第11話 宣戦布告?
——翌日、会社の談話室にて。
「ええっ? 元カノ登場だって?!」
驚きつつも少し楽しそうにも聞こえる声を上げるのは、綾乃の親友で経理部所属の
同時に綾乃と葵の一番の良き理解者でもある咲子は、そのサバサバした人当たりのいい性格が男女ともに好かれる理由となっている。
面倒見がいい咲子はこうしていつも、休憩時間を共に過ごす綾乃の愚痴から悩み事、果てはノロケ話にまで耳を傾けてくれているのだ。
「そうなの、ビックリしちゃった。葵もまさか自分の元カノが入社してくるとは思ってなかったみたいだし……。あ、でも一応このことは秘密にしててよ? 咲子」
「わかってるってぇ。……で、どんな子なの?! 私、部署が違うからまだお目にかかれてないんだよね!」
咲子からのそんな質問に対し、綾乃はブツブツと小言のように説明し始める。
「うーん……けっこう可愛いかなっ! (私の次にね)そんでもってフワァってしてて……『女の子!』って感じかな? (私の次だからね)極めつけに、漫画の世界から飛び出してきたような典型的な『男ウケ抜群の女子』……って感じ! (だから私の次だってば!)」
無意識に褒めちぎってしまっていることに気づかない綾乃に、咲子はちょっとだけ不安そうな目を向ける。
「うわ……なんとなく想像できちゃったかも。で、肝心の桐矢くんはなんて説明してくれたの?」
痛いところをつかれた綾乃はグッと口を紡いだ。
「それが……元カノってこと以外、何も教えてくれないの。1年ぐらい付き合って別れたってことぐらいしか聞き出せなくて……。(キスでごまかされちゃったしな)」
「なんで別れちゃったのかも教えてくれなかったの?」
「うん……自分の過去のことはあんまり詮索されたくないみたい。
そしてやっぱり引っかかるのは、光里の「好きな人」について、だ。
「(ああもうっ、何も鈴宮さんの好きな人が葵だとは限らないでしょっ?! 葵とは元恋人ってだけで、今は別に好きな人がいるのかもしれないし……!)」
一人心の中で葛藤する綾乃をしばらく黙って見つめる咲子。
「……まぁ、男にだって触れられたくない過去の1つや2つがあっても仕方ないんじゃない? それに、いくら可愛くてももう元カノなんだし……あの桐矢くんがあんたを放って元カノになびくとも思えないしねっ!」
咲子のその言葉で、少しだけ気持ちが軽くなった。
「そ、そう思う?!」
「うんうん、この咲子様の目に狂いはないんだからっ!」
ホッと安心しかけたその時……
コンコンッ。
ドアをノックされ、綾乃が「はーい」と返事をすると、誰かがドアを開けて遠慮がちに中を覗き込んだ。
「あ、あのぅ……お話し中、すみません」
現れたのは、噂をすれば……の、光里だった。
「す、鈴宮さん……?! ジャストタイミングだねっ……」
さすがにビックリした綾乃を見て光里は小首を傾げると、ニコニコしながら向かいの席へと腰を下ろした。
「あ……、コーヒーでも飲むっ? 私淹れてくるね!」
笑顔を取り繕って席を立ち上がろうとする綾乃を、光里はとんでもないと言わんばかりに制止する。
「いえいえそんなっ、おかまいなく……! 少し藤崎さんとお話できないかなぁと思っただけですから」
「は、話……?」
なぜか身構えてしまう。
「ええ、藤崎さんにならいろいろ相談しやすいなって思ったんです。仕事のことはもちろんですけど、恋愛について……なんかも」
——恋愛。
まだ何も聞いてもいないというのに、聞く前から嫌な予感しかしないのはなぜなのだろうか。
そして、いよいよ不安を隠しきれなくなってきた綾乃。
「あ、あの……もし迷惑でしたら、すみません」
そう言って控えめに握った手を顎元に持っていき、目を逸らす光里に綾乃は慌てて弁解するのだ。
