第八話
色とりどりの文具は見ているだけでも心が躍る。面白い形のものもあるし、見ていて飽きない。
わたしが文具コーナーの試し書きの用紙を入れ替えていると、ちりんちりんとドアベルが来客を告げた。
「……こんにちは」
訪れたのは、深い緑色の髪と薄茶色の瞳を持つ一人の少年だった。
少年は元気がなく、何やらどんよりと重い空気を漂わせている。
「おや、珍しい。今日は一人なのか?」
「……うん」
白宇くんが訊ねれば、気まずそうに顔を俯ける。その姿は何処かぎこちない。
人見知りなのかな、とわたしは思ったが、こっそりと司樹さんが告げる。
「彼の名前はトキワ。普段はこれでもかっていうぐらい元気なんだけどね。双子でいつも一緒にいるトキミって女の子がいるんだけど、いないってことは何かあったのかな?」
司樹さんの予想は当たっていたらしい。
白宇くんとの会話を聞いていると、どうやら少年は双子の片割れと喧嘩してしまったようだ。
「喧嘩なんてお前たち日常茶飯事だろ」
「そうなんだけど……今回はトキミ本気で怒っていてさ。話を振っても無視されるし、顔も合わせてくれないし……最初はそれにイラッとしていたんだけど、それがずっと続いて流石に堪えられなくて……」
「そんなに怒らせるなんて一体何したの?」
「……黙秘で」
司樹さんからの問いに視線を逸らした少年と目が合った。
少年があからさまに話題を変える。
「そ、それよりも、新しい従業員さん?珍しいね」
「留花ちゃんって言うんだ」
「よろしくお願いします」
「あ、俺トキワって言います。こちらこそよろしくお願いします」
お互いに頭を下げて挨拶をし終わったところで、おずおずとトキワくんが言った。
「あの、それでさ、仲直りしたくてトキミに文具をあげたいんだけど……」
「本当に文具が好きだなお前たちは。まあ、ゆっくり見ていきな」
早速文具コーナーへと向かったトキワくんを見送った白宇くんがレジカウンターへと戻ってきた。
そして、昔々、と話し始めた。
「とある寺に一対の松の大木生えていてだな。まるで二匹の龍のように見えるから、『二龍松』と呼ばれていたそうだ。ある日、その松が二人の童子に姿を変えた。その二人は住職に硯と紙を求めた。貰えて大層喜んだ二人は紙に文章を記した。寺に災いが降りかからないように、と願いを込めてだな」
「二人は松の精なんだって。自分たちを大切にしてくれていた住職たちに恩返しをしたくて、守護の書き付けを残したそうだよ」
いつもだったら、二人で来店するそうだ。「一体何をやらかしたのやら」と白宇くんが呟いた。
棚から垣間見られるトキワくんの姿は真剣そのものだ。あーでもないこーでもないと文具を見て悩んでいる。だが、終いには頭を抱えて蹲ってしまった。
「あーもう!どれが良いんだ!?」
「ふむ、アドバイスはいるか?」
白宇くんの声にトキワくんががばっと振り返る。
「え、ほんと!?欲しい!」
「それじゃあ、留花ちゃん。どうぞ」
「えっ!?」
いきなり話を振られてわたしは狼狽えた。いやいやいや、何でそうなるの!?
「白宇くんがアドバイスするんじゃないんですか!?」
「いやー、女の子の好みはやっぱり女の子に訊いた方が良いと思って」
「わたしの意見なんて参考にならないと思うんですけど……」
感性は人それぞれだし……いや、特におかしな感性を自分がしているとは思えないけれど。
大体、わたしはその『トキミちゃん』に会ったことがない。会ったこともない子へのプレゼントを考えるとか……え、もしかしてわたし、怪しい奴なのでは?
思考はどんどん変な方向へ向かっていく。
そもそも、わたしよりも、『トキミちゃん』を知っている司樹さんの方が……それこそ長年店主を勤めている白宇くんの方が良いのでは?
