ストリング・バッグ(3)
「水平線まで届く桁外れの視力。魔弾を見てから避け、《ヘルター・スケルター》さえ乗りこなしてみせる反射神経。確かにそりゃ才能だし、武器だ。神さまの贈りものだと言っていい。……けれどね、才能だけで駆けのぼれるほど勝負の世界は甘いもんじゃあない」
そう言うアカンサの言葉に口を挟んだのはアリソンだった。
看板の細かい文字を読むときのように、目元をひそめて辻風の魔女に反論する彼女の口調は、少しだけ非難がましい。
「……でも、アカンサだって見てたんでしょう? たったひとりでグレイ・ウィーバーズの手練れを三箒もやっつけちゃったのよ? ニナに矢は当たらないし、格闘戦に持ち込みさえすれば彼女は無敵だわ」
言い返すアリソンに、アカンサは肩をすくめる。
濁ってほとんど見えなくなってしまった霧の目を細め、唇の端の片方をつり上げて笑った。
「矢は当たらない、ね。まあ、確かにそれは事実だろうさ。じゃあ聞くがね、無敵のはずのニナ・ヒールド様が、さっきはどうしてあたしみたいなばばあに簡単に蹴っ飛ばされちまったってんだい?」
「それは……」
「急なことだったから、なんて言うんじゃないだろうね? いいかい、よくお聞き。戦いの中ではね、あらゆるものが急にやってくるんだよ」
騎士の国との大戦を生き抜いたアカンサの言葉は、否応のない説得力をもってアリソンを押し黙らせてしまう。
アカンサはいつだって急に奪われてきたし、急に喪ってきた。
彼女はその大昔のいくさについて多くのことを語ろうとはしなかったけれど、さりとて雄弁に語る必要性もなかった。
彼女のやつれて曲がった背骨にはずっと重しのようにその経験が乗っかっていて、それは彼女自身でも振り払えないくらいに大きなものだった。だからアカンサがそのことを語らずとも、彼女の声色や立ち振る舞いの端々にその巨大な重りの断片を垣間見ることが出来た。
物静かで、雄弁な沈黙だった。
なんだか居心地の悪い沈黙に、わたしはこめかみを人差し指で掻く。
それから、「視えてなかったから」と、わたしは端的な事実を述べた。
「アカンサの姿が、わたしの視界の外にあったから」
「その通り」
わたしの回答に、アカンサはゆっくりとうなずく。
「上下約130度、左右約180度。両目の届く範囲。そいつがニナが無敵でいられる限界さね。……実に、実に狭い。空の広さに比べれば、とてもとても」
アカンサの言うとおり、「見えているから避けられる」ということは、裏返せば「見えていなければ避けられない」、ということだ。
一対一の〝
けれど、《大釜》本戦――王都で行われる
各地の予選を突破したチームが一堂に会し空を埋めつくすその中で、チームメイト以外の全てが敵対者なのだ。たった二つしかない両の目で、二十箒以上の敵を常に視界に入れることは不可能に近い。そう思えば、グレイ・ウィーバーズ戦でさせられたあの無茶も、少しでも対多数戦に慣らせるためのことだったのだろう。
「それにね、あたしたちは魔女だ。分析し、裏を掻き、欺き、不意を突くのが仕事だ。……もうニナは大事な手札を見せちまってる。ただでさえエルダー・シングスは注目されてんだ、勘の良い魔女の中にはすでに手品の種に気づいてる者もいるだろう。絶対に対策を打ってくる」
下唇を噛んで黙り込むわたしを尻目に、アカンサは言葉を続ける。
「強豪ひしめく《大釜》で、あんたは丸裸で戦わなくちゃあならない。……ニナ、あんたその状況で勝ち続けられると思うかい? 相手だけをにらみつけて、真っ直ぐ突っ込んでって食らいついて。まるで、犬っころの喧嘩みたいなやり方で」
「……でも、わたしにはそれしかできないもの」
「そんなわけあるかい、馬鹿たれめ。あんたやヴィルヘルミナを基準にして考えてるからそんなおかしなことになるんだよ。〝視えなければ避けられない〟ってんなら、あんたたち以外の魔女はどうやって弾避けてると思ってんだい」
言われてみれば、確かにアカンサの言うとおりではあった。
以前にナコト先輩はわたしの目の良さを〝才能〟だと評したけれど、ではそんな才能がわたしにあるとして、それを持ち合わせない魔女たちはどうやってお互いの攻撃を避けているのだろうか?
