ヴィルヘルミナ・ルール
◆
グレイ・ウィーバーズとの初戦を下したあとの《
とはいえ、これは誰もが予想していた結果でもある。だって、本戦出場候補の本命とその対抗馬の二校が初戦でやりあったのだ。それからあとの試合は消化試合だと見なされていたし、実際にそうだった。
話は逸れるけれど、
通称〝六十秒ルール〟だ。
またの名を、悪名高き〝ヴィルヘルミナ・ルール〟。鉄棺の魔女が二年生のときに大暴れしたことを起因に大改訂された規定の一つだ。
ナコト先輩のミドル・ネームで揶揄されるそのルールは、表向きのお題目こそ「競技としての安全性を確保するため」だとされていたけれど、実際のところは、ナコト先輩の存在する競技滑翔を何とか競技として成り立たせるためにひり出された苦肉の策だった。
この改訂には賛否両論あったけれど、結果としてある程度の成果を上げたと言える。
誰であれ、ナコト・ヴィルヘルミナ・フォン・ユンツトが支配する空を、最低でも六十一秒の間は飛んでいられるわけだから。
『【
ナコト先輩があくびを噛み殺しながら撃発した魔法の〝矢〟は、一条の光の彗星となってグラーキ塩湖の上空を縦断する。
〝矢〟というには埒外に過ぎる
「うわ、本当に当たった」
『まずは、一箒。それよりもニナ、足首は大丈夫?』
発射の余波、爆轟に髪をなびかせて、ナコト先輩は万華鏡の目でこちらを見やる。
彼女の瞳の色は、まばたきのたびに長い睫毛の奥できらきらと色が変わる。
ルビーの赤がアズライトの青に。ペリドットの緑が琥珀の金に。目を閉じ開く度に現れる宝石の数々は、どれとして二度と同じものが現れる事は無い。
「大丈夫です。二回転目は、だいぶ勢いも落ちてましたから」
《翅翼》との闘いで足首をひねってしまったわたしは、残りの試合を戦場の後方、ナコト先輩の隣に控えてふわふわ浮いていた。
『それは何より』
ナコト先輩はにこりと微笑んで、〝矢〟の呪文を再び撃発する。
戦列艦の砲撃みたいな馬鹿げた規模の魔弾が遥か遠くの魔女に直撃し、二箒目の箒が木っ端みたいにくるくる回りながら墜落してゆく。
それこそがナコト先輩の競技滑翔選手としての真骨頂だ。
自身が敵に発見される前に敵の存在を把握し、敵の視界外から極々長射程の魔弾による超精密狙撃をお見舞いする。
桁外れの理力量と、それを精密に操る狙撃精度。誰よりも早く敵の存在を察知することのできる目の良さ。それらすべてを兼ね備えるナコト先輩にしか成し得ない戦術だ。
そして、この半ばいんちきめいた戦術こそ、〝六十秒ルール〟が成立した経緯そのものでもある。
仮にこの〝六十秒ルール〟が無かった場合、離陸の直後――地面から足が離れたその瞬間――に、視界外から巨大な魔法の〝矢〟がすっ飛んでくるわけだ。
気の抜けた離陸をしようものならそのまま即座に撃墜。飛行時間一秒のうちにその選手の《大釜》は終わりを告げる。
とはいえ、完全に対処法がないわけではない。
例えば、いち早く上昇し、雲や遮蔽物に隠れて飛ぶとか、襲い来る暴虐の〝矢〟に耐えうる強固な防御術理を構築する、といった対応策もあるにはある。
そういった対応を取ることのできる――クリス先輩の言葉を借りれば、気合いの入った――魔女たちは、射程差による鉄棺の魔女の
わけなのだが――、
『残りの一箒は、あたしがやる』
『どうぞご自由に』
これだ。
《
二つ結びのピンク・ブロンドをはためかせ、縦横無尽に空を絶つ、暗銀の魔女。
小さなクリス先輩の体躯に不釣り合いな長大で頑丈な長箒――《デイジー・カッター》は、最高速度と高高度運用性能において《ヘルター・スケルター》をすら超える性能を叩き出す。
その箒体特性を生かした猛禽の狩りのような
高高度から急降下で接近し、魔法の〝矢〟を浴びせかける。急降下によって得た速度でそのまま敵箒の射程圏外まで一気に離脱、上昇し、再度突入する。
往復する
普段の男の子みたいに乱暴な口調や振る舞いとは裏腹に、暗銀の魔女は丁寧に徹底的に誠意を持って一切の妥協なく敵を撃墜する。
「ぎゃ、虐殺だ……」
