第五話

 掃除道具置き場から箒と塵取りを持って、鼻歌を歌いながらわたしは歩く。

 開店準備の一つである店前の掃き掃除をしようと、引き戸を開けて一歩外へと踏み出した。

 けれど次の瞬間、わたしは「ひぃっ!?」と情けない声を発した。

 目前の路地に何かが倒れている。

 全身が緑色で、大きさは人間の子どもぐらいだろうか。背中には亀の甲羅のようなものがある。そして、何と言っても特徴的なのは頭の上にある丸いお皿だ。


「……もしかして、河童?」


 わたしの口をついて出たのは有名な妖怪の名前だった。

 その声に反応するかのように、水掻きのついた手がぴくり、と動いた。

 河童(推定)の方からぼそぼそと何やら声が聞こえてくる。

 どうやら何か呟いているようだけれど、顔は地面に突っ伏したままだし声も掠れていてよく聞こえない。

 河童(推定)に近づこうとしたが、ふとある言葉が脳裏を過った。


 ――『外では安易に妖怪と関わらないようにすること』


 それは、前に司樹さんに言われた言葉だった。

 でも、『外』って言っても、お店から目と鼻の先だし……。妖怪だけれど、倒れているヒトを放ってはおくのは何だかなぁ……。

 一瞬悩んだが、武器――箒と塵取り――も持っているし、いざとなったらすぐさま店に逃げ込めば大丈夫だろう。

 そう考えて、わたしは恐る恐る河童(推定)へと近づいた。


「あのー……もしもーし?」

「……」


 取り敢えず声を掛けてみたものの、反応がない。


 ど、どうしよう……。起こした方がいいんだろうけど、正直言って触れるのは怖い……取り敢えず箒でつついてみて、反応があるか確かめてみるか……。

 よし、と意を決して箒をぐっと握りなおす。そろりと河童に箒を近づけたその時だった。


「何してんの?」

「ひえっ!?」


 ぽん、と肩を叩かれて、わたしの口から素っ頓狂な声が飛び出た。

 ばっと後ろを振り返る。


「し、司樹さん……」


 背後にいたのは司樹さんだった。その姿を認めて、わたしは胸を撫で下ろした。

 そんなわたしの様子に首を傾げた司樹さんがわたしの足元を覗き込んだ。


「河童じゃん。留花さんがやっつけたの?やるねぇ」

「やっぱり河童なんですね。合っていて良かった……じゃなくて!違いますやっつけてなんてないです!」


 確かに箒でつつこうとはしていたが、未遂である。というか、妖怪をやっつけようなんていう発想はわたしにはない。そんな大それたこと、自分にできるとも思えない。

 慌てて否定したわたしに司樹さんがくつくつと笑う。


「冗談だよ冗談。普通に考えて頭の皿の水が乾いて倒れたってところかな」

「どういうことですか?」

「河童はね、頭の皿の水が乾くと力が弱くなるんだ。ほら見て」


 言われて河童(確定)を観察する。

 なるほど、確かに頭の皿には水がほとんどない。


「因みに河童は相撲好きで有名なんだけど、相撲をする前にお辞儀をさせると頭の皿の水が零れて力が抜けるから、いざという時は試してみて」

「……できればそんな機会は訪れてほしくないですね」

「だよね」


 二人で話しながら観察していると、不意に河童の右腕がにゅっと伸びた。


「おっと」

「ふぇっ!?」


 司樹さんが咄嗟にわたしを自身の後ろへと庇う。いきなりの出来事にわたしは変な声を零してしまった。

 わたしは恐る恐る司樹さんの背後から河童を見遣る。

 長く伸びた河童の右腕に対し、左腕が縮んでいる。

 伸びたその先にあるのは、司樹さんの足首で――


「こんな感じで、河童の両腕って繋がっているんだよね。だから、片方が伸びれば片方が縮むってわけ。あと、そのまま抜けちゃうこともあるんだってさ」

「そうなんですか……って、そうじゃなくて!司樹さん、それ大丈夫なんですか!?」


 のんびりと説明を続ける司樹さんに思わず叫ぶ。

 水掻きがついた手はしっかりと司樹さんの足首を掴んでいる。司樹さんが足を上げたり下げたりしても、一向に離す気配すらない。


 ……力が弱くなる、とは?


