2-3:ケリドゥエン・マージョリー・ミルテンアスター - Ceridwen the "Cold Blood"

うろこの門

 〝書架〟とは、ク・リトル・リトル王立ミスカトニック魔術学院、カーター学派を指して呼び習わされる通称のひとつである。


 カーター学派は当初、伝統的な構成主義的呪文学に対する批判に端を発し、〝午睡の魔女〟ラフィー・ズカウバ・カーター(Raffey Zkauba Carter)によって第三紀二百四十年代に提唱されたとされる実証主義的呪文学の一学派であったが、現在では学問上の流派を表す語彙としての意味合いは薄れている。


 今日のカーター学派は特定の理論によって統一されているグループではなく、ミスカトニック王立魔術学院の中でも特に優秀な魔女を寄り集めた「特進クラス」としての意味合いが強い。

 発足当初より実践的に優れた術理、及び魔女を多数輩出したカーター学派は、大戦下において戦闘魔女育成機関としての機能を期待された歴史的経緯があり、またその特色が今日まで継承されているためである。


 〝書架〟の生徒、及び卒業生には特別製の白いローブが贈呈される習わしがあり、これは栄誉とともに、「何者にも土を付けさせられる事の無いよう」という不敗の戒めが込められている。



 ――自由律フリー魔術百科事典「Witchpedia」より抜粋




   ◆




「それで、なんであたしまで呼び出されなきゃいけないんだよ」


 クリス先輩は不機嫌さを隠そうともせずに言った。

 口をとがらせ、ぷりぷりと怒りながら大股で廊下を歩く。二つ結びのピンクブロンドが、彼女の歩調に合わせて旗びらのように揺れた。


 クリス先輩の言い分はしごく正当だった。

 飛行許可もなく王立学院ミスカトニックの箒手と派手な空戦をやらかしたのはナコト先輩だったし、駅馬車を破壊したのはナコト先輩に撃墜された《嵐》のジュディスだ。

 暗銀の魔女ことクリスティナ・ダレットは確かに学院きっての問題児のひとりではあったけれど、今回の件に関しては一部の非もない。なにしろ彼女はその時間帯、自宅のダイニングで、父親の作ったミートパイの焼き上がりをそわそわと待っていたのだ。


 とはいえまあ、それを言えばわたしにだって学長室にまで呼び出される謂われはなかった。この件に関しては、わたしは完璧な被害者だったからだ。

 筋の通った反論が全く思いつかなかったわたしは、「……まあ、その、チームメイトですし」とお茶を濁すしかなかった。


 クリス先輩はふん、と鼻を鳴らす。


「じゃあいつかあたしが泥棒で捕まったら、お前も一緒に牢屋に入ってくれるんだよな? チームメイトのよしみだもんな?」


「クリス先輩、泥棒の予定があるんですか」


「お前、〝たとえ話〟って言葉知ってる?」


 わたしたちはミスター・コーシャーソルトを先頭に、エルダー・シングス魔術学院、中央棟の廊下を歩いていた。

 煙の、《烟霧えんむ》のクラーク・コーシャソルトは薬学部の教務主任で、わたしの担任にあたる。彼はこの国ではとても珍しい〝男の魔女ヘクサー〟だった。ごく稀なことだけれど、男性にも魔女のしるしが顕れる者は居るのだ。

 彼は〝男の魔女〟と呼ばれるのをひどく嫌っていて、そう呼ばれるたびに根気強く訂正を求めた。曰く、「魔女なんて呼び方は、前時代的で性差別的な呼称だよ。性別に依らない魔術師という呼びかたをすべきだ」。


 正直なところ、彼の言い分はよくわからない。呼び方は単に呼び方でしかなく、ものごとの本質ではないと思うし、意味さえ通ればそれでいいはずだ。けれどまあ、本人が嫌がるならばそれはそれであえてそう呼ぶ必要もない。


 〝わたしたち〟というのは、クリス先輩とナコト先輩、それからエルトダウンと、静寂の魔女こと《嵐》のジュディス・ヘイワード。そこにわたしを含んだ五人のことだ。

 あんなことがあった次の日なのに、ジュディスはぴんぴんしている。本人が言うことには、馬車と激突する寸前にローブを硬化させたのと、もともと丈夫な身体のおかげらしい。

 ジュディスは朴訥とした表情で「実家が牧場をやっているから」とか言っていたけれど、それは多分全然関係ないし、丈夫にしたって限度があると思う。事実、医務室で寝ているもう一人の王立学院代表箒手、《ゆうきょう》のドロレスは「書架の魔女みんながジュディスと同じように鉄で出来ているわけじゃないの」と証言していた。


