第十話 若狭湾Ⅱ
原発に近い関西圏の大阪で編成された総員三十名の特殊急襲部隊SATチームは、
三機の作戦用ヘリに分乗し現地に向かった。主力の銃器対策班の他に、爆発物処理班、人質救出班などで構成されていた。
昨夜からの降雪で白銀の世界となった現地に上空から近づくと、原発に通じる唯一の道路上に破壊されて黒焦げた機動隊の特殊車両が確認された。周囲には何人かの隊員が倒れていたため、無線で近くの機動隊駐屯地に医療班の派遣を要請した。
ヘリが原発敷地上空に到達し、偵察のため原発建屋を中心に旋回を始めたその時だった。地上からオレンジ色の火を引きながら、こちらに向けて飛んでくる飛行体が視認された。携帯式対空ミサイルに間違いなかった。低空を飛ぶヘリは逃れるすべもなく、命中したミサイルの爆発で火の玉となり地上に落下した。
「ミサイルだ、降りるぞ!」
隊長機からの無線で他の二機は、敷地外れの空き地に次々着陸した。対空ミサイルの脅威から逃れるには、上空にとどまってはまた次の目標になってしまう。
各ヘリからはH&K MP5自動小銃、または狙撃ライフルなどで武装した隊員が互いを援護するような隊形で次々と地上に降り立った。しかしそこも決して安全な場所ではなかった。敵狙撃手によるものと思われる銃弾により、さらに二名の隊員が負傷し、作戦を継続できる隊員は十八名にまで減じていた。
しかし互いに援護射撃をしながら、ようやく実を隠すことのできる建物の陰にたどり着くと、2方向からの銃撃を受けていることから、隊長は残った隊員を2班に分けるよう指示を出した。1班は原子炉建屋、残りは制御・管理棟の方向である。
数十分ほどの激しい銃撃戦の末、お互いに半数ほどの死傷者を出し膠着状態となった。特に制御・管理棟には相当数の職員が働いていて、人質にされていることを考えればそう迂闊には踏み込めない。
一方で侵入者の方も半数の工作員を失い、このまま作戦を続けることは不可能だと悟らざるを得なかった。リーダー格の男のゆがんだ口元から、命令が告げられた。
「もはやここまでだ、爆破しろ!」
原子炉建屋の数カ所から、大きな爆発音とともに白い煙が立ち昇り、侵入者たちが一斉に原子炉建屋から離れるのが目撃された。中央制御室の職員たちにも爆発音は届いたが、何が起こったのかすぐには理解できなかった。しかし急激に数値が下がっていく一次冷却水の圧力を示す計器を見れば、その答えはあきらかだった。
「冷却水が漏れている。配管がやられたのかもしれない!」
もし配管が破断していてこのまま冷却できない状態が続けば。それはあの福島第一原発で起こったのと同様、メルトダウンという最悪の結末が待っている。高温を発し続ける原子炉内の燃料棒が暴走を始める前に、冷却水をいかにして供給し続けるか、あの時は文字通り時間との戦いだった。
稼働中の原子炉で冷却水の供給が断たれたら?よく原発の再稼働をめぐる議論で、運転が停止されていても稼働中であってもリスクは変わらないなどという説を、まことしやかに流す勢力がいるが、運転中と停止中では炉心の発熱量がまるで違うのである。前者では限界温度に達するまでのかなりの時間的余裕があるのに対して、後者においてはごく短時間でコントロール不能な炉心溶融にまで達してしまう。それが現実に起きたのが2011年の福島第一原発事故であった。
あの時はM9.0という大地震の激しい揺れにより、送電網が大きな被害を受け、外部交流電源を喪失してしまった。直後に襲った想定をはるかに超える高さの津波により、頼みの非常用発電機や配電盤も水没したため、ポンプを稼働させる動力が失われ原子炉の燃料棒を冷却する手段をすべて失ってしまったのである。その結果、1号機から3号機まで3基の原子炉で燃料棒が溶け落ちるメルトダウンが発生、半径数十キロに及ぶ広い範囲が、世界最悪レベルと言われる放射能汚染に見舞われたのである。
