第十一話

「はじめに、これは夢だ」

「あ、はい」


 開口一番にそう言われて、わたしは頷くことしかできなかった。

 堂々と目の前に座っている純白の獣――霊狐姿の白宇くんが続ける。わたしに正体を晒してからは、こうして霊狐姿でいることも多くなったと思う。

 辺りは白く開けていて、注視していないと今にも白宇くんは景色と溶け込んでしまいそうだ。


「ややこしいと思うだろうが、これは夢の中の出来事ではあるがただの夢じゃない。そのことを理解してくれるかな?」

「あ、はい」


 こういう時は深く考えてはならない。わたしもそれぐらいわかるようになってきた。ちゃんと理解しようとするのを諦めているといった方が正しいかもしれないが。

 突然、『これは夢だ』なんて言われた夢を見るのは初めてだなぁ……。途中で「ああ、これは夢だな」って自覚する時はあるんだけど……。

 そんなことを考えていると白宇くんが言う。


「因みに、夢だと自覚するのを明晰夢というんだぞ。夢の内容を自分でコントロールできることもあるそうだ」

「へぇー、そうなんですね。そういえば、これは夢だなと思って屋根から屋根へ跳んだり、空中から地面に着地したり、結構無茶なことをした夢を見たことがあります」

「なんだ、留花ちゃんも経験者か」


 夢の中で夢について語る。何とも奇妙な光景である。

 普通に話しているわたしだが、自分の夢の中に白宇くんが現れたことについてはあまり驚いていなかった。

 なんたって白宇くんは未来視ができる妖怪なのだ。白宇くんが何処までのことをできるのかは未だに定かではないが、他人の夢の中に現れるなんて彼にとっては朝飯前の出来事なのかもしれない。

 と、ここで白宇くんが話を区切った。


「留花ちゃんの夢の内容について気になるところだが、他に訊きたいことがあってだな。留花ちゃんは今日は休日だが、夜に何か予定はあるか?」

「いえ、特にないです」

「では、十九時ぐらいに迎えに行くから、留花ちゃんは夜ご飯は食べないで自宅で待っていてくれ」

「えっと、お仕事関係ですか?」

「いや、仕事ではないぞ。まあ、ある意味仕事関係ではあるけどな」

「何があるんですか?」

「それは後でのお楽しみだ」


 うーん……『夜ご飯は食べないで』ってことは、何か奢ってもらえるのかな?

 なんて、少しばかり期待をしながら、わたしは別のことを訊くことにした。


「因みに、こうしてわたしの夢の中に白宇くんが現れたのは、白宇くんの能力の一つなんですか?」

「そうだぞ」

「凄いですね……!」

「まあ、それほどでもあるかな」


 謙遜することのない白宇くんがゆっくりと四つ足で立ち上がった。


「さて、そろそろ行くとするかな。他の奴らにも声を掛けないといけないからな。それじゃあ、留花ちゃん。また後で」

「はい、また後で」


 ゆらりと白宇くんの尻尾が揺れる。視界が次第にかすんでいく。

 徐に目が覚めた。微睡ながらも、わたしは現実へと戻ってきたようだ。

 机の上には片付けられていない食器がそのまま置かれていて。どうやら、昼食後の睡魔に勝てずに、机に突っ伏して眠ってしまっていたようだ。

 夢の中に白宇くんが現れたことははっきりと覚えているし、白宇くんが言っていたこともちゃんと覚えている。


「白宇くんは『自宅で待っていてくれ』って言っていたから、このまま待っていればいいんだよね?」


 時計を見遣れば、もう夕刻と言っていい程の時間帯だ。けれど、約束の十九時までまだ数時間ある。


「……取りあえず、片付けよう」


 このままぼうっと待っているのも時間がもったいない。

 食器を片付けて、洗濯物を取り込んで、顔についているだろう跡も消して、服も部屋着から着替えて、化粧もして、それから、それから……。

 迎えが来る前にやることはいっぱいある。

 わたしは慌てて立ち上がった。



   *



 時は十九時少し前。

 ピンポーンと来客を告げるベルの音がした。

 はーい、と返事をして、ドアノブを回す。

 扉を開けた先にいたのは司樹さんだった。


「こんばんは、留花さん」

「こんばんは、司樹さん」


 にこりと挨拶を返す。

 意外にもよろずや以外でこうして会うのは、司樹さんと初めて会った時以来だ。


「それじゃあ、店へと向かおうか」

「わかりました」


 と、ここでとある疑問が浮かぶ。


「わたし、司樹さんに自宅の住所教えていましたっけ?」

「直接教えてもらってはいないけど、履歴書に住所が書かれていたし、あと一応白宇にも訊いたからね」

「なるほど」


 恐るべし、白宇くんの能力。


「……断じて、ストーカーしていた訳ではないからね?」

「わかっていますよ」


 念を押すように言われて笑いが込み上げてくる。

 家の鍵をしっかりと閉めて、司樹さんと二人でゆっくりと歩き出す。

 空を見上げれば、丸い月が浮かんでいて星が瞬いている。

 ふふっ、とわたしは思い出し笑いをした。


「ん?どうかした?」

「いえ、司樹さんにつれられて、初めてお店へと行った時のことを思い出しちゃって。あの時は、まさか妖怪相手に働くことになるなんて思ってもみませんでした」

「……引き摺り込んでごめんね?」

「謝らないでください。わたし、あのお店で働き始めて、後悔なんてしていないんですから」


 その言葉に嘘はない。仕事も見つけられたし、妖怪との関わり方も教えてもらえた。感謝こそすれ恨むつもりは全くない。

 そう言ったわたしに対し、司樹さんは何処かほっとしたように息をついた。……そんなに気にしていたのかな?

 他愛もない話をしていると、店が見えて来た。

 薄暗がりの店内を通って――どうやら今日はもう閉店らしい。よろずやは閉店時間がまちまちなところがある――バックヤードから裏庭へと出た。


「やあ、来たね」


 そこで待っていたのは少年の姿をした白宇くんだった。その手に持っている物を見て、わたしは疑問に思った。


 ……何で杖を持っているんだろう?


 そう、小さな白宇くんの手には何故か杖が握られていた。

 どう使ってそうなったのかはわからないが、なんと真っ二つに折れてしまっている。折れたところはテープでぐるぐる巻きに繋ぎ止められていて、普通に杖として使うには支えるのに心許ない代物である。


 ……壊れているけれど、一体何に使うんだろう?


 わたしの疑問の視線に白宇くんが答える。


「ふっふっふ……これを何に使うんだろうと言わんばかりの眼差しだな」

「全くもってその通りです」

「まあまあ、見ていなって。それじゃあ、いくぞー!……えいやっ!」


 掛け声とともに白宇くんが杖を地面にぶっ刺した。

 満月の光を浴びた杖がきらきらと輝き出す。そうかと思えば、杖はみしみしと枝葉を広げ始めた。テープで繋がれたそれは接ぎ木のようで、やがて太い幹となり、あっという間にしっかりとした樹木へと成長した。

 ぷっくりとした蕾が次々と開花して、見慣れた薄紅色の花を咲かせた。


「これより、留花ちゃんの歓迎会を始める!」


 大きな満月の下、大きな桜の木を背景に、白宇くんが堂々と告げた。


「かんげい、かい……?」


 目の前の光景と告げられた言葉が理解できなくてわたしは目をぱちぱちと瞬かせる。

 桜の時期は過ぎたはずなのに……って、そうじゃなくて!何で杖が桜の木に!?それと、歓迎会って!?いやご飯を奢ってもらえるかもとは思っていたけども!

 いろんな意味で一体どういうことだと混乱していると、表口から「ごめんくださーい」と声がした。

 白宇くんと司樹さんが「どうぞどうぞ」と訪れた客を招き入れる。


「ルカ姉ちゃん、こんばんは」

「ルカお姉さん、こんばんは」

「宴と聞いて酒を思ってきてやったぞ!」

「ジュースも持ってきたっすよ!」


 たくさんのお菓子を持ってきたトキワくんとトキミちゃんに続いて、八さんが幾つもの酒瓶を掲げる。河童さんは大きなクーラーボックスを軽々と運んでいた。


「わしも来たぞー!」


 声が聞こえた方――空を見上げれば、朧さんが飛んでいた。そうかと思えば、ゆっくりと着陸をする。中から出てきたのは、風呂敷を持った山ばあさんだった。


「料理もたくさん持ってきたよ。ほらお前さんたち、おこぼれが欲しいなら、そこのしーとを敷きな」


 いつの間にか集っていた小妖怪たちが、用意されていたレジャーシートを桜の下に敷き始める。

 トキワくんとトキミちゃんと山ばあさんが重箱やお菓子を広げていると、八さんと河童さんがクーラーボックスの中から次々と飲み物――酒が多い気がする――を取り出した。


「酒飲む奴は集まれー」

「ビールの人ー?梅酒の人―?チューハイの人ー?ノンアルの人ー?あ、ワインやウイスキーもあるっすよ?オレンジジュースの人ー?コーラの人ー?ラムネの人ー?……ああもう面倒だから自分たちで注いでくれっす!」


 八さんや河童さんによって紙コップに注がれた飲み物が各自に配られる。

 あっという間に、常連客たちによって宴の会場が整えられていく。

 何か手伝えることはないかな?