「め、迷惑なんかじゃ……! 私でよければ何でも話してみて?」
その途端、光里はパァッとまぶしい笑顔を綾乃に振りまいて喜んだ。
「本当ですかっ? よかったぁ!」
——可愛い。
男でなくても、その天真爛漫な笑顔には綾乃ですらキュンッと胸が締め付けられる始末となる。
そして、そんな二人のやり取りを静かに眺めていた咲子が席を立った。
「じゃ、私はそろそろ一足先に仕事に戻ろうかね」
そして、出ていきがてらに綾乃に向かって密かにジェスチャーで「元カノ情報、よろしく!」と釘を刺していくのだった。
そんな咲子の指示もあり、綾乃はコホンと咳払いをしてから改めて光里と向かい合った。
「私なんかと話したがる子なんて、さっきの咲子かあなたぐらいしかいないよ? ほら、私って女ウケ最悪だから!」
それを聞いた光里はまた、またまたとんでもない! と言わんばかりに首を横に振って言った。
「ええ〜? 全然そんなことないですよぉ! 藤崎さんが魅力的だから、きっとみんな嫉妬してるんじゃないですかぁ? 営業部でも一番お綺麗で男性にもすごくモテそうですし」
そして……光里は続けて言った。
「でも……まぁ、私がここに入社してきたからには『一番』でいられるかどうかはわかりませんけどねっ!」
そのあまりにも屈託のない可愛らしい笑顔から出てきた言葉の意味を綾乃が理解するのに、数秒はかかっただろうか。
「(……今、さらっとマウント取られなかった?)」
それはさて置き、綾乃はいよいよ聞き出すことを決意する。
「ねぇ、そういえば……桐矢くんとお知り合いなんだってね! もしかして……前に付き合ってた、とか?」
葵から聞いていたからそれは知っているものの、小さな敵対心が口をついて出てしまったのだ。
しかし、予想に反して光里は驚いたような恥ずかしいような……というふうに顔を赤らめては、パッと両手で頬を隠して答えるのだった。
「ええー? どうしてわかっちゃうんですかぁ?! さすがは藤崎さんっ! そういうのってやっぱ、雰囲気でわかっちゃうもんなんですかねぇ」
そんな大袈裟なリアクションに対し、綾乃は心の中で「葵から聞いたんだっつーの!」……と突っ込むのであった。
そして光里はその火照らせた顔のまま、これまでの経緯を話し始めた。
「偶然ここに入社したら葵くんがいて、私、すっごく嬉しくなっちゃって……! 彼の顔を見ただけで、心臓が飛び出しそうになっちゃったんです」
——嫌な予感はまさに的中。
すべてを察したうえで、さらに綾乃は確認という追い討ちをかける。
「……じゃあ、昨日言ってた『好きな人』っていうのは桐矢くんのこと……なんだね」
「はい。彼ってば、私と付き合ってた美大生の頃よりちょっと大人っぽくなってて……改めて素敵だなってドキドキしちゃったんですよね、私……」
そう言って恥ずかしそうに顔を両手で覆う光里のことを、綾乃は複雑な感情で見つめた。
「(そうだ……この子は私が知らない葵のことをよく知ってるんだ。学生の頃の葵……まだ、私と知り合う前の葵のこと)」
それは、今綾乃がどれだけ追いかけても手に入らない、光里だけのもの。
……途端に、目の前でいじらしく恋心を語る女が少し霞んで見える。
「……なんてっ、未練タラタラでみっともないですよね、私……」
「えっ? そ、そんなことはないと思うよ……? 一人の人を一途に想い続けるのって、素敵なことだと思うし……っ」
謙遜する光里に気遣いながらも、綾乃は二人が別れた原因について考えた。
「(鈴宮さんが未練タラタラってことは……葵の方から別れたってことでいいの?)」
そうして綾乃が頭の中を整理しているうちに、光里はまた次の口を開く。
