第9話 同居生活ハプニング

 床で寝る。

 そうすれば、ベッドを雨宮さんに明け渡せる。問題があるとするなら布団が一セットしかないことだけど、暖房つけっぱなしにしてればどうということはあるまい。


 それに、座椅子の背もたれはかなり後ろに倒せるようになっているから、簡易ベッドとして使えなくもないしな。


「……そ、それは……流石に、久城さんに申し訳ないです……」


 我ながら名案だ、と頷いてはみたけど、雨宮さんの反応は芳しいものじゃなかった。

 とはいえ、ベッドが我が家には一つしかなくて、来客の想定もしていないから布団も一式しか揃っていないのだ。


 そんな環境で女の子を床に寝かせて俺がのうのうとベッドで眠るなんて真似をするのは、とてもじゃないけど耐えられない。

 相手が女の子だからとか関係なく、ほら……良心とかあるだろ、そういうの。


 なにより、客をぞんざいに扱うなんて、客商売やってる身からすれば失格もいいところだしな。


「いやいや、雨宮さんに床で寝ろってわけにもいかないでしょ」

「……わ、私は別に……床でも……」

「雨宮さんが大丈夫だとしても、俺が見ててつらいから」

「……それ、は……」


 ただでさえ雨の中、公園で野宿しようとしていたのが雨宮さんなんだから、明日からどうするかは一旦置いておくとして、せめて今日ぐらいはあったかい布団に包まって寝てほしい。

 それが、人情というものだろう。


 とりあえずはめくり上げた布団に、座卓に置いていた消臭剤を噴射しながら俺は曖昧に笑った。

 なんというか、大丈夫だよな? 一応定期的に干してるし掃除もしてるつもりだけどさ。


「……やっぱり……久城さんに、悪いです……」

「遠慮なんていらないって。この部屋に越してきたときなんて、ベッドが届くまで二週間かかるって言われてさ、その間はずっと床で寝てたんだしさ」


 それぐらいなんのこれしき、今更だ。

 笑顔で俺はそう宣言したけど、雨宮さんの中でわだかまりは解けていないみたいだった。

 仕方ないといえば仕方ないんだろうか。それとも、俺の笑顔に説得力が足りてないんだろうか。


 いや、両方か。

 もう少し自然な感じで笑えたら……それこそ、アンゼリカみたいに、っていうのは雨宮さんの前じゃ不謹慎かもしれないけどさ。


 なんというか、笑顔に説得力があってこそのスカウトでありプロデューサー兼マネージャーだと思うから、その辺はまだまだってとこだと思い知らされる。


「……な、なら……せめて」

「せめて……?」

「……い、一緒に……ベッドで、寝ません、か……?」


 デジャヴというかなんというか、今飲み物を口に含んでなくて本当によかったと、そう思う。


 いや、確かにそれは解決策の一つかもしれないけど。俺から雨宮さんになにかいかがわしいことをするつもりは断じてないと、神様にだって誓っていえるつもりだけど。


 いくらなんでもそれは無茶すぎないか。主に俺の、心の準備ができていない。


 でも、雨宮さんは本気なんだろう。

 頬を赤らめて俯きながらも、上目遣いでこっちを見据える視線には、確かな覚悟が宿っていた。


 どうする。どうすればいいんだ、俺は。

 雨宮さんの申し出を素直に名案だと受け入れるのもハードルが高いし、かといって彼女の厚意を無下にするのもよろしくない。


 シングルベッドとはいえ、確かに詰めればギリギリ二人ぐらいは寝れなくもないだろう。でも、だからといって。


 くぅ、と、腹の虫が癇癪を喚き立てる音が聞こえたのは、そんな具合に思考がぐるぐると迷走を始めたときだった。

 かあっと頬を赤らめた雨宮さんが、お腹の辺りを押さえて床にへたり込む。


「……雨宮さんは、お腹減ってる?」

「……あ、あの……その……そうじゃ、なくて……その……」


 くぅ、ともう一度腹の虫が、本人に代わって俺の問いかけを肯定する。

 それもそうか。いきなり家を追い出されて、公園でずぶ濡れになっていたんだ。

 まともな食事もとってないと考える方が普通だろう。


「とりあえず雨宮さんは……申し訳ないけど、風呂場を使って着替えてきてもらっていいかな。その間に俺も着替えて、なんか作ってるから」

「……はい、その……ありがとう、ございます。私なんかの、ために……」


 そこまで自分を卑下する必要はないと思うんだけど、それはきっと無理な話なんだろうな、雨宮さんにとっては。

 気持ちはわかるとか、安っぽい同情を寄せるつもりはない。

 でもさ、自分がどん底まで落ち込んでるときっていうのは、誰の言葉も届かなくなるものなんだ。善意も、厚意も。


 その代わり、悪意だけが深々と突き刺さるようになるんだから、理不尽だよな。

 時間が癒してくれるとも限らない、そんな厄介でどうしようもない傷跡。

 俺は、アンゼリカのおかげで──雨宮さんのおかげで救われたけど。


 俺が、雨宮さんにとってのアンゼリカになれるのかどうかは、正直ちょっと自信がない。

 それでも、雨宮さんが少しは前を向けるように、追い詰められてなにかを選ばされるんじゃなく、自分の中で整理をつけて考えた上で、前向きにその先を選べるようになるまでは、手伝いをしたいんだ。


