ストリング・バッグ(1)
街の中心にある時計台広場は住民たちの憩いの場であり、あらゆる種類の人びとの待ち合わせ場所だった。
巨大な時計塔の足下には丸盆のような空間が広がっていて、そこかしこに花壇や
そこでは親子連れや恋人たち、仲睦まじい老夫婦なんかが思い思いの時間を過ごしていた。ベンチに腰掛けて風景を眺めたり、広場をぐるりと取り囲むように肩を寄せ合う出店屋台で氷菓を買ってみたり。
色とりどりのにぎわいは、街そのものの縮図のように見えた。
雑踏の中から、わたしはアリソンを探す。わたしにとって彼女を探すことは難しいことではなかった。
広場にいる人びとの中で、もっとも綺麗だと思う金色の髪の毛を探し当てれば良いだけだからだ。
蜂蜜のように奥行きがあり、収穫直前の小麦のように光り輝く金色の髪――少なくともわたしにとって、最も価値のある黄金を。
だから、アリソンの姿はすぐに見つかった。
広場の中心、アリソンは時計塔の壁に背中を預けて、両手で小さなバッグを持っていた。袖のない上品で大人っぽい薄桃色のワンピースに身を包んで、腰のあたりを細い黒革のベルトで絞っていた。さらさらの髪の毛は心なしかいつもよりゴージャスに頭の後ろの方で巻き上げられていて、小さな鈴のついた髪留めで留められていた。
口元には薄く紅がひいてあって、彼女の持つ雰囲気をいつもよりも少しだけ大人っぽく見せていた。
どこか所在なさげにきょろきょろとあたりを見回すアリソンに、わたしは小走りで駆け寄って声をかける。
「アリソン」
時計塔の大きな時計盤が示す時間は、待ち合わせの十分前だった。
アリソンはわたしの姿に気がつくと、小さく手をあげ、そして一瞬だけ微笑んで、真顔になった。紅がひかれた唇がきゅっと真一文字に引き結ばれ、青い瞳の温度が下がった。
「ニナ」とアリソンが答える。
「いい天気ね」
わたしの名前を呼ぶ声も、どこか弱々しく、何かしら人工的な匂いが漂っていた。
どこがいけないというのでもないけれど、すんなりとは飲み込めない。少なくとも、わたしはいつものアリソンではないと感じた。
「どうしたの? 何かあった?」
わたしはアリソンにたずねる。
何か嫌なことでもあったのだろうか? それとも、具合でも悪いのだろうか?
もしそうであれば、わたしはアリソンの力になりたいと思った。
「別に、何も無いわよ?」と、アリソンは前髪を触る。
諦観が八割に、とげが二割のよそよそしい声。前髪を触るのは、何か不安ごとや嫌なことがあったときのアリソンの癖だった。
「ねえ、言って。友達でしょう?」とわたしは言った。
それからわたしはアリソンの目をじっと見つめ、アリソンの抱える悩みが払拭されるまでてこでも動かないぞ、と思った。
アリソンは前髪を触るのをやめて、わたしの目をじっと見つめ返した。
それから一度口を開きかけて、閉じる。
細く長いため息を吐いてから、出来ればこんなことは言いたくない、というような調子でかぶりを振った。
「……その服」
「え?」
「ニナの、今日のその格好よ」アリソンは言う。
「それにちょっとがっかりしただけ」
盲点だった。
確かにおしゃれな格好ではなかったけれど、まさかアリソンの健康を害するほどだとは、つゆほども思っていなかったからだ。
わたしは自分の服装を改めて確認する。オーバーオールに、お下がりのシャツ。御者のおじいさんの言葉が脳裏に蘇る。
――今どきの子たちの間じゃ、そういう掃除夫みたいな格好が流行ってるのかい?
