第十話

   ◇


 祖母に連れられて、わたしはとあるタワーパークへとやって来た。

 街のシンボルであるタワー付近には花畑や樹冠回廊、自然体験施設やサイクリングロードなどがあって、休日には人が集まる場所だ。

 特にその日は広場でフリーマーケットが開催されていて、より多くの人で賑わっていた。

 手作りの小物、生花やドライフラワー、調度品や骨董品等といった商品を売る数多の店が並んでいる。

 幼いわたしの目に沢山のモノが映る。見たことがないモノにとてもわくわくした。

 それらに目を奪われていたせいだろう。ちょっとなら大丈夫と思って祖母の傍を離れてしまったわたしは、気付いた時にはひとりぼっちになっていた。

 辺りを見回しても祖母はいない。

 広場は結構な広さで人も多い。「おばあちゃん!」と呼んで探しても全然祖母は見つからなくて。

 おばあちゃん何処にいるんだろう……もしかしたら案内所に行っているかもしれないし……いや、今まで歩いて来た場所を探しているかもしれない。

 わたしは幾つもの『もしも』を考えながら、祖母を探し歩き回った。祖母が自分を見つけてくれるまで動かずにその場にとどまるという選択肢もあったが、とどまりたくない訳があった。

 先程から視界に何やら奇怪なモノたちが見えるのだ。


 ……何あれ何あれ何あれ!?


 わたしの内心はそれはもう荒れ狂っていた。

 人とは明らかに違うモノたち。一つ目だったり、頭に角がはえていたり、お面を被っていたり……兎に角奇々怪々な見た目のモノたちだ。

 仮装にしては周りの反応が全くといって良い程ない。まるであれらの存在が見えていないかのようだ。

 あの奇怪なモノたちとは目を合わさない方が良いと本能が告げている。

 迷子に加えて、何やら自分にしか見えない奇怪なモノが見えるこの状況で、わたしは顔を俯かせながら歩き続けた。

 あれはきっと不安な気持ちが見せるわたしの空想だ。うん、そうだ、そうに違いない。大丈夫、わたしは大丈夫。おばあちゃんもきっと直ぐに見つかる。

 何度も自分に言い聞かせたが、わたしの心の中は不安でいっぱいだった。

 我慢していたけれど、次第に目に涙が溜まっていく。

 気づけば周りに人の気配がない。まるで世界で本当にひとりぼっちになったかのようで、遂には泣き出しそうになった。

 と、その時。


「そこのお嬢さん、もしかして迷子ではないか?」


 自分に声を掛けてきたモノがいた。

 わたしはそちらを振り返る。ぱちりと瞬いた瞳から涙が零れ落ちた。

 目の前にいたのは獣だった。

 汚れなど一つもない純白の体毛。三角の耳に、黄昏色の透き通った瞳。

 わたしがきょろきょろと辺りを見回しても、この獣以外人の姿はなくて。


「君に声を掛けたのはおれだそ」

「い、犬が喋った……!?」

「残念。犬じゃなくて狐です」


 わたしにとって重要なのは獣が喋ったことだったが、獣にとって重要なのはそこではなかったらしい。

 確かにそう言われてみれば、犬じゃなくて狐だ。

 何にせよ相手を不快な気持ちにさせてしまったと思ったわたしは直ぐに謝った。


「……えっと、間違えちゃってごめんなさい」

「ふむ、君は素直に謝れて良い子だな。あいつに君の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぐらいだ」


 ぶつぶつと独り言を述べる獣――狐が尻尾をゆらゆらと揺らす。

 ふさふさな尻尾……触ってみたい……もふりたい……。

 思わずそんなことを考えてうずうずしていると、それを察したらしい狐が「触ってみるか?」と尻尾をこちらに向けてくれた。


「いいの?」

「ああ、おれの尻尾をとくと堪能するがよい」


 尊大な狐の態度に肩の力が抜けた。

 では、お言葉に甘えて……。

 わたしは狐にそっと手を伸ばした。

 触った尻尾はふかふかさらさらしていてとても撫で心地が良い。


「おお……!」


 感動していたわたしの耳に、再び知らない声が届いた。


「あ、いた!」


 不意に聞こえてきた第三者の声にわたしはびくりと肩を震わせた。

 こちらに駆けてきたのは、今度こそ人間だった。

 わたしよりも少し年上であろう少年だ。

 ぜえはあと肩で息をする少年に、狐が訝しげに訊ねる。


「何でここにいるんだ?店番はどうした?」

「それはこっちの台詞だ!人に店番押し付けて勝手にどっか行くなよ!お金ならいいけど、物々交換とかまだわからないんだからいてくれないと困るよ!」

「何だ、寂しかったのか?それならそうと素直に言いなよ」

「違うわ!」


 少年が突っ込んだが、狐は何処吹く風と聞き流す。

 当たり前のように狐と話している少年は、全く、と悪態を吐いた後、視線をわたしへと向けた。

 わたしと少年の目がぱちりと合う。

 徐に少年が口を開いた。


「……君、さっきこいつと話していたよね?こいつが視えるの?」

「見える、けど……?」


 少年の質問の意図がわからず、困惑しつつもわたしは答える。


「そっか……それじゃああれは?」


 少年が近くの木を指差す。そこには二つの顔が……まさしく顔だけがあった。

 木の上で動いているそれらを見て冷や汗を流しつつ、わたしはその特徴を述べる。


「うんうん……それじゃああれは?」


 少年が空を指差す。風もないのにひらひらと舞う布に顔があるように見えるのは見間違いだろうか。

 けれども、どうやら見間違いではないらしい。

 少年に告げれば、「あるね。顔が」と肯定された。

 そんな二人の遣り取りを黙って見ていた狐が声を発した。


「この子はばっちり視えているぞ」

「……みたいだね」


 狐と少年が頷き合う。

 何やら納得する彼らに、わたしは困惑するばかりだった。

 狼狽えるわたしに少年が説明する。


「あれらは、妖怪と呼ばれるモノたちなんだ」

「……よう、かい?」

「そう、妖怪。あやかし、物の怪、魔物、怪異とか呼び方はいろいろあるけど」

「……その、狐さんも?」

「妖怪です」

「犬でも狐でもなく妖怪……」

「犬ではなく狐ではある妖怪です」

「霊に狐と書いて霊狐っていう妖怪だよ」


 わたしが頭に疑問符を浮かべていると、補足するように少年が付け足した。

 なるほど、と訳がわからないままわたしは無理矢理納得した。

 それにしても……凄く視線が気になるんだけど……。

 黄昏色の美しいその瞳でじいっと見つめてくる霊狐の視線がとても気になった。


「ほうほうほう……これはこれは……」


 何やら意味ありげに頷かれ、わたしはたじろいだ。


「ふむ。お嬢さんが妖怪が視えるようになったのは今日が初めてのようだな。ここに来てから視えるようになった。違うか?」


 霊狐の言う通りだ。生まれてこの方、妖怪が視えた記憶なんてない。

 こくりとわたしは頷く。

 霊狐曰く、


「何事にも境目というものがあってだな。そういう場所に行ったりそういう時間になったりすると、普段は視えないモノが視えることがあるんだ」


 とのこと。


「安心するがよい。一過性のものだよ」


 そう言われてわたしはほっとした。安堵もあって、わたしは気にしなかった。

 霊狐が「……今はな」と付け加えたことを。

 と、ここで霊狐の視線が少年へと向いた。


「そんなに残念がることないだろ」

「……別に、残念がってないし」


 とは言ったものの、少年は何やら落胆しているようだった。

 少年と再び目が合ったかと思えば、おずおずと少年が訊ねてきた。


「その……君は信じるの?」

「何を?」

「妖怪が存在しているってことを」


 やけに真剣な声だった。

 きょとんとした後、ゆっくりとわたしは首を傾げる。


