第三話 リベンジ・マシーン
直感でわかった。九回目にして、やっと当たりを引いたのだと。両手を広げる女の中に飛び込んだ。安っぽい香水が
おれは女の胸に顔をうずめ、ベッドに押し倒す。丈の長いワンピースがもどかしく思えた。裾を掴み、下尻の辺りまでたくし上げてやる。ペチパンチも邪魔だ。うなじに舌を這わせ、ペチパンツの『Lady Bugs』のタグを摘まんで乱暴に下ろす。そのとき——。
「ちょっと、先にお風呂入りたい」
吐息混じりの甘い響き。手は遠慮がちにおれの胸に当たっている。セクサロイドは人間とちがって、常に表層は清潔に保たれているはずだ。それに、おれは今までそんなことを要望した覚えはない。なによりも、シャワールームに入れるわけにはいかない。
はぐらかすように唇を重ねて、ついでに舌も入れた。プラスチックのような無機質な味が口腔に広がる。女はそれ以上、なにも訴えなかった。ベッドに寝かせて服を剥ぐ。セクサロイドとやるときは、前戯は適当に済ませる。そうしないと、自分は得体の知れないなにかとセックスをしているという漠然とした不安に駆られるからだ。
機械仕掛けのダッチワイフか、それとも性欲の作り出した虚構か。おれは陰茎を通じて肉の塊とつながっているだけなんじゃないか。思考が踏み荒らされる。ちがう、天道虫を見るんだろ。不思議そうに上目遣いで見てくる女の股を開き、上反ったそれをあてがった。
湿り、温かく、絡め取られる。まるで湿原のようで。あのときと同じだ。ベッドが軋み、カーテン越しの西日に顔が染まる。体が熱い。女は手の甲で口元を隠し、おれの動きに合わせて喘ぐ。裸なのに、どうして今さら口なんかを隠す。いや、だからこそなのか。
独り合点したのも束の間、おれは情欲の海に種を落とした。それでもこの子猫は飽き足らず、根本からまだ種を搾り取ろうとしてくる。今度はおれが情けない声を上げる番だ。まだ熱をもっているそれを女陰から抜き、ベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。やはり当たりだ。
「あのときのことを思い出す?」
耳元に女の吐息がかかる。おれは「ああ」と呆けた声を出す。この関係はさしずめ女王と奴隷といったところか。頭の中に天道虫が湧いて真っ赤だ。なにも考えられない。
「まだ大事に持ってるんでしょ、あの天道虫」
「……そうだ、風呂場に」
女は「だから入れてくれなかったんだ」と声を弾ませる。
「わたしの死体を見られたら困るもんね」
突然うしろ髪を掴まれ、体が宙に浮く。ベッドが遠くに離れていった。いや、おれが遠ざかった。背面を床に強打して
「柔道プレイ」
女は笑みを湛えたまま、流し目を送ってくる。どうしてか股間に血が滾る。生命の危機を感じてなのか。おれは茫然と次の言葉を待つ。
「この前は負けて壊されたけど、次はそうはいかないよ。笑えたでしょ、わたしの死体。運悪く机の角に頭をぶつけて、おでこがパックリ。朦朧としながら聞こえてたんだよ? 君が「頭から天道虫がこぼれてる」て言ってたのを。すごく嬉しそうだった」
そういえば、と女は続ける。
「本社から伝言を預かってる。「商品を弁償しろ」って」
情報の洪水と体を巡る痛覚で麻痺した頭は、辛苦を快楽に変える。おれの身勝手な行為が派遣会社に露見した。天道虫の全貌が明らかになった。自分がなにを求めていたのか。答えは傍にあった。ありとあらゆる快楽。非日常。それらを求めるあまり、本質を忘れていた。
そうだ、柔道プレイの末に天道虫を見たのだ。というよりはインスピレーションの源を。おれの腐った作家人生を再び彩る刺激的な体験を。おれは解放されて、床に片膝をつく。女は腰を曲げて、おれと目の位置を合わせてくる。濡れた女陰と、奴の顔が直線上に揃った。どちらを見るべきか迷ってしまう。
「二回戦する?」
刹那、体を引っ張り上げられる。そうして棒立ちになったところに釣り手で脇の下を抱えられ、引き手は前腕に。綺麗な一本背負い。視界一面に床が飛び込んでくる。競技ではなくプレイ。ならば、不測の事態もご愛嬌。おれは首から床に叩きつけられた。
息苦しさに意識を取り戻す。濁った世界が眼前に広がる。どんなに目を見開いても、それ以上の情報は得られない。水中だとわかれば十分だろう、とでも言いたげに耳奥では水泡が弾ける。こんな最期は嫌だ。おれは藻掻いて浮上を試みるも、四肢には力が入らない。
とりわけ足が重い。足下を見れば、コンクリートの塊が縄で足首に括りつけられていた。縄は随分と水を吸っているらしく、足首を断ち切らんばかりの締め付け具合だ。一瞬、馬鹿げた連想をして後悔する。リベンジは無理か。川魚が頬を撫でていく。
そこは海じゃないのか。川だと場所にもよるが、流れ着くまでに見つかるリスクが高い。所詮はセクサロイド。専門外のことに関しては、子ども並みの思考回路しか持ち合わせていないようだ。いや、その前に客を殺すな。そして隠蔽するな。生きて帰れたら、電話に出た
折角いい刺激を受けたのに、これじゃあ書き起こせない。自主企画の主催者には悪いことをした。どのみち書いても、怪文書と一蹴されたかもしれないが。意識が遠くなってきた。もうかなり息をしていない。うねる水流に身を委ねて、うつ伏せに仰向けに。
まるで虫の死骸になった気分だ。おれこそが天道虫なのか。朧げな視界に太陽が映り込む。見間違いかもしれない。幻覚かもしれない。今となってはどうでもよかった。水流に弄ばれるようにして手を伸ばし、光の先を指先でなぞる。川底から見た太陽は歓喜に揺れていた。
嗤わないでくれ、これに勝る悦楽は他にない。
了
天道虫を抱いた男 島流しにされた男爵イモ @Nagashi-Potato
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