第12話 飲み会という嫉妬合戦



 ——それから数日後の夜。


 会社近辺の馴染みの居酒屋では、光里の歓迎会という名の飲み会が行われていた。


「それでは、新入社員の鈴宮さんの歓迎と親睦を兼ねまして……乾杯!!」


 ウスラハゲ部長の掛け声で、座敷内に集まった社員たちが一斉にグラス片手に盛り上がった。


 そして、起立した光里が全員の前で軽くスピーチを始める。


「あ、あの……私のためにこんなに素敵な歓迎会まで開いていただいて、本当にありがとうございます……っ! ふつつか者ですが皆さん、これからもどうぞよろしくお願いしますねっ!」


 相変わらずフワフワしたその可愛らしさに、男性社員たちは揃いも揃って鼻の下を伸ばす始末。


「いいねいいねー!」

「可愛いよ光里ちゃーん!!」


 そんな調子づいた雰囲気の中、綾乃は心中複雑なままただ、うなだれているのだった。

 そんな時、経理部の代表として参加した咲子がビールジョッキを片手に擦り寄ってきた。


「ちょっと綾乃ー、あんた何腐ってンのぉ?」


「だって……彼女のことは職場の先輩としては歓迎してるんだけど……っ」


 そうつぶやく綾乃を、咲子はまた慰めにかかる。


「わかってるってぇ。ほら、そんなあんたのためにこの私が残業断って来てやったんだから、今は何も考えずにとりあえず飲めっ!」


 そう言ってテーブルにビールジョッキを置く咲子だが、当の綾乃はビールの泡立ちをただ見つめるのみ。


「咲子っ……あんたがいなかったら私、平常心保ててなかったかも……」


「だろうね」


「『葵の彼女は私でーす!』……って、堂々と言えたら楽なんだろうなぁ」


 そうぼやきながら離れた席に座る葵の方に目をやるが、それに気づいた葵はふっと視線をはずすのだった。


「まぁまぁ、話は私が聞いてあげるからとにかく飲んで忘れろっ」


「ありがと、咲子……。でも私、こんな沈んだ気持ちでお酒なんて……」


 ふと、葵の元へと近づく人影を綾乃の目は敏感に察知した。


「葵くん」


 後ろから葵に声をかけるのは、元カノの光里だ。


「……何?」


「隣……座ってもいいかな……?」


 控えめかつ可愛らしく尋ねる光里のことを邪険にもできない葵は、綾乃の方をチラ見して気まずそうに目を泳がせながら答えた。


「……い、いいけど」


「本当っ? 嬉しい!」


 そんな二人のやり取りを直視していた綾乃は目つきを変え、隣席の咲子に言った。


「……咲子、そのビールよこしなっ!」


「……へ?」


 そして咲子からビールをふんだくった綾乃は、喉を鳴らして一気にそれを飲み干すのだ。


「ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ……プッハァーーーッ!! ……ゲフゥ!」


 それをそばで驚愕の眼差しで見つめる咲子。


「い、一気飲み……しかもゲップ付き……」


 しかし、ビールを一杯たいらげたところで目の前の惨劇が止まることはない。


「葵くん、サラダ食べる? 私、取ってあげるねっ!」


「え? いいよ、俺は別に……」


「ほら、遠慮しないで? たくさんあるんだから!」


「あ……そう? じゃ、じゃあ……もらうよ」


 いわゆる「取り分け女子」の光里は戸惑って返事に困る葵を無視して、ズイズイと距離を縮めていく。

 そんな二人をすでにわった目で見つめる綾乃は、割って入るかのような大きな声を上げるのだった。


「店員さーん、ビールピッチャーでよろしくー!!」


 そんな暴挙に、さすがの咲子も止めに入るはめとなった。


「ちょ、ちょっと綾乃っ! さすがに飲み過ぎなんじゃないの?!」


「いーの! あんなモン見せつけられちゃ、飲まずにいられるかってのっ!」


「……あとで気持ち悪くなっても知らないからねーっ?!」


 ぐいぐいビールを流し込みながら、綾乃はモヤモヤとした思いを頭の中で巡らせていた。


「……ねぇ、咲子」


「んー?」


「あの二人って、何回ぐらいエッチしたんだろうねー」


 まさかそう来るとは思わなかった咲子は、「ブフォッ!」と口をつけたグラスの中身を思わず吹き出しそうになってしまうのだった。


「な、何言い出すのかと思えば……っ、あんた、そんなことが気になるのぉ?」


「だ、だって……っ」


 葵とはまだほんの一度しか体を重ねたことがないうえ、その行為自体が照れ臭くて恥ずかしくて、どうしても積極的になれないことへの負い目がある自分。

 そんな自分とは対照的に、今目の前で葵に対して積極的に行動する光里と自分自身をどうしても比べてしまうのだ。


 そんな綾乃を見兼ねたのか、隣の咲子からは小さなため息が漏れる。


「……そんなのはね、回数の問題じゃないのっ。大事なのは中身の質なんだから!」


「中身って?」


「……あんたと桐矢くんのエッチの充実度に決まってるでしょー? どうせ口に出して言えないような、しまくってるくせにぃ」


 ——ギクゥッ! と冷や汗が滲んだ。


 しかし、その持ち前の意地っ張りで見栄っ張りな性格がたとえ親友といえど、簡単に弱味など見せるはずがなかったのだ。


「ふっふっふ……当たり前じゃないのっ。私と葵の関係はね、もはやもう男女のちぎりの域を超えてるんだから……!」


 無駄に鼻息荒めの綾乃に、咲子がますます興味津々に身を乗り出してきてしまった。


「た、たとえば……どんな?」


「そ、そうねぇ……私たちの場合は、◯◯◯ピーー◯◯◯ピーーするとかっ」


「ま、マジで……?!」


「ついでに◯◯◯ピーー◯◯◯ピーーして、◯◯◯ピーーになっちゃうくらい◯◯◯ピーーしまくっちゃうんだからっ!」


「すご、超アクロバティック……!!」


 ……見栄ほど怖いものはない。

 一時的にコンプレックスを克服できたような気になっても、その直後に襲ってくる虚しさといえば相当なものなのだから。


「(……なーんて堂々と言えるぐらい、私だって葵ともっと深い関係になりたい……けど……)」


 そんな綾乃の耳元に、光里に話しかける男性社員たちの声が入ってきた。


「光里ちゃーん、桐矢にだけズルいなー!」

「俺たちにも取り分けてよー」


 ピクッと顔を上げてそちらを確認。


「(おっ、いいぞいいぞ! ぶち壊せっ! 邪魔してしまえーーっ!!)」


 そんな期待をしてみたものの、一方で思わぬ邪魔が入った光里は……「チッ」と、人知れず舌打ちを打つのだった。


「(今あの子……舌打ちしなかった?)」


 一瞬顔つきが変わったかのように見えた光里だが、何事もなかったかのようにニコッと微笑んではいつものように男性社員たちに愛想を振り撒き始めた。


「やだ、私ったら気が利かなくってごめんなさーい! ……はいっ、皆さんの分も入れておきますからね!」


 そして、そんなあざとい演技にことごとく男たちは騙され、デレデレとアホづらをさらけ出して浮かれているのだからチョロいことこの上ない。

 そう、葵一人を除いては。

 しかし、そんな葵にも次の刺客たちが放たれる。


「あっ、ねぇ桐矢くん……私もお隣いいかな? わ、私、前からずっと桐矢くんと話したいと思ってたんだぁ」


「……え」


 光里が少し離れた一瞬の隙に、女子社員が葵の隣へと滑り込む。


 そして、ついには……


「それなら私もー」

「ええ?! 私もだしぃ!」

「私も私もー!」


 女子社員という女子社員がこぞって葵の元へ集結するという事態に陥るのだった。

 そして、そのど真ん中で冷や汗状態のまま動けない葵。


「……あー、腹減ったしなんか食ーべよっと!」


 そう言って逃げるようにメニュー表を開く葵の姿を遠目から見つめることしかできない綾乃。


「(なにあれ……気づけば私と咲子以外の女子ほとんどが葵のこと囲んでるし……ハーレムかよっ)」


 これではいちいち真剣に嫉妬などしていられない。

 とうとうその馬鹿らしさにホッとしたのも束の間、黙って見ていた光里が鶴の一声を発する。


「あっ、鳥のつくねがあるよ! 葵くん、昔から鳥のつくねが大好きで学生時代はよく一緒に焼き鳥屋さんに行ったよねっ!」


 ——綾乃と葵を含めた座敷内が、しん……と静まり返った瞬間だった。


「え、なに……どういうこと? 今の」

「学生時代って……鈴宮さん、最近入ってきたばかりなのに」

「しかも『二人で』って、意味深……」


 ……というふうにポツポツと疑問の声が上がってきた頃、光里はハッとして恥じらいながらその口を手で押さえるのだ。


「あっ……私ってば、うっかり口が……! ごめんねっ? 葵くん!」


 可愛らしく両手を合わせる光里のことを呆然と見ている葵の元へ、今度はそれを聞いていたウスラハゲ部長までもが近づいてきた。


「鈴宮さん、キミ……桐矢くんと付き合ってるのかい?!」


 まさかの展開にさすがの綾乃と葵の二人とも、顔面蒼白となる。


「おいおい桐矢くん、こんなに可愛い彼女がいたならどうして言ってくれないんだよー! ハッハッハ!!」