 足首を掴む手は一向に緩む気配がない。

 司樹さんが足を上下させれば、河童の腕も伸びたり縮んだりしている。何ともシュールな光景にわたしの脳はショート寸前だ。

 心配するわたしを安心させるように司樹さんが朗らかに笑う。


「大丈夫大丈夫。おーい河童、水を持ってくるからいい加減この手を離せ」


 その一言ですんなりと手が離れた。

 ぱたり、と地面についた右腕がにゅるにゅると縮み、その分左腕が伸びていく。そして、両腕とも同じ長さになった。


「これでよし。ちょっと水を取ってくるから、留花さんはここに……は、ダメだな。一緒に休憩室まで行こう」

「わかりました」


 奇妙な光景を見てしまったため、河童と一緒にいるのは躊躇われた。河童と二人でいてと言われたらどうしようと内心で思っていたので、そう言われて小さく安堵した。

 司樹さんに肩を掴まれて、わたしの身はくるりと翻される。

 そして、そのまま二人して店内に入った。

 廊下を歩いている際に司樹さんが話す。


「あの河童は度々ここに来てはああして干からびそうになっているんだ。最初見た時は僕もびっくりしたよ。というか、店の前で倒れているなんてある種の嫌がらせだよね」

「あはは……」


 まさかの常習犯だったとは……。

 どうりで対応が手慣れている訳だと内心で思いつつ苦笑することしかできない。


「だからさ、こっちもちょっとくらい嫌がらせしてもいいと思わない?」

「え?」


 まるで悪戯っ子のようにニッと笑う司樹さんに、わたしはきょとんとした。

 到着した休憩室にて、司樹さんががさごそと棚を物色して、あるモノを取り出す。


「確かここら辺に……お、あったあった」


 上下が膨らんでいて、真ん中がくびれているという何とも特徴的な形をしているそれは――


「……瓢箪?」

「そう、瓢箪です」


 司樹さんが瓢箪を軽く洗った後、中に水を注ぎ込む。


「これくらいでいいかな。さて、戻ろうか」


 促されて二人で再び廊下を歩く。ちゃぷちゃぷと瓢箪の中で水が踊った。

 司樹さんが何処か面白そうにしているのは、先程述べた『嫌がらせ』と関係があるのだろう。


「あの、さっき言っていた『嫌がらせ』って……」

「この瓢箪をぶつけて皿を割ったり、あとは腕を引っこ抜いたりしようかなぁと」

「うっ……わたし、グロいのはちょっと……」

「冗談だよ冗談。別に怖いことは何もしないよ。本当にちょっとした嫌がらせをするだけだからさ」


 そんなことを話しているうちに河童のもとへと戻ってきた。

 河童はさっき見た時と少しも変わらず地面に突っ伏したままである。

 司樹さんが栓を抜いて、瓢箪をひっくり返す。とくとくと中から水が流れ出てきた。

 河童の頭の上にある皿が次第に水で満たされていく。それに比例するように、皺々だった河童の皮膚が次第にはりを取り戻していった。

 弛緩していた手に力が入る。次の瞬間、河童ががばり、と体を起こした。


「ふっかーつ!」

「ひえっ!?」

「五月蠅いぞ河童。留花さんを驚かせるんじゃない」

「痛っ!?」


 黄色い嘴から大きな声が発せられたかと思えば、河童は瓢箪で横殴りにされた。誰にとは、言わずもがな。

 ゴツンと鈍い音がして再び地に伏した河童に、やれやれと司樹さんが息をついた。

 一連の光景を見ていたわたしは、思わず「うわぁ……」と呟いた。

 さっき言っていた『嫌がらせ』ってこれのこと!?確かにグロくはないけど……当たりどころが悪ければ皿が割れていたのでは?いやでも、皿が割れるのを危惧して皿を避けて横殴りしたのかもしれないし……優しいのか優しくないのか……うーん、わからない。

