第六話

 今日、よろずやにやって来た時から気づいていた。

 珍しいことに、いつもはいるはずの姿がそこにはなかったのだ。

 いや、珍しいというよりは、わたしがよろずやで働き始めてから初めてのことだというべきかもしれない。

 あれ、と思い、その場にいた白宇くんに訊ねる。


「司樹さんは何処かへ出掛けているんですか?」

「司樹はとある理由により爆睡しているから起こさなかった。今日はおれと留花ちゃんで店番だ」

「とある理由?」

「昨日妖怪たちの間で飲み会があって、それに司樹も巻き込んで……巻き込まれてだな」


 ……今、『巻き込んで』って言った?


 思わず突っ込みそうになったが話の腰を折るわけにもいかない。突っ込みたいのをぐっと堪える。

 努力の甲斐あってわたしの疑問は口には出ず、白宇くんの話が続く。


「話の流れで酒の飲み比べをしたんだ。まあ、妖怪たちの中ではよくあることよ。因みに、一番早く潰れた奴は罰ゲームとして好きな子の名前を皆の前で大声で叫ぶことになってだな。無論、好きな子なんていません、はなしだ。結構盛り上がったぞ」


 うんうんと白宇くんが頷く傍らでわたしは思う。

 地味に嫌な罰ゲームだな……というか、妖怪たちもそういう恋バナ(?)みたいなことで盛り上がれるのか。そういうところは人間と同じなんだなぁ……。まあ、酒もほとんど飲まないし、好きな人もいないし、それ以前に他人との関係が希薄なわたしにとっては縁のない話だけど……何だか自分で言っていて悲しくなって来た……。

 なんて多少自虐しつつ、気になったことを訊ねた。


「司樹さんってお酒強いんですか?」

「普通に強い方だと思うぞ。まあ、おれには敵わないけどな」


 腕を組み何処か誇らしげに白宇くんが言い切った。

 外見年齢が小学生くらいなのに飲酒の話をするのは如何なものかと今更ながらにわたしは思った。だが、白宇くんの正体は妖怪だから「まあ、いいか」で済ました。見た目が幼くても成人済みな場合は人間でもよくあることだし。

 そもそも、妖怪相手に人間の常識を当てはめてはならない。こういうことは深く考えてはならないのだ。

 それはわたしがこの店で働くようになって学んだことの一つである。


「さっきも言ったように司樹は酒に強い方なんだがな、飲み過ぎると次の日は爆睡するんだ。一度寝たらなかなか起きない。まあ、泣き上戸でもなければ、笑い上戸でもないし、他人にウザ絡みするとか迷惑をかける云々についての酒癖はそこまで悪くないのは幸だな。人も妖怪も酒癖が悪い奴は本当に厄介だからな。酒に関してはいろんな意味で留花ちゃんも気をつけるように」

「わかりました」


 ……見た目小学生くらいの白宇くんに酒について注意を受ける二十歳……側から見たら変な光景だろうなぁ……。いやでも白宇くんは実際はわたしよりもずっと年上らしいしなぁ……なんかこう、白宇くんに言われると素直に従わないといけない気がするし……。司樹さんも白宇くんにお酒について注意されたこととかあるのかな?


 白宇くんに酒について享受される司樹さんという光景を思い浮かべてくすりと笑っていると、白宇くんが目を眇めた。


「留花ちゃんは司樹がいなくて寂しいか?」


 ちょうど司樹さんのことを思い浮かべていたので、そう問われてドキッとした。

 寂しいか寂しくないかと問われれば――


「……寂しい、ですね」


 素直な言葉が口をついて出た。

 白宇くんは度々散歩に出掛けていなくなることがあるが、司樹さんはずっと側にいてくれて。よろずやの仕事や妖怪のことを教えてもらったり、他愛のない話をして笑ったりして二人で過ごす時間も多い。……いやでも、これはあくまで仕事の範疇なんだけど。

