第4話 深く歪な仕組みで
タクシーを使って事務所に向かおうにも、こんなずぶ濡れの客がシートに腰掛けるのを、ドライバーは間違いなく嫌がるだろう。
そんなわけで、コンビニでビニール傘を買いに行ったんだけど、当然のように店員から嫌な顔をされたのは言うまでもあるまい。
そりゃそうだ。ひどい土砂降りになるって予報もあったのに、それを信じず傘を持ってこなかったアホが店の床を濡らしてたら、俺だっていい思いはしないだろうからな。
「……あの、久城さん……」
「えっと、なに? 雨宮さん」
「……ごめんなさい、私のせいで……」
七十センチのビニール傘も、この雨の中じゃ二人で身を寄せるには頼りない。
これ以上ずぶ濡れになるよりはいくらかマシなのかもしれないけど、焼け石に水とはこのことだ。
雨宮さんはきっと、店員からいい顔をされなかったことに引け目を感じているんだろうけど、その辺なら多分九割ぐらいは俺の自業自得だから問題ない。いや、問題だらけだけど。
「ああいや、大丈夫だよ! そもそも俺が傘持ってこなかったのが悪かっただけだし、雨宮さんが気にすることないって!」
「……傘、持ってこなかったんですか……?」
「昨日も晴れてたし、どうせ降らないだろってタカを括ってたらこのザマだよ」
降水確率八十パーセントが昨日外れた翌日に傘なんて持ってくるのもアホらしい、なんて考えを抱いていた俺の方がアホだったというだけの話だ。
でも仕方ないだろ、昼間はあれだけ晴れてたってのにさ、夜になった途端、思い出したようにバケツをひっくり返したような土砂降りになるだなんて、全く思いもしなかったとも。
まあ、その結果がこれなんだけどな。雨宮さんには全くもって申し訳ない限りだ。
「……久城さんは、その……変わった人、なんですね」
「割とよく言われるかな、別な会社の面接でもエキセントリックな人だとか言われて落っこちたよ、はは」
変わった人というか変わろうとして四苦八苦してた人というか。いや、そういう意味じゃないんだろうけども。
それはともかく、雨宮さんが俯いているのを見るに、渾身の自虐ネタはドン滑りだったようだ。
雨宮さんが俺のしょうもない失敗談を肴にして、少しぐらい笑ってくれたら御の字だったんだけど、冷静に考えたら笑えるような状況でもないから、仕方あるまい。
また一つ黒歴史を積み上げてしまったな、と心の中で恥入りつつ、俺は「ヴァイスライブ」の入っている駅裏の雑居ビルを目指して歩いていた。
芸能事務所といえばそれこそ港区やら六本木辺りにどーんとデカい自社ビルを構えているイメージだが、弱小もいいところなうちはこんなものだ。
東京二十三区にギリギリ収まってはいるし、片田舎と切り捨てるにはそこそこアクセスも良好だからなんともいえない、そんな土地。
事実上開店休業状態であることを考えれば、家賃やら光熱費を払えているのが不思議なぐらいだ。
そこは俺が頑張るしかないんだけど……ままならないことってあるよな。
考えたくはないけど、うちが潰れたら借金の一部は肩代わりさせてもらおう。一生かかってでも返してやるから。
「……あの、えっと」
「雨宮さん?」
「久城さんの事務所って……どんなところ、なんですか……?」
雨宮さんは恐る恐るといった調子でそう問いかけてくる。
それはそうだ。今時、名前も聞いたこともないような事務所に行くと聞いて、不安にならない方がおかしい。
とはいえ、「ヴァイスライブ」の惨状を正直に明かしたところでこの話はなかったことに、なんてことになっても仕方ないけど……嘘をつくよりは万倍いいか。
「そうだなあ、できたばっかりで所属アイドルもタレントも一人もいない事務所だよ」
「……えっ?」
「プロデューサー兼マネージャーは俺しかいないし、他にはバイトの事務員さんが一人いるくらい。どうする? 今からでもやめておくっていうなら、せめて駅までは送らせてもらうけど……」
困惑する雨宮さんに、俺は洗いざらいをぶちまけて、曖昧に笑った。
せめて人当たりをよくしようと努力してきた過程で身につけた営業スマイルだ。
笑ってる場合じゃないんだろうけど、冗談みたいな我が事務所の惨状は、一周回って笑うしかないからな、本当に。
「……いえ、その……その方が、いいです」
俯いて、髪の毛を指先に巻きつけながら、静かに雨宮さんは呟いた。
含みがあるその言葉の裏に、なにがあったのかを詮索する資格は俺にはないのだろう。
ただ一つ、一つだけいえることがあるとするなら、それは。
「ありがとう、雨宮さん」
冷静に考えたら、怪しさしかないような俺を信じてくれたこと、死ぬという選択肢を捨ててくれたこと……他にも色々あるけど、結論はその一言に尽きた。