「葵くんと藤崎さんがすごく仲が良さそうだと思ったので聞きたいんですけど……私たちが付き合ってたことはともかく、別れた理由とかって、葵くんから直接聞いてたりしませんか……?」
悔しいけど、それにはハッキリ答えられない自分がもどかしい。
「ううん、特には何も聞いてないけど……(本人が詮索拒否だもんねっ)」
それを耳にした光里は……
「へぇ、そうなんですかぁ……」
……とつぶやき、その口角を密かに上げるのだった。
そして、落ち着き払った抑揚のない声色で言った。
「……その分じゃ彼も、まだ私のこと完全に吹っ切れてないんですね」
「……え?」
——さっぱり意味が飲み込めない。
ついさっきまで自分自身のことを「未練タラタラ」だと言っていたはずの光里の口から出た情報に、また綾乃の心は揺さぶられてしまったのだ。
「桐矢くんがまだ吹っ切れてないって……どうしてそう思うの?」
平常心を装っているつもりでも、実際に自分がどんな顔をしているのかはわからない。
「実は私、当時は彼の深すぎる愛が重たくなっちゃって……。私がちょっとでも他の男の人と仲良くしてたりすると物凄く嫉妬されちゃったりして、疲れちゃったんです」
「(確かに……葵には嫉妬深いところも、ある)」
なんとなく、そんな光里の話にも共感できてしまうことが……切なかった。
自分に向けるのと同じように、葵は光里に対しても嫉妬心をむき出しにしていたのだ、と。
それほどまでに葵は光里のことが好きだったのだと思うと、キリキリと胸が痛み始めた。
そんな中、光里は綾乃にとってまったく予想外のことを話しだすのだった。
「私だってまだ若いし、将来やりたい仕事だってあったのに……『大学卒業したら結婚して家庭に入って欲しい』って言われて、耐えきれなくて私の方からお別れしたんです」
一瞬、頭の中が真っ白になる。
「(な、な、な、なにぃ?! 結婚……ですってぇ?!)」
またもや机を叩くどころか、叩き割って立ち上がりたい気分に襲われた。
焦りと動揺のあまりもはや言葉が出てこない綾乃の前で、光里はさらに続ける。
「でも、そんな葵くんと別れて数年経った今思うと……私、すごく後悔してるんです。あんなにも私のことを愛してくれる男の人は、この先もう現れないんじゃないかって……だから、他の誰と付き合っても前向きになれなくて……!!」
ドクン、ドクン……と、心臓が不協和音を奏で始める。
「ねぇ藤崎さん、私のこんな気持ち……どうしたらいいと思いますか?」
その鈴を転がすような可愛らしい声が、重低音となって綾乃の耳へと届いた。
それと同時に、葵への怒りが沸々と込み上げてくる。
「(そうか……アイツ、私に別れた理由を話さなかったのはこんな深〜いワケがあったからなのねっ!!)」
そしてその直後には、焦りと不安が襲ってくる。
「(しかしこれはマズイんじゃ……? そんな別れ方した元カノがすぐ近くに現れたわけで……しかも、その元カノは葵に未練タラタラ。ヤバイッ……ヤバすぎるよぉ!!)」
心の中で頭を抱えて膝をつく綾乃の顔を、光里は
「どうか、されました?」
「い、いえ……なんでもないのよっ! でも……ごめんなさい、私にはどうしてやることもできないよ」
「……どうしてですか?」
「桐矢くん本人が今どう思ってるのかなんて私にも……全然わからないから」
それが綾乃にとって、嘘偽りない事実だった。
そして、そんな綾乃とは対照的に光里は満足そうに微笑んだ。
「そうですよね……でも、また何かあったら相談させてもらえませんか? 私、兄弟の中でも一番上に生まれたものですから……今でも頼れるお姉さん的な存在にすごく飢えてるんですよねっ」
「そうなの?」
「はい、だから藤崎さんみたいに優しい方と仲良くなれて、すっごく嬉しいですっ! これからもよろしくお願いしますねっ!」