 最早優しさなのか何なのかわからない司樹さんの行動にわたしは考えることを放棄した。世の中深く考えてはいけないことだってあると思う。


「いたた……何するんすか坊……って、ひょ、瓢箪!?」


 司樹さんに文句を言おうとした河童だが、司樹さんが持っている瓢箪を目にした途端にもの凄い勢いで後退さった。

 きゅうりに気づいた猫が驚いて飛び上がるといういつぞやに見た動画がわたしの頭を過った。


「よし、そんだけ元気なら大丈夫そうだな」

「いやいやいや!水を掛けてくれたのはありがたいっすけど、瓢箪を使うのはやめてくれってオイラ言ったっすよね!?」

「それを言うなら、店の前で干からびそうになるのはやめてくれって僕言ったよね?」


 怯える河童に司樹さんが真っ黒な笑顔を浮かべる。司樹さんのその笑みにも怯えているのだろうが、河童の言葉から察するに河童が真に恐れているのは瓢箪に、だ。

 戸惑いがちにわたしは訊ねた。


「……えっと、瓢箪が『嫌がらせ』?」

「うん。河童は瓢箪が苦手なんだ。河童には生き物を水中に引き摺り込もうとする伝承があるんだけど、瓢箪は水に浮くから沈めることができない。だから、苦手意識があるみたいで、中には瓢箪を見るだけで逃げ出す奴もいるらしいよ」

「そんなに嫌いなんですね……」

「河童って結構嫌いなモノが多いんだよね。瓢箪以外にすぐに用意できそうなモノが金物ぐらいしかなくってさ。それはほら、流石に留花さんの前でグロいのは見せられないから」

「お気遣いありがとうございます」


 金物で一体どんな『嫌がらせ』をしようとしたのかは訊かない方が良いだろう。世の中には知らない方が良いこともあると思う。


「こいつは水中に引き摺り込もうとしたことはないらしいんだけど、同族の話を聞いて瓢箪に苦手意識を持ったみたい」

「なるほど」


 わたしが頷いていると視線を感じた。

 意識をやや下へと向ければ、先程まで震え上がっていたはずの河童が何事もなかったかのようにこちらを見ていた。司樹さんとわたしが話している間に復活したようだ。


「そちらのお嬢さんとはオイラ初めましてっすよね?」

「そう、少し前から働いてもらっているんだ」


 答えたのはわたしではなく司樹さんだった。


「ほう……坊のコレっすか?」


 河童がにやにやといやらしい笑みを浮かべて、小指を立てた。

 その意味を理解した司樹さんが微笑んだ。


「……もう一回瓢箪いっとく?」

「じょ、冗談すよ冗談!すみませんっした!」


 瓢箪を構えた司樹さんに河童が可哀想な程に震え上がる。

 最早立派な鈍器である瓢箪を眺めつつ、

 河童じゃなくても、瓢箪であの勢いで殴られたら痛いだろうなぁ……。

 と、わたしはのんびりと思うのだった。



   *



 ぽりぽりぽり。

 小気味良い音がする。それは河童さんによる咀嚼音だ。

 椅子に座って――よろずや店内の片隅にある休憩スペースはイートインスペースも兼ねている――河童さんがきゅうりをつまみにラムネを飲んでいる。

 きゅうりとラムネの組み合わせなんて美味しいのかしら……?

 その組み合わせはいかがなものかとわたしは思ったが、テレビで冷やしきゅうりという屋台グルメが紹介されていたのを思い出した。ラムネも屋台で売られているイメージがあるので、屋台繋がりとして案外イケるのかもしれない。

 尤も、河童が食べているのは漬け物ではなく何の味付けもされていない生のきゅうりであるが。

 どちらにせよ、わたしはその組み合わせを試したいとはこれっぽっちも思わなかった。

 因みに、どちらも店の商品で、ちゃんと河童さんが購入したものである。

 生野菜が売られているのは、普通の雑貨店では見られない光景だろう。そういう点において、『よろずやはコンビニみたいなもの』と言った司樹さんの言葉が当てはまるなと思った。


