第四話
レジ打ちだけでなく、お札の数え方や商品の包み方まで一通り教えられた。
わたしは頭の中で教えられたことを何度も何度も反芻した。
その間に白宇くんは「散歩に行ってくる。留花ちゃん、頑張れ」と言葉を残して外に出掛けてしまった。
「呼べばすぐに戻って来るから、白宇のことは気にしないで。それに、忙しくなりそうなのに散歩に行くような奴じゃないし」
やれやれといった面持ちで司樹さんは言ったが、言葉の端々に白宇くんへの信頼感が滲み出ていた。
カチカチと壁掛けの振り子時計が音を奏で続けている中、格子戸が開く。
ちりんちりんとドアベルが店内に響き渡る。それすなわち、来客を告げる音で。
「いらっしゃいませー」
「い、いらっしゃいませ!」
司樹さんの緩い声の後にわたしも続く。けれども声は少し震えてしまったし、何より顔が引き攣っているのが自分でもわかった。
うわー、情けない……いや反省会をするのは後にして今は接客に専念しないと!
そう意気込んでみたものの、客を認識した瞬間わたしは固まった。
着物から覗く肌は赤く、左右の耳は尖っている。顔が三つあるだけでも異様なのに、その上に小さな顔が四つ、そのまた上にちょこんと顔が一つ乗っていて――計八つの顔があった。
ど、何処からどう見ても妖怪、だよね……?確かにお客さんには妖怪が多いとは聞いてはいたけれど……初めてのお客さんにしてはインパクトがあり過ぎではないでしょうか!?
大声で叫ぶ一方で、「頭部に二本の角が生えているということは鬼、なのかな?」と冷静に推察する自分もいて、脳内はとても騒がしかった。
おくびにも出さないように頑張っていると、隣からぼそりと声が聞こえてきた。
「白宇のやつ、逃げやがったな」
舌打ちをしそうな低い声だった。
最初の客が妖怪で、隣の司樹さんは何やら不機嫌そうで、わたしは不安でいっぱいになった。
……ええい、こんなことで不安になってどうする!しっかりしろわたし!
己を叱咤し、不安な感情を押し込める。
そんなわたしの努力など露知らずの妖怪の客は屈託なく司樹さんに話し掛けた。
「おう坊よ、元気にしとったか?」
「八さん久しぶり。まあ、一応元気、かな」
「白宇は?」
「散歩」
「ほんと、白宇は散歩好きだよなぁ」
八さんと呼ばれたその客が快活に笑う。
司樹さんとの遣り取りを見る限り、どうやらこの客は一見さんではないようだ。
二人が和やかに会話をしている間に、わたしは一人で何とか心を落ち着けようと努力した。
落ち着け……落ち着くんだわたし。初めての接客で粗相をしでかしちゃダメ!
気づかれないように小さく息を吸って吐く。
不意に客の視線が司樹さんからこちらへと移った。
「さっきから気になっていたんだが……嬢ちゃん見ねえ顔だな!」
ずんずんと八さんがこちらへとやって来て、カウンター越しではあるがわたしの目の前に立った。
大きな背丈に思わず見上げれば、一つの顔につき、二つの目――つまり十六個の目がわたしを見つめていた。
……あ、圧が、強過ぎる!
ひえっと叫びそうになるのを何とか堪える。「お客様に失礼な態度を取ってはダメ!」と心の中で自分を諫めた。
たじろぐわたしをフォローするように司樹さんが言う。
「八さん、圧が強いよ。この子は新人さんなんだから、お手柔らかに頼むよ」
「おおっと、悪い悪い。俺、圧が強いってよく言われるんだよな……怖かったろ?」
八さんが謝って来た。自分の顔に圧があることを本人も自覚しているようだ。
はい、怖かったです。
だなんて、素直に言えはしない。
自主的に謝って来た相手に対し真摯に向き合わなくては、と考えて、一つ深呼吸をして答える。
「いえ、わたしは大丈夫です」
八さんの顔をしっかりと見つめて――いかんせん顔が多いので、取り敢えず正面の顔に狙いを定めて――わたしははきはきと言い切った。
先程までとは違うわたしの態度に、八が面食らったようだ。司樹さんもちょっと驚いている。……おどおどしていてすみません。
「俺の顔から目をそらさないとは……なかなか肝が据わった嬢ちゃんじゃないか!よし、この様子ならいけるな!」
八さんは何やら一人で頷いた後、「それじゃあ商品を見させてもらうとするか」と機嫌良く店内を物色し始めた。
その間に司樹さんがこっそりと説明をする。
「八さんはね、八面鬼っていう妖怪なんだ」
「はちめんき?」
「僕はそう聞いたけど。『やつおもてのおに』だとか他にもいろんな呼び方をされているみたい。こう言っちゃあれだけど、昔はあの圧が強い見た目通り狼藉を働いていたそうだよ。でも、とある人との勝負に負けて丸くなったみたい」
妖怪と人の『勝負』って……いや、考えるのはやめておこう。
何となく血生臭さを感じたため、思考を振り払う。
そんな矢先、司樹さんが眉尻を下げた。
「丸くなったんだけど、ね……先に言っておくね。ごめん、留花さん」
「はい?」
「白宇がいなくなりやがった今、どうやら回避は無理そうだ」
「えーっと……?」
突然謝り出し、更には口調も少々乱雑になった司樹さんに、わたしは戸惑った。
いきなり謝られるとか怖いんですけど!?その謝罪は一体何に対してなんですか!?
心中の叫びをそのまま声に出しかけたが、それは遮られた。
八さんがレジカウンターに商品を置いたからだ。
八さんが置いたのはジャンボトランプというその名の通り大きなトランプなのだが、とても大きな八の手と比べると何だか小さく思える。
「会計を頼む」
「お、お預かりします」
いよいよ本番だ……落ち着いて、焦らずに、間違えないように。
内心ではどきどきしつつも、教わった通りに会計をしていく。
たくさんの視線を浴びながらの作業はとても緊張したが、無事おつりを間違えることもなく商品を渡すことができた。
「うん、ばっちり。初レジ成功だね」
「おお、そうだったのか。お疲れさん」
「ありがとう、ございます」
司樹さんと八さんに言われ、ほっと安堵した。
たった一回会計をし終えただけだ。けれども、これはよろずやで働くわたしにとって大きな一歩である。
知らないことを知って、できることが増えるのは素直に嬉しい。
これからも頑張っていろんなことを知っていかないと!
そうはいっても、純粋な向上心からだけではない。いろんなことを知り、一人でできるようになることで、他人に迷惑をかけないように生きていきたいという気持ちが大きいからだ。
結局は自分のため。一人でも生きていけるように、妖怪のことも仕事のことも知って慣れていきたいとわたしは意気込みを新たにした。
と、その時。
受け取ったばかりのトランプを八さんが袋から出した。
十六個の目が細められる。ニヤリと笑う顔は不敵で思わず逃げ出したくなる。
トランプを掲げて八さんは言い放つ。
「さあさあさあ、いざ尋常に勝負!」
大きな声が店内に轟いた。
熱量の高い八さんと、何が何だかわからないわたしと、呆れた顔をした司樹さんがそこにはいた。
*
場所はよろずや店内、片隅にある休憩スペース。
わたしの目の前にカードが重ねられていく。
……どうして、こんなことに……。
項垂れつつも、もう戻れない、とわたしは察していた。
隣では仕方がないと言わんばかりに司樹さんも椅子に座っている。
この状況が出来上がったのは数刻前。
八さんが突然、トランプで勝負をしようと言い出したのだ。
司樹さんが八さんに注意して――または抗って――みたのだが、
「あのさ、店内でトランプで遊ぶとか、これって一応営業妨害なんですよねー」
「白宇がいればもっと楽しくなっただろうに。いやはや残念だ」
「話聞いています?」
このようにして、司樹さんの嫌味が含まれた言葉は見事にスルーされた。
八さんは手慣れた様子でトランプを三つにわけて配っていく。
勿論、それは八さんと司樹さんとわたしの分である。
もしかして、司樹さんが謝っていたのはこのこと……?
