《幽鏡》のドロレス(2)
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魔法の銀を鋳溶かして作った指輪に呪文を彫り込んで、呪詛インクを流し込み、魔女が理力を込める。理力を持たない只人でも〝矢〟が撃てるように作られた古い魔道具の一種で、火薬で鉛玉を打ち出す鉄砲が歴史に登場する前までは、まあまあ盛んに作られていたらしい。
当初旅人や商人の護身具として作られたそれは、思惑から大きく外れてちんぴらが持つ隠し武器として流行し、そして廃れた。一度撃てば壊れてしまう使い捨ての道具の割に、ある種工芸品のようなものなので製造には手間が掛かる。
自然と値段はかなり張り、作られる量も限られているときては、つまらない喧嘩においそれとは使えない。賭け台をひっくり返すために魔法の矢をぶっ放せば、掛け金よりも多くのお金が消えてしまうことに気づいたちんぴら諸氏は、結局懐に短剣を忍ばせることにしたらしい。
もちろん、鉄砲が発明されてからは更に無用の長物となった。
要するに〝矢の指輪〟というものは、いろいろと中途半端なのだ。「只人が魔法の矢を射ることの出来る指輪」というアイディアは画期的だったけれど、そういったものが必要とされる状況があまりにも限定的すぎた。
まともな思考回路の人であれば、指輪を買うお金を使って本物の弓矢を五人分揃えるからだ。必然的に、まともでない思考回路を持つ人間か、まともでない用途に使おうとする人間に売りつけるしかなく、前者は魔女で、後者はちんぴらだったという話だ。
そして前者は――ほとんどの場合――指輪なんてなくても矢を撃てる。
「これ、自分で彫ったの? 痛くなかった? どうして肌に直接?」
わたしの両手の指をまじまじと眺めて、ドロレス・ホワイトは言った。
「撃つと爪の色は抜けるのね? じゃあ全部で十発? ていうかこんな古い術理、どこで見つけてきたの? ニナちゃんて実は魔術おたく?」
飼い猫の肉球で遊ぶみたいに無遠慮に人の手をまさぐりながら、好奇心むき出しのドロレスは、怒濤の勢いで質問を投げかけてくる。そのすべてに一気に返答するのは難しく、わたしはとりあえず理解が出来なかった単語について質問してみる。
「〝
「えっとね、『特定分野の事柄に対して高度に専門的な知識を持つ人』……かな?」
「そ、そんな大それたものじゃないです」
「なにそれ超ウケるんですけど」
「〝
ドロレスはしばしば、こういった言葉遣いをした。王都の女学生の間で使われる若者言葉だ。
彼女は生まれも育ちもアーカム街の筋金が入った都会人で、立ち振る舞いの端々に洗練された雰囲気をまとっていた。ずけずけと物を言う割には嫌味も無く、とにかく聞き上手で妙に話しやすい。彼女からは他の忌み名持ちにありがちな、独特の過剰さのようなものが感じられなかったのも大きいかもしれない。
名を拝領したのがつい最近のことだから、威厳のようなものが足りないのではないか、というのが彼女の自己評価だったけれど、多分それは本質からずれた分析だ。
思うに、彼女は忌み名の通りの「鏡」なのだ。こちらが手を伸ばせばあちらも手を差し出す。その逆も然りで、こちらが引き下がれば同じ分だけ引き下がった。
それを意識してやっているのか、はたまた無意識なのかは知る由もないけれど、どちらにせよある種の才能と言っていい。
気づけば、他校の代表箒手ということを忘れて、ずいぶんと話し込んでしまった。
「なるほどねえ。そのアリソンちゃんって子が見つけてきたんだ。ちょっとすごいね、その子」
「そうなんですよ」とわたしは答える。「彼女はおたくです」
呪爪の付与呪術の大元――つまり、〝矢の指輪〟の術理は、アリソンが学院の図書室から掘り起こして来てくれた。相変わらず箒動中の詠唱が苦手なわたしを見かねてのことだ。
昔ながらの
とはいえまあ、座って鍋をかき混ぜる類いの魔術は、どちらかと言えば得意分野だった。
「お金が無いから皮膚に直接彫っちゃおう、って考えはかなりぶっ飛んでるけど」
それを考えついたのはわたしだということは伏せておいた。曖昧に笑ってごまかす。
とはいえ、それはそれで立派な利点だ。刻印を彫り込んだ指は、指輪のように一度で壊れることはなく、放っておけば一晩程度で理力が充填される。
撃つたびドアに挟まれた時のような強烈な痛みが走ることが玉に瑕ではあるけれど、それは慣れればいいだけで、大した欠点でもない。実際に、その頃にはもう慣れていた。
ちなみに杖腕のほうが若干痛みが少ない。そちらはアリソンに彫ってもらったぶん、自分で彫った左手よりも、刻印のかたちが整っているからだ。
「まあ、でも。確かに理には適ってる。撃てる回数に限りはあるけど、戦闘箒動中の演算リソースが丸々浮くわけだから」
ドロレスは腕を組み、納得したようにしきりにうなずく。それから首をかしげて、まったく悪気の無い調子で言った。
「でも、良かったの? アタシ
「あっ」
しまったと思った。ドロレスの態度があまりにも気さくすぎて、言う必要のないことをかなり喋っていた。
調子に乗ってぺらぺらと喋ってしまったわたしもうかつだったけれど、聞きたいことを聞くだけ聞いてからそういうことを言うドロレスも人が悪い。恐るべきは《幽鏡》の聞き上手で、けれどわたしは、わたしのこの秘密兵器の話を、きっと誰かに話したかったのだ。
ナコト先輩やクリス先輩は持っている側の人間で、こういった持たざる者の小手先の努力を理解こそすれ、共感なんてしない。水平線の彼方の敵を撃ち堕とせる人間に、日に十発だけ撃てる魔法の矢を評価しろという方が無理な相談だ。
だから多分、ただ頷いて聞いてくれるドロレスに、話を聞いて欲しくなってしまったのだ。
問題は、ドロレスが不倶戴天の敵、王立学院の白い魔女のひとりだということだけで。
「しょうがないなあ」
頭を抱えてうずくまるわたしを、けらけら笑って見下ろしながら、ドロレスは言った。
「じゃあさ、ニナちゃんも代わりに何か質問してみなよ。お姉さんが正直に答えてあげるからさ」
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