第10話 湯上がりエンカウンター

「どうかな、口に合うといいんだけど」


 ぽろぽろと涙をこぼし続けている雨宮さんが、恐る恐るといった様子でローストビーフサンドに口をつけたのを見て、俺は問いかける。


 自炊に凝っているわけじゃないけど、作っているうちになんかこう、色々やりたくなるときってあるよな。

 とはいえ、自分で作る分には自己満足で済むからいいとしても、客に振る舞うとなれば話は別だ。


「……おいしい、です」

「よかった、味付けが濃くないかとか、色々心配だったからさ」


 男の料理っていうのはどうしても味が濃くてボリュームがあるものに流れがちだからな……っていうのはステレオタイプが過ぎるか。

 なんにせよ、雨宮さんの口には合ってくれたようでなによりだった。


 気を遣ってくれてる可能性も否定できないけど、手を止めることなくサンドイッチを食べ続けてくれているのを見るに、その可能性は低いと考えてもいいだろう。


 ほっと胸を撫で下ろす。なんというか、趣味で凝り出したものを他人に見せるときって緊張するからな。


「……あったかいご飯、久しぶりに食べました」

「……マジで?」

「……いつもは、カロリーブロックとゼリー飲料とか……コンビニのおにぎりとかで、済ませてましたから……」


 どれだけ過酷な食生活を送ってきたんだ、この子は。

 いや、深夜枠とかやらされてた時点で生活リズムもなにもあったものじゃなかっただろうから、それも仕方ないのかもしれない。


 俺がアンゼリカの存在に救われたことは確かだけど、物事にはなにかしら代償があって、それを払わされていたのが雨宮さんだと考えると、非常に複雑な気持ちになる。


「……おいしい……」


 泣きながらローストビーフサンドをちまちまとつついている雨宮さんの様子を見ていると、なんというかこう、心を痛めずにはいられない。


 そりゃあ俺だって、そのときは一介の高校生に過ぎなかったさ。それに、「シュヴァルツェスブルク」がそこまでブラックだったなんて予想もしていなかった。

 だけど、そんなのは言い訳にしかならないんだよな。


 知ってしまった以上、触れてしまった以上、俺はその代償から、雨宮さんの痛みから目を逸らしちゃいけないんだ。

 重く沈んだ空気に若干の気まずさを感じながら、俺もまた自作のサンドイッチに口をつける。


 うーん、味がしないな。

 味覚が変になったとか、そういう意味じゃなく、こう……気まずさでそれどころじゃないってだけの話だけど。


「……ごめんなさい。辛気臭い、ですよね」

「いやいや、でも雨宮さんに美味しいって感じてもらえて、俺は嬉しいよ」


 一応、嘘は言っていない。

 小狡い大人のやり口だ、と自虐しながら愛想笑いを浮かべる自分の情けなさが、一周回って滑稽でさえあるな。


「……ごめんなさい、なにもかもお世話になりっぱなしで……」

「雨宮さんが謝る必要はないと思うけど……」

「……えっと、なら……ありがとうございます。あったかいお部屋と、食事と……色んなものを、分けていただいて……」

「それなら、どういたしまして。俺でよければ、できる範囲ではあるけど全力で頑張るからさ」


 だから、困ったときには頼ってほしい。

 俺が雨宮さんに望むことがあるとするなら、なにかを分けた代償を求めるなら、それだけだった。


「……は、はい。その……気が早いですけど……お風呂とかは……」

「一応俺が洗うつもりだけど……」


 言いかけたところで気づく。

 確か今の風呂場には雨宮さんの着替え類が置きっぱなしになっているであろうことに。

 流石にそれを見ないふりして、風呂掃除をするわけにもいかないよなあ。


「……え、えっと。なら、私が……洗います」

「ごめん、手伝ってもらって」

「……いえ、久城さんには……返しきれないくらいの恩をもらいましたから。私も、私にできることがしたい、です」


 おお、なんというか……重いな。

 折り目正しいのはいいことかもしれないけど、やっぱりそこまで気負う必要はないんじゃないか、とは思うけど、雨宮さん本人がそれを望んでいるなら、水を差すのも無粋というものだろう。


