繋ぐ糸の色を教えて ~紹鴎~
四谷軒
紹鴎という男
茶人である。
生きた時代は、大体、織田信長が尾張を統一しようとあくせくしている頃、と思っていただければ良いと思う。
いわゆる「わび茶」という茶の「やり方」を志向し、珠光(後世に「村田珠光」として知られる人物)と利休の間を「繋ぐ」人物と目されていた。
ところが実際はそうではなく、彼、紹鴎は、どちらかというと、名物とされる茶器を集め、名画や名文を鑑賞しながら茶を喫するという「やり方」を好んだ。
拙作は、ではその紹鴎が何故、珠光と利休を「繋ぐ」という立ち位置になったのか、といううひとつの想像である。
*
「何や、
武野紹鴎はその時、奈良の町をそぞろ歩いていた。
紹鴎はこれまで――泉州堺の豪商として知られ、時折、京の
実隆は当時、この方面では最高の碩学である。
しかし。
*
「実隆卿、やっぱワイには歌は無理でっしゃろか」
「ううむ、言いたくはないが」
実隆は薄情ではないし、紹鴎のおかげで暮らしていけることは十二分に承知している。
されど。
「紹鴎はん、こればっかりは才っちゅうもんがある。
「ええねん」
紹鴎は、実隆の発言と申し訳なさを断ち切るように、手を振った。
「それが分かっただけでも、儲けもんや。実隆卿に
がはは、と豪快に紹鴎は笑った。
おかげで実隆はすっかりいつもの澄まし顔に戻り、でも昔を学び今を興していく工夫は、歌に限らず、いろいろに生きる考えやで、と言って、その日の講義は終わった。
*
「せやかて実隆卿、実際、言われると来るもんがあるわぁ……」
それから。
紹鴎は茶に興じた。
歌が駄目なら、茶でどうだ、という理屈である。
むろん、当時、流行し出した、「名物」を使った茶を嗜めば、豪商同士のつきあいに有利だという打算もある。
だが、そういう理屈や打算を超えて、紹鴎は茶に熱中した。
気がついたら、今、隣を歩いている男を、弟子に抱えているぐらいに。
「
辻玄哉という、やはり堺の豪商が紹鴎の「一の弟子」になった。
ほかにも、
「しかし、玄裁、ワレも
「そないなこと言うたかて、紹鴎はんの茶ァは
「せやかてなぁ……」
そこで紹鴎は、三条西実隆の言葉を思い出す。
才、というものがある、と。
玄裁には歌の才能があった。
連歌会も何度か催している。
「そないな才ィ有る男が、何で」
紹鴎はひとりごつ。
当時、茶は流行し出したが、誰が師匠とかそういうのはあまり無く、まだまだ勃興したばかり。
伝統だの格式だのは、これからの分野だ。
そこが気に入って、紹鴎は茶の世界に入った。傾倒した。
かつて、三条西実隆の説いた――昔を学び、今を興す――をやれるのではないか、と思って。
案の定、昔の茶器――名物を使って、名文名画を鑑賞しつつ茶を喫するという
これこそ茶の湯だ、という
「歌では出来ひんかったけど、茶ではかなったで、実隆卿」
糸の色こそちがうが、それでも、三条西実隆からの糸――教え――を繋げたという自負がある。
優れた歌人である玄裁が弟子になったことが、ある意味、証左であろう。
歌ではかなわなかったが、茶ではやれた。
そう、思っていた。
「……それでも、
そう、違うのだ。
紹鴎は、歌の名人を弟子にしてやったという卑小な満足感を自覚しつつ、それでも、それは違うという感覚をも、同時に自覚していた。
「何やろな、この感じ」
気がつくと、玄裁は奈良の
だから、さきほどからの紹鴎のひとりごとに、耳を傾けてはいない。
「……おっと、松屋さんいうたら、今度ォ、茶会やらしてもらう
紹鴎が我も我もと松屋に声をかけ、そのまま松屋の茶室を見せてもらう運びになった。
*
その画は、
「お」
名物や名画にうるさい、紹鴎の目に、その画はピンと来た。
宋の太宗から「花果の妙、吾れ独り熙あるを知るのみ」と称えられた画家の力作ではあるが、紹鴎の目が見たのは、それだけではなかった。
「何やあ、この表装は」
その画のまわりの表装は、画それ自体がとても華やかなものであるにもかかわらず、質素だった。
紹鴎が松屋に尋ねると、この画は当初、とても綺麗な表装をしていたという。
だが。
今では、ひどく質素なものに替えられている。
「ああ、それですか」
松屋は非常に物腰の低い男である。
奈良では知られた塗師であり――漆問屋であるにもかかわらず、松屋は、どちらかというと若僧の紹鴎と玄裁に対して、非常に丁寧に説明した。
「その画は、最初、東山殿(足利義政)が持っていた……とされています」
その時は、華やかな表装だった。
それを、義政からそれを譲り受けた者が、このような質素な表装に替えた、という。