彼女たちにとって魔法の〝矢〟は目で追うことのできないほど速いもので、つまりそれは撃ち出された〝矢〟がどこに飛んでくるのかわからないのと同義だ。それどころか撃ち出されてしまったが最後、避ける暇さえないのだ。
けれどわたしの見る限り、競技滑翔の選手たちはその不可視の矢に対して一定の対応策を持っているように見えた。
先の予選でも、お互いの魔弾を避け合い、あるいはなんとかして命中させようとする魔女たちの姿を幾度となく見ることができた。
《翅翼》のエリスにしたってそうだ。彼女は速力の乗ったわたしの攻撃を、立て続けに二度も防いで見せたのだ。視えなければ避けられないというのなら、つじつまが合わなくなってくる。
「……確かに、〝才能〟がない人たちは、どうやって避けてるんだろう」
無意識に漏れ出たわたしの疑問に、アカンサとアリソンはぎょっとした顔で目を見合わせる。
困惑と呆れが入り交じった二人の表情から、わたしは自分自身が聞きようによってはどうしようもなく不遜に聞こえる言葉を吐いてしまったことに気づいた。
「今のは、違うの。そうじゃなくて」
慌てて取り繕うわたしを見て、アリソンは無言でこめかみを押さえ、アカンサは鼻から大きく息をつく。耳たぶが焼けた鉄みたいに熱くなって、脇の下から一斉に汗がにじみ出てくる。ひどく恥ずかしかった。
アカンサはやれやれと力なくかぶりを振って、からかうように言った。
「まあ、言わんとしてることはわかるけどね……嫌だねぇ、持つ者ってのは。なんだかあんた、最近ヴィルヘルミナに似てきてないかい? 心配だよ、あたしは」
それから彼女は皺だらけの手で自分のあごをひと撫でして、言葉を続けた。
「あたしたち非才の者はね、相手の思考を予測してんのさ。『あたしだったらこう飛ぶ』とか、『こいつだったらここに撃ち込んでくる』とかね。飛んでる間はそういうことを常に必死で考えてる。そして、いまのあんたはそういった先読みや駆け引きって事柄については……ひどく浅い場所に居る。自分の眼だけに頼りすぎてるからそうなるんだ」
アカンサの指摘について、わたしは少しのあいだ考えを巡らせた。
彼女の言うように、相手が何を考えているのか、ということについてわたしはかなり無頓着だった。
飛んでいるときに考えることといえば、避けて、突っ込んで、やっつけることだけだ。
自分の都合だけを押し付ける、犬っころの戦い。《翅翼》はその単調な思考を先読みしていたからこそ、わたしの攻撃を防げたのか。
「もしかして……それが出来るようになれば、わたしはもっと強くなれる?」
「もちろん。なんたって、眼を二つ以上持つことになるからね。敵の思考を予測するってことは、そいつらの眼を盗むようなもんさ。……とはいえ、洞察はあくまで洞察でしかないけれどね。他人の行動を完全に読めるってのは、未来予知や読心術の領分だ。人間業じゃない」
わたしはうつむき腕を組んで、アカンサの言葉を咀嚼する。
敵の考えを予測することが眼を盗むことにつながる。それはアカンサなりのものの例えだ。
彼女が言っていることは、眼だけに頼らず想像力を駆使することが概念的な意味での視野を広げることにつながる、ということにすぎない。
だけど、とわたしは思う。目を閉じて想像する。
例えば、椅子に座って会話のなりゆきを眺めているアリソンのことを。
彼女はわたしの姿を見つめている。彼女の目には、掃除夫みたいな服を着た茶色の巻き毛のやせっぽちが映っている。目を閉じ、うんうんとうなっているわたしの姿が見える。
目を閉じたわたしにも、それが視えている。
例えば、オーゼイユ街から遙か遠く――生まれ育った故郷の小さな家の小さな戸棚。そこにわたしのお気に入りのマグカップが収まっていることをわたしは知っている。その重さや、持ち手の手触りや、飲み物を入れたときの温かみを知っている。
わたしには、それが視えているのだ。
もたらされた気づきに、心臓が早鐘を打った。
仮に。もし、仮にだ。
アリソンの言うように、わたしがわたし自身の視界の中で無敵で居られるなら。
アカンサの言うように、敵の思考を予測することが、視界というわたしの庭を広げることになるなら。
空を舞うあまねく全ての敵対者の思考を、完全に、十全に、一切合切余すところなく推察することが出来れば。
わたしは――、
「そうなるには、何をすればいいんだろう?」
目を開き、わたしは尋ねる。
「つまり、その、完全に相手の行動を読めるようになるには」
「あんた、ちゃんと話聞いてたのかい? 他人の心を完全に理解するなんて、無理に――」
わたしは、《柩》のナコトと同じ高さにたどり着くことが出来るかもしれない。
「ねえ、教えて。何をすればいいのか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます