《翅翼》のエリス(2)

『グレイ・ウィーバーズの相手が、二年生……ただの、一箒ですって……?』


翅翼しよく》のエリスは、きれいに巻かれた金髪を振り乱して怒り狂う。


『――あのくそったれのナコト・ヴィルヘルミナ・フォン・ユンツト! わたくしたちを新人箒手ルーキーの噛ませ犬にするつもりですわ! 交戦開始エンゲージ交戦開始エンゲージ! 連携して袋叩きにしますわよ!』


 グレイ・ウィーバーズの二が高度を上げながら、互い違いの急旋回で蛇行する。

 開閉する裁ちばさみのように、幾度も交錯する飛行軌跡。敵の狙いを分散させ、お互いの背中を守り合うための空中連携箒動きどうだ。

 寸分の狂いもない、はさみの両刃。どちらか一方の背中を取れば、即座にもう一方の刃がこちらの背中を切りつけるだろう。


『……馬鹿にして、馬鹿にして、馬鹿にして! 必ず八つ裂きにしてやる!』


 エリスの怒声が、ふたたび山びこ石エコーを介して聞こえてくる。

 憤怒の濁流の中にあって、その箒動は一縷の乱れもなかった。風を切る見事な二重らせんの軌跡――ローリング・シザーズ・マニューバ――を見つめながら、わたしは《ひつぎ》と《つるぎ》に声を投げる。


「……あの、なんか、すごく怒ってるんですけど」


 山びこ石が返すのは、暗銀の魔女――《劔》のクリスティナの声。


『そりゃそうだろ、こんな舐め腐った真似してりゃな。そこんとこどうお考えなんだ? 《柩》のナコト先生?』

『あら心外。彼女たちの実力を侮っているわけではないのよ? 数的不利の集団戦――ニナがそれを経験して実力をさらに伸ばすためには、彼女たちが適任というだけの話よ』


 鉄棺の魔女、《柩》のナコトは続ける。


『そういうわけで、作戦継続。このままニナだけで追撃。……今のあなたは屋に突っ込んだ雄牛よ。派手に暴れてきなさい』

『……と、まあこういうヤツだからさ、諦めてくれよ。落とされたら仇は討ってやるから』


 そうやってのん気に言う先輩たちは、わたしの遙か後方でふよふよ浮いている。空中でお茶でも飲んでいるようなほがらかさだった。

 箒のシャフトを握るために両手が塞がっていなければ、頭を抱えるところだ。


《柩》のナコト。《劔》のクリスティナ。

 彼女たちと空を飛ぶうちに、わかったことがひとつある。

 ことスカイ・クラッドという競技において、彼女たちの姿勢に一切の妥協はない。

 わたしが代表選手の座を勝ち取ったあとの一ヶ月間、彼女たちはわたしをためにあらゆる手段を講じた。

 時には鬼の兵隊長のように、時には神経質な指揮者のように、彼女たちふたりはわたしに飛行箒のいろはを叩き込み、実践させた。

 正直なところ、そのことについてはもう本当に思い出したくないので具体的な言及は避けるけれど、彼女たちふたりはどうも「人間は高いところから落ちたら割と簡単に死ぬ」という常識的かつ普遍的な認識を、そっくりそのままどこかに落っことしてきているようだった。


 わたしは肺から大きく息を吐き、そしてすべてを諦める。


 ――こうなったらとことんやるしかない。


 当初の奇襲は成功。

 離陸の前から対岸のグレイ・ウィーバーズの動きをおかげで進路の予測は容易かったし、それに加えて自分たちから視界の悪い雲の中に突っ込んでくれた。一箒の撃墜を容易に成せたのは、望外の幸運だったといえる。


 ――


 問題は、これからだ。

 残った二箒の手練れを、どうするか。わたしはわたしの箒の柄を握りなおして、声をかける。


「……行くよ。《ヘルター・スケルター》」


 セイルを畳み、粒子S.U.R.Pの波を蹴る。柄をり、箒体を直下へ向ける。

 嘶く殺人箒が、わたしの操舵に答えて急降下を始める。最短最速、眼下のエリスとアメリアに向けて一直線に。

 最高純度の反射鉱石リフ・クリスタルが、鉄やすりみたいに乱暴に死者の魂をこそいで掃き、山盛りの赤ん坊を網袋に突っ込んで振り回したような巨大な叫声を上げる。


 暴力的な加速。

《ヘルター・スケルター》は紫電を吐き出し空を割る。

 ほっぺたの肉が剥がれ落ちそうな加速度に、わたしは眉をしかめる。


『馬鹿が一直線に突っ込んでくるッ! アメリア、迎撃しますわよ! 【Aktivigo!発理!】 【Pafita pafion,鳥撃ち、】 【Kvar sagoj de lumo!光の四矢!】 【Kantu,歌え、】【Kantu,歌え、】【Kantu,歌え、】【Kantu!歌え!】』


『【Aktivigo,発理、】 【Kvar pafita pafilon!鳥撃ちの四!】 【Rompi,壊せ、】 【Rompi,壊せ、】 【Rompi,壊せ、】 【Rompi!壊せ!】』


 エリスとアメリア、二人の杖先から激発された青白い理力マナの〝矢〟が、わたしを迎え撃つ。

 四と四、合わせて八矢。

 鳥撃ちの魔弾が空間で爆ぜ、視界を覆い尽くす無数の棘となって襲いかかる。


 一矢が六針に。

 八矢合わせて四十八針。


 目を見開く。息を止める。

 全身の感覚を反射神経の指揮下に隷属させる。

 血流が逆しまに渦巻いて、意識を拡張させる。

 みちり、と眼球の血管が千切れる音が聞こえる。

 脳みそが強風の風見鶏みたいに回転して、一秒を百に分解し、それを千分する。


 ――問題は、無い。


 視えているのなら、避けられる。

 柄をり、刷毛テールを滑らせ、お腹に力を込めて全身を回転させる。


 ――レフトサイド・スウィープ360サーティ・シックス


 棘刺きょくしの針を躱しながら、トリックを繋ぐ。


 フロント・スウィープ、バレルロール、ライトサイド・スウィープ。


 投網のように打ち上げられた散弾の雨をくぐり抜ける。むちゃくちゃに振り回された刷毛の内側、鉱石リフが空中の粒子を掻き取って、さらに箒体を加速させる。


『――避けた! 鳥撃ちの一斉射を!?』


 狙いの甘い散弾を躱すことは特段難しいことではなかったけれど、さりとて《翅翼》の驚嘆の声に答えている余裕はなかった。

 怒れる殺人箒をなだめすかして抑制することに全神経を集中する必要があったからだ。


 暴力的な加速力と旋回性能とは裏腹に、わたしの相棒ヘルター・スケルターはひどく神経質な箒だった。

 辻風の魔女、箒職人アカンサ・クリサンセマムの生み出した、異端の紫檀。〝この世で最も速く飛び、最も鋭く曲がる箒を〟――彼女のその一念を具現化した、執念の結晶。

 尋常でなく過敏な操作性は、その代償だ。


《ヘルター・スケルター》は常にわたしに選択を迫る。

 彼をわたしがどう使うのか。わたしが彼をどこへ連れて行くのか。切り刻まれた一秒の中で、選べ、選べと問いかけ続ける。

 三千紫檀の柄を繰って、わたしはそれに間断なく応え続ける。

 あっけにとられたままのアメリア・ウィリアムズに狙いをつけ、さらに速度を上げる。


『アメリア、そちらに突っ込んできますわ! 回避箒動を!』


 エリスの警告を受けて、アメリアが慌てて予測回避の急旋回を切る。

 けれど、一瞬遅い。


「――失墜開花・改The "Bloom"!」


 身体をひねり、回転させ、箒を波から外す。帆を開いて柄を引き込み、仰角を急激に上げる。《ヘルター・スケルター》の綱渡りの安定性、それが一気に崩れ、急激に変化する。


 失速制御箒動ポスト・ストール・マニユーバ

 運動エネルギーを大量に消耗することと引き換えに、既存の箒では実現し得ない急制動を可能にする、《ヘルター・スケルター》の切り札。

 本来ならオーバーシュート必定の速度のまま、奇妙な曲線を描いて《ヘルター・スケルター》はアメリアを追尾する。


 ――激突コース。


 回転の勢いをそのままに、箒の刷毛を思いきりアメリアの顔面に叩きつける。


「命名、暗銀の魔女! 《ヘルター・スケルター》、〝フリップ・フラップ〟!」

 

 鈍い衝撃。三千年生きた紫檀を削り出して作られた、《ヘルター・スケルター》の箒体がみしりと音を立てる。


 アメリア・ウィリアムズはそのまま声もなく墜落してゆき、湖に緑色の水柱を作った。二枚のはさみの刃が避けようのないものであるならば、瞬時に片方を叩き折ってしまえばいい。


