第13話 これが私のしたいこと

 雨宮さんとの同居生活は、最初のうちこそハプニングがあったりもしたけど、概ね上手くいっているといってもよかった。


 雨宮さんを助けてから一週間。

 とりあえず、お互いの認識をすり合わせるために作ったチェックリストのおかげで、初日みたいなことは今のところ起こっていないから一安心だ。


 いつか本気で背中を流しにいきたい、と思っていそうなところがあるのが大分怖いというか危ういけど、ちゃんと隣の部屋に引っ越せばそんな気も起きなくなるだろう。

 そうであってほしい願望込みだけど。


 その話は一旦置いておこう。

 トーストに牛乳という軽めの朝食を済ませて、俺と雨宮さんは「ヴァイスライブ」の事務所へと向かっていた。


「雨宮さん、どう? 事務所には慣れた?」

「……少しだけ。蔵前先輩も……優しいので」

「美羽さんは優しいっていうか大らかっていうか……それもそうだね」


 細かいことをあんまり気にしない性格だけど、仕事は正確無比にこなしているから、美羽さんを見てるとギャップで風邪引きそうになるんだよな。

 でも、雨宮さんが言った通り優しい人なのに間違いはない。


 最初は人見知りが発動していたけど、今は割と気兼ねなく雑談にも応じている辺り、雨宮さんも雨宮さんなりに美羽さんと打ち解けたようでなによりだった。

 そういう人だから、社長が選んだともいえるんだけど。


「……でも、お仕事には、あんまり」

「あー……そうだなぁ、俺から一つ言えることがあるなら、美羽さんと比べない方がいいよ」


 あの人、未来でも見えてるんじゃないかってぐらいにはタスク処理が正確だからなあ。

 社長もそんな人材をどこで拾ってきたのか。

 一応は俺も拾われた側だけど、今のところこれといった成果を上げられていないから悲しくなってくる。


 社長の目を節穴にしないためにも、今日も全力で営業活動という名のスカウトを頑張らなきゃな。


 おっと、話が逸れたか。

 本題に戻るなら、美羽さんがなにかとハイスペックすぎて比べるとつらいってところだったな、確か。


「……そう、ですね」

「比べるなっていうのが難しいのもわかるけどね」


 人は誰しも比較したがるものだから、仕方ないといえば仕方ない。

 どんどんなにかしらの数字が可視化されていく世の中で、それに囚われてずぶずぶと底なし沼に引き摺り込まれていくやつは珍しいものじゃない。


 その最果てが迷惑系動画配信者だとか、暴露系Vtuberだとか──まあ、ろくでもないやつらだよ。

 過激なことをすれば確かに目立つかもしれないし、悪名は無名に勝るともいうけど、人の道を踏み外してまで承認欲求を満たそうとするのはどうかと思うね、俺は。


 そんな他愛もない話だけど、もし本題があるとするなら、雨宮さんは今、自分のしたいことをできているのかとか、そういうことになるんだろう。


「率直に言って、雨宮さんは事務員としてやってけそう?」


 だから、俺は問いかける。

 もし、雨宮さんの本音が事務員は向いてないから他のことがしたいだとか、極端な話、「ヴァイスライブ」を離れたいとかだとしても構わない。


 本音をいうなら事務所には残ってほしいと思うけど、合わないことを無理に続けさせるのもダメだろう。

 生活費の工面は大変かもしれないけど、アルバイトとかでやっていくと雨宮さん本人が決意したなら、それは尊重されるべきことだ。


「……正直、私に事務員さんは向いてないかな、って」

「そっか。事務所にいるのは、つらい?」

「……いえ、それは全く」

「なるほど」


 うちの事務所にいてくれるのが苦痛じゃないというのはありがたい限りだけど、一方で、合わないと感じている事務員の仕事を続けさせていくのもよくないことだろう。

 そうなると、手っ取り早く浮かぶのは、タレントに転向することだけど。


 俺がその先を考えるよりも早く、ラッピングが施された電車が、駅のホームに滑り込んでくる。

 車体にプリントされているのは、「シュヴァルツェスブルク」に所属する中でもチャンネル登録者数が莫大なVtuberたちだった。


 そこには当然、アンゼリカ・ベルナルの姿も含まれているわけで。


 俺たちの目の前に止まった、アンゼリカのラッピングが施された車両の扉が自動で開く。

 雨宮さんは、一瞬、迷ったように、そうでなければ困ったように──車体にプリントされたアンゼリカを見つめていた。


「……アンゼリカ」


 ぼそりとその名を呟いた雨宮さんの表情はさながら、懐かしさだとか悔しさだとか悲しさだとか、色々な感情が綯い交ぜになったパッチワークだ。

 それでも、紅玉みたいな瞳の奥に微かに灯る明かりは、消えていなかった。


