台風
夏が、終わった。
そして、無職になって、一週間が経った。
ほんとは、こんなはずじゃ、なかった。
会社から会社に、スムーズに転職できるはずだったのだ。
それなのに、失敗した。いや、違う。
裏切られた? 破棄? 反古? どれも当て嵌まっているようで、なんか違う。
八月になる前に、とっくに内定はもらっていた。
あとは見学だけとなって、間にお盆休みが挟まったのがいけなかったんだ。それも紹介予定派遣だから、二社分がズレて挟まった。その間に、なんだかよくわからないことになったらしくて、お盆明けの連絡を待っているうちに八月が下旬になって、退職日が迫ってきて、さすがに焦って連絡したら現在日程調整中としか言われず、退職して月が変わっていい加減にしろよと思っていたら、相手先企業から九月入社は不要だと連絡が来たと今更言ってきやがった。いや、もう九月だし。遅過ぎるでしょ。人の転職、なんだと思ってんの?
だから、中途半端に内定もらってたお陰で、八月の一ヶ月間丸々をふいにしたあたしは、宙ぶらりんになった。
急いで手当り次第に応募してはみるが、なんだか意気消沈してしまって、覇気がないからか落ちるわ落ちるわ。なんかもう、失業手当てがもらえる三ヶ月間、廃人のようになっていようかと弱気になった。
デカいこといって辞めたので、後輩にも合わす顔がない。いや、でも、元の会社に未練はない。どころか、あんな社長と上司の下で、給与を人質にされて、不条理極まりないことやパワハラを受けながら働くなんて二度とご免だ。
何度も腰痛を煩い、大腸にポリープができ、原因不明の腹痛と頭痛に悩まされ、病院通い。眠れなくなり、激痩せしながらの便秘の日々と命を削っているような報われることのない肉体労働なんて、もうまっぴらご免だ。
ついこの間、保険証の申請に必要だからと社会保険資格喪失証明書を請求したら、待てど暮らせど届かないので、十日過ぎた段階で再び状況を問い合わせた時の返信が『せめて、常識的な時間帯に連絡を頂きたいですね』だった。夜ではない。朝の七時ちょっと前だ。
その会社は翌日の出勤連絡が前日の夜に来るような会社だった。早くて十九時。遅くて二十二時。それを過ぎても来ないことも平気である。
休日は、早朝から連絡が来ることも、よくあった。出勤できないか、雑品がなくなった知らないかなどという内容だ。こちらの事情はお構いなしに時間関係なく連絡してきた。その上、その男の上司は、出勤連絡を忘れるやら現場でやらかすやら、クレームが来るなんて日常茶飯事だったくせに、自分のことは棚上げして部下は陰湿に責めるのだ。やれ靴が汚い、やれ話をするな、やれどこに行ってた。今までなにも気にしていなかったくせに、姑のようにきっかけを探しては上げ連ねる。明らかにあたしだけ。
見せしめということなのだろう。
器の小さいクソ野郎のお得意技だ。バックに社長がついていたから余計だったのだろう。
とにかく、そういう常識的な時間という概念があったことに、まず驚き、それを丁寧に述べた上で、退職してから十日以上になるが常識的な連絡すらなかったという反抗的な旨を返信をした。退職して関係なくなった身の上で、なにを恐れることがあるというのか。
その結果が『それはそれは、申し訳ございませんでした』だ。完全に見下されていた。