そんなわたしの思考を打ち消すように、トキワくんが手を叩いた。
「頼むよルカ姉ちゃん!貴重な意見を何卒!」
「頑張れ留花さん」
ぽんと司樹さんにも肩を叩かれてしまった。えええ……。
正直に言うと全く自信がなかった。だって、他人にプレゼントを贈ったことなんてあまりないから。祖母は何を送っても「ありがとうね」という人だったし……。友人にプレゼントなんて改まって送ったこともないし……。そもそも、わたしもプレゼントを貰った記憶がないし……ダメだ、だんだん悲しくなってきた。
なんとか断ろうとするけれど、男性陣からの期待の籠った眼差しに、
「……わかりました。僭越ながら、アドバイス失礼します」
と、わたしは腹を括ることにした。……負けた。
文具コーナーへと向かい、トキワくんの隣に並ぶ。
文具は種類が豊富で、なるほど、どれを選んだら良いのかわからなくなる。
取りあえず、系統を決めるか……。
女の子が喜びそうなものといったら、可愛いものとか綺麗なものだろうか。いやでも、可愛過ぎるのはちょっと、という子もいるだろう。
「トキワくん。トキミちゃんって可愛いものは好き?」
「うーん、好きだけど、あまり子どもっぽいものだと『馬鹿にしている?』って怒られそう……。あいつ、子ども扱いされるの嫌がるから」
「それはトキワもだろー」
「俺は違うし!」
「そういうところだよ」
白宇くんからの野次にトキワくんが反論すれば、更に司樹さんに指摘された。
ぐぬぬ、とトキワくんが歯噛みしている。
「二人とも邪魔しないでください」
「すみません」
「ごめんなさい」
ぴしゃりとわたしが言えば、素直に白宇くんと司樹さんが口を閉ざした。
「二人を黙らせるなんて……ルカ姉ちゃんって強いんだな!」
「別に強くはないですよ?それよりも、トキミちゃんへのプレゼントなんですけど」
「あ、はい」
トキワくんから何やら尊敬の眼差しが向けられている。……もしかして、普段から白宇くんや司樹さんに言い負けているのでは?
そんな予想をしつつも、真面目に話を戻す。
「ああいうところが留花ちゃんの強みだよなー」
「そうだな」
なんて、白宇くんと司樹さんが言い合っていたが、反応したら何だか恥ずかしいことになりそうだから今は無視だ。
外野の会話に突っ込むことなく、わたしはトキワくんに提案する。
「これなんてどうでしょう」
「……『ハーバリウムボールペンキット』?」
わたしが差し出したのはクラフト用のボールペンだった。
透明な筒の部分にビーズとかドライフラワーとか材料を入れて、自分でオリジナルのボールペンを作るキットである。
袋の裏側に書かれた作り方をじっとトキワくんが熟読している。
「心のこもった手作りプレゼントなら、きっと許してもらえますよ」
「……うん、これならトキミも喜びそうだし、俺にも作れそう。中身はどうしよう」
「カモミールのドライフラワーはどうでしょうか。カモミールには仲直りって花言葉もあるんですよ」
「仲直り……うん、これにする!」
「まいどありー」
いつの間にかちゃっかりレジにスタンバイしていた司樹さんにわたしは苦笑した。
白宇くんが「ここで作っていきなよ」と店内の休憩スペースにトキワくんを誘う。
「よっしゃ、やるぞー!」
「トキワって手先器用だっけ?」
「文字を書くなら自信がある!」
「あ、そう」
……それは手先が器用なのと関係あるのか?
