第2話 ムカつくアイツ


 ある日、外出先で綾乃はスマホを操作して電話をかけた。


 呼び出し音が鳴って2秒後に電話口に出た相手は、綾乃が勝手に名付けた「アッシーくん」だ。


「もしもし、アッシーくん? 実はね、終電のがしちゃって帰れないんだけど……お迎えに来てくれない?」


 そんな急なお願いにも難なく対応してくれるのが、アッシーくん。


「わかった、すぐ迎えに行くから待っててね!」


 そうして車で迎えに来てくれたアッシーくんに可愛くお礼を告げると、アッシーくんはセックスどころかキスすら迫ることもなく、喜んでくれるのだ。


 しかし、男を試すと決意した綾乃の挑戦はまだまだこれからだ。


 車で3時間かかる距離のお迎えから始まり、「最南端の孤島まで迎えに来て」という嘘の電話をかけたところでアッシーくんは音信不通となってしまうのだった……。




 ——そして、数日後。


「はぁーっ、男なんてどれもたいしたことないよねぇ……。みんな揃いも揃って口ばっか!」


 今日も会社の談話室のテーブルに突っ伏してため息混じりで呟く綾乃と、そばで呆れ顔を見せる咲子。


「アッシーくんに、メッシーくんだっけ?」


 「メッシーくん」とは、その名の通り女性にメシを奢ることを自己パラメーターのアップとしている男性のことである。


「アッシーくんはアッシーくんのくせに最南端の孤島へはお迎えに来てくれなかったし、メッシーくんはメッシーくんのくせに外食に行った先々で私があらゆるジャンルの料理に難癖つけてたら、とうとう見限られちゃった……」


 それを聞いた咲子は吹き出した。「それはただのワガママ極まりない自己中女なのでは?」という意見は心の中に一旦置いといて、「あんたが無茶振りしすぎなのよ」とだけ言っておいた。


「まぁいっか、私も半分は暇つぶしだったし。それにね……こないだ合コンで新しく何人かめぼしい男ゲットしたのよねー!」


 まったく懲りる様子が微塵もない綾乃に、咲子は再び呆れ顔を見せる。


「懲りないねぇ、あんたも。本気で好きな人相手だったら、そんな無茶振りだってしないくせに」


 「本気で好きな人」という言葉が、綾乃の中に重く響く。自分に好意を持つ異性はみんな「キープ君」でしかなく、その愛が本物なのかどうかを試す以外、今の綾乃ができることはないのだ。


「ほ、本気で好きになるかどうかは相手次第でしょ? 来週だってね、デートでスケジュールもパンパンなんだから!今度こそ、本物の愛を手に入れてみせるんだからねっ!」


 そう自慢げに咲子に話す綾乃の背後で、ドアがガチャリと開いてある人物が入ってきた。


「なーにが本物の愛……だよっ」


 突然現れたその男は、目を丸くした綾乃と目を合わすことなくキッチンに向かってコーヒーメーカーに手をかけた。どうやらこの男も今からブレイクタイムらしい。


「き、桐矢きりやっ……!」


 敵を睨みつけるような視線を送る綾乃とは対照的に、近くにいた他の女性社員たちはその目を爛々と輝かせるのだった。


「あ、桐矢くんだ」

「おはよう、桐矢くん」


 そして、そんないつもより1オクターブほど上がったような猫撫で声で声をかけてくる女性たちに向かって、この男はいつでも超クリアーな爽やかスマイルを返すのだ。


「おはよ! 今みんなの分のコーヒーもれるから、ちょっと待っててくれる?」


 嫌味の無さすぎるそのスマートな立ち振る舞いに、女性たちはいつものように腰の力が抜けてしまう。


 それも、ひとえにこの男の放つオーラと魅力が原因。


「な、なによっ……なんか文句あんの?! 桐矢っ!」


 背後でさっきの話を盛り返す綾乃の方に振り返ると、その男はトレイにいくつか乗せたコーヒーを持って向かってくる。そして綾乃と咲子の前に淹れてきたコーヒーカップを置いて、綾乃の向かい側の席へと腰を下ろし、ようやくその薄笑みを浮かべた口が開くのだった。


「綾乃……お前にいいように振り回されて、精魂尽き果てる可哀想な男が増えるだけだろー? デートだなんて言っちゃって、最終的には愛想尽かされるくせに」


「な、なによっ! 私が悪いって言いたいの?!」


 さっきから綾乃に突っかかっているこの男の名は、桐矢葵きりやあおい。綾乃とは同期入社で、制作部に勤める同い年のデザイナーだ。


 その容姿は群を抜いた美しさであり、透き通った肌に右耳たぶに光るホワイトゴールドのピアスとミルクティーベージュの艶髪が映える、まさに上から下まで「イケメン中のイケメン」という言葉がふさわしい。デザイナーのかたわらに必要とあらばモデル役も引き受けていて、当然社内でも女性からの熱い視線は独り占め状態だ。


