3.月の無い夜

 ミラはメシエが寝室に入るのを見届けると、階段を上り施設長の部屋へと向かった。

 ドアを軽く叩く。内側から、誰何すいかの代わりの咳払いが聞こえてくる。ミラは自分の名前のスペルをつづるように、もう三度、丁寧にノックしてから入室した。

 机で書き物をしていたらしい施設長のプロキオンが手を止める。彼女は重い咳をしながら顔を上げ、鼻に掛けていた眼鏡を外した。


――施設長も、昔は美しい女だった。


 この施設を巣立っていった少女たちが、そう噂しているのを目にしたことがある。

(他人の噂話をする時は、昼も夜も関係無く、みな唇代語しんだいごを使う)。


 プロキオンは、元々は良家の子女だった。

 婚期を逃したために修道院に入り、その後この施設を任されたのだという。確かに彼女の立ち居振る舞いには気品を感じることができた。教養があり、手紙を書くのも上手いらしい。

 しかし、ミラがこの施設に預けられる少し前に肺を患い、体力も落ち、今ではすっかり老婆の姿になってしまっている。本人いわく「もう長くはない」ということで、身寄りのないミラを養子にし、次の施設長を任せた。

 ミラのような孤児が一つの施設を任されるのは異例であるが、反対する者は少なかったという。子どもの世話をすすんでやりたがる者は珍しいし、養子とはいえ、ミラはプロキオンの子どもとなったのだ。

 なにより、良家の出ではないのにもかかわらず、敬虔、そして勤勉なミラの態度が高く評価され取り決められたことだった。


『明日の朝、みなでメシエを送り出す予定です』


 ミラの報告に、年老いた施設長は静かに頷く。


 一日の始まり、そして一日の終わりに神に歌を捧げることは、信者たちの日課である。

 教会の運営するこの施設の子どもたちも、毎日欠かさず歌を歌う。それは外の子どもたちとなんら変わらぬ行為だった。

 しかしこの施設で暮らす子どもたちのほとんどは――ミラのような孤児以外は――聖歌を歌唱している間に、体が発光する。

 まれにではあるが、聖歌を捧げている最中に体を発光させる子どもたちが一定数誕生するのだ。光をともす子どもたちは、その身分に関わらず家族から引き離され、人里離れた林の中にあるこの施設に送り込まれる。


 体が光る理由は、教会によって滅ぼされたはずの魔族の呪いを受けているからだと言われている。この施設で過ごし、肉体と精神が大人に近付いて発光が無くなれば、無事に親元に帰される。

 歌唱中に体の発光が見られなくなるのは、魔族にかけられた呪力が体から無事に抜け落ちた証拠だと言われているからだ。


 今日の日の入り前のことだった。施設の子どもたちはいつもの通り、礼拝室で聖歌を捧げていた。

 その時、十二歳の少女、メシエの体が光らなかったのである。メシエは七年前、五歳の時から体が発光するようになり、この施設に送り込まれた。

 聖歌を歌っても体になんの変化も起こさなくなったメシエは、明日からこの施設を出て、両親の待つ集落へと帰ることができる。


 自身の身体の変化に気がついた彼女は、聖歌を歌い終えるまでに涙をこらえることができなかった。周りにいた子どもたちも、つられてめそめそと泣いた。

 ともにこの施設で暮らしてきたメシエに対する祝意もあるのだろうが、その他に、別れの寂しさ、そしてそれぞれの持つ郷愁が涙を誘ったのだろう。


『メシエは、随分とおまえに入れ込んでいたようだったがな』


 プロキオンは珍しく目を細め、片側の口角を上げた。他人を茶化すように。


『そのようですが、ニハルほどではありません。メシエに用足しに誘われたことは一度もありません』


 施設長は、唇代語しんだいごによるミラの軽口に、鼻の奥で笑った。

 ミラが次期施設長として認められる少し前からだろうか。メシエは彼をじいっと見つめてくるようになった。彼女だけではない。少女たちの何人かは、彼に熱を上げているようである。

 そのうちの誰かに異性としての好意を返すなど、ミラには考えられもしなかった。彼女らが母語も正確に発音できない頃から面倒をみてきたからだ。ともに暮らす子どもたちは、家族も同然だった。彼女らを「妹たち」と呼ぶことも、彼にとっては違和感が無い。


 ミラは笑うのを止め、本題に戻った。


『……それから、きた殉教じゅんきょうの祝日の手配ですが、こちらも滞りなく済んでおります。この施設には、前日の夜から司祭様がお見えになるということです』

『ご苦労』


 ミラの日報を聞き終えた施設長はゆっくりと立ち上がり、閉ざされた窓に目をやった。


『今日は月の出ない日だったな。おまえも早く寝なさい』

『おやすみなさいませ。プロキオン様』


 うやうやしく挨拶を済ませ、部屋を出る。

 ミラにとって施設長のプロキオンは養母であり、生みの親に代わる「第二の母」と呼んで差支さしつかえない。


――しかし、今日はその「母」の忠告を無下にするつもりだった。


 ミラは一度、自室へ戻った。次期施設長となることが決まってから与えられた個室だ。

 マントを持ち出し、次に向かうのは一階の食糧庫だった。鞄に入るだけの食料を詰め込む。準備を済ませると、寝ぼけて徘徊する子どもたちに見られていないか注意深く確かめてから施設を抜け出した。

 しかし、泥棒のようなこの行為を目撃されたとしても、悪行だと疑ってかかる者は一人としていないだろう。

 孤児から次期施設長になることが認められた優秀な人物だ、何か事情があるに違いない。目撃者の十人が十人、自分をそうやって納得させるはずだ。


 ミラは門扉をくぐる。天を突き刺すような高い常緑樹が建物を囲んでいる。見上げると、葉と葉の間から星がよく見えた。

 しかし、今夜は「魔族が出るぞ」と子供が脅される、月の無い夜だ。悠長に星の動きを観測している暇は無い。

 ミラはおのずと足を速めた。

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