そう言って人懐っこく微笑む光里のことを、綾乃は最後まで拒絶する気にはなれなかった。
「うん……もちろんだよっ! (まぁ、悪い子ってワケでもなさそうだしね。葵の元カノっていうだけで……)」
——そして、その日の仕事終わり。
会社を出てすぐの夜道をカツカツとヒールの音を鳴らして歩く綾乃の後を、息を切らした葵が追いかけてくる。
「綾乃っ! おい綾乃、待てって!」
一方の綾乃は、振り返りもせずにその歩みを止めるのみ。
「今日は時間合わせて一緒に帰るって約束だっただろ?! そのためにダッシュで仕事片付けてきたのに……っなんで無視すんだよっ!」
そう言って背後で息を整えようとする葵のことを振り返ると、綾乃は怒りを露わにした。
「知らない! 自分自身に問いかけてみればっ?!」
「……また光里ちゃんのこと?」
その一言で、ますます怒りがヒートアップしていく。
それと同時に、ハァーとため息をついた葵が面倒くさそうに頭を掻き始めるのだった。
「あのさぁ、あの子とはもうとっくの昔に別れたし、入社してきたのも偶然だし! 俺が今さらあの子に対して思ってることなんて何もないって話したじゃん!」
それに対して綾乃はここぞとばかりに言ってやる。
「……あの子はそうじゃないみたいだけど?!」
「……はぁ?」
「あんたと別れた理由も聞いたし、あんたに未練タラタラだったんだからっ!」
綾乃の剣幕にたじろぎながらも、葵はしばらく考えてから首をひねった。
「俺に未練って……何かの間違いなんじゃないの? だって、別れた時だって——」
葵の言い分を最後まで聞かないまま、綾乃の猛攻はさらに続く。
「あんたが光里ちゃんのことが好きすぎて、それに光里ちゃんが耐えられなくなったんでしょ?!」
「……彼女がお前にそう言ったの?」
「そうよ! 結婚したいぐらい、あの子のことが好きだったんでしょ?!」
嫌な感情が口から飛び出してしまうのを止めることはできない。
そんな綾乃を目の前にしても、葵はただただ冷静に考え込むばかりだった。
そして……
「どおりで、私に光里ちゃんと別れた理由が話せないはずよね! だって、私よりあの子の方がっ……!」
綾乃がそう言葉に詰まった時、黙っていた葵が口を挟んだ。
「綾乃……なんだか知らないけど、それだけは否定させてもらうわ」
「……え?」
「俺、お前以外の女なんかに興味ないから」
その淡々とした物言いが、綾乃のその先の勢いを奪い去った。
「……元カノが現れたぐらいで何焦ってんの? そんなに俺のこと……信用できない?」
「そ、そんなんじゃない! けど……っ」
また言葉に詰まる綾乃に近づくと、葵はニヤリと笑って言った。
「じゃあ何……? もしかして、また妬いてるだけ?」
そんなふうに意地悪な口調で見下ろしてくるこの男が、憎らしい。
そして、とうとう額に青筋が浮かび上がった綾乃はそっぽを向いて歩き出した。
「……あ! 待てよ、悪かったって! 俺んちで今夜は泊まるって言ってただろ?! まさか帰るなんてっ——」
「なによ、どうせいやらしいこと企んでるだけのくせにっ!!」
「え? だ、だって明日はお互い貴重な休みだし……ねぇ?」
「……この、変態色狂いドスケベ野郎っ!!」
「ちょっ……そこまで言う?!」
プンスカ怒りながらも横目で葵をチラチラ見てはため息をつく綾乃と、ご機嫌取りをしながらも綾乃を弄ることがやめられない葵。
そして、そんな二人のことをまた、建物の影に隠れて睨み続ける女が一人。
「……チッ!」
その女、光里は密かに舌打ちをするのだった——。
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