「だって、実際に視えているし……お兄ちゃんも視えているんでしょう?」

「うん、視えているよ」

「それなら、信じるも何も、妖怪は存在しているってことじゃないの?他の人のことはわからないけれど、少なくともわたしたちにとっては」


 自分の空想かなと思ったけれど、どうやらそうじゃなくて。

 妖怪は昔話に出て来るモノで、その話の中には怖いモノもあったけれど、所詮は空想上のモノだとずっと思っていた。

 けれども、自分以外にも視える人がここにいる。ということは、妖怪は空想上のモノじゃなくてちゃんと実在しているということになるんじゃないのかとわたしは考えたのだ。

 自分なりの意見を述べると、少年が黙り込んでしまった。

 どうしたんだろうとわたしが戸惑っていると、霊狐が話を切り出した。


「さて、迷子のお嬢さん。もし良ければ君をお婆様のもとへ案内しようと思うんだけど如何かな?」

「この子、迷子だったのか……そんな子にちょっかいかけているんじゃないよ」

「親切心故だ」


 ふんぞり返った霊狐に「本当か?」と少年は胡乱げなご様子。

 わたしは恐る恐る二人に話し掛けた。


「あの、わたしは大丈夫です。迷子センターに行ってみます」


 そうだ。最初からそうすれば良かったんだ。

 焦燥感からそんな考えに至らなかった。


「いやでもそれ、恥ずかしくない?君もお婆さんも」

「恥ずかしい、けど……」


 背に腹はかえられない。こんな広い敷地の中、さっき会ったばかりの二人――一人と一匹と言うべきだろうか――が顔も知らない祖母を探すのは無理だろう。

 それに、何より――


「迷惑掛けたくないし……」


 それが一番だった。他人に迷惑を掛けるぐらいなら、自分が恥ずかしい思いをした方がマシだ。

 呼び出されるおばあちゃんには、申し訳ないけど。

 そう思って、二人に別れを告げようとしたが霊狐は何ともなしに言った。


「若者が遠慮するんじゃない。ほらほら二人とも手を繋いで!」


 霊狐に促されるまま、わたしは少年に手を差し出しかけた。

 だがすんでのところで思いとどまった。迷惑を掛けたくはないという思いが、躊躇という形で出てしまったのだ。

 けれども、少年は戸惑うことなく、わたしを安心させるかのように微笑んで手を差し出してきた。

 そろそろとその手を掴めば、よしよし、と少年と霊狐が満足そうに頷く。


「さあ、おれについて来るがよい!」


 そう言って、霊狐はさっさと歩き出してしまった。

 え、とわたしは戸惑ったが、少年にも「行こう」と促されて歩き出す。


「大丈夫。あいつ、探しモノとか得意だから。君のお婆さんが何処にいるのかももうわかっているはずだよ」

「そう、なの……?」

「そういう能力を持った妖怪だからね」

「す、凄いね……!」


 わたしがきらきらと瞳を輝かせると、霊狐が胸をそらした。


「そうだろうそうだろう!」

「威張るな」

「もっと褒めてくれても良いんだよ?」

「あまり褒めないでやって。調子に乗るから」

「ふふっ」


 少年と霊狐のおかげでわたしは笑えるようになった。

 少し余裕が出てきた様子のわたしに少年が問う。


「君、妖怪を視るのは初めてなんだよね?」

「うん」

「そっか……大丈夫?怖くない?」

「……見た目が不気味なモノは怖い」

「まあ、普通はそうだよなぁ……」


 独り言のように少年は呟いた。


「お兄ちゃんは妖怪が怖くないの?」

「もう慣れちゃったよ」


 諦めたかのように少年は言った。

 何処か寂しげな少年を見ていると、わたしは胸が苦しくなって、ぎゅっと彼の手を握る手に力が入った。

 少年に何か言いたいと思って慌てて口を開く。


「あの、あのね!『人生諦めも肝心だ』っておばあちゃんがよく言っているの!」

「うん?」

「だからね、わたし諦めたの!」

「……何を?」

「妖怪が視えることを!」


 最早自分が何を言っているのかわたしにはわからなかった。でも、少年に自分の思いを何とか伝えたくで必死だった。


「自分の空想だって思いたかったし、怖いから妖怪がいるって認めたくはなかったけど……諦めて妖怪は存在するんだって受けいれて認めようと思ったの。お兄ちゃんたちに会って、あれらが妖怪だって教えてくれたから、妖怪が視えるのが自分だけじゃないんだって知れたから、そう思えるようになれたの。……怖いのは嫌だけど」


