第2話-社殿の死闘

 両足で鞘を払い上げ、その力の流れに合わせて白刃を晒す。

 背丈を軽く越す大太刀を空中で容易く抜き放つと、隆輝は身体を捻り境内を見回した。半刻もあれば、充分に見て回れる程度の広さ。社殿は大きいが、付随する建物は蔵が数個ほどで慎ましやかだ。しかし、一つ一つの装飾が丁寧に施されているのも確かだった。壮麗ではないものの、古風な美しさが漂っている。


(どこか開けた場所は――あった)


 素早く視線をはしらせると、大きめの広場が隆輝の目に入った。あそこであれば、この大剣でも有利に戦える。そう考えを巡らせ、着地点を定めた瞬間。

 視界の端に、影が過ぎった。


「どこまで強欲なのだ、貴様たちは!」


 怨嗟の声と共に、鋭い風が舞い上がる。殺意にぬめる金色の瞳と、冴えた嘴。一口で子供を呑み下しそうなほど、巨大な猛禽の姿がそこにはあった。


(鷹妖だ。間違いない!)


「お前たちには調伏の命が出ている! 大人しく斬られて欲しい!」

「妖狩風情が、何を寝ぼけたことを!」


 重力に引かれるがまま重力に引かれるがまま、隆輝は刀を振りかぶる。鷹妖の翼がひき起こす烈風が頬に寒い。浮遊感を乗りこなしつつ、中空に舞うままになっていた鞘を両足で絡め取った。


「隙だらけなんだよッ!」


 叫びながら、足首を撓らせる。不意をつき、鷹妖の瞳めがけ鞘を擲った。鞘の先端が、鷹妖の右目に食い込む。研ぎ澄ませた敵意に満ち満ちていた鷹妖の気が、揺れた。


「っらぁ!」


 技巧も何も無い、ただ斃すことだけを念じた振り下ろし。

 斬るでも無く、断つでもない。ただ、殺せれば、それで良い。そんな一種投げやりな。しかし、どこまでも愚直な太刀筋が迸った。

 刃が、ぎちぎちと肉に食い込む。鋼に油が巻いていくのが感覚でわかる。骨をたち、血の管を破り、肺腑を壊す。そんな、一つ一つ異なる感触が、入れ替わり立ち代り指先を掠めていった。

 地に落ちるにまかせて、大太刀を振りぬく。ぐちゅり、と泥を取りこぼしたような。魄が崩れる音がした。


「っと」


 自分まで地面に叩きつけられては話にならない。

 隆輝は軽くかけ声を上げながら、くるりと着地をすませた。刀を構えたまま一回転したせいで、血が円を描くように周囲に飛び散ったが、気にしてなどいられない。


(もう一柱いるはずだ。どこにいる?!)


 荒くなった息を整えながら、辺りを見回す。

 しかし、周囲は闇の香りに満ちており気配すらも朧だ。焦りを抱えながら、掌にあまる柄を握りなおす。汗がじんわりと滲み、指先が冷える。早鐘を打つような心臓の音を抑えこみ、下腹に力を入れた瞬間。高槻の大音声が境内に響いた。


「隆輝! 後ろだ!」


 気を潜めていた猪妖が、隆輝に向かって一直線に突進してきている。砂埃はおろか、石畳すらも削り取って迫り来る姿に気圧され、刀を構えるのが遅れた。


(やられる!)


 牙に突き上げられる情景が脳裏を掠め、足が竦んだ。

 おかしい。平生であれば、このような失態はそうそう晒さない。未熟者なりに、幾度も修羅場を乗り越えてきたのだ。成るだけ、冷静さを保とうと意識もしているし、それこそが生き残る鍵なのだと分かっている。

 それなのに、ひどく残酷な気分になった。ひどく幼気な心持ちになった。喉の奥から、唐突に叫びだしたくなる。


(どうしたって言うんだよ、俺は!)