 エルダー・シングス校の間取りは、ひどく複雑だ。

 廊下はやたらと曲がりくねっているし、ひとつの筋道に対してドワーフ語の動詞変化と同じ数くらいの分岐があった。大戦時において、エルダー・シングスがオーゼイユという要衝を守る城塞であった頃の名残だ。特に中央棟の構造のややこしさについては群を抜いていて、先頭を歩くコーシャーソルト先生の先導がなければ、方向音痴のエルトダウンよろしく校舎の中で遭難してもおかしくないほどだった。


 当のエルトダウンといえば、王立学院の正装――〝書架〟のローブに身を包み、わたしたちの後に続いて静かに廊下を歩いている。《嵐》のジュディスを従えて、ぴんと背筋を伸ばして歩く姿は堂に入っていて、魔女の学校に入学したばかりの一年生だとはとても思えなかった。


 荼毘の魔女。《灰火かいか》のエルトダウン。一年生にして王立学院の筆頭箒手にまでなった、ナコト先輩の妹。わたしには彼女という人間がよくわからなくなってしまっていた。白いローブのエルトダウンの姿は、前日、一緒に馬車に乗っていた女の子とは別の人間のように見えた。


 もっとわからなかったのが、ナコト先輩だ。

 ナコト先輩はエルトダウンについてなにも語ろうとしなかった。それどころか、自分の妹のことをそこに居ないもののように扱っていた。


 わたしの知るナコト先輩からすると、それはあり得ない態度のように思えた。

 確かに彼女は周りにいる誰かを顧みるような人ではなかったけれど、それは単に彼女が人よりも優れていて、彼女自身が誰よりも正しいことを知っているからに過ぎなかった。

 それはそれである意味において重大な人格的欠陥ではあるものの、実際のところ鉄棺の魔女は常に正しいのだから仕方がない。

 要するに、平等なのだ。

 ナコト先輩は、自分以外を全く平等に見下ろしている。誰か特定の人間を馬鹿にしたり、侮ったりしているわけでは決してないのだ。ただ事実としてそうなのだからそうしている。そこに悪意はない。


 けれど、ことエルトダウンに関しては、どうもその法則からは外れているように見えた。

 ナコト先輩は明確にエルトダウンを嫌っている。


 エルトダウンと話したくない。

 エルトダウンを視界に入れたくない。

 エルトダウンの存在を認めたくない。


 ナコト先輩のそぶりは、わたしにはそういう風に見えた。

 彼女らしくない。とわたしは思った。


「ナコトさあ、お前からは何かないのか? 『迷惑かけてごめん』とか、『なんだかんだ言いながらもついてきてくれる友情にくそ感動』とか、そういうのだよ」と、クリス先輩は言った。

 わたしですら気付くナコト先輩の剣呑な様子に、付き合いの長い彼女が気付かないわけがないのだけれど、そんなことはおくびにも出さずに切り込んだ。

 わたしは固唾を呑んで見守る。


 ややあって、ナコト先輩はクリス先輩を振り返り、万華鏡の瞳でじっと見つめた。肩越しに見える美貌には、特段の表情は浮かんでいない。


「迷惑をかけてごめんなさいね、クリス、ニナ。あなたたちの友情に感謝してる」


 そう言って微かに口角を上げて微笑むナコト先輩に、クリス先輩は大げさな驚きの表情を返す。


「ワーオ……マジかよ。ニナ、いまの聞いたか? 友情に感謝してるってよ。あいつ、森でなんか拾って食ったのか?」


「……あなた、どうしたいの? 私に謝らせたいのか、そうでないのか」と、ナコト先輩は呆れたように目を細める。

 全くもってその通りだと思った。


 なんだかクリス先輩はあえてナコト先輩を怒らせようとしているように見えて、居心地の悪さを感じた。

 行きたくもない学長室に、早く着けばいいのにとわたしは思う。


「ミス・ダレット、ミス・ヒールド、それから大きい方のミス・ユンツト。そろそろ私語をやめようか。院長先生に聞こえるからね」


 先頭を歩くコーシャーソルト先生が言った。

 クリス先輩が言葉を返す。


「聞こえるわけねえだろ。院長室は主塔のてっぺんだろ? まだ二階だぜ」


「……これが聞こえちゃうんだなあ。まあ、とにかく今からはお行儀よくしてほしい。僕もそうするから、君たちもそうしてくれないかな」


 煙の魔術師は苦笑いで肩をすくめる。これは驚くべきことなのだけれど、四六時中機関車みたいに煙を吐き出しているはずのミスター・コーシャーソルトは、そのとき煙草を咥えていなかった。