 最後の言葉は尻すぼみだった。妖怪の存在を認めるだなんて啖呵を切ってしまった手前、ちょっぴり恥ずかしかった。

 恐る恐る少年の方を見遣れば、ぽかんとした顔があった。

 そうかと思えば、突如少年が笑い出した。ふははっと年相応に笑う彼を見て、恥ずかしさやら嬉しさやらがわたしの中に込み上げてきた。


「笑わないで!」

「……ぷ、くくっ……ごめんごめん」

「絶対にごめんって思っていないよね?」

「ごめんごめん」


 少年に嗜められて、わたしは自分が酷く子どもっぽく思えた。

 もう、と言ってみたものの、つられて笑ってしまう。

 ふと、わたしたちの前を歩いていた霊狐が振り返った。


「話の腰を折るようで悪いが、あそこにいるのが君のお婆様じゃない?」


 霊狐が示したその先にいたのは確かに祖母だった。

 人混みの中、懸命にわたしの名を呼び続けるその姿に、わたしは胸が締め付けられた。


「余程君のことが心配なんだろうね。さあ、早くお婆様のところに行ってあげな」


 霊狐に言われてわたしは頷いた。

 わたしと少年はどちらからともなくゆっくりと手を離す。

 最後に二人を見つめた。次いで、しっかりと頭を下げた。


「案内してくれて、ありがとうございました」

「いえいえ。お役に立てたようで何よりさ」

「いいかい?今回は特別だけど、知らない人について行ってはいけないよ」

「うん」


 少し困ったように、でも優しげな声音で少年に言われて、わたしは素直に返事をした。少年は満足そうに笑った。

 少年と霊狐に見届けられながら、「おばあちゃん!」とわたしは祖母のもとへと駆けて行く。

 驚く祖母に二人のことを言おうと振り返る。

 だがまるで全てが幻だったかのように、振り返ったその世界に、霊狐も少年も妖怪の姿も見当たらなかった。


「名前訊くの忘れちゃったな……」


 ぽつりとわたしは呟いた。



   *



 あれから何年も経った。

 一言では言えない大変なことがたくさんあって、あの現実味のない現実のことはわたしの頭の中ならすっかり忘れ去られてしまっていた。

 妖怪が視えるなんて普通ではあり得ないことを体験したというのに。……いや、普通ではあり得ないからこそ、まるで夢のようで。だからこそ、忘れてしまったのかもしれない。

 司樹さんがゆっくりと話す。


「あの時、あそこで僕たちはフリーマーケットに参加していたんだよ。半強制的に連れて行かれた場所でまさか視える人間に会うとは思わなくてさ。視える人間がいることは教えてもらっていたけど実際に会ったのは初めてで、凄く嬉しかったんだ。自分と同じ景色を共有できて、妖怪は存在するんだって認めてくれる子がいて、本当に嬉しかったんだよ」


 少し気恥ずかしげに司樹さんが頬を掻く。


「また会いたいなとは思っていたんだけど、まさか会えるとはね……」

「そうだったんですか……偶然って恐ろしいですね」


 わたしの言葉に、うっ、と司樹さんが詰まる。「ん?」と首を傾げたわたしに対して、取り繕うように司樹さんが声を発する。


「それにしても、まさかナンパされているとはね」

「ナンパに関しては不可抗力です」


 きっぱりと告げた後、わたしは訊ねた。


「何で、昔会ったことを教えてくれなかったんですか?」

「……いやだって、自分は覚えていて相手は忘れているって、その……自分だけ特別なこととして覚えているのって、凄く恥ずかしい、というか何というか……」

「……」


 それに対しては本当に申し訳ない気持ちになったので、わたしは何も言えなかった。

 結局、忘れてしまっていて気づかなかった自分が悪いのだ。

 と、ここであることに気がついた。


「……あの、もしかして、わたしが猫にナンパされていたのを助けてくれた時からこのお店で働くように勧誘するつもりでした?」

「……」


 司樹さんは黙り込んだが、白宇くんは隠すことなく言い切った。


「半分正解で半分不正解だな!」


 ……『半分』って一体どういうこと……?