どうしてもっと早く、在職中に労基署に訴えなかったのかと悔やんだが、どう考えても不可能だった。社長とその男性上司以外のスタッフは、あたしにとって大事な仲間だったからだ。あたしが騒げば、社長がみんなを戒めて八つ当たりをする。一生懸命前向きに頑張っている先輩に、可愛がっていた後輩にそんな嫌な思いをさせたくない。それがあったから、在職中はなにを言われても大人しくしていたのだ。でも、このくらい主張したっていいだろう。
離職票諸々が届いた時、心底安堵した。
これで、もう二度とあの会社に関わらなくてもいいのだ。振り回されることはないのだと。
離職票が届いた翌日、国民健康保険の手続きに市役所に行った。
すると、一日に何度洗ってもどうしても消えなかったキツい脇の匂いが、全く気にならなくなった。ストレスが一つ、消えたらしい。
ネットで応募して連絡を待っている間に、ネット配信の無料お試しを利用して、久しぶりに映画を見た。いくつも見た。
仕事をしていた時には、明日のことが気になって映画に集中できず、感動することもできなかったが、ちょっとしたことでもボロボロ泣ける。
小さなことに、幸せを感じるようになった。
長風呂ができるようになった。
以前は、退勤してから出勤するまでの時間が分刻みになっていて、風呂に長く浸かっていたら睡眠時間がなくなるから。
一時間かけて通っていたのと、頻繁に早出があったので、夜の時間は無駄にできなかった。そのせいか、風呂に入ってリラックスすることはない。風呂は、一日酷使した筋肉を和らげるためのものであって、どんなに面倒臭くても浸からないと腰にくるものだという認識だった。それが、ぼんやりしながら浸かっていられるようになったのだ。
炊事に強迫観念がなくなった。
以前は夕ご飯を食べながら、冷蔵庫の中身の消費期限と、翌日の朝ご飯と、弁当と、夜ご飯までを考えていた。
予め考えて、用意するなり作るなりしておかないと、翌日困るのは自分だ。
その上、栄養。
疲れに効く豚肉やビタミン、筋肉を形成するタンパク質、野菜などをバランスよく三度三度の食事に取り入れる。そうしないと、翌日動けなくなってしまう。そのために、休日には買い物に行って、作り置きをして、野菜が手に入らなければ店を巡り、常に必要な栄養素を冷蔵庫に揃え、鮮度のいい状態で体内に取り入れられるように工夫をしていた。
無職になって、その必要が、なくなった。
十八時には夕飯を食べ終えて、二十一時には布団に入る。
朝は早い時間に目が覚めるようになり、近所をジョギングするようになった。
夜は、テレビを見ながら筋トレをする。
無理矢理やっていた頃より、メンタルも体も調子がいい。
このまま、生きていければいいのに・・
数日前から続いていた雨は強風を纏って、ガソリンスタンドの洗車マシーンの水圧で窓ガラスを洗うように打つかっていた。
台風が近付いてきていたのだ。
「夏は終わっても、台風は来るんだねえ」
テレビの天気予報から、手元のサイダーに視線を落としたヒロ君が言う。
新商品の梨サイダー。それを口に含んで味わいながら、ちょびちょび飲むのが彼流だ。
「夏が終わったからってことは、ないかな?」
あたしは、履歴書を書くのに飽きて、ペンを放り出すと梨サイダーが入ったペットボトルを掴み上げた。
「暴れて、夏よ再びって?」
「台風は、夏に遊べなかったんだよ。だから、」続きを言おうとしたら、さっちゃんと同じだね、とヒロ君が光の早さで遮ってきたので、あたしは、え、うん・・と、口を噤む。
「これから取り戻せばいいよ」ヒロ君は、満面の笑みを向けてくる。
「終わった夏を?」
「終わった夏を」
自信がなかった。そもそも、毎年、夏ってなにしてたっけ?
