エピローグ:グラビティ・ダイブ・エンゲージ

 レディ・ダフネは引退した。

 生涯戦績は、二百二撃破、一被撃破。五十機撃破すれば殿堂入り扱いを受けるアーマックバトルリーグにとって、まさに歴史に残るパイロットだった。

 彼女は十年余りの間使い続けた偽名を捨て、公にロリエーナ・リイナ・ジートニンとして第二の人生を歩むこととなる。はずだった。


「あのさ、前から聞こうと思ってたんだけど」

「んー?」


 ソファーに座ったヒロは、テレビモニターに視線を送ったままで、隣の女性に声をかける。リエは少し眠たそうに、ヒロの肩へ頭を擦り付けた。

 ここは市街地にあるホテルの一室。スイートルームほどではないが、ヒロとしてはそれなりに奮発をしたつもりだ。

 テレビにはアーマックバトルリーグの試合の録画映像。三日前、ソルジャーズが惨敗した様子が映し出されている。


「なんであの格好なの?」

「というと?」


 画面は切り替わり、テレビ局のスタジオが映し出される。中央よりやや右側に立つ中年男性のアナウンサーは、緊張した面持ちで口を開いた。


『本日の解説はこの方、昨シーズンでバトルリーグを引退した、伝説のパイロット。流麗の女神ことレディ・ダフネです』


 どう考えても芸名だか偽名だかで呼ばれたのは、不透明のゴーグルで素顔を隠す女性だ。長身に薄手のパイロットスーツを身に着けた姿は、スレンダーかつ豊満なスタイルを強調しているようにも見えた。


「これ」

「ああ、そうだね。ごめんね。次からは上に何か羽織るよ」

「そういうことじゃなくて、あ、いや、うん、なるべく身体の線は隠してほしいかな」


 ヒロは自分の意図とは違う会話を進めていることを自覚しつつ、彼女の提案を否定することはできなかった。


『今回、アタッカーズの大勝に終わりましたが、その要因はどんなところにあったのでしょうか』

『はい、アタッカーズは基本の戦術を変えていません。問題は、ソルジャーズの連携でしょう。未だに彼らはグラビティ・ダイブに頼ろうとする印象があります』


 女性としては低めの声で辛口の解説をしている女性は、かつてヒロが焦がれた相手そのものだった。あまりの的確さに、胸が苦しくなることは避けられない。アナウンサーと女性の背後に流れる映像では、ジャンのソルジャーファイブが四肢を撒き散らしていた。


「えっとね、ふたつ理由があってね。まずはヒーローズ側からこの衣装のまま出てくれって言われたんだよ。引退したところでレディ・ダフネの名前は宣伝材料になるからね」


 リエはヒロの言いたいことがわかっていたらしい。肩に頭を乗せたまま、甘く少し間延びした声で説明をしてくれる。画面の向こうにいる女性の、低めでしっかりとした口調とは大違いだ。


「私としては、ふたつめの理由の方がだいぶ大きいんだけどね。あんまり素顔を世間に出したくなくて」


 あの日、リエがヒロの前でヘルメットとウィッグを外して見せた姿は、幸いにも広く周知されることはなかった。

 撮影用ロボットが現場から離れていたことと、中継直後にジートニン製薬セキュリティ部が総力をかけて該当映像を削除した結果だ。そのため、レディ・ダフネの正体を知るのは、元々知っていた者と、リアルタイムで中継を見ていた者だけだった。


「ヒロくんは、どっちがいい?」

「俺は、リエを独り占めしたい」

「あらあらあら」


 リエはおどけた様子で、ヒロの胸に顔を押し付けた。


「今更なんだけどさ、レディ・ダフネを見て思い出したことがある」

「んー、なーに?」

 