思わず出た言葉だったけれど、今になって思えばこれは正確な表現ではなかった。
なめくじの神さまが眠る〝グラーキ塩湖〟はさながら家畜の屠殺場の様相を呈していて、当初予定されていた試合時間は大幅に切り上げられることになった。
表彰式の異様な気まずさの中、昼休憩にと持ってきたお弁当をどこで食べればいいのか、わたしはずっとそれだけを考えることに集中していた。
◆
結論から言えば、お弁当はアリソンと一緒に帰りの列車の中で食べた。
アリソン・セラエノ・シュリュズベリー。
彼女はわたしの同級生で、数少ない友達のひとりだ。彼女はとても優れた魔女のたまごで、なんでもそつなくこなす優等生だった。
空みたいに青い瞳と、はちみつ色の清潔でまっすぐな髪の毛を持った女の子で、その日の気分によって髪型がころころと変わるその金の髪からは、いつもシナモンの香りがしていた。
「改めて本選進出おめでとう、ニナ」
アリソンは鹿肉のローストとカイワレ大根のサンドイッチを食べたあと、指先のブラウン・ソースをハンカチでぬぐって言った。
「ひとりで三箒もやっつけちゃうなんて。わたし、すっごく大きな声で叫んじゃった」
軌道を走る
わたしたち二人は対面座席のひとつに向かい合って座っていて、左手の窓からは自分たちが先ほどまでいたグラーキの湖が一望できた。
緑色の巨大湖は、ついさっきまでの戦いが嘘のように静かに凪いでいた。
「……うん、ありがとう。アリソン」
わたしはザリガニとゆで玉子のサンドを飲み込んで、アリソンに答える。
「ニナ、ほっぺにソース付いてる」
ハンカチでわたしの頬を拭いて、アリソンは言う。
「はい、綺麗になった。……でも、どうしたの? なんだか浮かない顔。あんまり嬉しくない?」
「嬉しくないわけじゃない、けど」
「けど?」
怪訝な顔をするアリソンに、わたしは答える。
「いいのかなって」
気がかりだったのは、鳳蝶の魔女、エリス・アンドレア・ブロッグスのことだった。
顔を合わせたのは試合会場が初めてで、言葉を交わしたのも戦いの中でのみ。
けれど、はっきりとわかったことはあった。
彼女は彼女のこれまでのキャリアのすべてをあの予選に懸けていて、その一縷の望みを絶ったのはわたしだった。
なにものでもない、空に懸けるもののない、わたしだった。
わたしが代表選手として飛ぶことについて、正直なところ夢や大義はひとつもなかった。わたしはただただナコト先輩に憧れていて、彼女のそばで飛んでいたいだけだった。
進級のための実技の単位が危うい、という実際的な動機もあるにはあったけれど、突き詰めて言えば《柩》のナコトを近くで見ていたいという気持ちだけがわたしの持ち物だった。
だから、自らと仲間の希望を賭して飛び、わたしが堕とした《翅翼》の魔女に、なんだか罪悪感というか後ろめたさのようなものを感じていたのだ。
アリソンは「ふむ」と小さくうなる。
「じゃあ、ニナが負けていればよかった?」
「そういうわけじゃ、ないけど」
「けど?」とアリソンは言う。
「……そういうわけじゃないなら、いいじゃない。だって勝負なんだから。ニナは勝負に勝った、エリスさんは負けた。それだけのことよ。グレイ・ウィーバーズ校が今回の試合に賭けていたとして、じゃあそれに勝ったら何かを踏みにじったことになるの? それってフェアじゃあない気がするわ。賭けなら負けもあって当然だもの」
それからアリソンは肩をひとつすくめると、自分のかばんをごそごそとやり始める。
「それに、わたしが負けた側なら、勝ったほうには胸を張ってて欲しいと思うけどな」
アリソンという女の子は、いつもこうだった。いつだってわたしを勇気づけ、励ましてくれる。わたしはわたしのかけがえのない友人に感謝して、彼女の言葉にうなずく。
「……そっか、それも、そうだよね」
「きっとそうだよ。勝負って、そういうもの。……だから、気を取り直して、ひと勝負しない?」
かばんから取り出した
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