 訝しげに眉を顰めたわたしに白宇くんが更に続けた。


「正確には、留花ちゃんを勧誘するために司樹をあの場に行かせたというのが正しいかな」

「は、え?どういうことですか?」

「おれには、未来が視えるんだよ。さっき留花ちゃんは『偶然』って言っていたけど、そうじゃない。未来を確定させるために、おれが司樹をあの場に行かせたんだ」


 自慢げに白宇くんが言った。

 もう何を言われているのかわたしには訳がわからなくて、「……へぇー、そうなんですか」と答えることしかできなかった。


「昔もだけど、あの時迷子になった留花ちゃんの未来を視て、何処に行けばお婆様に会えるのか逆算したんだよ」

「そう、だったんですね。……因みに、今のわたしが妖怪が視えなくなる未来はあるんですか?」

「さあ、どうだろうね」


 大事なところを濁されてしまい、わたしはもう閉口するしかなかった。

 暫しの静寂が流れる。

 ずっと黙っていた司樹さんが重たい口を開いた。


「こいつはこういうやつなんだよ。未来が視えても素直に教えてくれる訳じゃないんだ」

「当たり前だろ。ちょっとしたことで未来は変わるもんだし、それに全部言ったらつまらないじゃないか」

「はぁ……」


 大きな溜息が司樹さんから零れ出た。何だかとても疲れている様子だ。

 司樹さん、苦労しているんだろうなぁ……。

 なんて、わたしは改めて思うのだった。


「……昔はその場限りの一過性のものだったけど、今の留花さんが妖怪が視えるこっち側に来てしまったって白宇から聞いて、言い方はあれだけど、もういっそのこと引き摺り込んで妖怪についていろいろ教えたいって考えて……。ごめん、ただの僕のエゴなんだ。本当にごめん」


 頭を下げる司樹さんを慌てて止める。


「謝らないでください!謝るのは寧ろわたしの方です。司樹さんは覚えていてくれていたのに、わたしは忘れてしまっていて……本当にごめんなさい」

「それは全然気にしなくていいから」

「強がるなよー。本当は忘れられていて落ち込んでいたくせにー」

「五月蠅い黙ってろ!」


 茶々を入れてきた白宇くんに司樹さんが怒鳴った。

 騒ぐ青年と霊狐の姿に、あの時の少年と霊狐の姿が重なった。

 そっかそっか。妖怪が視えることや司樹さんについて行くことにあまり抵抗がなかったのは、過去にもう体験していたことだったからなんだ。

 すとんと腑に落ち、わたしは口もとを緩める。

 あの、と声を掛ける。振り返った司樹さんと白宇くんがこちらを見遣った。


「昔も今も助けてくださってありがとうございます。それと、引き摺り込んでくださってありがとうございます。不束者ですが、これからもよろしくお願いしてもらえると嬉しいです」


 そうはっきりと告げる。

 一瞬の沈黙の後、


「こちらこそ、よろしくね」


 司樹さんが手を差し出してきた。

 あの時よりも大きくなった手をわたしは握る。

 そんなわたしたちを見て、白宇くんがくるりと宙で一回転した。すると、見慣れた少年の姿になった。

 だが、霊狐の時と変わらず頭にはふさふさの耳がついている。上機嫌そうに耳が動いた。


「二人とも、これからもよろしくな」


 握り合った手の上に、小さな手が合わさった。

 誰からともなく「ふはっ」と笑い声が零れた。



   ◆



 街のシンボルであるタワーの広場。その日その場所ではフリーマーケットが開催されていた。

 数多に並ぶ店の中に、僕が働いている店はあった。

 籠や文房具、手作り商品や色とりどりの豆皿といった食器類。それらだけでなく、駄菓子や冷やしラムネ、更には野菜までも売られている。

 掲げられている札――かまぼこの板で雑に作られている――には『よろずや』と記されていた。


「……遅い!」


 折りたたみ式の椅子に座っていた僕こと久閑司樹は苛立たしげに叫ぶ。


「全く、店主のくせに一体何処ほっつき歩いているんだか」


 怒りの矛先は数刻前にこの場を去った店主――白宇へと向けられていた。


 ――『ちょっと宣伝してくるから、店番よろしくな』


 そう言って、僕が何かを言う前に、白宇は何処かへ行ってしまったのだ。

 仕方なく僕は大人しく店番をすることにした。

 白宇がいないと何もできないと思われたくはなかったし、自分一人でもやれるのだと証明したかった。誰に、という訳ではない。己のプライドが頼まれて早々に店番を放棄することを許さなかったのだ。