「ぷはーっ!生き返ったっす!」

「それは良かったです」


 本当に良かったとわたしはほっとした。もしもあのまま行き倒れを放置していたら、寝覚めが悪過ぎる。いくら相手が妖怪だとしても、だ。

 わたしは想像しかけた『もしも』を頭を振ることで打ち消した。


「いやー、びっくりさせてしまってすまなかったっす。お嬢さんに気づいてもらえなかったら、今頃オイラどうなっていたことやら」

「いえいえ」

「店の前で倒れられていたらそりゃあ嫌でも気づくって。全く、何で毎回毎回他人に見つけられやすい場所に倒れているんだか」


 司樹さん曰く、「河童はよろずやの店前だけでなく、誰かの目につく至る所で干からびかけて行き倒れ寸前の状態になっているのを度々見かける」とのこと。

 嫌味を含んだ言葉に、河童さんはしみじみと言う。


「やっぱり誰かに気づいてもらわないとヤバいっていう生存本能が働くんすかねぇ」

「ヤバいと思うなら水分補給して倒れないようにしなよ」

「ごもっともっすね。次からは気をつけるっす」

「……って、河童は言うんだけどさ。この遣り取りもう何年もしているんだよね。全然改善される気配がないんだけど、どう思う留花さん?」

「ええっと……そんなに繰り返しているんですか?」

「かっはっはー、お恥ずかしい限りっす」


 照れ臭そうに笑う河童さんに、「笑い事じゃないだろ」と司樹さんが呆れたように突っ込んだ。

 確かに、水分不足で行き倒れを何回も繰り返すなんて笑い事じゃないなとわたしも同意した。


「どうして何回もそんなことに?」

「オイラ、さすらいの旅人なんで」


 キリッと言い放った河童さんに、わたしは「……ええっと?」と困ったように首を傾げることしかできなくて。


「オイラ、いろんなところを旅していましてね。元々は棲んでいた川が埋め立てられてしまいまして、何処か棲める場所がないか彷徨っていたんすけど」

「……えっと、その……すみません」


 辛いことを思い出させてしまったのではないかと思い、気まずくなって謝った。

 それに対して、河童さんが苦笑いを零す。


「お嬢さんが謝ることなんて何もないっすよ。確かに最初は辛かったっすけど……今でも故郷を思い出したら辛くなることもあるっす。でも、あの『流れ』には誰も逆らえなかった。妖怪も、人間でさえも……」


 河童さんの眼差しは何処か遠くを見つめているかのようだった。

 見つめているそれは、今はもうない河童さんの故郷の景色なのだろう。

 河童さん自身、元から外の世界に興味はあったそうだ。小さな川でのんびりと過ごすのも悪くはないとは思っていたけれど、旅人からの話や他の場所から来た河童たちの話を聞いて、「オイラもいつかは……!」と思っていたらしい。

 けれど、一歩外の世界に踏み出す勇気がなかった。


「だから、こう言っちゃ棲家をなくしたモノたちや朽ち果てていったモノたちには申し訳ないとは思うんすけど、オイラにとってあの『流れ』は良いきっかけになったと思っているんすよ。『えいやっ!』って外の世界に飛び込んでしまえば、あとは気の向くまま、流されるままっす」