 そう言って豪快に笑う部長をキッカケに、男どもからは次々にヤジが飛び出し始めた。


「そーだそーだ! ちょっとイケメンだからって気取ってんじゃねぇよ!」

「くそぅ、イケメンが憎たらしい……!」


 その様子をご満悦そうに眺めては口元が緩む光里。


「……はぁっ?! ちょ、ちょっと待って——」


 と、葵が弁解を試みようとした瞬間に、フワフワと笑う光里がそれを遮った。


「うふふ、誤解ですよぉ皆さん! 私は葵くんの、『元彼女』なだけですからっ」


 場の流れとはいえ、堂々とその事実をバラされてしまった葵は「めんどくさ……」とだけつぶやいてうなだれるのだった。

 もはや、光里が意図した結果……ともいえるだろう。


 そして、周りが衝撃を受けている中で光里は更に、平気な顔で宣言してみせる。


「あ、でもぉ……もしかしたら、元サヤになっちゃう可能性はあるかもしれませんけどね!」


 ——これを宣戦布告と受け取らないでどうするというのだろうか。

 葵と綾乃の関係を公表していないとはいえ、堂々とそう言い放った光里とぶつかり合った視線には、明らかに綾乃に向けた見えないメッセージが込められているのだから。


「(も、元サヤだとぉぉお?! 何言ってんのっ! 葵にはこの私がいるってのに!!)」


 輪の外から様子を伺っていただけの綾乃だったが、光里のその言葉でいよいよ事態の深刻さを思い知ることとなってしまった。


 一方、葵はというと……


「(さすがにこの状況はマズイな……綾乃アイツには俺たちのこと、口止めしたままだし)」


 咲子から背中をさすられている放心状態の綾乃を見つめ、葵はそれとなくコソッと光里に話しかけた。


「いや、あのさ、光里……俺って実は——」


 「彼女いるんだよね」と伝えようとしたその時。


 綾乃の方へとフラつきながら向かう男を目の端で捉えた葵の関心は、物凄い勢いでそちらに切り替わる。

 それもそのはず、その男というのが……


「やぁ、綾乃ちゃん!」


「……あら、あなたは確か、元キープくん(※仮名)じゃないの」


 見ての通り、綾乃が以前まで散々手玉に取っていた「キープくん」のうちの一人だったからだ。そして、そんな元キープくんと綾乃の方を凝視する葵の横顔を見つめる光里。

 元キープくんは綾乃の隣に腰を据えると、馴れ馴れしく絡み始めた。


「最近連絡くれないから寂しいなー! もしかして、彼氏でもできたのかい?」


 そう尋ねられた綾乃は、一瞬チラッと葵を一目見て……


「さぁ〜? どうなのかしらねぇ〜? 私にもサーッパリわからないわぁ!」


 ……と、わざとらしく葵へと当てつけるのであった。

 当然口元を引きつらせた葵は、あからさまにイライラし始める。

 そして、そんな葵の横顔に光里は問いかけるのだ。


「葵くん……どうしたの?」


「……別にっ!」


 ぶっきらぼうに答える葵に光里は少し驚いたように、俯いた。

 今の葵には、綾乃と元キープくんの姿しか目には入っていない。それを隣で見つめる光里にも、その意味はひしひしと伝わってきたのだ。

 しかし、そんな外部からの無言の圧力に気づくわけもない元キープくんの言動はエスカレートするばかり。


「なんだ、彼氏いないんだったら俺とまたデートしようよ綾乃ちゃあん」


「元キープくん……あなた、酔ってるわよね」


 より一層イライラが募る葵。

 そして、酩酊めいてい状態の元キープくんはますます図に乗って、酒に酔っているのをいいことに綾乃の肩に手を回した。


 その時だった。


「……おい、そこの元キープ野郎!! 馴れ馴れしく触んじゃねえっ!!」


 突如として席を立ち、怒鳴り声を張り上げた葵に周囲は驚き、再び沈黙の時が訪れた……。

 それは綾乃と光里も同じく、まるで「信じられないものを見た」とでもいうふうに。


 青筋立った葵は脇目も降らず、あろうことかズカズカと綾乃の元へ向かった。


 そして、目を丸くした元キープくんを押しのけて綾乃の頭の上に手を置くと、元キープくんを見下ろしながらついに堂々と言い放つのだ。


「コイツ、俺のだから。」


 静まり返る座敷内。

 ポカンと開いた口が閉まらない綾乃。

 眉をひそめて見つめる光里。

 なぜか密かにガッツポーズをきめる咲子。


 交差する想いは、まだまだ始まったばかりだ——。

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