「ありがとうございました」


 会計を済まし、客を見送った。

 こうして一人で接客や会計をして白宇が帰ってくるのを待っているのだが、悲しきかな、一向に帰ってくる気配がない。

 あいつ、『宣伝してくる』とか言いつつ、絶対に散策しているんだろうな……。

 一緒に過ごしてきた時間が長いからこそわかる。容易に想像がついてしまい、溜息を吐いた。

 ふと、自分にしか視えないモノ――妖怪が視界に映る。たとえ商品を買えなくとも、見ているだけで楽しいようだ。そこは人間も妖怪も一緒なのだなと思う。

 数ある店の中でも、人間だけではなく妖怪を相手に商売をしている店はここだけのようだ。

 今は自分一人でも何とかなっている。さっきはああ言ったが、もしも物々交換をしてくる客がいたらとか、こちらが子どもだからといって馬鹿にしてくるような厄介な客だとか、万引きする客が現れたらと思うと正直言って不安だ。

 相手が人間であろうと妖怪であろうと厄介な客はいるもので。

 まあ、そんな客が来ないってわかっているから、ぼくに店を任せたんだろうけど。

 何か危険があるようなら、白宇は僕を一人にさせるようなことはしないだろうし、何かあればすぐ駆けつけてくれることを僕はわかっていた。

 だから、こうして一人で頑張れているのだ。それに、何だかんだで信頼されているのだと思うと嬉しいのも事実で。


「……でも、流石にそろそろキレてもいいよな?」


 誰に確認する訳でもなく呟いた。

 物事には限度がある訳で。

 全く帰って来ない白宇に、僕はイラつき始めていた。

 白宇を探しに行って、『いつまで散歩しているんだ!』って文句を言ってやりたい!でも、店を無人にするのはなあ……。

 どうしようかと迷っていた僕の視線の先に見慣れた緑色が映った。

 ちょうどいいところに!

 広場の片隅に蹲っているそれに、僕はクーラーボックスからキンキンに冷えたラムネを持って近づいた。

 足音に気がついたのであろうそれがゆっくりと顔を上げる。


「……あ、坊」


 緑色のそれ――河童が虚ろな目で僕を認めた。

 頭上の皿の水は少なく、緑色の肌にはハリがない。

 ……よし、これならいけるな。

 内心でほくそ笑む。


「やあ、河童。今日は倒れていなくて偉いじゃないか」

「フッ……おいらもやる時はやるんすよ……」


 かっこつけているようだが、声に覇気はなかった。

 この河童は幾度となく干からびかけ、行き倒れ寸前のところを何度か発見したことがある。今回は辛うじて倒れていないだけで、全然威張ることではないのだ。

 気前は良いがある意味迷惑な客ではあるのだが、今回はそれが好都合だった。

 今にもぶっ倒れそうな河童に僕は提案する。


「河童、ラムネと引き換えにちょっと店番していてくれない?」

「いいっすよ!」


 冷えたラムネを見せつければ、二つ返事で了承を得られた。

 ごくごくとラムネを飲んで「ふっかーつ!」と声を上げた河童に、僕はチョロいなぁと思った。失礼だとはこれっぽちも思わない。

「あれ、店主はいないんすか?」

「今からその店主を探しに行くの」

「なるほど了解っす。あ、万引きとかがいたら遠慮なくはっ倒していいっすよね?」

「やり過ぎない程度になら」

 もし、何か問題を起こしたら、商品を買ってもらおう。……河童にも、客にも、ね。

 そんなことを考えつつ、「それじゃあ頼むよ」と言って、僕は駆け出した。



   *



「あ、いた!」


 見慣れた白い狐の姿を見つけて、僕はずんずんとそちらへと向かう。

 白宇は一人――一匹と言った方が正しいかもしれない――ではなかった。

 白宇とともにいたのは、僕よりも少し年下であろう少女だった。

 驚くべきことに、この少女は妖怪が視えているようだ。

 少女と曰く、「妖怪を視るのは初めて」とのこと。

 この場限りのものだと白宇から説明を受けた。

 自分とは違う境遇らしく、少しだけ残念に思ったのが顔に出てしまったらしい。


「そんなに残念がることないだろ」

「……別に、残念がってないし」


 そう言ったところで、落胆の色が声に滲み出てしまった。

 子どもっぽくてかっこ悪い……。

 年下の少女がいる手前かっこ悪い姿はさらしたくなかった。

 一人で落ち込んだが、そんなことよりもと気を取り直して、僕は少女に訊ねる。


「その……君は信じるの?」

「何を?」

「妖怪が存在しているってことを」


 やけに真剣な顔になってしまったと思う。


 ……でも、仕方がないじゃないか。


 初めてだったのだ。自分と同じく妖怪が視える人間に会ったのは。

 少女は僕の欲しい言葉を――肯定の言葉を述べた。

 今まで誰も信じてくれなかったことを、自分が視えているモノを肯定してもらえたのは、僕にとって想像以上に嬉しいことだった。何とも言えない感情が僕の中をぐるぐると回った。