もしかしてアリソンは掃除夫が嫌いなのだろうか? 少しのあいだ考えてから、わたしは普遍的な事実を控えめに述べた。
「……掃除夫も大事な仕事だよ?」
仮にえんとつ掃除人がひとり残らず絶滅してしまえば、詰まったすすで世の中の人びとはみんな真っ黒になってしまうからだ。
「そういうことじゃなくて」とアリソンはため息をつく。
「でも、これがいちばんましなんだよ」とわたしは言った。
「背伸びしてお洒落をしてみても、ろくなことにならないから」
「知ってるわよ、それも友達から聞いたから。とんでもない水玉柄のワンピースでしょう? でも、そういうことでもないのよ」
騎士の国と長いあいだ海を挟んで戦争を続けてきたク・リトル・リトルの魔女たちは、とにかく情報というものを重んじる。
強大な軍事力を持つ彼らに対して、情報を収集し、虚を突き、裏をかき、策を練ることで我が国は滅亡を免れてきたのだ。
だからク・リトル・リトルの国民――とくに女の子、とりわけ魔女たちは――情報の共有という点において、並々ならぬ力を発揮する。
同級生の私服のセンスがとてもひどいということを知るくらいは朝飯前なのだ。
アリソンは、続ける。
「……気持ちの問題よ。ニナの洋服のセンスが、その、なんというか――不自由なのは仕方の無いことかもしれないけれど」
「センスが、不自由」とわたしは繰り返す。
アリソンの気遣いによってもたらされたちぐはぐな婉曲表現は、直裁的な表現よりも痛烈だった。
迂遠さが逆に遠心力を生み出し、わたしの頭蓋骨をめちゃくちゃに粉砕する。
「……センスが、不自由」
アリソンは一瞬だけ「しまった」という顔をして、小さく咳払いをしてから言葉を続ける。
「……仕方の無いことかもしれないけれど、でもそれは、頑張っておめかしした結果でしょう? ナコト先輩の時は頑張ったのに、わたしの時はこれでいいやって、そういうのはすごく嫌だし、傷つくの」
アリソンの言い分は、至極まっとうだった。
とはいえ――これは言い訳になるけれど――、わたしはアリソンを軽んじていたわけでは決してない。わたしはわたしの学びの結果としてラフな格好を選んだだけなのだ。そこに後ろめたい気持ちはひとつもなかった。
けれどでも、わたしはきっと自分自身でも気付かない心の奥底で、アリソンならわたしの格好がどんなにすっとんきょうでも馬鹿にしたりせず、にっこりと笑って許してくれるだろうと思っていたのかもしれない。
それが結果として彼女を傷つけ、損なってしまったことは事実で、なんだかひどく申し訳ない気持ちになった。
「ニナはニナのままでいい。それはその通りだと思うわ。わたしもそうであってほしい。でも……例えば、わたしたちが大人になって、どちらかの誕生日なんかに『ちょっといいレストランで食事しましょうよ』ってなったとして、わたしは掃除夫の格好をしたニナを連れてご飯を食べに行くの? 『ニナはこれでいいから』って? そんなのってすごく……そう、すごくみじめな気分だわ」
アリソンは肩をすくめる。
間違ったことはなにひとつ言っていないのに、なんだかとても申し訳なさそうな顔をしていた。本当は渡りたくもない狭くて危なっかしい一本橋を、おっかなびっくりどうか渡りきれますようにと願いながら渡るような、そういう顔に見えた。
わたしはうつむき拳を握る。
油断すると涙が出そうだった。
「ごめんなさい、ちょっときつく言い過ぎたかも」とアリソンは言う。
でも、そうじゃないのだ。
「そうじゃなくて、アリソンが、大人になっても友達だって思ってくれてることが、嬉しくて」
アリソンはわたしに怒りながらも、友達をやめるなどとはひとかけらも思っていないのだ。そのことが嬉しくて、あふれ出そうになる感激を押し殺すために言葉がつっかえてしまう。
「だから、もしよかったら、アリソンの買い物のついでに、わたしの服も選んでくれないかな?」
上目遣いにアリソンを見上げると、腕を組み難しい顔をしている。彼女は首をひねり、下唇を噛んで、それから「……ちょっと高いお店でも入れるような?」と言った。
「そう」とわたしは答える。
「水玉じゃないやつを」
「……掃除夫でもないやつを?」
難しい顔のまま、アリソンが言う。
「そう」と、わたしは頷く。
「センスが不自由なわたしのために」
アリソンは黙って考え込むそぶりを見せる。相変わらず難しい顔のままだったけれど、それはどちらかというと笑いをこらえるための表情だった。引き結んだ唇が、小さく震えているのがわかった。
アリソンは「……うーん」と、芝居がかった調子で首をひねる。
「〝イエス〟って言ってよ」
「〝オーケー〟なら」
観念した、という風に肩をすくめて、アリソンが言う。口元にはいつもの柔らかな微笑みが戻っていた。
「じゃあ、まずはニナの洋服選びね。ミッドタウンにいいブティックがあるわ」
「うん。でも、アリソンも何か買いたいものがあるんじゃ? そっちを先にしても――」
「大丈夫、いま絶対に必要なものって、特にないから」
アリソンの返答に、わたしは首をかしげる。
「じゃあ、そもそもどうして買い物に?」
今度はアリソンがわたしの質問に首をかしげる番だった。
「……女の子が買い物に出るのに、何か特段の理由って必要なの?」
アリソンの言い分は、いつだって至極まっとうだった。
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