 各地を渡り、数日で去る場合もあれば、気づけば何年も留まっている場合もある。

 けれど、「この場所に一生棲み続けたい」という気持ちにはなれなくて、河童さんは旅を続けているらしい。何年も、何十年も――。


「旅は楽しいっすよ。いろんな場所に行って、いろんなヒトに出会って、助けたり、助けられたり……。知らない土地で知らないモノに出会って知らないことを知れて……」


 しんみりとしていた河童さんだったが、次の瞬間にぱっと笑った。


「それで、水中も地上も泳いだり流されたり歩き回ったりしていると、自分でも気づかないうちに頭の皿の水がなくなっていて、気づいたらあんな状態にって訳っす」

「ほんと、勘弁してほしいよ」

「またやらかしたらその時はよろしくっす」

「だから、そうならないように水分補給をしろって」


 最早水掛論になってしまっていることに気づきながらも、司樹さんと河童さんは繰り返す。何度でも、何度でも。

 不意に、ずっと話を聞いていたわたしはぽつりと呟いた。


「……河童さんは凄いですね。わたしなんて、全く知らない土地に行くなんて怖くてできませんでしたよ」


 わたしは昔に思いを馳せる。

 祖母と二人で暮らしていた家は、祖母が亡くなった際にあまり話したことのない親戚が相続した。


 ――『こんな大きな家、貴女に管理できないわ』

 ――『就職したんでしょ?若いんだし、こんなボロい家よりももっと新しい場所に住んだ方が良いわよ』

 ――『少し期間をあげるから、自分の身の丈に合った物件を探しなさい』


 とか何とか、他にもいろいろと言われた。

 祖母が亡くなった喪失感や一人になってしまった寂しさに苛まれていたわたしは反論することもできなくて。

 親戚とそんな遣り取りがあったから、余計に周りに頼ることができなくなってしまった。

 あれよあれよという間に手続きは済んでしまって、わたしは今までずっと住んでいた家を出ることになった。

 あの後、祖母との思い出がたくさん詰まった家も結局取り壊されてしまって、今では新しい家が並んでいる。

 その様を見た時、わたしは自分の居場所がなくなったのだと改めて認識したのだ。

 全く知らない土地で心機一転なんて臆病な自分にはできなくて。結局は、市内から出ることもできずに、同じ道を通り同じ場所に通い、そして今は小さなアパートで一人で暮らしている。

 河童さんを見ていると、小心者な自分が情けなく思えてくる。

 静寂の中、第一に声を発したのは河童さんだった。


「お嬢さんはこの土地が嫌いっすか?」

「……『この土地』ってどのくらいの範囲ですか?」

「範囲?うーん、そこまで考えていなかったっすね。まあ、適当で」

「えぇ……」

「兎に角、好きか嫌いかを考えて欲しいっす」


 曖昧に問われたことに呻きながらもわたしは考える。

 祖母と暮らしていた場所から今の場所へ引っ越しはしたが、市外でも県外でも何なら国外でも行ける中で――先程言ったようにそんな度胸などないが――自分はこの土地に留まることを選んだ訳で。

 好きでも離れなくてはいけない人、嫌いでも離れられない人もいる中で……何処にでも行けるそんな中で、自分は自分で選択してこの土地に留まっている。

 それは、つまり――


「嫌いではない、です」

「それならここに居ればいいんすよ。無理に外に出て行く必要はないっす。何となくその土地に居る奴もいる。その土地じゃなきゃ駄目だっていう奴もいる。オイラみたいにあちこち歩き回っている奴もいる。妖怪それぞれ、人それぞれっすよ。ね、坊?」

「何でそこで僕に話を振ったんだ?」


 視線を投げ掛けてきた河童さんに司樹さんは顔を顰めた。けれどわたしの視線も感じたからだろうか、深く息を吐いた。


「……まあ、そうだね。僕もあちこち彷徨っていた側だったけど……今はこうして留まっているからね。人それぞれ、妖怪それぞれだよ」

「……そういうものですかね?」

「そういうものだよ」


 不安気に訊ねたわたしに司樹さんは相槌を打った。

 それに、と司樹さんが続ける。


「彷徨って留まって……こうして留花さんに出会えた訳だしね」


 真正面からの言葉と視線に、わたしは固まった。

 固まって、ゆっくりと口を動かす。


「……それは、司樹さんにとって良いことなんですか?」

「良いことだよ」

「……そうですか」


 即座に返されてしまった。

 司樹さんと視線を合わせるのが何だか気恥ずかしくて、視線を彷徨わせる。

 そうか、わたしに会えたことは司樹さんにとって『良いこと』なんだ。

 何処にも行けない自分が情けなく感じていた。だが司樹さんによって、今ここにいる自分を少しだけ肯定できるような気がしてきた。

 水を打ったように静まり返った中で、河童さんが黄色い嘴から小さな声を発した。


「……坊、結構恥ずかしいこと言ったって自覚あります?」

「……今自覚しているから何も言わないで」


 己の顔を手で覆って司樹さんが呻いた。垣間見える耳が赤い。

 かっかっかっ、と河童さんが笑う。

 そんな二人の会話は、己の思考に浸るので精一杯のわたしの耳にぼんやりと届いただけだった。

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