 電車に揺られて、目的地へ。

 あっという間にすし詰めになった俺たちは、窮屈な思いをしながらも次の駅まで運ばれていく。


 レールをなぞるだけの人生なんて退屈だとどこかの誰かが言っていたけど、先の見えない世界の中じゃ、次の駅があるだけマシなんじゃないかと思える辺り世知辛いね。

 今は、行き先を見失って止まっている雨宮さんにも、ちゃんと次の駅があればいいんだけど。


「……久城さん」

「どうしたの、雨宮さん?」


 雨宮さんが口を開いたのは、そんなことを薄らぼんやりと考えながら、事務所までの道を歩いていたときだった。

 俯き、なにかを言いたそうにしている雨宮さんは、すーはーと浅い呼吸を繰り返すと。


「……この事務所って、本当に……タレント候補の人、いないんですか」

「悲しいことにね」

「……そう、ですね……なら……」


 もう一度息を深く吸い込んで、吐き出して。

 雨宮さんは、意を決したように胸の前で拳を固めて、舌先に乗せたその言葉を言い放つ。


「……久城さん。許されるなら、私……もう一度、Vtuberがやりたいです」


 アンゼリカじゃなくたっていい。

 ただ、もう一度あの世界へ。


 それが自分にとって次の駅だと言わんばかりに、おどおどしていても、雨宮さんの瞳の奥には確かな意志が、その炎が爛々と輝き、燃えていた。

 だけど。


「雨宮さんが本気でそう思ってるなら、俺は応援したいし、できる限りのことは尽くすつもりだよ。でも」


 ──いいことばっかりじゃない。

 俺は改めて、その事実を誤魔化すことなく雨宮さんに突きつける。


 言ってて悲しくなるのは確かだけど、うちの事務所じゃ、「ヴァイスライブ」じゃ、「シュヴァルツェスブルク」にいたときのようなバックアップ体制も敷けないし、広告戦略の予算なんか、比べるのも馬鹿馬鹿しくなるレベルで、天と地ほどの差があるのは歴然だ。


 全くのゼロから始める個人勢よりは、プロモーションだとか、そういうものに勢いをつけることはできるかもしれないけど、逆にいうなら、事務所が個人勢と張り合っているようなレベルだということでもある。


 そして、その壁を乗り越えたって、人気が出るとは限らない。かつて、アンゼリカをやっていたときほどの脚光を浴びられる可能性は──厳しいけど、ゼロに極めて近いだろう。


 それでも、雨宮さんがその道を選ぶなら。

 例えどんなに過酷だろうが地獄だろうが、ついていくだけだ。

 俺は、「ヴァイスライブ」のプロデューサー兼マネージャーだからな。


「……それでも、私……やりたいです。どんなに厳しくても、つらくても……久城さんがいてくれるなら、がんばれます」

「……雨宮さん」

「久城さんは、私の……命の恩人ですから……私を、救ってくれた人ですから……だから、少しでも力になりたいです。それに、勝手な都合かもしれませんけど……もう一度、私の声を、皆に届けたい……です」


 もしも俺のためだけにその選択をするのなら、全力で止めていただろう。

 でも、確かにその熱は、人を夢に駆り立てるものは、「もう一度自分の声を誰かに届けたい」という願いは、雨宮さんの中から生まれたものに違いはなかった。

 だから、俺は。


「わかったよ、雨宮さん」

「……久城さん」

「タレントに、Vtuberに転向する件は俺から社長に話をつけておくよ。色々準備とかもあるからすぐってわけにはいかないけど……雨宮さんがやりたいっていう思いは伝わってきた。だから、全力で手助けさせてくれ!」


 親指を立てて、そう宣言する。

 例えそれが嵐の中に帆を張るような行為だとしても、どれだけ無謀なことだとしても。

 誰かの願いを叶えたいという思いで、夢を追う背中を押してやりたいという思いでプロデューサー兼マネージャーになったのだから、それが俺の選択なのだから、やり通す他にない。


「……ありがとう、ございます」


 はらりと、雨宮さんの瞳から一粒の涙がこぼれ落ちる。

 今はきっと、泣くべきときじゃないんだろうけどさ、いつか。

 その涙が笑顔に変わるそのときまで、がむしゃらに走り続けるだけのことだ。今はただ、それだけだった。

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雨の日に拾った美少女は、事務所に無理やり引退させられた最推しVtuberの中の人だった件〜元陰キャの俺と捨てられた気弱で人見知りなVtuberが送る甘々な成り上がり〜 守次 奏 @kanade_mrtg

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