キャップを開けて梨の匂いを嗅ぎながら思い出そうとした。
えーと、去年は仕事。一昨年も仕事。その前も仕事。その前の前も仕事。その前の前の前も・・勤続年数六年。夏の思い出は、なし。
「ちょうどいいから、この機会にさ、思い出作ろうよ」だいぶ回復してきたでしょ? と、ヒロ君はスマホを取り出した。
だが、天気予報は、台風が直撃することを繰り返し警告している。
『不要な外出は控えてください。飛散の恐れのあるものは屋内に入れてください。なお、河川が氾濫する可能性がありますので、近付かないようにしてください』
「夏と言えば、海。よし、明日、海に行こう!」
目を輝かせたヒロ君が、膝を叩いた。
「ちょちょちょちょっと? さっき、天気予報見てたよね? 無理だよ。明日は、台風が直撃するんだよ」
「知ってるよ。だから?」ヒロ君はキョトンとした顔をしている。
「無理だよ。危ないって。海だって台風で大荒れするんでしょ?」
「そりゃ荒れるに決まってるよ」
「荒れる海に行くの? 無理だよ。波に攫われちゃうかもしれないじゃない!危ないよ」
「よっぽど近付かない限り大丈夫だよ」津波じゃないんだから、さっちゃんは心配症だなーとヒロ君は無邪気に笑い出した。
全然笑い事じゃない。
でも、もしかしたら、台風が夜のうちに逸れるかもしれないと、あたしは一陣の希望を抱いた。
直撃する直撃するって毎年言われるけど、案外逸れることのが多いから、もしかしたら明日だって晴れるかもしれない。
それを期待して、二人で床に着いた。
ところが、そんな時に限って、台風が直撃した。
翌朝は、布団を出るまでもなく、荒れ狂うような風と豪雨の音にアパート自体が揺れていて、簡単に外の様子が窺えた。
ヒロ君は、隣でまだ寝ている。
きっと、昨日のことなんて忘れているに違いないと思ったあたしは、彼に齧り付いて二度寝を決め込もうとした。
ところが、けたたましいスマホのアラーム音で目を覚ましたヒロ君が、海だと叫んで、嬉しそうに布団を撥ね除けてしまったのだ。それから、さっちゃん起きてと激しく体を揺すぶってくる。狸寝入りは通じない。
「こんな嵐なのに、ほんとうに行くのー?」
着替えもしないで、布団の上で膝を抱えて渋るあたしをよそに、ヒロ君は、雨合羽だの登山ロープだの長靴だのと、手際よく準備を進めていく。炎天下の過酷なフェスに行く時ですら、こんな重装備じゃない。乾パンにランタンまで出てきてサバイバルにでも行くみたいな内容になってきた。今にテントや飯盒も出てきそうな勢いだ。
「ねえ、どこの海に行くの?」
「んー・・小田原とかでいいんじゃないかな。帰りに、かまぼこを買ってこようよ」
いやいや、この台風の中、土産物屋がやってるわけないじゃん。店なんて閉まってる。っていうか、人なんていないよ。こんな中、外出するなんて自殺行為以外の何でもないしさ。
そこまで考えて、思い当たった。
・・ヒロ君、もしかして、二・三日前、不採用通知が来た時に、あたしが死にたいなんて嘆いてたから?
いやいやいやいや。ないよ。だって、そんなこと誰だって、上手くいかないことがあったら、ついポロッと口にしちゃうでしょ。そんな程度のことでしょ。
あたし、今の無職生活、別に辛くないし。むしろ、
自由だし。
ストレスから解放されて、心身共に前向きに元気になってきてるし。
こんな状況で、死にたいって、ないでしょ。
「・・ねえ、ヒロ君、あたし大丈夫だよ。辛くないし我慢もしてない。今すごい楽だから平気だよ」
あたしの震える言葉に、彼は、なんのこと? と首を傾げる。
「知ってるよ。さっちゃんが元気になってきたから、海に遊びに行くんじゃないか」
轟音が鳴り響いた。
アパートの窓ガラスをガタガタガタガタ激しく揺さぶって、暴雨が中に入ってこようとしている。まるで、巨大な化物が、人間が作ったオモチャの街を壊そうとしているような恐ろしい音だ。
「ねえ、今日はやめよう。ヤバいって。怖いよ」
さっちゃんは怖がりだなあーと屈託なく笑うヒロ君。その純粋さが怖いと感じた。
結局、あたしたちは車に乗って出発した。
ところが、道路のあちこちで水没が起こっていて、何度も迂回を繰り返しながらなんとか、圏央道まで辿り着いた。意外にもダンプや大型トラックはチラホラ走っているのだ。
「運送業は鮮度が命だからね。大変だ」
ハンドルを取られまいとして、真面目な顔でヒロ君は呟く。
大変なのは、あたしたちだって同じだよと心の中で毒突く。
吹き付けられる雨水のお陰で、窓の外の視界はゼロ。
フロントガラスに至ってもワイパーでかいた一瞬だけで、他はほぼなにも見えない。
そんな状態で走っているのだ。
あたしは、死を覚悟した。
横を見ると、ヒロ君の目に迷いの色はない。
あたしは戦慄して、同時に明日のニュースの見出しを想像した。
『愚か!台風中の衝突事故!』
こんな超悪天候の時に、警告されてるにも拘らず、無視して外出して、バカだと言われこそすれ、同情なんて絶対にしてもらえない。
毎年いる、荒れてる海を見に行ったら高波で攫われて行方不明になる野次馬と同じ。
恐怖で引き攣るあたしの顔を、尿意を我慢していると勘違いしたヒロ君が、トイレもうすぐだからと車をサービスエリアに入れた。
車から飛び降りたあたしは、吹き荒れる雨風を物ともせずに、脱兎の如くトイレに駆け込んだ。
もうヤダ!これ以上、行かない!行ってたまるか!