わたしと司樹さんと白宇くんの微妙な心境が重なったと思う。
トキワくんはその後白宇くんと軽い遣り取りをした後、真剣な表情を浮かべた。
ふと、周りの空気ががらりと変わった。
呼吸音ですら大きく聞こえてきそうな厳かな雰囲気にわたしは飲み込まれそうになる。
と、軽く肩を叩かれて、わたしははっとした。
「留花さん、息が止まっていたよ?」
「え、嘘……」
「まあ、無理もないな。トキワは無意識だけど、あのボールペンに守護のお呪いをかけているみたいだから。寺を守ってきたその力は伊達じゃないさ」
トキワくんの作業を邪魔しないように戻ってきた白宇くんが言った。
わたしたちにはそれを見守ることしかできなくて。
清廉な空気がトキワくんの周囲に漂っている。
透明な筒の中にスポイトでオイルを入れて、竹串やピンセットを使って小さなドライフラワーを丁寧に入れていく。ドライフラワーの位置によって、雰囲気ががらりと変わってしまうため、少しの妥協も許されない。それを慎重に繰り返して、トキワくんは真摯に作業に没頭している。
元気な男の子という印象だった先程とは違う子のように見えて、わたしは不思議な感じがした。
三人で見守っていれば、どうやら完成したようだ。
ふぅ、と息を吐き、トキワくんがゆっくりと肩の力を抜いた。
彼の手元には出来上がったばかりのハーバリウムボールが照明の光を受けてきらきらと輝いている。
「はぁー、疲れたー」
「お疲れさん。よかったら、ラッピングするけど?」
「お願いしてもいい?流石にラッピングまでする元気がない……あ、リボンの色は緑で」
「うむ。それじゃあ留花ちゃん、お願いしても良いか?」
「わかりました。任せてください」
ラッピングはそこそこ得意だ。
どうか、トキワくんが仲直りできますように。
トキワくんのように守護のお呪いはできないけれど、わたしもそう祈りを込めてボールペンを丁寧にラッピングした。
「お待たせしました」
「ありがとう、ルカ姉ちゃん」
「喜んでもらえるといいな」
トキワくんは司樹さんの言葉にうん、と元気良く返した。そうかと思えば、次の瞬間震え始めた。
「シキ兄ちゃん……これ一体どうやって渡せば良いと思う!?」
「いや、普通に謝って渡しなよ」
「そうなんだけどさー……まず、話を聞いてくれるかどうか……」
「本当に何やらかしたんだお前」
「ねえ、シキ兄ちゃんから渡してくれない?」
「自分で渡しな」
「ルカ姉ちゃん!」
「が、頑張ってください!」
「て、店長ー!」
「自分で渡さないと意味ないだろうこのヘタレ」
「うう……そうだけどさ……」
ここにきてまさかの弱気の発言をしたトキワくんにわたしたちは顔を見合わせた。
と、司樹さんと白宇くんがわたしを前に差し出した。……えー……。
「きっと大丈夫ですよ!頑張って心を込めて作ったんですから!当たって砕けよです!」
「留花さんそれなんか違くない?それに砕けちゃダメでしょ」
「ルカ姉ちゃん……そうだよな、当たって砕けてくる!」
「いや、砕ける前提で行くなよ」
司樹さんが冷静に突っ込んだが、文句があるなら貴方から言ってやってください!
そう視線で訴えかければ司樹さんは黙った。……ふっ、勝った!
そんなわたしたちの無言の攻防にトキワくんは気づいていない。
やる気になったのは良いことだが、本当にそれでいいのかと司樹さんの顔に書かれている。
今にも店から飛び出そうとしたその首元を「まあ、待て待て」と白宇くんが止めた。
ぐえっと苦しそうな声がしたが、白宇くんが何処吹く風と聞き流す。
「砕ける必要はないみたいだぞ」
ほら、と白宇くんが見遣る視線の先を皆で辿る。
店の入り口――格子戸の外を見遣れば、一つの視線と目が合った。
わたしたちがそちらを向いたのに気づいたのか、さっとその子は身を屈めた。
暫し訪れた沈黙。
けれど、いたたまれなくなったのだろう。ちりんちりんとドアベルが申し訳なさそうに鳴った。
そこに現れたのは、深い緑色の髪と薄茶色の瞳を持つ、トキワくんにそっくりな女の子だった。
「トキミ!?」
「トキワ五月蠅い」
叫んだトキワくんに開口一番その子――トキミちゃんがぺしっと頭を叩いて窘めた。
次いで、トキミちゃんがわたしたちへと向き直った。
「あの……トキワが迷惑を掛けたようですみませんでした!」
「迷惑なんて掛けてないし!」
「ずっとよろずやさんに籠っていたじゃない!どうせ、新しい文具を見てはしゃいでいたんじゃないの?」
「それは、その……」
トキワくんが視線を彷徨わせる。すると、わたしたちと目が合った。
わたしたちは「今だ!渡せ!」と視線で訴えかけた。
その視線は通じたらしい。こくりと頷き、トキワくんはおずおずとトキミちゃんにプレゼントを渡した。
「トキミ!……その、ごめん!」
「え?何これ?」
