第二話 夢想家への鎮魂歌

 歯を磨いてクソをしたら、携帯の3D表示機能を使って、宙に光線でウェブの画面を表示させる。おれの今の仕事であり趣味。ネットでの小説投稿だ。紙の本は嵩張る。時代の流れとともに淘汰されていった。一方でウェブ上なら、どこでも気兼ねなく読書を楽しめる。書き手には投稿作品の閲覧回数によって金が転がり、運営は広告収入で儲かる。

 ウィンウィンの関係というわけだ。なによりも、おれには知名度がある。適当に短編でも投稿すれば、一時間で二万回の閲覧はざらだ。売れっ子作家のように名声をほしいがままにはできないが、ほんの少しの自尊心と腹を満たすことはできる。

 今日はどんな作品を書こうか。このところは似たような構想しか浮かばない。自分が一番わかっている。おれが一発屋だという確たる証拠だ。所詮は井の中の蛙に過ぎなかった。惰性に任せてページを下に繰っていく。すると、そこには「自主企画」という欄が。

 これはこの小説投稿サイトの利用者が、各々で企画を立てて人を募るイベントのようなものだ。名前の通っている人間が参加しても、冷やかしや騙りと思われるので普段は素通りしていた。が、不思議とある自主企画に目が留まる。その名も「天道虫で小説を書け」。

 詳しく読めば、三題噺に似た内容だった。決められたお題で一つの物語を作る。これが難しいようで、慣れてくると中々に面白いのだ。早速、おれはこの企画に向けて筆を執った。

『以前、抱いた女が天道虫になった。それは見目麗しき女で、尻はインゴッドのような妖艶さを内包していた。あの感触は今でも忘れない。ほどよく湿り、温かく、淫蕩いんとうな響きを耳朶じだに焼き付け、僕は逝った。嗤わないでくれ、あれに勝る悦楽は他にない』


 約束の時間になった。玄関ドアを猫が叩いている。茜色の空に舌打ちを一つ。書きかけの原稿を閉じてドアを開ける。そこには、真っ赤なワンピースに黒い斑点を載せた女が立っていた。三十代の細身、髪はブラウンに染めたショートで、色白の顔は中堅女優に勝るとも劣らない美しさ。どこかニヒルさを感じさせるセクサロイドだった。

「あのー、ご要望通り」

「帰ってくれないか」

 奴は形だけの悄然しょうぜんとした表情を作る。冗談じゃない、これは天道虫じゃない。上手く言語化できないが、そんな世俗的で形式的なものじゃない。もっとこう、根源的な。

「根源的な、なんです?」

 しまった、口に出ていた。とはいえ相手は機械女。客であるおれの言うことを、妄言だと切り捨てはしないだろう。連中は形式上、人間と同様の感情や身体構造を持ち合わせている。状況に合わせて喜怒哀楽を示し、破損すれば赤く染色された駆動溶液を流す。

 こと会話においても、きっと美辞麗句という名の虚飾で間を持たせてくれるだろう。おれはすべてをぶち撒けた。天道虫に心を奪われ、憔悴と渇望の狭間に溺れていることを。

 滔々とうとうと語るうちにセクサロイドはニヒルの仮面を取り払い、聖母の如く慈悲深い笑みを見せてくれた。おれの脳味噌は「感動しろ」と電気信号を神経細胞に飛ばす。

「そうですか、それはお辛かったですね」

 玄関先で泣き崩れるおれを、セクサロイドは優しく包んだ。

「お客様は、かつて抱いたセクサロイドが心残りなのですね。であれば、私の方から一つご提案が。私の性格モデルに、その個体のデータを転送するのはいかがでしょうか」

 その手のことに門外漢であるおれは「はあ」と間抜けな声しか出せなかった。そんな心情を汲み取ってか、女は微笑みながら詳細を説明してくれた。

 セクサロイドにはそれぞれ性格モデルが搭載されているのだという。これは顧客の嗜好に沿うためであり、傾向データの収集にも関わるらしい。そうしたデータは顧客一人ずつ小分けに分類して管理されているそうだ。つまり今、目の前に立っている女の性格も、おれの嗜好を分析した結果の産物というわけになる。そして、肝心のデータの転送。

 おれの買ったセクサロイドは累計六十体にのぼるが、そのすべてのデータは一体と欠くことなく会社のデータベースで管理されている。であるならば、天道虫になった女のデータもあるはず。それを眼前の女の性格モデルに移せば擬似的ではあるものの、くだんの女との再会を果たすことができるのだ。おれの逡巡は、射幸心がぺろりと食べてしまった。

「頼む、もう一度会いたいんだ!」

「承りました。今回だけ、特別にですよ」

 ですが、と女はもったいぶった風に言う。

「我々は弊社の意向を第一としています。そのため、お客様が不利益を被ったとしても」

「どうでもいい、早く!」

 女は「失礼します」と断って、おれの手を取る。マイクロチップの埋め込まれた辺りに手を滑らせ、なにやら指紋で読み取っている。女の目には数式の羅列が潮の満ち引きのように行き来している。やがて、再起動する、と言って直立不動で瞑目した。今さらながら誰かに見られてはまずいと思い、おれは急いで女を家の中に引きずり込んだ。

 女をソファに寝かせ、カーテンを閉める。心臓がうるさい。胸の中でDJがビートを刻んでいる。無理もない、今度こそ当たりかもしれないのだから。あの悦楽をもう一度味わえるのだ。今日死んでも構わない。おれは手早くシャワーを済ませ、リビングに戻る。

 ちょうど女は起きたらしく、ぼんやりとおれの方を見ていた。データの転送が済んだのか確認すべく問う。すると、女は先ほどとは打って変わって太陽のような笑みを作った。

「うん、もう大丈夫。ずっと待ってたんでしょ?」

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