 キャリーケースを引きずって、風呂場に向かった雨宮さんを横目で見やりながら、俺もまた濡れそぼったスーツやワイシャツを脱いで、クローゼットに保管してある部屋着に着替える。

 スーツは上下適当に干しておくとして、下着とかは洗濯カゴにぶち込んでおく。


「さて、と」


 雨宮さんの洗濯物とかも考えたら、さっさと洗濯機を回してしまった方がいいだろう。

 流石に俺のと一緒に洗われるのは嫌だろうからな。こういうときに、隣人がいないっていうのは大助かりだ。


 洗濯機を回してから、俺は狭いキッチンに立って、適当に冷蔵庫の中身を確認する。

 なんか色々入ってはいるけど、どれから消費するか悩むな。確か今朝方タレに漬け込んでた牛肉があったはずだからそれからにするか。


 ミディアムレアだと心配だからミディアムくらいまで焼いて、その片手間にトマトとレタスを刻んで、トースターに食パンをセットして。


 あとは薄切りにしたローストビーフ……とは厳密にいわないんだろうから、もどきに和風ドレッシングをかけて、トーストに挟んだものを包丁で斜めに両断すれば、サンドイッチの完成だ。


 型崩れしないように楊枝で留めておくのも忘れちゃいけない。見た目にこだわらないんなら誤差といえば誤差だけど、こう、なんか作ってるうちに凝りたくなってくるんだよ。


 果たしてローストビーフもどきサンドが女の子の口に合うのか、夜食に相応しいのかはさておくとして、これで料理は完成だ。

 そして、雨宮さんも着替えが終わったのか、浴室の扉を半分だけ開けたところからひょっこりと顔を出す。


「……あ、あの……着替え……終わり、ました」

「洗濯物は次に洗濯機回すときに入れてくれると助かるよ、干すとこが一つしかないのは申し訳ない限りだけど……」


 俺の部屋に置いてある室内用の物干しラックだけしか洗濯物を干せる場所が物理的にも予算的にもないのは本当にごめんとしか言いようがない。

 できる限り気にしないつもりだからそれで許してほしい、なんていうつもりはないし、同居生活が長引くならその辺も考えないといけないよな。


「……あ、いえ……その……大丈夫です……」

「ごめんよ、本当は俺がもっといい物件に住めるくらい稼げてたらよかったんだけど」


 都会の一等地に聳え立つタワマンとかな。

 一億二億は端金なものをポン、と買えるような連中とは、悲しいことに住んでる世界が違うんだ。


「……ごめんなさい、気を遣わせちゃって」

「謝らなくていいよ。それより、ご飯でも食べてくつろいでくれると嬉しいよ」

「……は、はい……あの……よろしく、お願いします……」


 そう言って、浴室から姿を現した雨宮さんは……なんというか、こんな狭い部屋には似つかわしくないくらいに、輝いて見えた。


 ブランド名はわからないけど、なんかよくSNS映えするとかしないとか、そんな感じの話題にちょくちょく上がっているもこもこした感じの部屋着だ。


「……可愛いな」

「えっ……あっ……えっ……?」

「あっいや、ごめん。単にそう思っただけで、深い意味とかはないんだ」


 思わずそんな言葉が口をついて出てしまうほどに、甘々とした印象を受けるその部屋着は、雨宮さんに似合っていた。

 もこもこした部屋着を楚々として控えめな感じの雨宮さんが着てると、なんだか小動物みたいだな、と、そんな他愛もないことを思う。


 だけど、雨宮さんは、ぽろぽろと涙をこぼしていた。


「ごめん、雨宮さん。調子に乗りすぎた」

「……いえ、違うんです。可愛いって……そんなこと言われたの、いつ以来か……わからなくて……」

「……そっか。とりあえずご飯食べよう。話はそこからだ」


 雨宮さんがどんな人生を送ってきたのかはわからない。

 それでも、ただ一つ言えることがあるとするなら、彼女はひどく傷ついている──それだけだ。

 落ち込んだときはあったかい部屋であったかいもの食べてあったかい風呂に入ってあったかくして寝ろ、なんて月並みなことをいうつもりは更々ない。


 ただ、少しでもマシになるなら。

 今よりちょっとでも、気持ちが嫌な過去から逸れてくれるなら。ほんの僅かでもいいから役に立ちたいと、そう思うだけの話だった。

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