籠城するつもりで、雨が吹き込んで水浸しになっている冷たいトイレの個室に鍵をかけた。
遠くでヒロ君が呼んでいる声が聞こえたが、徹底的に無視した。
あたしが動かなければ、ヒロ君も動けない。はず。
置いてくなんてしない・・はず。だよね・・
彼の声が止んだ。
暴風雨の音以外、不気味な沈黙が降りている。
トイレの電気が不規則に点滅し始めた。まるで、ホラー映画だ。
ヒロ君の声は、聞こえない。彼は、いつまで経っても、呼びにこない。
置いてかれた?
嘘だぁーヒロ君に限ってそれはない。じゃあ、
ヒロ君が怪我してるとか? 有り得る。
不安になったあたしは、トイレの鍵を外して外の様子を窺う。
巨大な洗濯機の中にいるようにざっこざっこと大量の水で洗われる景色に、ヒロ君らしき人影も、ヒロ君の死体らしき形も見えない。
嘘でしょう・・あたし、置いていかれたのぉー・・
トイレの出口近くで、膝が崩れて座り込んだ。
「あ、やっと出てきた」能天気な声が横から聞こえた。
振り向くとヒロ君が、缶ジュース片手にトイレ横の縁石に腰掛けていた。
「さっちゃんが全然出てこないから、もう間に合わないかもしれないよ」遅いんだよーと口を尖らせる。
彼の顔を見てどっと力が抜けたあたしは、泣き出した。
ヒロ君が慌てて駆け寄ってくる。
「怖かった? ごめんね。でも、どうしても、さっちゃんに見せたかったんだよ。ごめんね」
「もう いい。もう・・いいよ。家に帰ろう」
あたしは、涙と鼻水と雨でグシャグシャになった顔でヒロ君に齧り付いた。
「うん。でも、待って。あと、ちょっとなんだ」と、ヒロ君は帰ることに難色を示す。
「なにが、あとちょっとなの?!もういいって言ってんじゃん。うんざりだよ!」
ワカメのように顔に張り付く髪を払いながら、あたしは声を荒げた。それで、もしかしたら、会社の上司に、こういうヒステリックな片鱗を見られて、コイツは優遇するに値しないって思われたから、だからあんな目にあったのかもなぁなんて憶測の嫌悪が一瞬過って消えた。
「落ち着いて、さっちゃん。とにかく、ちょっと待ってみて」
落ち着いてと繰り返しながら、ヒロ君はあたしの肩を抱いた。
同棲生活歴は、前職と同じ六年目。
就活祝いで付き合ったヒロ君は、あたしのいい面もダメな面も知り尽くしていて、だから、あたしが辞めるって言った時にも止めなかった。
正しい取捨選択だよと賛成してくれた。
あたしがメンタルを散々やられて具合が悪くなっているのを、一番側で見ていたから。いつも支えてくれていたから。
彼がいれば無敵。
彼の言葉は百人力。
だから、圧し潰れそうになっても、社長に退職すると宣言することができた。
退職して、派遣会社にしてやられて、なかなか就職が決まらなくても、それで落ち込んでても、なにも言わずに側にいてくれる。
大丈夫、さっちゃんは間違ってない、と何度でも励ましてくれるヒロ君。
彼がいるから、あたしは生きていられるんだ。
もしも、同じ状況で、誰もいなくて1人だったらなんて、考えたくもない。
いや、そもそも、六年も勤められていなかったと思う。確実に、途中でメンタルが限界を迎えていただろう。
彼がいてくれるから。
いつも、側で支えていてくれるから、あたしは、頑張れる。
気のせいか、雨風が弱まってきたようだ。
「もうすぐだよ」
用意した雨具の甲斐なくぐっしょり濡れた彼が、空を見上げて嬉しそうに笑う。
ホラ、とヒロ君が指差した先、それは、がらんとした駐車場の端っこから、生き物のようにして徐々に滑ってきた。