 他人と話すのが楽しいと思ったのはいつぶりだろうかと自分自身思ったくらいだ。

 それほどまでにわたしの人間関係は乏しいものなのだ。いつぞや八さんが言っていた『ぼっち』という言葉が脳裏を過って、まったくその通りだと自分で思った。


 ……はっ、いかんいかん。


 わたしは思考を振り払うかのように首を振った。

 前の職場では必要最低限のことしか話さず、話を振られたら相手に合わせて話すくらいで、聞き役が多かった。周りがお喋りをしている中、わたしは一人で黙々と作業していたし……。勿論、疑問に思ったら訊くこともあったし話をふられたらちゃんと受け答えはしたが――たぶん、できていたと思う。いや、できていたと思いたい――、積極的に自分から喋るなんてことはあまりなかった。

 一人暮らしであるため、家で家族と話すこともない。それ以前に、そんな存在がいない。唯一の家族である祖母も数年前に他界してしまった。

 学生時代によく話していた子も進学を機に遠くへと行ってしまった。わたしはわたしで仕事がなくなってバタバタしていたし、相手が忙しいかもしれないと思うと連絡するのは憚られて。

 一人で悲しいなんて気持ちは薄れてきていて。でも、寂しいという気持ちは心の何処かにあって。

 だからこそ、司樹さんと過ごす時間はわたしにとってかけがえのないものとなりつつあった。

 普段いる人がいないのは寂しい。きっと当たり前の感情だ。そう当たり前のこと。

 でも、それだけじゃない気がする。

 相手が、司樹さんだから……?

 ふと思い至った考えと己の感情に戸惑っていると、はたと白宇くんと目が合った。

 何処か満足げに白宇くんが頷く。


「そうかそうか寂しいか。ふむ、素直でよろしい」

「……あの、白宇くん。このこと司樹さんには言わないでくださいね?」

「何故だ?」

「だって……いなくて寂しいだなんて、子どもっぽいじゃないですか」

「そうか?司樹が聞いたら喜ぶと思うんだがな」

「……絶対に司樹さんには言わないでくださいね?」

「善処はする」


 念を押したけど、これはたぶん言われるやつだろうな……。

 にまにまと笑う白宇くんを見てわたしは察した。

 うん、深く考えないようにしよう……。

 わたしは現実逃避のために、手持ちのふわふわのモップで埃を取っていく作業に専念する。

 商品をそっとどかして埃を払っていく。

 棚や机が綺麗になっていく様を見て普段ならすっきりとするはずなのに、今日は気持ちが晴れなかった。

 何か、もやもやする。

 わたしが黙々と手を動かしていると、ちりんちりんと真鍮製のドアベルの音が響き渡った。

 客が来たことを告げる音に反応して、「いらっしゃいませ」という言葉とともにわたしは笑顔を浮かべて振り返った。


「……え、犬?」


 だが、出入口にいたその存在に、わたしはモップを持ったままきょとんとした。

 そんなわたしの言葉に返事をするように、犬はわん、と吠えた。

 黒い体毛に麻呂眉、白足袋を履いているかのような四本足。大きさは中型犬ぐらいであろうか。

 背中には唐草模様の風呂敷を背負っているが、何処からどう見てもただの犬である。

 いつぞやの猫のように立ったり喋ったりするのではないかと様子を見ていたが、犬は立つことも喋ることもしなかった。

 ただ「わん!」と一声吠えて、頭を下げた。

 か、可愛い!吠え方は普通の犬と一緒だな……というか、これ、もしかして挨拶されているのかな?わたしも挨拶を返すべきなのかな?

