第12話 一緒に「おやすみ」

 思ったよりも長湯をしてしまった。


 雨宮さんのスク水姿が今も脳裏をちらついているのは、きっと、突然の出来事に動揺しているからに違いない。

 だから、そういうことにしておく。


 そんな話はともかくとして、お互い、この狭い部屋で快適な生活を送るためにはチェックリストというか、共通認識を持つための手段を早く構築しなきゃいけないな。


 コンタクトを外して、風呂上がりの髪の毛をドライヤーで乾かしながら、ぼんやりと考える。

 ある程度髪型にこだわるにしろそうでないにしろ、女の子の髪の毛に比べれば、男のそれは格段に楽だな、と自分でも思う。


 頭の片隅に、他愛もないことが浮かんでは消えてを繰り返す。

 それはやっぱり、現実逃避なのかもしれなかった。


 根拠を挙げるなら、風呂場での出来事は、出会い頭の衝突事故みたいなものだったから例外だとしても、一つしかないベッドを共有して寝るのは確定事項だから、に尽きる。


「……久城さん、お風呂上がったんですね」

「まあ、うん」

「……結構、長い方なんですか?」

「どうだろうね、あまり人と比べないから」


 煙に巻くような言い回しは好きじゃないけど、まさか雨宮さんが乱入してきたからだなんて、口が裂けても言えないし言うつもりもない。


 のぼせかけている顔色から、俺の言葉に嘘が含まれていることがバレやしないかと今度は冷や汗をかく羽目になったけど、雨宮さんは大して気にした様子もなく、小首を傾げていた。


 キャリーバッグの中に収められていた、ソシャゲに出てきたゆるキャラじみたボスのぬいぐるみを抱きながら、ぺたんと座り込んでいるその姿は、写真の一枚でも撮れば雑誌の表紙にでもできそうなくらいに愛らしい。


「そのゲーム、雨宮さんもやってたんだ……っていうか、それはそうだよね」


 アンゼリカが、件のゲームのガチャ配信やストーリー攻略配信をやっていたのは記憶済みだ。

 事実上天井がないに等しいガチャの結果に、画面の前にいる俺すら胃酸が逆流してくるのを感じてたな。懐かしい。


「……えっと。はい……ゲームの分のお金は、お給料から出してました」

「ひどい会社だ」


 アンゼリカのガチャ爆死配信は定期的に切り抜きが作られてバズっていたけど、それが会社の支援で充てられた予算からじゃなく、給料で──自腹であの爆死芸をしてたのかと思うと、なんというか胃がきりきりと痛み始めてくるというか、己が恥ずかしくなってくるというか。


「……どこの会社でも、自腹を切るのは当たり前だって……マネージャーさんが」

「他の会社のことは知らないけど、俺が配信を企画するならある程度予算は経費で落ちるようにしておくかな」

「……そうだったん、ですね……」


 心の底からしょんぼりしたといった風情で、雨宮さんは抱き寄せていたぬいぐるみに顔を埋めて俯いてしまった。


 なんというか、なんだ。気持ちはわかる。

 でも、こういうときに必要なのは安っぽい同情とかじゃないんだよな。あまり深入りしないことだ。


 しかしアンゼリカが、雨宮さんが爆死してた配信のメッセージボックスに「チケット一枚で引けました!」みたいなメッセージを送っていたやつは人の心がないんだろう、多分。

 俺が同じ状況に陥ってたら多分普通にキレてるぞ。よく笑いの種に変えられたものだよ、本当に。


「……でも、この子をお迎えしたのは、後悔してないです」

「そうだね、物理的になにかが手元に残るっていうのはいいことだよ」


 大なり小なり、ソシャゲやそれに類するものをやってない人間の方が少ない現代だ、十連ガチャ一回が虚無の結果で終わったとしても、その虚無に三千円を払った事実に変わりはない。


 なら、最初からなにかしらが手元に残る公式グッズだとかに金を落とした方が百倍ぐらい建設的なんだよな。


 頭じゃそうわかってても、人間は俺を含めてついついガチャを回してしまうんだから射幸心というのは恐ろしい。いや、依存症か?

 そこまではいってないと思いたいところだけど、否定する根拠がないのが改めて恐ろしく感じる。


「……えっと。久城、さん」

「どうしたの、雨宮さん?」

「……これから、その……寝るんですよね……?」


 ぬいぐるみを抱きしめたまま、雨宮さんは上目遣いでそう問いかけてきた。


 そうなんだよな。

 壁に隣接しているシングルベッドはギリギリ二人寝られるだけのキャパシティは確保しているけど、やっぱり今からでも俺が床で寝た方がいいんじゃないかという疑念が湧き起こる。


「どうする、雨宮さん? 今からでも俺が床で寝ても構わないけど」

「……だ、ダメ、です。久城さんが、風邪引いちゃいます……」


 そう簡単に引くかな、と返すのは野暮というものなんだろう。


 それに、雨宮さんが俺を気遣ってくれているだけじゃなく、万が一湯冷めして風邪を引いたら、彼女にも、事務所にも迷惑がかかるのもまた事実だ。


 うーん、腹は括ったつもりだけど、いざ踏み出すとなると躊躇いが邪魔をしてくる。

 逃げるよりも進んだ方が多くのものが手に入るとかなんとか、どこかの誰かがそう言ってたけど、進み続けて得られるものは幸福だけじゃないんだよなあ。


 いや、雨宮さんみたいな子と一つ屋根の下で過ごせるのは客観的に見れば幸福に値するのかもしれないけどさ。

 常に社会的な死と隣り合わせにならなきゃいけないっていうプレッシャーは、馬鹿にできたものじゃない。


「……わかった。とりあえず電気消してもいいかな」


 リモコンに手をかけながら、問いかける。

 