もし福島第一原発事故の学習効果が生かされていれば、今回の大浜など他の原発再稼働にはもっと慎重にならざるを得なかったはずである。実際、当時のメルケル首相率いるドイツでは、福島の事故を教訓として2022年までにすべての原発を廃止することを決定し、ロシアによるウクライナ侵攻のエネルギー危機で実施に遅れが生じたものの、2023年4月までに全廃を完了させた。その代替として普及を急いだのが風力発電などの再生可能エネルギーであり、いまでは電源別発電量の50%近くまで達しようとしている。
他方で福島原発事故の当事国である日本では、政権と電力会社、そして経済界の利権が優先し、地震大国のこの国で再稼働どころか、新規原発の建設まで計画されている。この危機意識の違いは一体どこから生じるのか。結局は過去の経験から何を学ぶのか、両国における政治の指導力と、国民の民度の差としか言いようがあるまい。
しかも最近になって、原発事故によって生じた1,000基を超える貯水タンクに12年間も貯蔵し続けてきた汚染水を、薄めて海に放出すると発表した日本政府に対して中国が猛反発、日本からの水産物輸入を全面的に禁止する措置を取った。
日本政府は、科学的根拠を錦の御旗にして中国政府の措置を非難しているが、今後三十年以上も続くといわれる海洋への放出を、御用学者やIAEAの専門家などのお墨付きがあったとしても、原子力行政で今まで嘘八百を並べたててきた政権や電力会社を、中国ならずとも鵜呑みにはできないのが本音である。
自らの政策が唯一正しく、間違っているのは、それに異を唱える勢力であるとして国内世論を封じ込めるやり方は、あの太平洋戦争に突入した当時の世相と、酷似しているではないか。議論を重ねるのではなく、既成事実を積み上げて世論を誘導していくという相も変らぬやり方は、この国の特異な意思決定過程による悪弊ではないかとさえ映るのである。
大浜原発侵入者の戦闘力は、SAT との交戦により半数まで低下したというものの、まだ施設の民間人を人質にして抗戦する能力は保持していた。SATの更なる派遣も検討されたが、施設の運転要員に危害が及ぶような事態になれば、原子炉自体をコントロールする手立てを失ってしまう。国家安全保障会議もそれ以上の打開策を見いだせないまま膠着状態が続き、その間にも原子炉冷却水の低下により原子炉内は危機的な状況を迎えようとしていた。
原発が立地する30㎞圏内に入る福井県と京都府は、両県の知事が、自衛隊に対して災害対策派遣を連名で要請した。もし放射能漏れが発生すような事態になれば、何よりも優先して住民を避難させなければならない。その圏内には、福井県で7万人、京都府は8万人、併せて15万人の住民が暮らしている。
しかも3日前ほど前から降り続いている降雪の影響により、豪雪地帯のこの地域では高速道路や一般道路でも渋滞が発生していた。この状況で避難民が我先にと車で移動し始めたら、大混乱に陥ることは目に見えていた。そのため避難路確保には、先ず道路の除雪を急ぐ必要があった。
そのため30㎞圏内の避難対象エリア内でも、7万7千人と最も人口が多い京都府舞鶴市では、自衛隊の艦船を使って、舞鶴港からの避難も視野に入れることが検討され始めた。別動隊のテロリストグループが活動している可能性がある若狭湾で、民間のフェリーを使っての避難など、リスクが大きすぎると考えられたからである。
更には政府からも、練馬に駐屯する陸上自衛隊の第一武器防護隊に対して、出動命令が出された。放射性物質や、生物・化学などの特殊な手段での攻撃などに対しての防護を担任する対特殊武器専門部隊である。過去には地下鉄サリン事件、茨城県内の原子力施設における放射能漏れ事件などに出動し、除染などの特殊任務を行なったこともある。こうした危機に組織的に対処できるのは自衛隊以外になく、ますますその負担が重くなるばかりであった。
また原発から50㎞圏内には近畿地方の水がめ琵琶湖も位置し、冬の季節風によって、放射能に汚染される事態も想定しなければならなかった。
捨て石 おおたき たつや @sennri
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