 どうしたら良いのかわからず困惑していると、ひょっこりと白宇くんがカウンターから顔を出した。


「おお、お疲れさん。主人は息災か?」


 手をついて軽々とカウンターを飛び越えた白宇くんが気軽に声を掛ければ、犬はふさふさの尻尾を振って、わん、と返事をした。


「そうかそうか。それは何よりだ」


 手慣れた様子で白宇くんは犬が背負っていた風呂敷を取った。

 犬も暴れることなく大人しくしている。

 風呂敷の中にはポチ袋と手紙が入っていた。

 手紙を読み終わった白宇くんが「うむ」と頷く。そして、一緒に入っていたメモ用紙をわたしに差し出してきた。


「留花ちゃん。悪いがこのメモに書いてあるモノを用意してくれるか?おれはちょっと持ってくる物があるから」

「わかりました」


 メモ用紙を受け取る。チラッと見えた手紙は文字が達筆過ぎて何が書かれているのかさっぱりだったが、渡されたメモはそんなことはなかった。

 手書きで書かれたそれは、読む人のことを考えて書かれた綺麗で優しい文字だった。

 えっと、筆ペンと茶封筒と羊羹と……。

 モップを置いて商品を取りに行くため店内を歩き回る。

 その間に白宇くんが奥へと引っ込んだ。

 犬はてくてくと歩いて移動し、大人しく休憩スペースでちょこんとお座りをして待っている。

 か、可愛い……。

 思わずじっと見ていれば犬と目があった。きょとんとつぶらな瞳でこちらを見てきて、ちょっと首を傾げる姿はとても可愛らしい。

 さ、触りたい……。

 自分の欲求に従いそうになるのを何とか堪えて、わたしは商品を用意するのに集中した。

 暫くして白宇くんが戻ってきた。その手にはミルクの入ったボウルがあって。


「ほい、これ。いつもご苦労さん」


 白宇くんが労りの言葉とともにボウルを床に置けば、犬はぶんぶんと尻尾を振って嬉しそうにミルクを飲み始めた。


「白宇くん。商品全部用意できました」

「ありがとう。あとはおれがやるよ」


 メモ用紙を返してもらった白宇くんが集められた商品を確認していく。ポチ袋から必要な分だけお金を取り出して会計を済まし、レシートとともにお釣りを入れた。

 白宇くんはどうやら奥で手紙を書いていたらしい。

 書いた手紙と商品を風呂敷で包み、器用に結んでリュックにした。

「風呂敷ってリュックにもなるんですね」

「ふふふ、結構万能なんだぞ?」

 得意げに白宇くんが言った。

 ミルクを飲み終えた犬がてくてくとこちらへ歩いて来る。

 ゆっくりと座って顔を上へと向けた。

 てっきり、白宇くんを見ているのだと思ったが、どうやらわたしを見ていたらしい。


「わん!」

「留花ちゃん。触ってもいいと言っているぞ」

「え、本当ですか!?」


 わたしは大いに喜んだ。

 犬を驚かせないようにその首元を優しく撫でる。


「ふわふわだ!」


 犬は気持ちよさそうに目を細め、ぶんぶんと尻尾を振っていた。喜んでもらえたようで何よりだ。

 一頻り触らせてもらった後、お礼を言って離れる。

 名残惜しいけど、忘れてはならない。この犬は買い物に来たのだ。これ以上邪魔をするわけにはいかない。

 犬がくるりとこちらに背を向ける。

 白宇くんは確と犬に風呂敷のリュックを背負わせる。そして、出入り口へと向かい、戸を開けた。


「主人によろしくな」


 最後に慣れた手付きで白宇くんが犬の頭を撫でて声を掛ければ、犬はぺこりと頭を下げた。律儀にもわたしに対しても頭を下げたため、わたしも丁寧にお辞儀を返した。何とも礼儀正しいワンちゃんである。

 犬は最後に「わん!」と元気に一声吠えて、駆け出した。

 犬を見送った後、空っぽになったボウルを白宇くんが手に取った。

 というか、白宇くんって犬とお話できるんだ……。

 犬の姿がなくなってから今更そんなことを思ったわたしに、白宇くんが先程の犬について語り始めた。


「さっきの犬は『お使い犬』と言われていてだな、その名の通り主人の代わりに買い物をする犬のことなんだ。因みに、主人の代わりに参拝する犬のことは『代参犬』と呼ばれていて、『こんぴら狗』とか『おかげ犬』という言葉もあってだな。昔はよく見たが今じゃ全然見られなくなったな」

「そうなんですね。わたしも初めて見ました」


 盲導犬なら見たことあるけれど。お使いをする犬なんて見たことがない。盲導犬や聴導犬、介助犬など人を助ける仕事をする犬を総じて補助犬というらしいが、お使い犬なんて初めて聞いた。