回避できそうにもないので、わたしは早々に諦めて大人しくしている。仕事中に遊んでいていいのかなぁとは思ったけれど、司樹さんも参加しているからきっと大丈夫だと自分に言い聞かせる。
現に、司樹さんは再び謝ってきた。
「本当にごめんね留花さん。一回勝負したら帰ってもらう約束になっているから」
「無論、他の客が来たらそちらを優先してくれて構わないからな」
「当たり前でしょ」
司樹さんが言っても、八さんは何処吹く風である。つ、強い……。
その遣り取りを苦笑して見つつ訊ねる。
「ところで、どんなゲームをするんですか?わたし、あまりトランプゲームのルールを知らなくて……」
「ああ、そういえば言っていなかったな。ババ抜きをしようと思っているんだが、嬢ちゃんルールは知っているか?」
「ババ抜きなら流石に……でも、こういった数人でする遊びはあまりやったことないんですよね」
「そうなの?」
「もしかして、嬢ちゃんも友人がいないのか?」
「うぐっ」
八さんの言葉がグサッと胸に突き刺さる。
確かにその通りだけど!でも、いざ
今のわたしは、何とも言えない難しい顔をしていると思う。
一方、八さんは豪快に笑った。
「そうか、そうか、嬢ちゃんも友人がいないのか!確かこういうのを人間たちは『ぼっち』と言うのだったよな?」
グサグサと突き刺さる言葉に、気力をなくしたわたしは項垂れながら「ええその通りです」と肯定することしかできなくて。
ふらつきそうになるわたしを司樹さんが支え、咎めるように八さんを睨んだ。
「ちょっと八さん」
「因みに、坊も昔は『ぼっち』だったぞ。いや、今もそれはあまりかわらないか」
「ちょっと八さん!」
司樹さんが良い笑顔を浮かべてぐっと拳を振りかざそうと構えると、八さんは漸く静かになった。
「おおっと、すまんすまん。まあ、何はともあれ皆こうして遊んでいる訳だし、気にすることでもないよな。ああ、何も賭けないから安心してくれ」
「賭け事だったら、ガチでやらないからね」
酷く呆れた様子で司樹さんが悪態を吐いた。
「あの、『賭け事』って……?」
少々不穏な言葉に思わず反応してしまった。
そんなわたしに、司樹さんが昔話を語り出し、八さんについて説明をする。
昔々あるところに、顔が八つある鬼がいた。鬼は大層な
皆が困り果てていた時、そこに現れたのは一人の男だった。
鬼と男は盤双六で勝負をし、男は見事鬼に打ち勝った。
敗れた鬼はその男との約束通り、村人を守り尽くしたという――。
「因みに、八さんは賭けで人間を所望したこともあるんだって」
「人間、を……?」
「怖いよねぇ」
司樹さんが含みをもたせるかのように微笑んだ。
咄嗟にわたしの脳裏に浮かんだのは、勝負に負けた人間を八さんが喰らおうとしている光景で。
……ひえっ。
思わず想像してしまった自分の顔がさっと青褪めたのがわかった。
実は、わたしはホラーもスプラッタも苦手なのである。小説を読んでいてもグロい状況を想像して気分が悪くなってしまい、読めないこともしばしばあって。昔話や伝承だとしても――それが実話なら尚更――聞いたり読んだりしていると気分が悪くなってしまう。
明らかに顔色が悪くなったのだろうわたしを見て、司樹さんがぎょっとした。
「ご、ごめん。揶揄って言っただけだから!まさか留花さんがここまで気分が悪そうになるとは思っていなくって!」
「わたしは大丈夫です……」
司樹さんが慌てて何かを言っている。
八さんが不満げに物申した。
「全く、坊が誤解を招くような言い方をするからだぞ。嬢ちゃんが怯えているだろ」
「ほんっとうにごめんね留花さん。こんなに怖がるとは思っていなくて」
「……別に、怖くはないですよ?ただ、ホラーとかスプラッタとかグロいものが苦手なだけで……」
言って、わたしは「しまった!」と慌てて口を閉ざした。
今の発言だと、八さんが人間を所望する――つまり、人間を喰らおうとする妖怪なんだと思っていたことを自分から暴露してしまったようなものだ。真実はどうであれ、本人の前でそれは失礼過ぎる。
「す、すみません……」
「ほら、誤解を招いてしまったではないか」
八さんは縮こまるわたしを見て、それから司樹さんを睨んだ。
直ぐに「いやほんと、すみません」と謝った司樹さんに八さんがやれやれといった様子で肩を竦める。
「確かに、賭けとして人間を所望したこともある。だが、別に喰らおうとしたからではない」
「そう、なんですか?」
「俺はただ、友人が欲しかっただけなんだ。こうして遊戯を楽しめる友人がな。だが、俺はこんな見てくれだろ?みんな怖がって寄ってきやしない。だから、己から歩み寄ったのだ」
「そして、歩み寄り方を間違えた、と」
「し、司樹さん!」
わたしは思わず司樹さんを咎めた。全くこの人は!
