔を出した。畑仕事から帰ってきた子どもたちが中庭に集まっているが、今日はなんだか様子がおかしい。つむじを陽光に照らされながら、大勢で何かを囲んでいる。施設長であるプロキオンの頭も見えた。

 ミラは授業を中断し、庭へと下りた。


「施設長様、どうかされましたか」


 声を掛けたが、大方の予想はついている。赤ん坊でも捨てられているのだろう。捨て子は目を剥くほど珍しいことではない。小さな子どもが度々、この施設に捨てられていく。ミラだって母親に捨てられたために、ここで育った。


「ミラ様ぁ、見てください」


 次期施設長に気付いた子どもたちがさっと前を開ける。プロキオンの足元には予想通り、見慣れぬ子どもがいた。

 しかしそこにいたのは赤ん坊ではなく、ふんぞり返った少年であった。すでに十は超えているように見受けられる。十歳といえば、そろそろ体の発光が止み、この施設を去るくらいの年齢だ。


「牧人のところからやってきたそうだ」


 プロキオンがミラを振り返らずに言う。

 少年はそばかすが多く、皮膚は高原の風にさらされていたためか、ひどく乾いていた。顔に疲れがにじみ出ているが、目だけは好戦的に光っている。シリウスのような妖しさはなく、子どもらしい生命力を感じさせる双眸だった。

 口減らしに捨てられたのだろうかと考えていると、施設長がやっとこちらを向く。


「彼に食事を。今日はよく休ませてやりなさい」


 ミラに告げると、彼女は咳払いしながら部屋へ戻っていった。


「立てるか?」


 老いた背を見送り、少年に手を差し出す。払われるかと思ったが、彼はミラを品定めするように睨んだ後、素直に手を取った。

 



「――十日間も馬車に乗せられたのさ!」


 メシエと入れ替わるようにこの施設にやってきた少年が愚痴る。「アルネブ」と名乗った彼は、提供されたパンとチーズを口いっぱいに頬張ると、豆のスープで喉の奥へ流し込んでいく。ろくに咀嚼をしない。喉に詰まらせないかと心配で、彼が食前の祈りを捧げなかったことに苦言を呈すのをミラは忘れていた。

 他の子どもたちがアルネブのような食べ方をしていたら注意するのだが、日没が迫っている。ゆっくり食事をさせている時間は無いから、ちょうどいいのかもしれない。そう思い直す。


 瞬く間に食事を済ませた彼を、今度は客室に案内してやった。


「今日はこの部屋でゆっくり休みなさい。ただ、日が沈み、また日が昇るまでは必ず唇代語しんだいごを使用すること。それだけは守るように」

「無理だ。俺は唇代語しんだいごなんてできねえんだから!」

 アルネブは即答した。

「俺の親は目が見えねえんだ。だから、うちでは唇代語しんだいごなんつうもんは使わなかったのさ」


――彼の両親は唇代語しんだいごを使わなければ、息子の体の発光に気付きもしなかった。日没前、アルネブたちの住む家の前を役人がたまたま通りかかった。彼の身体が発光しているのを見つけ、ここまで連れられてきたということだった。


「ところでおめえさん、さっき『』なんて呼ばれていなかったか?」

「ああ。ぼくは次に施設長となるからね」

「へえ、おめえさんが……?」


 アルネブは遠慮なく、ミラの頭からつま先を観察している。


「ぼくは若輩者だが、施設長の次に年長だ。……詳しいことはまた明日話そう。おまえの着替えを取って来るから、少し待っていなさい」


 この施設を去った子どもが置いていった寝間着を持って客室へ戻る。

 何日もかけてやって来たというアルネブは、すでにベッドに倒れ込んで寝入っていた。



 誰もが寝静まる時間となった。

 ミラがマントに手をかけた時、自室のドアが開いた。尿意を感じたニハルがいつものように訪ねてきたのだと思い、口角を上げ振り返る。


「よお」


 しかし、部屋の前にいたのは仮眠をとって顔をすっきりさせたアルネブだった。

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