繋ぐ糸の色を教えて ~紹鴎~

四谷軒

紹鴎という男

 武野紹鴎たけのじょうおうという男がいる。

 茶人である。

 生きた時代は、大体、織田信長が尾張を統一しようとあくせくしている頃、と思っていただければ良いと思う。

 いわゆる「わび茶」という茶の「やり方」を志向し、珠光(後世に「村田珠光」として知られる人物)と利休の間を「繋ぐ」人物と目されていた。

 ところが実際はそうではなく、彼、紹鴎は、どちらかというと、名物とされる茶器を集め、名画や名文を鑑賞しながら茶を喫するという「やり方」を好んだ。


 拙作は、ではその紹鴎が何故、珠光と利休を「繋ぐ」という立ち位置になったのか、といううひとつの想像である。











「何や、良いええもん、有らしまへんか」


 武野紹鴎はその時、奈良の町をそぞろ歩いていた。

 紹鴎はこれまで――泉州堺の豪商として知られ、時折、京の三条西実隆さんじょうにしさねたかを訪ね、その莫大な金銭かねや珍品を「みやげ」とし、和歌や古文、漢籍を習ったことで有名である。

 実隆は当時、この方面では最高の碩学である。

 しかし。



「実隆卿、やっぱワイには歌は無理でっしゃろか」


「ううむ、言いたくはないが」


 実隆は薄情ではないし、紹鴎ので暮らしていけることは十二分に承知している。

 されど。


「紹鴎はん、こればっかりはっちゅうもんがある。麿まろも言いたくはないが、ここで嘘ォついてもしゃあない……」


「ええねん」


 紹鴎は、実隆の発言と申し訳なさを断ち切るように、手を振った。


が分かっただけでも、儲けもんや。実隆卿に仰山ぎょうさん金銭かねェ払った甲斐かいィ有るっちゅうもんや」


 がはは、と豪快に紹鴎は笑った。

 おかげで実隆はすっかりいつもの澄まし顔に戻り、でも昔を学び今を興していく工夫は、歌に限らず、に生きる考えやで、と言って、その日の講義は終わった。



「せやかて実隆卿、実際、言われるともんがあるわぁ……」


 それから。

 紹鴎は茶に興じた。

 歌が駄目なら、茶でどうだ、という理屈である。

 むろん、当時、流行し出した、「名物」を使った茶を嗜めば、豪商同士のつきあいに有利だという打算もある。

 だが、そういう理屈や打算を超えて、紹鴎は茶に熱中した。

 気がついたら、今、隣を歩いている男を、弟子に抱えているぐらいに。


玄哉げんさい言います」


 辻玄哉という、やはり堺の豪商が紹鴎の「一の弟子」になった。

 ほかにも、坂内宗拾さかうちそうじゅうという鞘師(のちの曽呂利新左衛門)などが弟子になった。


「しかし、玄裁、ワレも怪体けったいな真似をするのう。わざわざ……ワイの弟子になるなんて」


「そないなこと言うたかて、紹鴎はんの茶ァは面白おもろい。これに付き合わんは、損や」


「せやかてなぁ……」


 そこで紹鴎は、三条西実隆の言葉を思い出す。

 、というものがある、と。

 玄裁には歌の才能があった。

 連歌会も何度か催している。


「そないな才ィ有る男が、何で」


 紹鴎はひとりごつ。

 当時、茶は流行し出したが、誰が師匠とかそういうのはあまり無く、まだまだ勃興したばかり。

 伝統だの格式だのは、これからの分野だ。

 そこが気に入って、紹鴎は茶の世界に入った。傾倒した。

 かつて、三条西実隆の説いた――昔を学び、今を興す――をやれるのではないか、と思って。

 案の定、昔の茶器――名物を使って、名文名画を鑑賞しつつ茶を喫するというやり方スタイルはうまくいった。

 これこそ茶の湯だ、というやり方スタイルになった。


「歌では出来ひんかったけど、茶ではかなったで、実隆卿」


 糸のこそちがうが、それでも、三条西実隆からの糸――教え――を繋げたという自負がある。

 優れた歌人である玄裁が弟子になったことが、ある意味、証左であろう。

 歌ではかなわなかったが、茶では

 そう、思っていた。


「……それでも、ちゃうねん」


 そう、違うのだ。

 紹鴎は、歌の名人を弟子にしてやったという卑小な満足感を自覚しつつ、それでも、それはという感覚をも、同時に自覚していた。


「何やろな、この感じ」


 気がつくと、玄裁は奈良の塗師ぬしの松屋から声をかけられ、挨拶をしていた。

 だから、さきほどからの紹鴎のひとりごとに、耳を傾けてはいない。


「……おっと、松屋さんいうたら、今度ォ、茶会やらしてもらうたなやァないかい」


 紹鴎が我も我もと松屋に声をかけ、そのまま松屋の茶室を見せてもらう運びになった。



 があった。

 その画は、唐土もろこしの五代十国のひとつ、南唐王朝の画家、徐熙じょきの筆になるさぎの画だった。


「お」


 名物や名画にうるさい、紹鴎の目に、その画はピンと来た。

 宋の太宗から「花果の妙、吾れ独り熙あるを知るのみ」と称えられた画家の力作ではあるが、紹鴎の目が見たのは、それだけではなかった。


「何やあ、この表装は」


 その画のの表装は、画それ自体がとても華やかなものであるにもかかわらず、質素だった。

 紹鴎が松屋に尋ねると、この画は当初、とても綺麗な表装をしていたという。


 だが。


 今では、ひどく質素なものに替えられている。


「ああ、それですか」


 松屋は非常に物腰の低い男である。