確かに『狼藉』と言われているぐらいだし、人間からしたら怖い存在だと思われていたのかもしれないけど……。
ちらりと八さんを窺う。
八さんはふっと自嘲した。
「まさに坊の言う通りだ。勝つのは嬉しかったが怖がる相手に無理矢理遊戯をしてもただ虚しいだけだった。それでも止められなかった。まあ、言ってしまえば寂しかったんだな。だが、あいつが止めてくれた。そして、俺が少しでも周りと馴染めるように村人の守護を任せたんだろう。あいつは遊戯も心も強い奴だったよ」
八さんが言う『あいつ』とは昔話で語られた男のことだろう。
「あの時は一対一の勝負しかしていなかったが、こうして多人数で遊戯ができる日が来ようとはな……」
八つの顔が懐かしそうに、そして切なそうに、トランプを見つめていた。
ふとわたしが思い出したのは、皆が楽しそうに遊んでいる中で一人で本を読んでいたり、家で祖母と二人で遊んでいたりといった過去の記憶だった。
外で友人と遊ぶ。もしくは家に友人を呼んで遊ぶ。それが普通なのだろう。けれど、わたしにはできなかった。
その子の時間を自分に割くことが申し訳なかった。それに、家に誰かを呼んで、祖母に迷惑をかけたくはなかった。
……いや、それは言い訳か。
結局、自分が誰かと時間を共有することが苦手で、恐れていただけだ。
もしかしたら、理由は違えど八さんも他人と関わることを恐れていたのかもしれない。
過去の自分と八さんが重なった気がした。
無意識に声が零れる。
「……八さんは凄いですね」
「え?」
「わたしには、一緒に遊ぶような友人がいませんでした。わたしが何も行動に移さなかったから。友人を作ろうとしなかったから。だから、自分から行動した八さんは凄いです」
「……誤解を招いてもか?」
「そこは、えーっと……と、兎に角、八さんは凄いです!」
わたしはまごつきながらも、勢い良く言い切った。
八つの強面がぽかんと間の抜けた表情を浮かべた。
静観していた司樹さんがふふっと楽しそうに笑う。
「さあさ、凄い行動力のある八さん。早くババ抜きをしようよ。但し、いつも通り一回だけね」
人差し指を立てて、司樹さんがにやりと口角を上げる。
「そんでいつも通り、また今度商品を買いに来てくれたら別の勝負をするってことで。勿論、賭け事はしない約束で。その都度留花さんも巻き込んじゃうけどごめんね」
「謝らなくてもいいんですけど、確定事項なんですね……」
「残念ながら、確定事項なんです」
「今更なんですけど、仕事中に遊んでいてもいいんですか?」
「これも仕事のうちだからいいんです」
「……わかりました。あ、でも、もしかしたら知らないゲームもあると思うので、その時は教えてくださいね?」
「勿論。ね、八さん?」
わたしたちからの視線に八つの顔がはっと我に返った。
「ああ、任せろ!」
八さんがどん、と己の胸を叩く。その八つの顔は全て笑顔だった。
すう、と息を吸って大きな声で八さんが高らかに始まりを告げる。
「それでは、これよりババ抜きを始める!」
*
ババ抜きをしている最中、わたしはいろんな意味で心臓に悪かった。
気づいた時には、わたしが八さんからカードを引くという順番になっていて。
鬼の形相とはまさにこのことだ、と身をもって知った。
なんせ顔が八つもあるので、わかっていたもののいざ対面するとその圧は凄まじく、体が小さく震え上がった。
八さんの様子を窺うなんて余裕はない。相手の表情を見てカードを引くなんて高度な心理戦などわたしには到底できなかった。
ババを持っているのか否か、どれがババなのか等考えることもできなくて。
手を伸ばしてサッとカードを引くだけでもう一杯一杯だった。それでもペアが揃う時は揃うのだから不思議である。
