第8話 六畳一間に二人暮らし
雨宮さんが落ち着くまで待ってから、俺たちは社長の車で、住んでいるアパートまで届けてもらうことになった。
社長には迷惑をかけ通しているけど、流石にこの雨の中また、ビニール傘一本で帰るよりはマシだろうということでの決定だ。
誰だよ、天気予報をろくに信じなかったバカは。俺か。
冗談はともかくとして、雨宮さんが不動産関連の契約を進めるまでは、そして家具の類とかも買わなきゃいけないと考えれば、二人暮らしは結構長いこと続きそうだった。
推しの魂をやっていた女の子と二人暮らし。
どこのラノベか漫画だよ、ってシチュエーションではあるし、事実だけ抜き出せば羨まれるのもわからんでもない。
でもな、年頃の女の子と、高卒とはいえ社会人男性の二人暮らしなんて、お互い気を遣わなきゃならないことだらけなんだぞ。
一緒に暮らすっていうのは、そういうことだ。お互いがお互いの権利と立場をリスペクトできなきゃ成り立たない。
それが嫌だってわけじゃないけどさ、せめてこう……準備期間ぐらいは欲しくなるわけだよ。
「……久城さんは、私と暮らしたく……ない、ですか」
「えっ? いや、そんなことないって! ほら、ええと……」
「……ごめんなさい。迷惑、ですよね」
困ったな、これは。
雨宮さんは俯いて、指先にくるくると黒髪を巻きつけながら、落ち込んだ様子でそう言った。
迷惑だなんて一言もいった覚えはないけど、雨宮さんとの二人暮らしに抵抗感を覚えていたのは確かだから、反応に困る。
でも、そうだな。いい加減振り切るなり割り切るなりしないと、雨宮さんに失礼だ。
「何度も言うけど、迷惑なんかじゃないさ。ただ、家族以外の誰かと暮らすのなんて初めてだから……緊張してたんだよ」
「……緊張……」
「雨宮さんは、してないの?」
俺は流れを変えようと、そう問いかける。
結局のところ、不安だの懸念だの、そんなものが湧き出てくるのは、その先に危ないことがあるという予想があるからだ。
その危機管理能力だとか、ある種の予感というのは生存本能的に考えたら自然なことなのかもしれないけど、ときにはそれを踏み倒す必要があるのも、また事実ではある。
今が、そのときだというだけの話で。
「……緊張は、してます……私も、誰かと暮らすなんて、初めてですから」
「はは、それもそうか……あんまり綺麗な部屋じゃないけど、家が見つかるまではあんまり気にしないで、くつろいでくれると助かるよ」
家が見つかるまでといっても、社長の方針で雨宮さんの引っ越し先は隣の部屋と決まってるんだけどな。
同居人から隣人に変わるというだけだ。とはいえ、その二つが雲泥の差ではあるのは確かだけどさ。
「……久城さんは、優しいです」
「そうかな、そうあれたらいいとは思ってるけど」
「……だって、普通なら嫌だって言います。私が、逆の立場なら……」
それはそうだ。
雨宮さんの言ってることや感じてることは至極正しい。いくら困っているとはいえ、見知らぬ他人を、しかも異性を普段住んでる場所に上げてくれなんて言われたら、普通は断る。
──でもな。
「普通じゃないから、いいんじゃないかな」
「……えっ……?」
「今この状況、雨宮さんにとって普通だと思う?」
俺は尋ねる。
住む家を追い出されて、野宿ぐらいしか選択肢がないような誰かに、帰る場所もないような誰かに「帰れ」と冷たい現実を突きつけるほど、血が凍っちゃいない。
「会社の都合で一方的にクビになって、住んでる家も追い出されて、野宿ぐらいしか選択肢がないような状況は、どう考えても普通じゃないよ。そんなときに『普通』の選択肢を取るのって、おかしくないか?」
異常事態に通常事態と同じ対応をしてたら、明らかにダメだろう。
火事が起きたら消防を呼ぶし、なにか手に負えないトラブルがあれば警察を呼ぶ。自分で火を消したり、手に負えないトラブルをなんとかしようとしたって、火傷するだけだ。
今回、一緒に住むという話だって根っこは同じだろう。うだうだと考えてた俺が、偉そうにいえることじゃないけどさ。
「……それは……そう、です」
「だからいいんだよ、迷惑とか、そういうこと考えなくて。雨宮さんは誰かに助けてほしいと思った。俺は困ってる雨宮さんを助けたいと思った。この時点でお互い、納得してるだろ?」
いわゆるWin-Winの関係ってやつだな。
いや、厳密には違うんだろうけども。