 それなら風呂掃除は雨宮さんに任せて、一番風呂を浴びてもらうことにしよう。

 元々一番風呂は雨宮さんに入ってもらうつもりではあったけど。


「それじゃ、悪いけどよろしく。頼んだよ、雨宮さん」

「……はい。頼まれ、ました」


 相変わらず細い眉は八の字を描いていたけど、どことなく満足げに見える顔になったのはいいことなのかもしれない。

 ローストビーフサンドの残りを一気に押し込んで、ついでに座卓へ運んでいた牛乳で流し込む。


 食事を一足先に終えた俺は、雨宮さんがもそもそとサンドイッチと格闘している姿を横目に見つつ、テレビをつける。

 相変わらずメディアはどこそこのアイドルがどうしたとか、俳優がどうのこうのとか、そんな話ばっかり垂れ流していた。


 昔はなんとも思わなかったけど、いざ業界に入ってしまうと色々複雑な気分になるな、こういうのは。

 気が滅入りそうだからミュートに設定して、天気予報の時間までぼんやりと映像だけが流れていくのを見送る。


 ちらりと振り返れば、雨宮さんもローストビーフサンドを食べ終えたのが伺えた。


 ちょうどいい頃合いだ。

 天気予報は……あとでスマートフォンでも見ればいい話だな、うん。


 ごちそうさまでした、と小さくこぼした雨宮さんに、お粗末さまでした、と返して、俺は食器を洗いに、雨宮さんは風呂を洗いに向かう。


 洗濯機も止まったみたいだし、中身も回収して干さないとな。一人暮らしってのは案外やることが多い。

 実家じゃ親がやってくれたことがいかに大変で、ありがたかったのかがよくわかる。


 そんなことを薄らぼんやりと頭の片隅に浮かべて、俺たちは淡々と、それぞれのタスクをこなしていく。

 そして、自分の洗濯物を干し終わった辺りで、呑気なメロディと共に風呂が沸いたことを伝える合成音声のアナウンスが聞こえてきた。


「雨宮さん、風呂沸いたよ」

「……あ、はい。それでは……お先に浴びさせていただきます」

「俺のことは気にしないで、ちゃんとあったまってね」


 女の子がどれぐらい風呂に入るかはわからないけど、少なくとも男の俺よりは長いこと浸かる必要があることぐらいはなんとなく察せられる。

 長くて綺麗な黒髪とか、手入れするの大変そうだからな。ドライヤーも手伝った方がいいんだろうか。


 ぼんやりと雨宮さんの背中を見送りつつ、俺はふむ、と小さく頷く。

 そして、壁に飾ってあるアンゼリカのタペストリーを外して、畳む。


 今まで俺に活力をくれて、ありがとう。色々知ってしまった今は複雑だし、正直まだ割り切れてないけど、それでも雨宮さんが魂をやっていた「アンゼリカ・ベルナル」が最推しなのは変わらない。


 一つ、自分の中にあったなにかを心の引き出しにそっとしまうように、畳んだタペストリーをクローゼットの中に収納する。

 あとは、雨宮さんが風呂から上がるのを待つだけだ。そんな具合に、適当につけたテレビ番組を流し見する。


「……あ、ありがとうございました。お風呂、上がりました……」

「了解……っ!?」


 ほかほかと湯気を立ち上らせながら、浴室から上半身を覗かせた雨宮さんは、バスタオルを身体に巻き付けただけの状態だった。

 いや、その、なんだろう。

 目のやり場にめちゃくちゃ困る。


 濡れそぼった長い黒髪から水滴が滴るのも画になってるな、なんて現実逃避をしようにも、どうしても豊かに膨らんだその胸元に目がいってしまったのは、否定できないわけで。

 違うんだ、不可抗力なんだ許してください。


 ごろごろと転がって悶え苦しむ俺の姿に、雨宮さんは心底不思議そうに小首を傾げていた。


「あ、あの……私、なにか……」

「いや、雨宮さんは悪くないんだ、俺が悪いっていうかなんていうか、その……着替え、済ませてからにしてくれると助かるというか……」

「……っ!?」


 ようやく自分がどんな格好をしているのかに気づいてくれたのか、雨宮さんは浴室の扉をばたん、と閉める。

 俺もまた、気まずさを誤魔化すようにテレビをつけて、欠片も興味がない……といったら意識が低いんだろうけど、バラエティが流れていく様をただ見ていた。


 ああ、もちろん中身なんて頭に入らなかったともさ。

 湯上がりの雨宮さんが脳裏に浮かんでくるのをかき消すように頭を座卓に打ち付けるという奇行に走りながら俺は、前途多難な同居生活がまだ始まったばかりだという事実に、打ちひしがれる他になかった。

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