ほんと、こうしてゲームをするのも久しぶりだなぁ……。
何だかんだでわたしは素直に楽しいと感じていた。
途中で別のお客さん――見た目は年配の女性だが、わたしには人間か妖怪なのかわからなかった――が来た時は、授業中にノートに落書きをしていたのを先生に見つかった時のような、何とも気まずい気分になった。
それでも、司樹さんが焦ることなく堂々と「いらっしゃいませ」と言ったので、わたしも「い、いらっしゃいませ」と何とか口を動かすことができた。
もし、『仕事中に何遊んでいるの!』ってお客さんに怒鳴られたらどうしよう……。
わたしは不安に苛まれたが、当のお客さんの反応といえば、
「あらまあ、司樹ちゃん。また八さんに捕まっているの?そちらのお嬢さんも大変ねぇ」
と、寧ろ憐れんだかのようにこちらを見てきたので、正直に言って拍子抜けした。どうやら八さんによる勝負はよろずや内では恒例行事になっているようだ。
「本当にもう大変なんですよー」
司樹さんが困ったように微笑しつつもその場に手札を置いて席を立った。「ほら、留花さんも」と促されて、慌てて立ち上がる。
二人でレジに戻れば、あら、とお客さんが声を発した。
「そちらの子って……」
「この子、新人さんなんですよー」
「やっぱりそうなのね!最初はまた八さんに捕まったお客さんかと思ったわー。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします」
なんて、お客さんとのんびりと会話をする。というか、お客さんの中にも八さんの犠牲者がいるのか……。
接客をしつつも八さんの様子を密かに見遣ると、それぞれの顔の視線がいろんな方向を向いていた。
「八さんならああして店内を見て楽しんでいるから放っておいても大丈夫」
そう司樹さんにこっそりと教えてもらったので、わたしは「今は目の前のお客さんに集中しないと!」と集中することができた。
二度目の会計も無事に終え、「ありがとうございました」とお客さんを見送った後に八さんが待つ席へと戻る。
そうすると、待っていましたと言わんばかりに八さんの表情が生き生きと輝いた。そして、ババ抜きは再開され、勝負が終わった八さんは「また来るからその時はよろしく頼む!」と言って意気揚々と帰って行ったのだった。
*
「はい、今日はここまで。お疲れ様でした」
「お疲れ様でした……」
パンッと手を鳴らして、司樹さんが終了を告げた。
ふうっと脱力したわたしを見て、司樹さんが苦笑いを零した。
「最初のお客さんがあの八さんでいろんな意味で大変だったね。こう言うのもあれだけど怖くなかった?」
「……正直、怖かったです。見た目とか視線の圧が強過ぎて心の中で叫びまくっていました」
「だろうね」
「でも、八さん自身は気さくな方でした。人もそうですけど、妖怪も見た目で判断しちゃダメですね」
優しそうに見えて、実は腹の中は真っ黒で他人を貶めようとする人もいる。笑顔で他人を傷つけて平気な人もいる。逆もまた然り。見た目が怖くても他人を気遣える人もいる。とっつきにくそうに見えて、実は優しい人もいる。
八さんの場合は後者だ。
八さんはレジを終えたわたしに、「お疲れさん」と労りの声を掛けてくれたのだ。失礼なことを言ったわたしを責めることもしなかった。
見た目で判断してはならない。その点に関しては人も妖怪も同じなのだとわたしは学んだ。
怖いモノは苦手だ。他者と接することも苦手だ。その相手は人間であろうと妖怪であろうとわたしの中では変わらないんだなぁ……。
それに――。