 奈良では知られた塗師であり――漆問屋であるにもかかわらず、松屋は、どちらかというと若僧の紹鴎と玄裁に対して、非常に丁寧に説明した。


「その画は、最初、東山殿(足利義政)が持っていた……とされています」


 その時は、華やかな表装だった。

 それを、義政からを譲り受けた者が、このような質素な表装に替えた、という。


「この方が――良いええ、言われましてな」


良いええ


 反芻しながら、紹鴎はその良さを認めた。

 腑に落ちた、と言ってもよい。

 綺麗な画と、質素な表装。

 その対が。対比が。

 観るものの目に画のうつくしさを訴える。

 それでいて、画を引き立てる表装の質素な中にも、またがあることを気づかせるのだ。


「そいで」


 紹鴎は今、つかみかからんばかりの勢いで、松屋に迫った。


「そいで……その人は……お方は、どないな人でっしゃろか?」


「もしや」


 これは、紹鴎の脇に控えていた、玄裁の声である。


「もしや……」


「何や、思いあたるんか、玄裁」


「はい。それは、珠光……たしか、『わび茶』をやってたいう、あのお方かと」


「さようにござりまする」


 松屋は嬉しそうに言った。

 珠光――後の世に村田珠光としても知られる「わび茶」の祖は、奈良の産だった。

 その縁から、松屋は鷺の画――「白鷺の画」を所持することになった。


「珠光さまは……名画名物の茶を、そこまで嫌ってはおられませんでした」


 松屋が問わず語りに言うことには――。

 名画でもこんな風に『わび』の味を持たせることができるし、むろん、名画は名画のまま鑑賞しても良い。

 そういう――そういう、自由な茶を好んだ。


良いええなあ……」


 その述懐は、紹鴎のものではない。

 むろん、紹鴎もそう思ったが、それより早く、玄裁が反応したのだ。


良いええ思うか、玄裁」


 紹鴎はこの時、だ、と思った。

 、というのは、かの三条西実隆から言われたことだ。

 昔を学び、今を興す。

 その、教えである。


「玄裁……今、糸を繋ぐで」


「糸? お師匠はん、何を言わはるんや」


「何でもええ。何でも……あんな、玄裁、あんたはん、この鷺の画ぇを観て、えろう感じ入っていたやぁないかい」


「……そら、そうですわ」


 玄裁には歌の才がある。「もののあはれ」や、「わび」や「さび」を知る心がある。


「よっしゃ決まりや。玄裁、あんたはんは、この珠光の茶ァを目指しなはれ」


「え」


 玄裁は腰を抜かした。

 紹鴎は名物を使った茶の第一人者である。

 それが、その真逆を行く、「わび茶」を、しかも己の「一の弟子」にそれをやれと抜かしているのだ。


「なして」


面白おもろいやないかい。それだけや」


「それだけ……かいな」


「せや」


 ぷ、と玄裁は破顔した。

 紹鴎は元より笑顔だ。

 つられて松屋も笑い出す。


「いやいや……この紹鴎、名物を使った茶ァこそ、身上と思うとる……思うとるけどな、やからと言って、こういう『わび茶』の良さをアカン言うことはないねん。しゃあけど、ワイがそれに向いていないことは知っとる。ほンなら、向いとる奴に、それをやらせた方が良いええ。何でか? それは……」


面白おもろいからや」


 玄裁と松屋は、同時に答えた。

 ……こうして、辻玄裁はわび茶への道を志向する。

 それを見て、紹鴎は「違う」という感覚から、己を解放することができた。


「ああ、ワイは――」


 糸を繋ぐことができた、と思った。



 そして月日が経って、玄裁は一人の弟子を得た。

 その弟子と共に、玄裁はまた、松屋を訪ねた。

 好々爺となっていた松屋は、喜んで玄裁と弟子を招じ入れた。


「……あの画をお願いします」


「うけたまわった」


 松屋がひょいひょいと歩んで、店の奥から出してきた鷺の画を観て、弟子は感歎した。


「これほどの画……きらきらしとる画ェを、この粗末な表装で」


 弟子は手に取らんばかりに画に近づく。

 玄裁がその肩をつかんで、押さえようとしたぐらいに。


「こりゃ凄い。凄いでんな、師匠」


「さよか」


 自分が師匠と呼ばれるようになるとは、と玄裁は頭を掻いた。

 だが、存外、玄裁の師匠・紹鴎も、今、玄裁が味わっているこそばゆい気分を味わっていたに相違ない。


「これは……どなたはんがこのような表装を?」


「それは……」


 松屋が得々と語り出す。

 珠光のことを。

 それにより、玄裁は弟子がその珠光をお手本とするであろうことを、何となく予感していた。

 きっと、あの時の紹鴎も、そんな予感を抱いたに相違ない。

 弟子が歎声を上げた。

 今が、その時だ。

 糸、紹鴎からの糸を繋ぐ、その時だ。

 紹鴎は決して「わび茶」を目指したわけではない。

 それが良いええものだと、感じただけだ。

 けれども、その「わび茶」が、もっと面白くなることを知っていた。

 自分にはできなくとも、この玄裁ができるということを。

 そして、玄裁がやがてその「わび茶」を弟子に継がせるであろうことを。


「与四郎、お前もその珠光はんの茶、やってみぃひんか」


 玄裁がそう声をかけると、与四郎は元気よく、「はい」とうなずいた。

 与四郎――田中与四郎。

 のちの千利休である。



【了】

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