あまりに色彩が違うので、あっちとこっちの世界が切り離されていくような錯覚に陥る。
気付くと、あんなに激しく暴れていた雨と風が、途切れていた。
的歴と輝く頭上には青空すら覗いている。先程とは打って変わって美しい景色だった。
「台風の目。ほんとは、海で見たかったんだけど」ヒロ君が苦笑いをした。
「やめてよ。海に到着する前に、今頃きっと車ごと吹き飛ばされてる」
「それはそれで、楽しそうじゃない?」楽しくなんてない!と怒って拳を振り上げると、雨滴が頬に当たった。
「通り過ぎていくんだ。台風の目を追って行くのもいいかもね」ヒロ君が悪戯っぽく笑う。
「二度とごめんだよ」
「でもさ、命がけの冒険をしたら、たかだか人間世界のことなんて、ちっぽけに思えるだろ?」
それはそうかもしれないけど怖かったよ、と答えると、平和を実感するには多少の恐怖が必要なのだと言う。
戻ってきた豪雨が唸りを上げてあたしたちを叩き付け始めた。
「別に、あたしは、平和を実感してなかったわけじゃない。すこぶる平和だったよ」
「平和であろうと、平穏であろうと努めてたんだ。だから、合否連絡にだって怯えてた」
その通りだった。
あたしは考えまいとした。
自分が世界から、世間から受け入れられていないのかもしれないという事実を。
あんなに長年奉仕した会社に排除されても、退職に追い込まれても、自分のせいじゃないと思いたかった。
社長のせい。上司のせいにして不遇を託っていたかった。でも、
世間から見たら、ただの自己都合の退職。
退職せざる負えなかった理由なんて、辞めてしまえば誰も聞いてくれない。でも、辞める前は私憤として、妥協して我慢するしかなかったけど、堅忍不抜の精神にもなりきれなかった弱い自分。
あたしは、世界に拒絶されたわけじゃない。
あたしは、世界に拒絶されたわけじゃない。
そう何度も自分に言い聞かせながら、会社の中で育てて否定されてしまった自己肯定感を、もう一度取り戻さないといけなかった。でも、ほんとは怖かった。
面接を受ける度、不採用通知が来るたびに、目の前が真っ暗になって目眩がする。
働かなくて生きていけるなら、なんて甘いことを考えている裏で、焦りが隙間なく蔓延っていく。
リラックスしている水面下で、疎外感や孤独感と必死に戦っていた。
見透かされてたんだ・・
「だいぶ、肩の力、抜けたろ? さっちゃん、いつもガチガチに力入ってたから。もっと気楽に生きなよ」
ヒロ君がにかっと笑った刹那、ふっ飛んできた巨大なゴミ袋が彼を直撃した。
台風が夏の残滓を念入りに洗い流していったアクアマリン色の空からは、冷ややかな秋の気配を感じた。
ゴミ袋に衝突されたヒロ君は、幸いにも腕の擦傷と頭を軽く打っただけで済んだが、また行こうと言って全く懲りてない様子だ。
でも、あたしはそんな彼に少しだけ感謝している。
荒治療ではあったが、確かに以前よりもゆったりと物事に対して構えていられるようになったから。
台風はあたしの中に蟠っていた焦りも一緒に巻き込んで飛ばしてしまったらしいのだ。
そのお陰なのか、近所で採用が決まった。
週二・三日のアルバイトだが、特に不満はない。なるようになるだけ。
来週の休みに晴れたら、二人で小田原の海に行く計画を立てている。
次いでに小田原城を見て、ヒロ君が楽しみにしているかまぼこも買ってこられるはずだ。
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