「人であろうと妖怪であろうとお客様はお客様です。どんなお客様が来ようとも、丁寧に対応できるように頑張りたいとは思っています」
はっきりと言い切る。口先だけの言葉にはしたくなくて、宣言するかのように司樹さんの顔をしっかりと見つめた。
黙って話を聞いていた司樹さんが口を開く。
「留花さんは順応性が高いね」
「順応性が高いかどうかはわかりませんけど……視えてしまうモノはどうしようもないかなって。もう現実を受けいれるしかないかなって思いまして。何ていうか、そうですね……諦めに近い感じですね」
最初は自分の空想だと思い込もうとしたけれどやはり違って。
妖怪から目をそらすことはできても、結局は妖怪が視えるようになってしまった事実からは逃れることはできなくて。
「それなら、自分は妖怪が視えるんだって、諦めて、受けいれて、覚悟を決めるしかないかなぁ、と。ちょっと消極的な考え方かもしれないですけど。ほら、『人生諦めが肝心』とも言いますし」
諦めて受けいれる。それはわたしの処世術だ。時には辛くて苦しい時もあったけれど、そうしてわたしは今まで生きてきたのだ。
不意に隣から「ぷはっ」とふき出す声がした。
そちらを見遣れば、司樹さんが肩を震わせていた。
「……何か笑える要素ありました?」
「ないない何もないよ。だから怒らないで」
「……別に、怒っていませんよ」
「じゃあ、ひねないで」
「ひねてもいません。ただ、真剣に喋っていたのに、それをぶち壊されて何だかなぁって思っているだけです」
「それはその、つい……ごめんなさい」
素直に謝られると何だかこちらの方が居心地が悪くなった。「……別に気にしていませんよ」と小声で言えば、司樹さんはあからさまにほっとしたようだった。
「……えーっと、話を遮っちゃったけど、僕は『諦める』って考え方には賛成だよ」
「え?」
司樹さんの言葉に、ぱちくりと目を瞬かせる。まさか肯定してもらえるとは思っていなかったのだ。
「人によっては『諦めたらそこで終わりだ』って言うかもしれない。でも僕は、諦めて少しでも楽になれるのなら、それで良いと思っている。そういう考え方で僕も楽になった経験があるから」
司樹さんが浮かべた微笑みがあまりにも優しくて、やわらかくて、あたたかくて――わたしは目を奪われてしまった。
だが、その笑みは一瞬のうちに変わった。
にこにこと上機嫌そうな司樹さんを見て、嫌な予感に襲われる。
「留花さんは妖怪が視えることを自分で受けいれて偉いね。強面の八さんにも堂々と接客できていたし……うんうん、これなら骸骨とか片脚の妖怪とかどんな客が来ても大丈夫そうだ」
「……えっと、あの、決して怖いモノを克服した訳ではなくてですね?」
「留花さん、人も妖怪も見た目で判断しちゃダメだよ?」
「うっ……」
さっきはっきりと自分で言ってしまった手前、「やっぱり無理です!」だなんて今更そんなこと言えなくて。
わたしは頬を引き攣らせながら言う。
「……頑張って克服します」
「無理して克服する必要はないさ。誰にだって苦手なモノはあるもんだし。困った時はいつでも頼ってよ。ね、留花さん?」
司樹さんが良い笑顔でわたしの顔を覗き込んできた。
笑顔なのに圧が強過ぎる!
ひえっと叫びそうになるのをわたしは何とか堪えた。
いろんな意味でこれから大変そうだなぁ……。
今後のことを考えると少しだけ心配になった。
……でも、きっと大丈夫。怖いのは苦手だけれど、こうして自分の考えを受けいれてくれる人が一緒にいるのだから。
胸の内はほんのりとあたたかくて。だから、大丈夫だとわたしは小さく呟いた。
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