天道虫を抱いた男

島流しにされた男爵イモ

第一話 クルクル空回り男

 この前、抱いた女が天道虫になった。

 おれは新たな天道虫を探して、今日もセクサロイドと体を重ねている。いや、そんな上品なものじゃない。溜まった情欲と、爪の先ほどの射幸心を満たそうとしているだけだ。決められた流れ作業をこなし、相手はそれに合わせて四〇〇〇ヘルツの嬌声きょうせいで応えるだけ。

 考えるだけで馬鹿らしい。それでも体は正直なようで、こんな簡単なことで一時の全能感に浸ることができる。余韻に体を震わせ、おれはまだ怒張している陰茎を機械穴から抜く。セクサロイドは計算ずくの恍惚とした表情を浮かべていた。

「……お前はちがう。さっさと失せろ」

 おれはベッドに投げ出されたスキャナーを、腕に埋め込まれたマイクロチップにかざして後金を払う。セクサロイドは顔を上気させながら「ちょっとお喋りしようよ。それか二回戦する?」と腕を絡めてくるが乱暴に振り払う。ピロートークなんざ生の女ともご免だ。

 それよりも天道虫を探す方が、よっぽど有意義な時間の使い方だろう。急に真顔になってロングコートを羽織る奴を尻目に、おれは預貯金残高を確認すべくスキャナーを覗き見る。液晶画面には、おれを嘲笑うかのように整然と五桁の数字が並んでいた。

 六万円。今月はあと一回、女を買うので精一杯。これ以上、生活を切り詰めることはできない。そんな焦燥をよそにセクサロイドは玄関で踵を鳴らす。

「本日は弊社のサービスにご満足いただけましたでしょうか。お客様の職業レートであれば、「破壊」を除く多種多様なフェティシズムに対応した素体をご用意できます」

「もういい、出ていけ」

「またのご利用をお待ちしております」

 安っぽい香水の匂いを残して、奴は去っていった。

 ドアが閉まったのを確認してシャワールームに向かう。今月で八回目だ。いくら機械女を抱こうと、一向に天道虫は現れない。いっそのこと生の女も考えたが、セクサロイドの進出で相対的に人間の方の値段が高騰した性風俗産業に、そんな妥協は通じない。それに一発屋の貧乏作家の懐は、年を重ねるごとに寒くなる一方。土台、無理な話だった。

 デビュー当初はビルダー系作家として名を馳せたおれだが、貧相な暮らしのせいで今は当時の面影など見る影もない。壁の鏡に映る冴えない中年の容貌は、いつかの近代文学作品に見た死体漁りそのものだ。あの天道虫をもう一度見るために、すべてを犠牲にした。

 おれは適当にシャワーを浴び、バスタオルを頭から垂らしたまま全裸でリビングに戻る。四六時中同じことを言うテレビを消し、眠剤を口に放り込む。夜は余計なことばかり考えてしまう。目を瞑った瞬間、朝になっていればいいのに。そんなことを思っていると、瞼を開けておくのも億劫になってきた。おれはリビング脇のベッドに仰向けに倒れ、薄いレースのカーテンの隙間にちらつく、星の子どもたちに意識を寄り添わせた。

 起きたのは昼前だった。おもりでも入っているかのようにひどく揺れる頭に、思わず顔をしかめる。こんなことが何年も続いている。いい加減飽きてきた。この国で銃の携帯が許されるのなら、真っ先に拳銃自殺しているところだ。脳幹を撃ち抜けば、一瞬であの世のはず。

 顔を洗って、そんなくだらない考えを抜け毛とともに洗面台に落とし、カーテンを引く。嫌味かと思うぐらいに空は晴れ渡っていた。天気がいいと、なぜか陰鬱になる。くすんだ窓に不機嫌そうな男が映る。そうだ。窓越しにおれの裸を見た奴は、一日を微妙な気分で過ごせばいい。世にんだ廃人からのプレゼントだ。とくと目に焼き付けろ。

 まるで意味がわからない。なにを考えても非生産的。とりあえずパンツだけ穿いて、台所に歩いていく。足下に転がる食パンの袋を手に取り、流し台に敷いた俎板まないたの上に中身を出す。包丁を手に、切り幅を目算して刃を落とす。手元が狂った。

 刃先が食パンに乗せた親指に食い込む。咄嗟に包丁を流し台の中に投げ捨て、舌を鳴らす。口が乾いているせいか、小さな音しか鳴らなかった。傷口から点々と血が流れる。一つ一つが丸く、まるで指の上を天道虫が歩いているかのようだ。思わず見入ってしまう。

 それも血の流出に伴って、やがては一本の線になってしまった。おれは傷口を水で洗い流しながら、横顔に陽光を受ける。窓を射る初夏の日差しが鬱陶しい。

 そんな折、天気も相まってか天道虫がふいに頭に浮かぶ。その昔、太陽に向かって飛んでいくことから、天道虫は太陽神の使いと考えられていたと。仮にこれが事実なら、あながち間違いじゃないと思った。天道虫はおれを生かす最後の命綱。母なる太陽神の贈り物だ。

 そうとなれば善は急げ。机に転がせた携帯を取り、贔屓ひいきにしているセクサロイド派遣会社に電話を入れる。二十四時間営業、性病なし、秘密厳守のフリーセックスジャパンへ。呼び出し音が二回、音程の狂った調子外れな機械音声が応える。

「天道虫のような女を頼む。下着も天道虫だ」

「……幼児ノ素体ヲゴ希望デショウカ」

「ガキじゃない、いい塩梅あんばいの女を寄越せ!」

 自分で言ったことを棚に上げてまくし立てる。時刻だけ指定して携帯を投げた。気持ちが逸るあまり、開口一番にとんでもないことを口走った気がする。しかしながら、それが本音。仕方なく、おれは約束した十六時まで昂る心を鎮めることにした。

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