 ええい、俺よ、いい加減腹を括れ。

 どの道雨宮さんを助けた時点で、訳ありな子が抱えている「訳」に足を突っ込むことになるのは確定済みなんだから。


「お願い、します……」

「狭いだろうけど、ごめんよ」


 雨宮さんが先にベッドに入ったのを確認してから、俺もまたその隣に入れてもらう。


 わかっちゃいたことだけど、シングルベッドに二人で寝るってのは相当狭い。

 ぬいぐるみを抱いて寝ようとしていた雨宮さんがそれを手放して、枕元に置く程度には。


 スマートフォンをキャビネットの充電器に繋いでスリープモードにすれば、一切の明かりが消え果てた部屋が夜に染まった。


 眼鏡を外しているのもあって、近くのものも薄らぼんやりとしか見えない暗闇の中で、雨宮さんと触れ合った俺は、くっきりとその輪郭と体温を感じる。


 特段、夜に思うことはなかったけど。

 案外、一人の夜っていうのは、俺が思っていたより寂しいものだったのかもしれないな。


 なんとなくだけど、誰かと触れ合うことで初めて感じる孤独みたいなものがあるっていうのも、不思議なものだ。


 親元を離れて長い俺でさえ、こんな風にしんみりとした気持ちになるんだ。

 だから、雨宮さんは。


「……っく……ぐすっ……」


 静かに啜り泣く声が、音の消えた部屋に響く。

 きっと、ずっと、無理をしてたんだろう。

 俺なんかが訳知り顔で踏み入るのはおこがましいことなんだろうな。でも、そんなのは百も承知だ。


 承知の上で、少しだけ踏み入るなら、その心に、傷だらけになったそれに触れることが許されるとしたら。


「……ごめん、なさい……ぐすっ……私、わたし……っ……」

「いいんだ、雨宮さん。泣いたって、弱音を吐いたって、世界を恨んだって」


 俺の胸板に顔を埋めて泣きじゃくる雨宮さんの涙を受け止めることが、してあげられる精一杯で、最大限のことなんだろう。

 つらかっただろうよ。こき使われるような扱いを受けて、人気が出てきたら捨てられて。


 それは、人を家畜にする行いだ。許されちゃいけないことなんだ。

 もちろん、「シュヴァルツェスブルク」が一枚岩だとは思っちゃいない。会社の規模がデカければデカいほど、考えの相違や派閥みたいなものもそれに比例していく。


 ただ、そういう──雨宮さんをアンゼリカ・ベルナルから降ろすことを快く思わなかった派閥に、力がなかった。

 それだけの話だ、と、切って捨てるにはあまりにも重いけど。事実や現実は、ときに嘘よりも残酷に人を傷つける。


「ごめんなさい……ダメな子で……ごめんなさい……っ……」

「……雨宮さんは、ダメなんかじゃない」

「……でも、私……アンゼリカじゃなくなったら、なんにもない……アンゼリカじゃない私なんて、愚図な、役立たず、だから……っ……」


 だから、約束していたはずの新しいモデルだってもらえなかった。


 ──だから、捨てられた。


 世界が終わってしまったかのように、明日にでも死んでしまうと告げられたように、雨宮さんは嗚咽する。

 ここで俺がなにを言っても、どれだけそれが思い込みだと否定しても、きっと彼女には届かない。

 わかっている。わかっているけど、それでも。


「……アンゼリカのこと、大事にしてくれてたんだね」

「……ぐすっ……」

「……ありがとう、雨宮さん。世界の誰がなんと言おうと、俺は君がアンゼリカでいてくれたことが嬉しい。今もアンゼリカを大事に思ってくれてることが嬉しい。だからさ」


 今は好きなだけ、泣いてもいいんだ。

 諭すように、そう囁く。


 例え、雨宮さんの心の奥深くに俺の言葉が届かなくたっていい。だとしても、どんな理由であっても、相当無理して演じていたはずの「雨宮さんのアンゼリカ」に、俺は救われたんだ。


 これだって、ちっぽけかもしれないけど、事実に違いはない。


「──っ!」


 声にならない叫びが、涙になって赤い瞳からこぼれ落ちる。言葉にならない悲しみと怒りと悔しさが、嗚咽になって夜のしじまに溶けていく。


 そうして雨宮さんが泣き疲れて眠りにつくまで、俺はその呪いを、行き場のない思いをぶつける壁の代わりを務めていた。


 これで恩を返せたとは思わない。これで、劇的になにかが変わるとも思わない。


 ──ただ。


 明日目覚めて起きたとき、少しだけ雨宮さんが前を向けていたらいいな、と、そう願いながら、俺もゆっくりと瞼を閉じた。


 おやすみなさい、と、いつ最後に言ったか思い出すことすら難しい言葉と共に。

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