「ふーむ、時代だなぁ」


 なんて、しみじみと言う白宇くんはまるで老人のようだ。でも、不思議とそれは様になっていて。

 やはり白宇くんの発言と見た目にはギャップがあって、わたしはちょっとだけ不思議な感覚がした。

 モップを手に取って掃除に戻ったわたしに、不意に質問が投げ掛けられる。


「因みに、留花ちゃんは犬派か?猫派か?」

「え?えーっと、犬派、ですかね?」


 首を傾げつつも答えたわたしに対して、更に白宇くんが質問を続ける。


「それじゃあ、狐派か?狸派か?」

「うーん、狐派ですかね……って、何ですかこの質問?」

「よし」


 ガッツポーズをとる白宇くんに対して、突然の謎の質問にわたしは疑問符を浮かべることしかできなくて。

 訳がわからなくて戸惑っていると、


「なーにが『よし』だよ」


 突如扉が開いたかと思えば奥から司樹さんが現れた。呆れた表情を浮かべつつも何処かまだ眠たげである。足もともいつもよりも覚束ない気がする……まだ酒が残っているのかな?

 ふわぁ、と欠伸を噛み殺し、司樹さんがこちらへと近づいてきた。


「おう、目が覚めたか司樹よ」

「流石に夕方まで寝させてもらえたからな……」

「おはようございます司樹さん」

「おはよう留花さん」


 挨拶をすれば返ってくる。当たり前のことにわたしの心はあたたかくなった。家で一人でいたら絶対にありえないことだから。


「この場合、『おはよう』じゃなくて『おそよう』だがな」

「五月蠅いぞ白宇」


 けたけたと笑っていた白宇くんが「ああ、そうだ」と思い出したかのように声に出す。

 わたしの方を見てにやりと笑う白宇くんに、何だか嫌な予感しかしなくて。

 わたしは咄嗟に言った。


「し、白宇くん?」

「ん?どうしたんだ留花ちゃん?」

「言わないでくださいね?」

「さあ、何のことやら」


 惚けているが先程のことを言う気満々だと態度を見ていればわかる。

 やっぱり言うつもりだこの人!

 慌てて白宇くんの口を塞ごうとしたが、華麗にわたしをかわして白宇くんが口を開いた。


「司樹がいなくて、留花ちゃんが寂しがっていたぞ」

「え?」

「し、白宇くん!」


 さっき『善処はする』って言っていたのに!いやまあ、たぶん言われるかなぁとは思っていたけども!

 咎めるように名を呼んでも、白宇くんはあっけからんとしているだけで。飄々とした態度が何とも憎らしい。

 まじまじとこちらを見てくる司樹さんの視線を感じて、顔が熱くて仕方がない。非常にいたたまれなくなったわたしは自然と顔を俯かせた。


「僕がいなくて寂しいって思ってくれていたの?」


 恐る恐るといった様子で掛けられた言葉に顔を上げられないまま、けれども素直に小さく頷く。

 何とも言えない空気がわたしたちの間を漂っている。

 うう、恥ずかしい……。いなくて寂しいだなんて、やっぱり子どもっぽいよなぁ……。呆れられた、かな?うう……揶揄われそう……。

 わたしはそう思って身構えていたが、わたしの予想に反して、司樹さんは「……そっか」と呟いただけだった。


 ……え、それだけ?


 そろそろと顔を上げてみると、そこには少し顔を赤く染めて片手を口元にあてている司樹さんの姿があった。


「なーに、ニヤついているんだよ司樹」

「……別にニヤついてなんかいないし」


 そう言った司樹さんの耳は赤い。

 それに気づいたわたしは何だが余計に自分の体の熱が上がった気がして。言いようのない感情が湧いて来て、耐えきれなくなって再び俯いた。


「ふむ、二人とも若いな」


 わたしたちの様子を見た白宇くんが揶揄いを含めた言葉を発した。

 この中で一番見た目が幼くても、一番年上なのは白宇くんだと改めて知らしめられた気がした。

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