第6話 四方も見えない八方塞がり?

「ふむ……雨宮くんの言うことが本当であるなら、さもありなんといったところだが」


 雨宮さんから事の顛末を聞いた社長は、頷きながら静かに唸った。

 さもありなん、ってことは「シュヴァルツェスブルク」って相当真っ黒な事務所なのか?


 確かに、事前になんの告知もなくアンゼリカの魂が交代したり、それ以前にも結構な数のメンバーが短期間で卒業してたりしたものだけど……いや、今思えば心当たりが多いな?


「雨宮さん。他にも、なにかあったりしない?」


 だとしたら、他にも色々とヤバい火種を抱え込んでいる可能性は否定できない……というか、ほぼほぼあると見て間違いないだろう。

 俺は、雨宮さんへとそう問いかける。


 業界最大手に近い事務所と、弱小もいいところなうちがやり合えるとは思わないけど、正直なところ、人見知りという域を超えている雨宮さんの低姿勢を見ていると、そう疑いたくなるのも必然ではあった。


「……えっと、スケジュールがいっぱい詰まっていて。休みとかもほとんどなくて……」

「確かに、それはあったね」


 アンゼリカの生放送はいつ寝ているんだと心配になるぐらいの頻度でやっていたし、その上深夜枠もあったから、雨宮さんにかかる負担は尋常じゃなかっただろう。


 もっとも、リスナーとしてそれを楽しみにしていた俺がいえる義理じゃないんだけどな。


 ただ、コメントの中にもスパチャと一緒に「ゆっくり休んでもろて」みたいな内容のはちらほら見受けられたし、アンゼリカのスケジュールが相当無理があるんじゃないかというのは、SNSや掲示板で話題になっていたものだ。


「……それに、私……見ての通り、全然明るくなくて、もっと大人しめなモデルでのキャストを希望してたんです……でも、明るい天使みたいなVtuberがアンゼリカだし、アンゼリカをやるのが嫌ならクビだから、って。正直、無理して演じてるとこもありました……幻滅しちゃいますよね、ごめんなさい……」


 じわり、と、赤みがかかった瞳に涙を滲ませて、雨宮さんは俺と社長に頭を下げる。


 別に謝る必要なんて、どこにもないと思うんだけどな。実際、悪いのは無茶なスケジュールや、本人の意向を無視して無理やりモデルを当てがった企業側だ。


 俺が雨宮さんの演じるアンゼリカ・ベルナルに助けられたことは確かだけど、それとこれとは流石に話が別だろうよ。


「ふむ……久城くんはどう思うかね?」

「……正直、俺もアンゼリカの配信を楽しみにしていた側なので、これについては反省するばかりですが……幻滅はしていませんよ」


 本当は無理をしていた、と言ってくれただけでも、雨宮さんのつらかった記憶を少しでもここに置いていけるなら、それで十分だった。


「だ、そうだ。雨宮くん、君はどうも自分を過剰に責めすぎているところがあるね」

「……ごめんなさい……」

「ああ、すまない。怒っているわけではないよ……どうも私は口下手でいけないな、久城くん」


 ははは、と、冗談めかして社長は苦笑いを浮かべていたけど、実際その通りだから困る。


 壮年だというのにもかかわらず、筋骨隆々としたガタイのよさだとか、常にかけている眼鏡の奥で煌々と燃えている情熱や単刀直入な物言いは、カリスマ性を感じて人を惹きつけるところもあれば、威圧感を抱いて苦手意識を抱く人もいる。


 俺はどっちかというと社長の背中に憧れた方ではあるけど、人見知りな雨宮さんにとって、この手のタイプは苦手な部類だろう。


「俺も、雨宮さんに幻滅はしてないよ。だから安心して……っていっても、今は色々難しいだろうけど」

「……久城さん」

「とりあえず話を戻そう。雨宮さんは音声記録だとか、録画映像だとか、そういうのを持ってないんだね?」


 俺の問いに、雨宮さんは静かに首を縦に振った。

 相手事務所がやってきたことに対する客観的な証拠があれば、裁判に持ち込めるかもしれなかったけど、流石にそれを学生に期待するのは無理があったか。


「ふむ……物的証拠がないのでは、立件するのも難しいな。それに立件できたとしても、やつらを法廷に引きずり出すのはほぼ不可能だろう」

「それはなぜです、社長?」

「簡単な話、圧力だよ。『シュヴァルツェスブルク』にはそれができるだけの資金力がある……やり合おうと思えば、正直な話、我々の事務所何個分の資金が必要になるか、わかったものではないのだよ、久城くん」