 すこぶる痛むだろうが、嫌になるほど頑丈なこの身体だ。死ぬことはあるまい。

そう、諦めと共に牙を受けようとした瞬間。

 高槻が素早く印を結び、隆輝の目前に障壁を編んだ。不安定になりがちな遠隔の現出にも関わらず、猪妖の猛進を食い止める。一拍の猶予が浮かび上がった。

 両足を肩幅より大きく広げ、刀を水平に構える。左足を軸として、思いきり振り抜こうとした丁度その時。猪妖が毛を逆立て、ぶるりと震えた。気を溜めにためた、猪突の気配。


「うっらぁぁあ!!」


 それに応えるように、隆輝も腹の底から大声をあげた。二つの気迫に圧されて、障壁にぱきり、と罅が入る。それを見越しての、迫真の踏み込み。

 足元に敷き詰められた砂利を撥ね飛ばしながら、空白に刃を差し入れる。猪妖の勢いもさることながら、隆輝の振り抜きの方が力も早さも勝っていた。荒く息をたてる口に、横たえたままの大太刀を滑り込ませ、力任せに押し込む。剣技の未熟さ故に一息に両断することは出来ないが、怪力でもって肉を捻開けていった。

 猪妖の突進の力も相まって、千切れた肉片が一瞬で飛び散る。ともすれば、大小の花弁が一斉に舞い上がるような美しさ。その、凄惨な散り様が月明かりに晒されるのを見届け、吾郎は詰めていた息を一気に吐き出した。


「ッふぅ」

「隆輝! 大事ないか?!」

「ありません! 高槻さんは、鷹妖の魄封をお願いします!」


 駆け寄ってくる高槻の声に応えながら、隆輝は猪妖の身体に足をかけた。深く食い込んでしまった刃を引き抜く為に、力を入れたその時。


「きさま、その刀」

「――まだ喋れるのか、お前」


 猪妖が口元を、いや、全身を血に塗らしながら睨み上げてきた。その視線をまっすぐに見返して、隆輝が言葉を続ける。


「俺はさ。怪異ってのは大嫌いだけど、お前そのものに怨みは無いんだ。それなのに苦しませてごめんな。まだ、巧く斬れなくて」


 ぬちり、と糸を引きながら刀を垂直に構えなおして、静かに口を開く。


「ちゃんと、次は上手にやるから」

「天狗拵だろう、それは」


 天狗拵、という言葉を聞いた瞬間。隆輝の腕が止まる。それを見届けて、猪妖は血の泡をたてながら抜き身の刃に目を向けた。

 いや、正確に言えば、穴、にだ。戦闘の際は、目にも留まらぬ速さで振り抜かれるせいで、ただの大太刀にしか見えない。しかし刃が静止していれば、その異様さは一目瞭然であった。抜き身の中心部。本来鋼が在るべき場所に、縦に切り裂いたような空洞が存在しているのだ。


「朱の柄と、ぬばたまの墨色の鞘。そして何よりも、その独特の中抜き。間違いなく、藤間の孺子のものだろう。どうして、お前が使える。授けられた者しか振るえない、天狗の銘物を、何故、なぜだ」

「藤間隆景は父だ。息子の俺が使えて、何がおかしい」

「馬鹿な、ばかな」


 最早ぶら下がっているだけになっている顎を、はくはくと動かして、猪妖が呻く。

驚きに瞠目しながら痛みに身を震わせているのを見て、ただ素直に気の毒だと思った。猪妖は、生命力の高い怪異だ。丈夫な性質が得ばかりでないことは、身をもって良く知っていた。いたずらに苦しめるのは本意ではない。