 リエはヒロの左頬にある傷を撫でる。以前は申し訳なさそうに触れていたのだが、今では愛情表現のひとつになっているようだった。


「俺さ、君に二度一目惚れしたんだなと」

「え、そうなの?」


 ヒロが首を回し左側を見ると、目を丸くしたリエと視線が交わった。


「最初は、レディ・ダフネを初めて見たとき」

「だいぶ前だねー。あの時は年齢ごまかしてたんだよね。バトルリーグの管理部には特例で通したんだけど」

「まさかひとつ上なだけとは思わなかったよ」

「そう、ちょっとお姉さんなのです」

「そういう意味じゃないけど」


 本気とも冗談ともいえないやり取りは、楽しかった。テレビ画面では、ヒロのソルジャーシックスの上半身が吹き飛んでいた。


「で、二回目は?」

「惑星チーアで、助けたとき」

「ああ、実質初対面!」

「あのときさ、助けてすぐに立ち去るつもりだったんだよ。でも、そのまま話を聞いてしまった。あれは自殺しようとした女の人を放っておけなかったんじゃなくて、一目惚れしてたんだって、だいぶ後で気付いた」

「あー、そうかー、そうなのね」


 照れてしまったのか、胸元で指を絡めながらリエは俯いた。


「よし、前置き終わり」

「ん?」


 首を傾げるリエを横目に、ヒロは自分の鞄から小さな箱を取り出した。


「二回の一目惚れのあと、本格的に惚れて、殺して、結婚の約束をした相手に、これを」

「わっ」


 箱の中には、大きさの異なるふたつの指輪。片方はヒロからリエへのプレゼントだ。


「旧時代から宇宙開拓初期の文化でさ、結婚相手とお揃いの指輪をつけるってあったから」

「なるほど。たしか、エンゲージリングって」

「どう、かな?」

「すごく、嬉しい」


 現在でもアクセサリーとしての指輪をペアで装着することは、珍しいことではない。ただし、結婚の証明とするのは、すでに失われた文化だった。


「サイズはジャン経由でマリーさんから聞きました」

「あら、計画的」

「つけてもいい?」

「うん、お願いします」


 ヒロは旧時代の資料にならい、リエの左薬指に指輪を通した。マリーからの情報は完璧だった。


「私にも、つけさせて」

「うん」


 ヒロはリエに左手を差し出す。


「グラビティ・ダイブ・エンゲージ・リング。なんて」

「それは俺の台詞だ」

「そうでしたー」


 リエは目を細め、軽く舌を出して見せた。


「俺たちが初めて会った時も、ある意味、グラビティ・ダイブ・エンゲージなんだよな」

「私が重力に飛び込んで、ヒロくんと出会ったってこと?」

「そうそう」

「ちょっと恥ずかしいかも」


 リエは両手で顔をおおった。左の薬指の銀色が、ヒロを幸せな気分にさせる。


「あのね、あの時に死ななくてよかったよ」

「そうか」

「初めては自分じゃなくて、好きな人にあげた方がいいもの」

「そうか」

「でも、一回だけだったね」

「あー、そうだなー」


 結局、ヒロがリエを殺せたのはあの一回だけだった。様々な策を弄さなければ勝てない相手だったのだ。あの一勝だけが奇跡的だといってもいい。


「その一回が、嬉しかったよ」

「うん」


 リエはヒロに抱き着いて、左頬にぽってりとした唇を触れさせた。


「続きは、また後でね」

「そうだな、行こうか」


 時計を見ると、待ち合わせの時間が迫っていた。ジャン、マリーとの食事の約束があるのだ。あちらはあちらで、非常に上手くやっているらしい。


「今日は結婚の報告と、ジャンさんのモデルデビュー祝いと、試合の反省会だね」

「最後のいる?」

「もちろん。しっかりアドバイスさせてもらうよ」

「それは助かる」


 ヒロとリエは、それぞれ上着を羽織り、ホテルを後にした。


 人類が宇宙へと生活の場を移すようになって、千年あまり。

 それでも人々は夢と恋と重力、そして戦いに引かれ合っていた。


 

 グラビティ・ダイブ・エンゲージ 完

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グラビティ・ダイブ・エンゲージ ~適性ゼロの新人パイロットは夢と恋を叶えるため最強のエースに挑む~ 日諸 畔(ひもろ ほとり) @horihoho

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