「あの、質問いいですか?」とわたしは手を挙げて言う。自然と、声が小さくなった。


「どうぞ、ミス・ヒールド」


「もしかして、院長先生は怖い人なんでしょうか?」


 それまで、わたしはエルダー・シングスの長の姿を見たことがなかった。それはわたしに限ったことではない。少なくともわたしが在学中、学院長は滅多に人前に姿を現すことがなかったのだ。

 何度も呼び出されているであろう問題児の《柩》や《劔》ならまだしも、普通に暮らす生徒のほとんどは院長の姿を見たことがなかったはずだ。

 かの煙の魔術師が喫煙を我慢する相手となると、相当厳格な人物に違いない、とわたしは思った。


「ふむ」と、コーシャーソルト先生はあごに手を当て考えてから、わたしの意図を察してにやりと笑う。


「半分正解だけれど、少し違う。院長先生が敬意を払うべき人だからだよ」


曲がりくねった廊下を歩きに歩いて、わたしたちは中央棟と主塔を繋ぐ渡り廊下に出る。三十分ぶりに見た空は、どんよりと鈍色に曇っていた。

 橋廊を渡りきると、行き止まりに突き当たった。当初わたしはミスター・コーシャーソルトが道を間違ったのだと考えたけれど、行き止まりの壁はその他の部分とは質感が違っていた。石を切り出して積み上げた壁ではなく、湿っているのか乾いているのか判別のつかない、つやつやとしたさび色の壁面がそこにはあった。


 不意に壁が震えて、地の底から鳴り響くような声がした。胃の腑をぎゅっと締め付けるような、湿ってくぐもった低い声だ。


「御用向きは?」


 慣れた調子で、煙の魔術師が声に応える。


「魔女のたまご三人と、お客人をふたりお連れした」


「聞き及んでおる。《柩》のナコト、《劔》のクリスティナ、のニナ。それにミスカトニックからのお客人がふたり。《灰火》のエルトダウンと、《嵐》のジュディスであるな。よくおいでになった」


 王立学院のふたりは、目を伏せ静かにお辞儀をする。エルトダウンが、声に挨拶を返した。


「〝うろこの門〟、アンフィスバエナ。お噂はかねがね伺っています。お目にかかれて光栄です」


 不明瞭に唸る声は、儀礼的に笑ったように聞こえた。

 それから、「あるじが上で待っておる。心ばかりの歓待ではあるが、くつろいでゆくがよい」と言った。


 地響きを立てて、さび色の〝うろこの門〟がぐぐっと持ち上がると、そこにはぽっかりと穴が開いていた。薄暗がりの中に、らせん状の階段室が見える。


 わたしたちは歩を進め、階段を上る。

 らせん階段を上る途中、ミスター・コーシャーソルトがぽつりと口を開いた。ただひとり事情を知らないわたしに向けての言葉だった。


「双頭蛇アンフィスバエナ。ケリドゥエン学長の使い魔ファミリアーだよ。主塔の内壁と外壁のあいだに住んでいる」


 つまりわたしが壁だと思っていたさび色は、壁の中でとぐろを巻いた、とてつもなく大きな蛇のお腹だということだ。

 エルダー・シングスの最奥、中央棟の主塔を守る最後の門。それが双頭蛇アンフィスバエナが担う役割だった。

 わたしはミスター・コーシャーソルトの背中に聞き返す。


「彼は、長いあいだずっとそうしているんですか? その、〝うろこの門〟として?」


「そうだと思う。少なくとも、僕がこの学院に赴任してきたときからずっとそうだった」


「辛くないのかな。寂しかったり、寒かったりはしないんでしょうか」


「どうだろう、本人に聞いてみるといいかもね。なにせこの主塔全体が、彼のお腹の中のようなものだから。こうして君が疑問に思っていることも、いまも彼には聞こえている」


 わたしはアンフィスバエナが何か言うことを期待したけれど、彼は沈黙を守ったまま、結局階段を上りきるまで疑問に答えることはしなかった。

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