 そう思って皆のところへ近づこうとしたが、それは司樹さんによって遮られた。


「留花さんはこっち」


 司樹さんに促されながら、あれよあれよという間にシートの上に座らされる。

 因みに、河童さんに手渡されたお酒は、司樹さんの手によってそっとオレンジジュースに持ち替えられてしまった。

 あー、わたしのお酒が……いや特に飲みたかった訳じゃないから別にいいのだけれど……。因みにわたしは酒に強くもなければ弱くもない。つまり普通である。……可愛げ?そんなものは知りませんね。

 なんせ、妖怪たちとの宴なんて初めてのことだ。正直、未だにこの展開についていけていない。

 わたしは戸惑いつつも、司樹さんと白宇くんを見遣る。


「えっと、あの、これって……」

「さっき言った通り、留花さんの歓迎会だよ」

「ずっとできなくてすまぬな」

「いや、それは別に気にしていなかったんですけど……」

「今日はちょうどいろいろと条件が揃ってだな。急遽提案したのだが、皆こうして集まってくれたんだ」

「……わざわざ集まってくれたんですね」


 わたしはじんわりと心があたたかくなるのを感じた。

 自分のために何かをしてもらった記憶はもう遠い昔のことのように思う。

 何だか涙が出そうになって、顔を俯かせた。

 よしよしと優しい手つきで司樹さんが頭を撫でてきた。


「……子ども扱いしています?」

「女の子扱いしています」


 わたしの視線を受けた司樹さんが笑う。……それなら、まあ、……いいのか?