 やっぱり金と圧力か。

 大手事務所はマスコミとズブズブの関係を築いていることもあって、そういう問題が山ほど裏で葬られているとは風の噂で聞いていたけど、実際に聞かされると反吐が出るな。


「なら、彼女は……」

「うむ……雨宮くん、君は事務所を追い出されるときになにかの誓約書を書かされたかね?」


 社長の問いに対して、今度は頭を左右に振る形で雨宮さんは無言の返事をする。

 そうなると、本当に社内政治の果てに自主退職扱いにされたってところか。


 いよいよもってきな臭いどころか、四方八方に火の手が上がっているような様相を呈してきた。

 解決とはいかなくても、なにか進展があるかと思って社長を頼ったのはいいとして、社長ですらお手上げとなれば、いよいよ俺にできることなんて。


 そう、諦めかけた瞬間のことだ。

 脳裏に電流が走ったかのような衝撃を、そうでなければなにかの天啓を受け取ったような晴れやかさを、俺は確かに感じていた。


「雨宮さん、誓約書は確かに書かされていないんだね?」

「……はい。ただ……出ていけ、って言われただけで、なにも……それに、お家も……家賃補助をもらっていたから、引っ越さなきゃいけなくて……」

「社長。それなら、うちでしばらく雨宮さんの身柄を預かることはできないでしょうか?」


 行く場所がなくて金にも困っているなら、急拵えではあるけど、うちでバイトをしてもらうという手段はある。


 他の事務所へ移籍しようにも、雨宮さんがアンゼリカの魂をやっていたことを知っている同業者は少なくないだろうし、そうなれば、大体の事務所は問題の火種を抱え込みたがらないだろう。


 情けないのはわかっている。

 でも──うちの事務所なら、知名度がないに等しい「ヴァイスライブ」なら、ほとぼりが冷めるまで、雨宮さんがいる場所としては最適なんじゃないだろうか。


 その一心で、俺は社長に進言した。

 いってしまえば俺の提案は雨宮さんが今後どうしたいかを考えるまでの猶予期間……モラトリアムみたいなものだし、会社の利益にはならないけど、金のことで切羽詰まって、また自殺に追い込まれるよりは遥かにいいはずだろう。


「ふむ……君の言うことにも一理ある。だが、それは我が社の利益に繋がるものかね?」


 社長の言うことはもっともだ。

 ただでさえ赤字経営を続けているのに、更に一人分、人件費を余計に払わなければならないというのは大きな痛手になるだろう。

 それぐらいは、俺にもわかっている。


 ──だとしても、だ。


「雨宮さんが将来的にどんな選択をするかは、彼女自身の問題ですが……未来への投資と見れば、決して悪い選択肢ではないと思います」


 雨宮さんがVtuberやアイドルとして芸能界に復帰したいかどうかはわからない。


 むしろ、社内政治の都合で一方的に追放されたことや、過酷なスケジュール進行でもう二度と戻りたくないと思っている可能性の方が大きいのは、容易に想像できるだろう。


 それでも、なにもVtuberやアイドル、女優……そういう花形じゃなくたって、芸能界で生きていく手段はある。


 美羽さんが今は一人で回している事務作業だって、万が一にも、いや、億が一とかそんな確率かもしれないけど、「ヴァイスライブ」がこの先軌道に乗り始めたら、人手が足りなくなるかもしれないからな。


 もちろん、雨宮さんが芸能人として業界に戻りたいというなら大歓迎だ。どちらにせよ俺が人並み以上に頑張る必要はあるけど、選択肢として、決して悪いものじゃない。


「ならば一層奮起することだ、久城くん。私は君の熱意に賭けた身だ。未来にそれ相応の見返りがあることを信じているよ」

「……ありがとうございます!」


 今のところダメもダメな、三流プロデューサー兼マネージャーな俺の取り柄があるとするなら、それは熱意ぐらいなのだろう。


 身を結ぶかどうかもわからないその可能性を信じて、社運を託してくれている──その責任は果てしなく重いけど、応えてみせるのが託された側の義務というものだ。


「……え、えっと……?」

「雨宮さんにはしばらくここで事務員として働いてもらうことになった、って話だよ」


 もちろん、嫌じゃなければだけど。

 困惑している雨宮さんにそう告げて、俺は美羽さんが柔らかい笑顔を浮かべながら、書類の類を持ってくるのを一瞥する。


「……嫌なんかじゃ、ないです。むしろ、ごめんなさい……私なんかのために……」

「雨宮さんがこれからどうしていくかはゆっくり考えてくれればいいからさ、とりあえずは……ここを居場所だと思ってくれていいよ」


 多少狭いかもしれないけど。

 俺が飛ばした冗談に、雨宮さんは少しだけ口元を緩めて、笑顔のなり損ないみたいな、曖昧な表情を浮かべていた。


 いつか、ちゃんと彼女が笑える日が来てほしい。心の底から、楽しいと思えるなにかを見つけてほしいと、そう願う。

 そのためにも、まずは俺が頑張らないといけないんだけどな。

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