『体当たりですって!? なんて、なんて不作法な!』


《翅翼》のエリスが悲鳴に似た声を上げる。おぞましい芋虫を見つけたときのような声。

 確かに理力マナもなにも使わない、ただ箒でひっぱたくだけのトリックだ。魔術と飛行技術を競う競技滑翔において、そういう反応をされるのはわからないでもなかった。

 とはいえ、まあ、仕方ないのだ。わたしにはそれしかできないのだから。


『とっても痛そう』

『実際受けてみろ。めちゃくちゃ痛いから』


《柩》と《劔》は朗らかに言う。


「ナコト先輩、クリス先輩……働かないならちょっと黙っててくれませんか……」


『怒られた』

『怒られたわね』


 どうしてこの人たちはこんなにも緊張感が無いのだろうか。

 わたしは少しだけ悲しい気持ちになりながら、帆を開いて体勢を立て直す。低空を這うように飛ぶと、巨大湖の水面が荒れてエメラルドの水しぶきを上げた。

 風切り音と水面のざわめきの中で山びこ石が震えて、暗銀の魔女の声を伝えてくる。


『まあいいや。ニナ、急げよ。そいつ……ええと、《翅翼》な。時間をかければかけるほど手が付けられなくなるぞ』


 鳳蝶の魔女、《翅翼》のエリス・アンドレア・ブロッグス。その忌み名の由来――固有術理シグネチャー・トリックは〝羽化〟。

 運動エネルギーを溜め込み、自らの理力マナに変換する自己鍛造型の術理だ。

 力を溜め込むために一定時間の滑翔が必要なその特性から、発動までに時間は掛かるものの、一旦発動してしまえば機動性と攻撃性、その両面において限りなく無敵に近くなる。

 試合前の作戦会議(つまりわたしをたったひとりで突っ込ませるための算段だ)において、最も警戒するべき要素として挙げられていたグレイ・ウィーバーズの切り札。


 〝開花〟以外の決定打を持たないわたしには、固有術理を発動される前に仕留める必要があった。


『――【Kantu,歌えKantu,歌えKantu,歌えKantu!歌え!】』


 上空から、エリスの魔弾が降り注ぐ。先ほどとは立場が真逆になった格好だ。

 撃ち下ろしの〝矢〟をかわし、再度上昇するための〝焚き火デビル〟を探す。

 水面に着弾した光の矢が憤怒の水柱をいくつも上げる。

 混線する山びこ石からは、《翅翼》のエリスの舌打ちの音。


『……また全弾回避。妙な動きですわね……単純な速さだけではない』


 驚くことに、山びこ石から聞こえてくる鳳蝶の声は完全に冷静さを取り戻しているようだった。

 僚箒のふたりを撃墜されたことで、すっかりしまったのか。こうなると魔女というものはたちが悪い。まだ口汚くわめき散らされているほうがましだ。


『……高速弾ならどうかしら? 【Aktivigo.発理。】【Sago de lumo迅疾なる alta rapido.光の単矢】――』


 わたしは彼女の杖先を凝視する。杖を操る腕の筋肉の動き、目線の動き。


『――【Kantu.歌え】』


 激発の呪文とともに、杖先から高速の矢が射出される。

 目算で〝鳥撃ち〟より三割ほど速い。

 精緻な狙いで高速移動する《ヘルター・スケルター》の未来位置を確実に射貫いてくる。


 帆を開く暇も無い。

 咄嗟に水面に刷毛を押し込み、無理矢理に減速。

 切り裂かれた湖面の飛沫が飛行用ローブを濡らす。

 鼻先に上がる弾着の水柱を避けて、わたしは《ヘルター・スケルター》の柄をこじる。


『これも回避。……どういう術理ですの? それ。演算領域の拡張? いいえ、違いますわね。予測回避ではない。それにしては回避が的確すぎる。……魔弾の軌道を見切っている? 一体どうやって?』


 術理なんて、そんな上等なものではない。

 ただ、わたしは人よりもちょっと目がいいだけだ。

 他の人よりも少しだけ遠くが見えて、他の人よりも少しだけ反射神経がいい、ただそれだけのこと。

 視えるから避けられる。ただ、それだけ。


 ナコト先輩はそれを「他の誰かが一生をかけて研鑽を積んでも得ることの出来ない才能」と評したけれど、自分ではこの段になってなおと来ていなかった。だってそれは術理どころか安い手品の種ですらない、ただの身体的特徴だ。仮に《翅翼》のエリスがその回答にたどり着いたとして、きっと鼻で笑うだろう。