 少女はどうやら迷子のようで、彼女のお婆さんを探すことになった。

 まあ、白宇が案内してくれるんなら、安心だな。

 そこのところは信頼している。

 僕と白宇の会話を聞いて、少し余裕が出てきたのだろう。小さく笑う少女を気遣えば、逆に問われてしまった。


「お兄ちゃんは妖怪が怖くないの?」

「もう慣れちゃったよ」


 僕にとって、あまりにも妖怪は日常に溶け込んでいた。

 怖いとか怖くないとかそういうことは言っていられなくて。そこにいて当たり前の存在なのだ。怖い見た目に反して優しい妖怪がいることも知っているし、逆に大人しそうな見た目に反して恐ろしいことをする妖怪がいることも、人に害をなそうとする妖怪がいることも知っている。

 でも、それは人間も同じだ。

 達観し過ぎてしまったからだろうか、どうやら少女に気を遣わせてしまったらしい。慌てたように少女が口を開く。

 少女は自分に元気になって欲しかったんだろう。一生懸命に彼女は話してくれた。

 怖がりつつも妖怪の存在を受けいれた自分よりも幼い彼女に、僕は好感を持った。

 できればもっと話をしたかったが、彼女の祖母が無事に見つかったため、白宇とともにそっとその場を後にした。


「そういえば、名前訊いていなかったな……」


 そう気づいたのは、少女と別れてからだった。

 名前も知らないあの少女のことを、白宇に訊けば何かわかるかもしれない。こう見えても白宇は情報収集が得意だ。尤も、頼めば対価を求められるし――主に食べ物をよこせと言われる――、その情報を素直に教えてくれるとは限らないのだけども。

 事実、「あの時の女の子について知りたくはないか?」と本人に何度も訊かれた。

 僕が頷くことはなかった。確かにあの時、自分は少女の言葉によって救われた。でも、それは僕が勝手に救われただけの話で。

 肯定してもらえただけで、いろんな言葉がもらえただけで僕は十分だった。……十分だと、そう思い込むようにしていた。

 あの少女のことを忘れることなく、僕は少年から青年になった。



   *



 あれから何年も経った。

 いつものように僕が店の業務をこなしていた時、不意に白宇が告げて来た。


「司樹よ。今からおれが言うところに行け」

「は?何、お使い?」

「お使いといえばお使いかな」

「はいはい。で、何?買い物?配達?」

「いや、そうじゃない」


 白宇の言葉に、僕は訝しげに眉を顰めた。

 にやにやと白宇が笑う。


「新しい従業員の勧誘だ」

「は?」


 白宇の言葉に、僕は目を丸くさせる。


 ……新しい従業員を雇うなんて話、全く訊いていないんですけど?


 視線で訴えてみたものの、気にすることなく白宇が言う。……いや、わかっていたけどさ。


「因みに、新しい従業員はお前が気にしていた……いや、今もずっと気にしているあの子だぞ?」

「は?」


 白宇の言葉を聞いて、一人の少女の姿が思い浮かんだ。

 僕の表情の変化に気づいているのだろう。その中で白宇は更に続ける。


「ほらほら、ぼうっとしている場合じゃないぞ。早く行かないと。ナンパされて困っている未来が視える」

「はぁっ!?」


 次々と聞かされる内容に目を白黒させながらも、店を出て僕は指定された場所へと足を運んだ。

 どきどきしているのは慌てているからだろうか、それとも――


「あ、いた」


 あの時の面影が残っている彼女と目が合った。

 数年ぶりにあった彼女は何と妖怪が視えるようになっていて。

 どうやら僕のことは覚えていないようだった。

 驚きと落胆が僕の胸を締め付ける。けれど、それよりも再び会えた嬉しさの方が優っていた。

 あの時、僕はこの子に救われた。今度は僕がこの子の役に立ちたい。

 そう心に決めた僕は、彼女――留花さんをつれてよろずやへと歩き出したのだった。

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