「この方が――
「
反芻しながら、紹鴎はその良さを認めた。
腑に落ちた、と言ってもよい。
綺麗な画と、質素な表装。
その対が。対比が。
観るものの目に画のうつくしさを訴える。
それでいて、画を引き立てる表装の質素な中にも、また美があることを気づかせるのだ。
「そいで」
紹鴎は今、つかみかからんばかりの勢いで、松屋に迫った。
「そいで……その人は……お方は、どないな人でっしゃろか?」
「もしや」
これは、紹鴎の脇に控えていた、玄裁の声である。
「もしや……」
「何や、思いあたるんか、玄裁」
「はい。それは、珠光……たしか、『わび茶』をやってたいう、あのお方かと」
「さようにござりまする」
松屋は嬉しそうに言った。
珠光――後の世に村田珠光としても知られる「わび茶」の祖は、奈良の産だった。
その縁から、松屋は鷺の画――「白鷺の画」を所持することになった。
「珠光さまは……名画名物の茶を、そこまで嫌ってはおられませんでした」
松屋が問わず語りに言うことには――。
名画でもこんな風に『わび』の味を持たせることができるし、むろん、名画は名画のまま鑑賞しても良い。
そういう――そういう、自由な茶を好んだ。
「
その述懐は、紹鴎のものではない。
むろん、紹鴎もそう思ったが、それより早く、玄裁が反応したのだ。
「
紹鴎はこの時、今だ、と思った。
今、というのは、かの三条西実隆から言われたことだ。
昔を学び、今を興す。
その、教えである。
「玄裁……今、糸を繋ぐで」
「糸? お師匠はん、何を言わはるんや」
「何でもええ。何でも……あんな、玄裁、あんたはん、この鷺の画ぇを観て、
「……そら、そうですわ」
玄裁には歌の才がある。「もののあはれ」や、「わび」や「さび」を知る心がある。
「よっしゃ決まりや。玄裁、あんたはんは、この珠光の茶ァを目指しなはれ」
「え」
玄裁は腰を抜かした。
紹鴎は名物を使った茶の第一人者である。
それが、その真逆を行く、「わび茶」を、しかも己の「一の弟子」にそれをやれと抜かしているのだ。
「なして」
「
「それだけ……かいな」
「せや」
ぷ、と玄裁は破顔した。
紹鴎は元より笑顔だ。
つられて松屋も笑い出す。
「いやいや……この紹鴎、名物を使った茶ァこそ、身上と思うとる……思うとるけどな、やからと言って、こういう『わび茶』の良さをアカン言うことはないねん。しゃあけど、ワイがそれに向いていないことは知っとる。ほンなら、向いとる奴に、それをやらせた方が
「
玄裁と松屋は、同時に答えた。
……こうして、辻玄裁はわび茶への道を志向する。
それを見て、紹鴎は「違う」という感覚から、己を解放することができた。
「ああ、ワイは――」
糸を繋ぐことができた、と思った。
*
そして月日が経って、玄裁は一人の弟子を得た。
その弟子と共に、玄裁はまた、松屋を訪ねた。
好々爺となっていた松屋は、喜んで玄裁と弟子を招じ入れた。
「……あの画をお願いします」
「うけたまわった」
松屋がひょいひょいと歩んで、店の奥から出してきた鷺の画を観て、弟子は感歎した。
「これほどの画……きらきらしとる画ェを、この粗末な表装で」
弟子は手に取らんばかりに画に近づく。
玄裁がその肩をつかんで、押さえようとしたぐらいに。
「こりゃ凄い。凄いでんな、師匠」
「さよか」
自分が師匠と呼ばれるようになるとは、と玄裁は頭を掻いた。
だが、存外、玄裁の師匠・紹鴎も、今、玄裁が味わっているこそばゆい気分を味わっていたに相違ない。
「これは……どなたはんがこのような表装を?」
「それは……」
松屋が得々と語り出す。
珠光のことを。
それにより、玄裁は弟子がその珠光をお手本とするであろうことを、何となく予感していた。
きっと、あの時の紹鴎も、そんな予感を抱いたに相違ない。
弟子が歎声を上げた。
今が、その時だ。
糸、紹鴎からの糸を繋ぐ、その時だ。
紹鴎は決して「わび茶」を目指したわけではない。
それが
けれども、その「わび茶」が、もっと面白くなることを知っていた。
自分にはできなくとも、この玄裁ができるということを。
そして、玄裁がやがてその「わび茶」を弟子に継がせるであろうことを。
「与四郎、お前もその珠光はんの茶、やってみぃひんか」
玄裁がそう声をかけると、与四郎は元気よく、「はい」とうなずいた。
与四郎――田中与四郎。
のちの千利休である。
【了】
繋ぐ糸の色を教えて ~紹鴎~ 四谷軒 @gyro
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