 わたしは〝焚き火〟のひとつに当たりをつけ、帆を畳んで飛び上がる。

《ヘルター・スケルター》の反射鉱石が再び弾けて、紫電の鉱石を大きく強くする。

 撃ち下ろしの魔弾をかわしながら、〝焚き火〟を可能な限りの速さで乗り継いで、空のきざはしを駆け上がる。


 狙いは《翅翼》の首筋。

 最短最速で距離を詰め、〝羽化〟される前に失速制御箒動の一撃を。


「《ヘルター・スケルター》ッ!」


 わたしは叫ぶ。


「〝フリップ・フラップ〟!」


 横凪ぎの一回転。遠心力の乗った刷毛を鳳蝶の魔女に叩き込む。

 短い息とともに《翅翼》の杖が閃く。


『【Aktivigo,発理、】 【Ŝildo ŝirmilo!単純障壁!】 360サブロクでは!』


 瞬時に激発された青い燐光の盾。

 エリスの杖先から生じたそれが、刷毛の一撃を阻む。


『忌み名持ちを舐めないで。それはもう、見ましたわ』


 わたしは身体をねじり、腹筋に力を込める。


「だったら、720セブン・ツー!」


 さらに一回転。


「〝テール・トゥ・ヒール〟だっ!」


 背後に回り込むように、今度は飛行用ブーツのかかとを叩きつける。

 けれど。


『――【Ŝildo.障壁】……足癖もひどいのね、あなた』


 二枚目の、盾。

 驚異的な即応能力で、防がれる。


 交錯する航跡。

 互いに弧を描いて、再度正対する。


 わたしは箒首を下げ、《翅翼》は箒首を上げる。

 三度入れ替わった立場。


 高度優勢はわたしのほうにあったけれど、〝開花〟を防がれたことで速度を持っていかれていた。

 対する鳳蝶の魔女は、無傷。

 加速しながらこちらに向かって上昇してくる。


『そちらの手の内が何にせよ、一手足りませんでしたわね。ニナ・ヒールド。……そして、時間切れですわ』


 勝利を確信した声色で、《翅翼》は優雅に笑う。

 彼女の身体を覆う燐光の被膜が、輝きを強める。〝羽化〟の前兆だ。


『――我が光のはね、とくとご照覧あれ。……あなたを叩き落として、すぐに《柩》と《劔》も墜落させる。刺し違えてでも、ね』


 ぴきり、ぴきりと、蛹の殻を割るような音。

 溜め込んだ運動エネルギーが理力マナに変換され、彼女の身体に浸透してゆく音だ。魔女一個人が生成できる理力量を遙かに超えた力が、彼女の全身を循環し発光する。


『……このっ……が、ぼけが、舐め腐ったぼけどもが! くだらない手加減を後悔させて差し上げますわ!』


《翅翼》の声に同調するように、光の翼が広がる。虹色に輝く、鳳蝶あげはの翅。


『我が固有術理、その名を聞け! 【Aktivigo,発理】――』


「――間に合ってよかった」


 わたしは言う。

 心から、そう思った。

 間に合ってよかった、と。


『……は?』


 わたしは左手に持った信煙弾の発射筒を掲げる。


『……信号銃? この期に及んで、あなた、まさか降参しようって言いますの?』


 いぶかしむ鳳蝶の魔女。

 わたしは答える。


「わたしじゃない。んです」


『まさか――』


 エリスは杖帯ホルスターの背中側に手を伸ばす。

 くくりつけられた雑嚢に入っているはずの、自分の信号銃を探して。


 信号銃には、選手それぞれに割り振られた色の煙弾が装填されている。地上の審判員たちは、誰が打ち上げたかでなく、誰の色かで降伏の判断をする。


『――まさかまさかまさかまさかまさか! そんなこと、できるわけが!』


 可能だ。それが、視界に入りさえしているのなら。


 先の一合。叩きつけた二回転720は、はなからおとりだ。どさくさに紛れて彼女の信号銃をかすめ取るための。

 一度見せた技で忌み名持ちを撃墜しようなんて甘い考えは、通用するわけがないのだから。


 故に、二撃目。

 繰り出されるかかとに《翅翼》の意識が集中するその瞬間、わたしは左手を伸ばして彼女の雑嚢に手を突っ込んだのだ。


『やめてやめてやめてやめて! 《大釜カルドロン》が! わたくしたちの夢が! そいつを、そいつを撃つな! ニナ・ヒールドォーーーーッ!!』


 引き金を、引く。

 きれいな桃色の煙が、七月の空に上がった。

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