死んだ彼はケダモノだった。犯れることなら大体犯ったような人だった。
彼を喪って私の生活もぼろぼろと崩れていった。
死の真相を探るうちに見えてくるのは、破滅への抗いがたい魅力であった。
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この作品は非常に黒い。
テーマ性とか所業がではなく、表層のみに留まらない破綻者の描写が黒い。
傷んだ食道にテキーラを流し込むかのような突き抜けた痛快がある。
タイトルにもある通り、この作品はケダモノたちの日常、それこそ手慰みのようなものなのだろう。
その中でどれだけ破滅や悲鳴やロマンスが生まれようとも、それは彼らにとっては慣れた雑踏でしかない。
読んだ私はそんな雑踏に迷い込んだ旅行客と言ったところだろう。
周りを見渡し、立ち竦むしかなかった。
テセウスの船。有名な思考実験のひとつだ。パーツを換装して、しまいには元のパーツが無くなってしまった船は最初の船と同じなのか。
そんな問いだ。
その有名な思考実験をベースに組み立てられたこの話は、人間をどう着飾って組み立て直して、元の姿を失わせたって、本質の人間らしさ。濁りのようなものは変わらないままだと教えてくれるような毒が滲んでいる気がする。
しかし、生憎と、解釈ってのは万人に共通で与えられる形質のものではない。
それだから、自らの解釈を見つけるために。
例えば、いくつかの文を読むための取っ掛かりでもいい。この文章を一読してみることを推奨する。
尊大な口調で申し訳ない。
推薦文の類いは慣れていないのです。