とにかく、腹は括ったんだ。なんとでもなるはずだろう。
「……っ……ぐすっ……ごめん、なさい……ありがとう、ございます……」
「いいってことだよ。泣かないで……っていうのも難しいんだろうけど」
だから、少し落ち着くまではいくらでも泣いてくれて構わない。
俺が雨宮さんにとって、なんの力になれるかはわからないし、その保証だってどこにもないけども。
せめて、寄り添うことぐらいは、そうじゃなければ感情を洗いざらいぶつける壁ぐらいにはなれそうだから。
それぐらいのことは、してみせるつもりだ。
そして、どうやらそんなやり取りをしている間に、車は自宅の前まで到着していたようだった。
「ありがとうございます、社長」
「うむ、これも君が言った『未来への投資』の一環と思ってくれればいいさ。良い未来に繋がることを願っているよ」
「はは……鋭意努力します」
黒塗りのミニバンから降りた俺は、運転席の窓を開けた社長に頭を下げる。
期待が重い……のは仕方あるまい。
それだけの啖呵を切ったんだから、雨宮さんを助けることが、ひいては「ヴァイスライブ」の未来に繋がると言い切ったんだから、繋げてみせるのが仕事というものだろう。
社長のミニバンが去っていくのを見送りながら、俺はきつく、拳を固める。
「……ぐすっ……ふ、ふつつか者ですが……よろしくお願い、します……」
「そこまで気負わなくてもいいよ、むしろ俺の部屋で雨宮さんは本当に大丈夫?」
一応掃除はしてるから、極端に散らかってるわけじゃないけどさ。
俺の言葉に、雨宮さんはぽろぽろと涙をこぼしながら小さく頷く。
他に問題があるとするなら、そうだな。
それについても、もう腹を括る他にない。誰かが来ることなんて想定もしてなかった部屋に、年頃の女の子がやってくるなんて予想もしてなかったんだから。
オートロックを解除して、二階に繋がるエレベーターを起動させる。
そして辿り着いたのは、愛おしい……ってほど愛着があるわけではないけど、雨風凌げる俺の部屋だった。
どういうわけかは知らないけど、二階にいる住人は、今のところ俺一人だ。
別に事故物件ってわけでも、極端に造りが古いってわけでもないのに、なんか知らんけど人が寄りつかないとは大家さんがボヤいていたことだった。
そんな話はともかくとして、俺は覚悟と共に部屋の鍵を開けて、電気をつける。
そうして、ぱっ、と明滅する灯りの中に、浮かび上がったきたものは。
「……久城さん、これって……」
「ええと……アンゼリカのタペストリーだね」
オタクグッズ。
そのほとんどは実家に置いてきたから致命傷は免れたと思いたかったけど、タペストリーが堂々と部屋に飾ってあるのは流石に雨宮さんからすればドン引きだろう。
それに、アンゼリカの姿を見ることで、つらかったときのことを思い出させてしまうかもしれない。
そう考えたら、いくら最推しのグッズとはいえ、デカデカと壁にかけている場合じゃないだろうよ。
「ごめん、すぐ片付けるから」
「……いえ、その……大丈夫、です」
「本当に?」
「……はい。なんて言えば、いいのかな……私を、見てくれた人はちゃんといたんだな、って……少し、嬉しくなりました」
もう、私はアンゼリカじゃないですけど。
雨宮さんは自虐するなり、ぽろぽろと、眦に滲んだ涙をこぼしながらぎこちなく、笑顔の出来損ないみたいな表情を浮かべる。
そうだな、うん。
タペストリーはあとで撤去しておこう。
やっぱり、見ててつらくなるだろうから。
それ以外は全くもって普通の六畳一間といった風情な俺の部屋だけど、ここでまた一つ問題が出てくる。
ベッドにカラーボックスに座卓と座椅子。
最低限の家具だけでスペースのほとんどが埋まっているようなこの部屋に、二人分の寝床をどうやって確保するかということだ。
それに、着替えのこととかも考えなきゃいけないしな。そこら辺は最悪風呂場を更衣室の代わりにすればいいとして、どうしたものか。
「……あったかい……」
しばらく首を捻っていると、暖房に当たった雨宮さんが、ぽつりとそう呟いた。
そうだよな。あんな寒くて冷たい公園で一夜を明かすなんて、やっぱり冗談じゃない。
そのためにも、俺のやるべきことは一つ。
「雨宮さん、俺は床で寝るから、ベッドは好きに使ってくれていいよ」
床で寝る。当分はそれに尽きた。
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