 華麗なまでの連携で手際よく準備を進めている妖怪たちを見て、白宇くんが半目になった。


「まあ、留花ちゃんの歓迎会にかこつけて、飲み食いしたい奴らが集まっただけとも言えるが」

「しーっ!そういうこと言っちゃダメっすよ!」


 白宇くんが河童さんに窘められる。……初めて会う妖怪がいるのは、どうやらわたしの勘違いではないようだ。

 はじめましての妖怪がどうもどうもと頭を下げて来たので、わたしも会釈をした。

 気を取り直して、白宇くんが辺りを窺う。


「皆、飲み物は行き渡ったか?それでは、よろずやの新たな従業員ならびに店の更なる発展を祈念いたしまして……乾杯!」


 白宇くんが告げれば、一斉にコップが掲げられた。そして、皆してぐいっと飲み物を仰ぐ。

 山ばあさんは周りの世話を焼き、トキワくんとトキミちゃんは美味しい料理に舌鼓を打っている。

 八さんがいつの間にやら用意した麻雀で(半強制的に)周りの妖怪を誘って勝負をし始めた。時々酒を煽りながらも、悩む強面の八つの顔に相手はびくりと肩を震わせている。

 河童さんは地面に描かれた簡易的な土俵にて相撲をとっていた。集まった小妖怪たちが野次を飛ばす。

 音頭を取った白宇くんは酒の飲み比べをしている。

 皆思い思いに過ごしており、とても賑やかな宴だ。こんなに賑やかな宴は初めてだった。

 自由過ぎる妖怪たちがちょっぴり羨ましい。


「あいつら、主役そっちのけで楽しんでやがる……」

「あはは……皆さんが楽しんでくれているのならそれでいいです」


 全く、と悪態を吐く司樹さんにわたしは苦笑いを零す。

 桜を仰ぎながら、ふと呟く。


「まさか杖が桜の木になるなんて思いもしませんでした」

「ああ、あの杖ね……」


 酒を一口飲んだ後、司樹さんは杖の入手ルートを話し始めた――



   *



 床につきそうなぐらい長い髭を撫でながら、翁の面を被った老人が呟く。


「ふーむ、どれにしようかのぉ……」


 老人の目の前に並べられているのは、幾つもの杖だ。

 老人曰く、店へ来る途中に使っていた杖が折れたとのこと。

 本当なら甘味を買うだけだったのだが、急遽よろずやで杖を買うことになった。

 けれども、なかなか決められないようで、かれこれ一時間はこうして悩んでいる。

 杖にもいろいろな種類があり、様々な形状の中で、老人が今見ているものは一本杖と呼ばれるタイプだった。

 その中でも、折り畳み式や伸縮式があり、材質も木製やアルミ製やカーボン製など実に様々な種類がある。

 老人が使っていたのは、木製の一本杖だった。

 桜の木から作られたというそれは、年季が入っているものの艶やかで美しかった。


「長年使っていたからのぉ……こうなっても仕方がないのぉ」


 老人はそう笑っていたが、一体どれだけの年月を使えば頑丈そうな杖がぽっきりと真っ二つに折れるのだろうか……。


「……よし、これにしようかのぉ」


 老人は漸く決めたようだ。饅頭と杖をレジに持ってきて、懐から財布を取り出す。


「値札取っておきますね」

「どうもありがとう」


 饅頭は袋で包み、杖は値札を取って老人に渡す。

 と、ここで白宇が老人へと近寄った。


「もし良ければ、その杖を貰っても?」


 白宇が指差した先にあるのは、真っ二つに折れた杖だった。

 白宇の申し出に、老人は「どうぞどうぞ」と快く承諾した。


「ご苦労様。今までありがとうな」


 最後に杖をひと撫でして感謝を述べた老人は新しい杖をついて店を去って行った。

 老人が去った後、白宇は上機嫌でテープで折れた杖をくっつけた。


「その杖どうするんだ?テープで巻いただけじゃ杖としてはもう使えないだろ?」

「ふっふっふ、それはまだ内緒だ。勿論、杖としてはもう使えないけどな」


 得意げに白宇が笑った――。



   *



「――という訳。そうしたら白宇が急に『ちょうど良い物が手に入ったから、今宵、留花ちゃんの歓迎会を開くぞ!天気も良いし、外でな』って言い出してさ。まさか、そこで貰った杖を使うなんてね。僕も驚いたよ」


 司樹さんはそうは言ったものの、わたしには司樹さんが然程驚いているようには見えなかった。


「各地には地面にさした杖が成長して樹木になったという伝説があるそうだよ。今回使われた杖は桜の木から作られたものだったから、桜の木に成長したみたいだね」

「なるほど」


 そういう伝承を知っていたのなら、司樹さんがこの様子なのも頷けた。

 あとは、奇怪な物事に対する慣れの違いだろうか。流石に、以前よりは少しは慣れたと言っても、司樹さんと比べたら自分なんてまだまだだ。

 これからも、司樹さんとたくさんの奇怪な物事を体験するのかな……。

 ちらりと見遣った青年は手元の酒を飲んでいる。


「ん?どうかした?」

「な、何でもないです」


 視線を合わせてきた司樹さんに、わたしは慌てて首を振った。

 誤魔化すようにコップに口をつけながら、周りを見渡す。

 とても賑やかな光景は、数ヶ月前のわたしには想像もできなかったものだった。

 こうして、誰かと一緒にいるだなんて……あの頃は考えもしなかったなぁ。

 わたしは微かに笑みを零した。

 周囲は騒がしいが、わたしたちを包む空気は穏やかだ。

 不意に司樹さんが口を開く。


「月が綺麗だね」


 夜空を仰ぎながら、ぽつりと呟かれた言葉。

 けれども、ぼうっとしていたわたしにはその言葉がぼんやりとしか聞こえていなくて。


「司樹さん、今何て?」

「……いや何も」

「……そうですか」


 もう一度聞こうとしたがそう言われたら訊き返せない。

 ふいと顔を背けた司樹さんの耳が赤い気がする。

 因みに、わたしの顔もほんのりと赤くなっている気がするけれど……酒は飲んでいないはずなのになぁ……。顔を背けている司樹さんにはバレていないといいな……うん、バレていないバレていない。

 わたしは自己暗示に徹した。


「ふむ、二人とも若いな」


 そんなわたしたちを見ていた白宇くんがやれやれと肩を竦めて酒をあおった。

 風が吹いて、桜の花びらがひらひらと舞い散る。

 わあっ、と歓声が上がった。

 美しい満月に照らされた、満開の桜の木の下での宴は、まだまだ終わりそうにない。

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よろずや妖怪世多ばなし 葉野亜依 @ai_hano

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