事務所に行ったところで、彼女が抱えている問題がまるっと解決したりしないことは百も承知だ。
社長がいくら芸能界に対する事情通だからといって、弱小事務所のうちじゃあ残念ながら「シュヴァルツェスブルク」と正面切って戦うことは無理だし、その上でなにができるのかって話については、残念ながらひとときの気休めにしかならないだろう。
それでも、雨宮さんが俺を信じてくれた、信用に値する人間だと少しでも思ってくれた以上、できる限りの手は尽くすつもりだけどな。
「いえ、そんな……私の方こそ、ありがとうございます……」
「お礼を言われるようなことじゃないさ」
「……違います。だって、久城さんが来てくれなかったら、私……どうなっていたかわからないですし……だから、久城さんは……命の恩人です……」
助けたことは確かだけど、命の恩人と呼ばれると色々重いな。
雨宮さんが俺のどこに生きる希望を見出してくれたのかはわからないし、多分それも思い上がりなんだろうけどさ。
でも、重かろうがなんだろうが、俺が選んだことならその結果を最後まで背負うのが、責任ってやつだ。
雨宮さんは今、それどころじゃないぐらい追い詰められているけど。
その雨が止んだら、霧が晴れたら、少しはまた笑えるようになってくれればいい。
今後、彼女がどんな道を選んだとしてもだ。
なんて、な。どうにもこういう話は背中がむず痒くなってくる。
先のことを考えておく必要がないとはいわない。むしろ、先々を見据えて行動できる方が、芸能界じゃ重宝されるんだろうけどな。
ただ、来年の話をすると鬼が笑うとも人はいう。だから今は、未来のことは未来の自分に丸投げだ。
「そっか。そう言ってくれるのは嬉しいな。俺としてもさ、雨宮さんが踏みとどまってくれて、生きててよかったって、そう思ってるから」
「……い、いえ……とんでもない、です。私なんて……」
そう自分を下げる必要もないとは思うけど、雨宮さんの中ではまだ引っかかりがあるんだろう。
考えてみれば、それも当たり前のことだ。
だから、これ以上はやめにしておく。お互い遠慮し合ったときほど気まずいことはないからな。
「さて、話は変わってもうすぐ事務所に着くけど……雨宮さんは本当にうちに来てよかったのか? 言っちゃなんだけど、本当になにもないんだけど」
「はい……その、芸能界の知り合いとか……いない方が、落ち着きますから……」
「結構人見知りする方なんだ」
「……はい。ダメ、ですよね。アンゼリカはあんなにキラキラしてて、元気なのに……中身だった私が、こんなジメジメしてて」
ダメってこともないと思うけどな。
確かに俺はアンゼリカのことが最推しだったし、彼女みたいにいつも明るく元気でいたいと思って必死に変わろうとしていたけど、だからといって、アンゼリカ・ベルナルと雨宮深月を同一視しているわけじゃない。
Vtuberにしろアイドルにしろ、俺たち社会人にしろ、公の前に出る姿を人は多かれ少なかれ演じている。
素のままで世の中を渡り合うなんて、不可能な話だ。もしもそんなやつがいたら、俺は逆に警戒してしまう。
無頼漢であろうとするのは勝手だけど、勝手を貫き通そうとするなら、それ相応に代償は重くのしかかってくるものなのだ。そういう、深く歪な仕組みでこの世界は回っているのだから。
「雨宮さんは確かにアンゼリカだったかもしれないけど、その前に雨宮さんだろ? なら、それでいいじゃないか」
「……ありがとうございます。でも、私……ドジで、ノロマで、役立たずですから……」
「そんなことない……って言えるほど君との付き合いが長いわけじゃないけどさ。でも、役立たずってのは違うと思う」
「……っ……!」
「例え台本通りに読まれてたんだとしても、俺は君の……君が、雨宮さんが演じていたアンゼリカに救われたんだから」
少なくとも一つは役に立ってるぞ、と、慰めにしてはスケールが小さいけども、それだけは伝えておきたかったんだ。
「……」
俯く雨宮さんが前を向くのには、まだ時間がかかるのかもしれないけど、いつかはきっと前を向いてくれると信じている。
楽観的すぎると、社長には怒られそうだけどさ。
「さて、着いたよ。雨宮さん」
「……ここが……」
なんて話をしている間にも、俺たちは「ヴァイスライブ」が間借りしている雑居ビルに辿り着いていた。
一階には中華料理屋があるから、昼飯には困らないことが取り柄みたいな、それ以外はコメントに困るような古めかしい建物。
その上階に、俺たちの事務所はひっそりと、肩を寄せるかのように居を構えていた。
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