きょとんとした顔のトキミちゃんが差し出されたものを見て目を瞬かせる。
「トキミ、受け取ってやりな。トキワが頑張って作ったんだから」
白宇くんに促されてトキミちゃんが受け取った。
「開けてもいい?」
「うん……」
ボールペンを気に入ってくれるかどうか、これで仲直りできるかどうか。
トキワくんの頭の中はきっとそんな考えでいっぱいだろう。
見ていることしかできないこちらも歯がゆかった。
トキワくんは丁寧にラッピングを外すトキミちゃんを緊張した面持ちで見ていた。
「……わあ、綺麗」
中から出てきた物を見て、トキミちゃんが感嘆の声を漏らした。
ボールペンの透明な筒の中には小さなカモミールが綺麗におさめられている。それが白色のペン軸にも合っていて、シンプルながらも美しい仕上がりになっていた。
トキミちゃんはきらきらと瞳を輝かせた。
「え、これ、トキワが作ってくれたんだよね?」
「うん……気に入ってくれた?」
「とっても気に入った!」
トキミちゃんが大事そうにぎゅっとボールペンを握りしめる。そして、ゆっくりと口元を緩めた。
「仕方がないな。これで許してあげる」
「……良かったぁ」
トキワくんは脱力したかのように、ほっと胸を撫で下ろした。「良かった良かった」とわたしたちも安堵した。
店内の張りつめた空気が穏やかなものに変わった。
おずおずとしていたトキミくんも今では普通にトキミちゃんと喋っている。
仲直りは成功で終わった。自分で言っておいてあれだが、当たって砕けなくて良かったと心からそう思う。
一息ついたところで、トキミちゃんがわたしに話しかけてきた。
「トキワが迷惑を掛けたみたいですみませんでした。ボールペンを渡せたのも、ルカお姉さんのおかげだってトキワから聞きました」
「私はただ、アドバイスをしただけですよ?トキワくんが頑張って作ったから、素敵なボールペンが完成したんですよ」
「それでも、ありがとうございます」
こそっとわたしはトキミちゃんに耳打ちする。
「カモミールには仲直りって意味があるんですよ?だから、その花材をトキワくんは選んだんです」
「……全くもう、トキワったら!」
そう悪態を吐きつつも、トキミちゃんは嬉しそうだ。
「ルカお姉さん、今後ともトキワ共々よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
トキミちゃんと笑顔で握手をする。可愛い女の子と仲良くなれるのは嬉しいことだ。たとえそれが妖怪でも。
トキワくんが「そろそろ帰ろう」とトキミちゃんに話し掛けた。
「トキワこっち来て」
「え、何?」
トキワくんが首を傾げながらもトキミちゃんの隣に並ぶ。すると、トキミちゃんが同じ高さにあるトキワくんの頭を掴んで下げさせた。「いきなり何するんだよ!」という抗議を無視して、トキミちゃんも頭を下げた。
「皆さん、この度はお騒がせしました。ほら、トキワも」
「えっと、ほんっとうにお騒がせしました。すっごく助かりました」
双子に「頭を上げな」と白宇くんが言う。
「新しい文具を仕入れておくからまた二人で来な」
「うん、楽しみにしているね!」
「それじゃあ、失礼します」
こうして双子は帰って行った。
静かになったよろずやで、白宇くんが言葉を紡ぐ。
「それにしても、トキミも素直じゃないなぁ」
「え?」
「トキミはね、ずっと店の外でトキワの様子を窺っていたんだよ」
「そうだったんですか!?」
当たり前のように呟いた白宇くんと司樹さんにわたしは驚きの声を上げた。
「トキワのことが気になってつけてきたんだろうけど……ほんと、喧嘩する程仲が良いって奴なんだから」
「だな」
「わたし、きょうだいがいないのでちょっと羨ましいですね」
他愛のないことを言い合える人なんてわたしにはいなくて。痴話喧嘩できる程の仲に、少しだけ憧れる。
「おい、留花ちゃんが羨ましがっているぞ。痴話喧嘩しな司樹よ」
「嫌だよ。理由もないのに無駄に喧嘩なんかしたくないよ」
「ですねぇ」
司樹さんの言葉にわたしは苦笑した。
喧嘩しないに越したことはない。時と場合によれば致し方がないとは思うが、相手の意見を尊重して仲良く暮らしていけるのが一番だ。
「それに、僕はきょうだいになりたい訳じゃないし……」
なんて、司樹さんのもごもごとした小さな呟きをわたしは訊き返す。
「司樹さん、それってどういう意味ですか?」
「いや別に気にしないで」
「司樹が言った言葉の意味はだな――」
「ちょっと黙れ白宇!」
ぎゃーぎゃー騒がしい二人を見て、
喧嘩する程仲が良い、か……。
と、わたしはふふっと小さく笑う。
……そういう相手がいるなんて、やっぱり少し羨ましいな。
そんな思いにはそっと蓋をした。
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