「あのさ」

「そも、息子とは妙な話だ」

「はぁ?」


 苦痛と憎しみで揺れる瞳を濃くして、猪妖が掠れた息を吐く。


「貴様、既にでは定命の者では無いだろう」

「なにを」


 鞴を吹いたような音をたてながら、猪妖が瞳孔を細めた。


「あの力と速さ。到底、人のものではない」

「俺は」


 大鳥居を飛び越すほどの跳躍。巨大な鷹妖を両断する膂力。猪妖の突進を迎え撃つ頑強さ。どれをとっても、尋常では無かった。


「におう。臭うぞ。半端者の瘴気が。一緒くたになり、原型すら朧になっている。それを纏いながら、己を人間の息子と宣うか、化け物」


 月影が濡らす猪妖の瞳が粘り気を増して、どろりと光る。腹の底まで見透かされた心持ちがして、隆輝は思わず後ずさった。


「人でもなく、妖でもなく。何方つかずのれ者が! 人と唄って我らを殺すか!」


 掻き乱されるような気がした。暴かれるような心地がした。危ういところで保たれていた均衡から、不意に突き落とされるような覚束なさに眩暈がする。


「な、なにを」

「人よりも妖よりも醜い小僧よ、あぁ、その剣も、父を殺して奪ったか。獣の所業よ。なぁ」

「違う! 父上が!」


 腹の底で、なにかが蠢く。ざらつく声が、己の喉から零れ落ちた。


「――父さんが、迎えに来ないんだ。俺じゃない、おれは、ちゃんと」


 澄ませていたはずのものが、剥がれ落ちていくようだった。ぼろぼろと崩れて、目の前が歪む。嗚咽を零しながら、天狗拵を再び手に取った。


「ちくしょう。何だってんだよ、だめだ、俺、なんで、こんな」


 指先が白くなるほど、隆輝は柄を固く握り締める。のように湧き上がる衝動に震えているはずなのに、腕を止めることができない。

 いつもは、こんなんじゃない。仇討ちなどではないのだから、相手を無駄に苦しめないと。心を無為に揺らさないと決めていた。それなのに。


「ちがう、俺は」


 刃を突き立てては捻り、抜き、また突き立てる。その単純な繰り返しをひたすらに続けてしまう。その勢いは狂気に満ちているというのに、手つきが揺らぐことは無い。ただただ、悲鳴を聞くことに特化した単純な動き。

 血が噴出し、骨が捩れる。その凄惨な様子に喉を引きつらせる隆輝を、猪妖は心底愉快そうな瞳で睨みあげた。


「せいぜい苦しめ。我らは決して、ゆるしは、せぬ。地獄を、さまよえ」

「うるさい! 黙れよ!」

「おい、隆輝」


 鷹妖の魄封を済ませた高槻が、異常を察して駆け寄ってくる。

 大声で呼びかけても、隆輝は聞こえない様子で剣を突き刺し続けた。次第に凶暴になる相貌。まるで別のいきものが、皮を破って現れるようなおぞましさ。思わず震える指先を叱咤して、高槻は努めて穏やかに手を伸ばした。