 その代わり、その性格はというと……。


「レベルの低い男ばっか相手にして悪あがきしてるようにしか見えないね、俺には」


 そして、そんな葵の挑発に綾乃はいつもまんまと乗せられてしまうのだ。


「な、なんですって?! ただの同期のくせに、あんたってほんとヤな奴!! あんたのその性格、バカな女子社員たちにさらしてやりたいわっ!!」


 一旦こうなると、二人の言い争いはもう誰にも止められない。


「性格の悪さなら、綾乃さんにだけは敵いませんよぉ。俺ってあくまで女の子には紳士的だし? お前と違って、女の子を試したりするほど恋愛に困ってもないから」


 机に頬杖をついて見下すような視線を送ってくる葵に、綾乃のイライラメーターはさらに上昇の一途いっとを辿る。


「……ふん! なによ! あんただって彼女いないくせに!!」


「それはほら、俺ってこう見えて実は硬派だからさ……お前みたいに手当たり次第じゃなくて慎重なんだよなぁ」


「何が硬派よっ! 自分の性格の悪さが露呈して幻滅されたくないくせに!」


ムキになって言い返しながら、葵が淹れてきたコーヒーのカップに口をつける。


「……ん?このコーヒー、すっごく甘い」


 甘いコーヒーしか飲めない綾乃は、いつも自分で淹れる時はコーヒーシュガーのスティックを5本入れている。そのことを知っているのは咲子を含めたごく少数であり、葵が知っているのは意外だった。


「桐矢……あんた、なんで私が甘いコーヒーが好きなこと、知ってるの?」


 それを聞いた瞬間、ギクッとした葵は物凄い勢いでそっぽを向いた。


「そ、そんなの……なんとなくだよっ」


「なんとなく?」


 不思議そうに小首を傾げる綾乃を横目で流し見ると、葵はフッと鼻で笑って言った。


「ほら、子供ってみんな甘い飲み物が好きじゃん? だからガキっぽいお前も当然コーヒーも甘くなくちゃ飲めないだろうなっていう、オトナな俺からのほどこしってヤツだよ」


 それを聞いた途端に、自分好みの甘さでおいしいコーヒーが憎らしくなる。


「なによ……人のこと子供扱いしちゃって! そんな施しなんて結構よっ! ふん!」


 そう言ってコーヒーを一気に飲み干す綾乃をしばらく見つめると、葵はため息混じりに問いかけた。


「……で、来週もデートでスケジュールがパンパンなんだって?」


 タン、とからになったコーヒーカップを机に置くと、綾乃はふんぞり返ってまたもや早口で喋り始めた。


「そうよぉ? 聞いて驚かないでよね! 自然派嗜好のイケメン『ネイチャーくん』にぃ……超ワイルド系イケメン『バーテンくん』にぃ……極め付けにはねぇ、大手企業のイケメン『御曹司くん』とのデートが待ってるんだから!」


 そのすべてを黙ったまま聞いていた葵は、しばらくの間の後にその口を開く。


「……ふーん。ま、せいぜい頑張ればぁ? 間違っても、焦って結婚迫ったりすんなよなー」


「だっ……誰がっ!」


 クシャッと握りつぶしたコーヒーカップをクズ入れに投げ捨てると、葵は超然とした態度で談話室のドアから出て行くのだった。


 そんな二人の一部始終を見ていた咲子は、興味ありげに綾乃に話しかける。


「ねぇ、綾乃……桐矢くんって、どう思う?」


「どうって……何が?」


「ほら、彼ってあの通りすっごくカッコイイし……デザイナーとしての技術も認められてて人望も厚いし、まさにパーフェクトじゃない? 彼のことは……恋愛対象には入ってないの?」


 思いがけない質問を投げかけられて躊躇しながらも、綾乃はその動揺をかき消すように言い返す。


「あ、あんな奴……恋愛対象外に決まってるでしょ?!」


 思わず机をバンと叩いてしまい、咲子がビクッと目を丸くする。


「所詮、見た目がいいだけの性悪男だもん! それに、アイツも私のことなんか嫌いみたいだし!」


「桐矢くんに嫌われてるって思ってるの?」


「うん。じゃなきゃ、いつもあんなに嫌味なことばっか言ってくる理由がないでしょ。そのせいでこっちはイライラしっぱなしだっつーのっ!」


 そんな綾乃を見つめ、親友の咲子は黙って小さなため息をつくのだった——。

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