「おい、落ち着くんだ」


 しかし、それすらも振り切って喚き、甲斐が無いと知りながらも隆輝は吠え続ける。月の光が、瞳だけを爛々と輝かせていた。


「俺をこんな化け物にしたのは、お前たちだろう! 怨むなら、順序があべこべじゃないか! なぁ!」

「……何をしているんだ! 貴様も藤間の男だろう! ここで踏ん張らんでどうする!」


 恐れに揺れる己を押さえつけながら、高槻は勢い良く身体を引き寄せ瞳を覗き込む。その強い眸に圧されるように、大きな瞳がゆっくりと瞬いた。

 呆然と、幼い仕草で口を開く。


「た、たかつ―――お、おれ、は」

「そうだ、俺だ。高槻廣典だ。もう大丈夫だから。ここは安全だ」


 乾いていた双眸が、少しずつ光を取り戻していく。


「―――あれ、おれ、高槻さん―――俺」

「吾郎! 俺が分かるか?! 痛いところは」

「無い、ないよ」


 先ほどまでの狂気は霧散して、力が抜けたように隆輝はへたり込んだ。そしてそのまま、そろそろと猪妖に目線を向ける。


「ねえ、高槻さん、猪妖は」

「もう事切れている。あまり、じろじろと見てやるな」

「うん」


 隆輝が力なく視線を落としたのを見届けて、高槻は静かに印を結んだ。


「南莫 三満多嚩日囉赧 憾」


 猪妖の身体が、次第に黒く解けていく。そして真言を唱え終わるのと同時に、帯に括りつけてある葵紋の根付に吸い込まれていった。

 幕引きの合図を告げるように、懐中の銀の鈴がちりん、と小さく鳴いた。


「解」


 声と共に、高槻が左手の人差し指と中指を勢い良く立てる。すると、不思議なほど静まり返っていた境内に風の音が吹き込んできた。

 もう、外部からの干渉も、他の人間からの目撃も危惧する必要は無い。高槻が結界を解いた、ということは、自分たちを害するものは近くにいないという合図でもある。


「お疲れ、隆輝。とにかく、怪我が無いようで」

「高槻さん」


 労わろうとする高槻の言葉を遮って、隆輝が声をあげる。その断固たる態度に、高槻は静かにに口を閉ざした。


「俺は、怪異を許せません。だいっきらいです」

「ああ」

「だから、俺はせめて、人間らしくありたいって、思って」

「あぁ」


 抜き身のままの刃を、抱くようにして隆輝は顔伏せた。


「力が強いからって、丈夫だからって、父さんと母さんが褒めてくれるわけでも無いじゃないですか」

「そうだな」


 一層冷たくなった月影が、しっとりと刃紋を濡らした。


「あいつの言うとおりです。自分でも、自分が何をやっていたのか、思い出せなくなることが、時々ある――さっきみたいに」


 鮫皮の柄を両手でぎゅっと握り締めて、口を開いた。


「怖いんです。俺の中にいる怪異も、俺自身すらも」


 そう呟きを零すと、隆輝は歯をくいしばって言葉を続けた。


「こんな化け物。いくら強くたって、使い勝手が悪いでしょう。偉い人たちも高槻さんも、苦労しますね」

「隆輝、もういい。疲れているから弱気になるのさ。たらふく飯を食べて、ゆっくり寝よう。な?」


 高槻は膝を曲げて、隆輝に目線を合わせて眦を下げた。


「妖憑だろうが、なんだろうが。俺にとってお前は、大事な弟分だよ」


 そう笑って、頭を撫でようとした瞬間。隆輝が音を立てて高槻の手を振り払う。


「やめてくれよ! もしかしたら俺は、高槻さんのことも、殺しちまうかもしれない! あなただって死ぬのは嫌でしょ?!」

「だが」


 この数ヶ月、大人びた表情ばかりしていた隆輝が声を荒げる。


「はっきり言ってくれれば良いんだ! 迷惑だって! 面倒みきれないって!」

「おい」

「俺なんて、あの時死んじまえば」

「吾郎ッ!」


 高槻がさっと顔を青くして、左腕を振り上げる。衝撃に備えて隆輝は咄嗟に瞳を瞑るが、いつまでたっても痛みは襲ってこなかった。

 おそるおそる瞼を上げる。

 すると頬のすぐ横で、小刻みに震えている高槻の掌が目に入ってきた。


「たかつき、さん」


 少し上にある双眸を覗き込めば、はっとする程に揺らいでいるのが分かった。それが、どうしようもなく切なくて、悲しくて、隆輝の唇が震える。それに応えるように、高槻が言葉を搾り出した。


「そんな悲しいことを、どうか。どうか、言わないでくれ、吾郎」


 揺れていた指先が、壊れものに触れるように隆輝の頬を撫でる。その手つきから哀しいほどの慈しみが伝わってきて、隆輝は嗚咽を漏らした。


「どうして、高槻さんが泣きそうなんですか。そんなに、優しくされたら、俺、おれ」


 喉を鳴らして、隆輝がしゃくり上げる。大粒の涙が目尻から溢れて止まらなかった。

 天狗拵を地面に取り落として、必死に涙を拭おうとする。それでも、いつまでも、涙は滔々と流れ続けた。


「あれ、おかしいな、こんなはずじゃ―――俺、もう、泣き虫やめるって、決めたのに」

「やめなくて良い。少なくとも俺の前では、背伸びをせず、昔のように甘えてくれ。俺は、そうしてくれるのが一番嬉しいんだ」

「う、うぅ、高槻さん」


 涙声を慰めるように、高槻が両腕でふわりと抱きしめて背を撫ぜる。


「うわぁあああん」


 途端。堰を切ったように、隆輝が泣き声をあげた。

 周りに人は無く、人家も無く。死闘の痕跡と、社殿だけがひっそりと闇に沈んでいる。

 その中で少年の声は、灯火のようにほのかに。かすかに響いては消えていった。



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次回は5/4(木)更新予定です!(毎週月・木更新予定)

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【妖憑の少年&お節介役人】幕府の指令は絶対?!父探しの旅は続く 瀬居斉 @seisei_sumisumi

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