第二話 ウクライナ戦線の膠着
2022年2月に勃発したロシアによるウクライナ侵攻は二年余の月日を経た今現在でもまったく終結の糸口を見いだせずにいる。「プーチンの戦争」とも呼ばれ、一人の独裁者の妄想としか言いようのないゆがんだ世界観に依って、人々が平和に暮らす隣国の領土を奪い取ろうとするきわめて古典的な軍事侵攻を、21世紀の現代において世界が目撃することを誰が予想したであろうか。しかも特別軍事作戦などと自国民をも欺き、自らが仕掛けた侵略戦争を正当化しようとする姿は、かつてのナチスや、戦前の軍国主義日本とも重なる。
ウクライナ全土で突然始まったかのように映る両国間の武力衝突だが、実際には2014年の首都キエフにおける民衆によるマイダン革命の結果、親ロ派ヤヌコビッチ政権が崩壊、替わって反ロ親米政権が発足したのを契機にしてプーチン大統領がクリミア半島にロシア軍を派遣して軍事介入、一方的な併合を宣言した。
これに対して国際社会はウクライナの主権と領土一体性を支持するとロシアを非難し、経済制裁を発動した。しかし、それはプーチンの野望を妨げるものとはならず、その後、両軍の間でウクライナ東部のドネツク、ルハンスク地方を舞台にして八年にも渡って死闘が繰り広げられてきた。その間の両軍犠牲者の数も14,000人にのぼり、決して地域紛争といった小規模なものではなかったのである。ただしウクライナ軍が直接戦っていたのは正規のロシア軍ではなく、表向きはドンバス地方のロシア系住民が迫害を受けていると主張する親ロ派武装勢力となっていて、それが西側諸国のプーチンに対する強い姿勢を削いでいた理由の一つといえるだろう。
ロシア軍は本格侵攻開始数カ月前から隣国ベラルーシで行っていた大規模軍事演習の延長を装って国境線を越え、首都キエフの占領を狙って北部地域からなだれ込んだ。同時にクリミア半島からはへルソン州南部やザポリージャ州、また東部国境方面からもドンバス地方、ハルキウ方面にと三方面から急襲するように軍を進めたが、最大の狙いがキエフの攻略だったことは間違いない。そこには大統領府をはじめとしてウクライナ現政権の中枢が集中しており、ここを掌握してしまえばゼレンスキー大統領は政権を放棄せざるを得なくなると考えられたからである。
事実、この時ウクライナを支援する西側諸国関係筋はキエフの早期陥落を予想し、ゼレンスキー大統領には国外亡命を進言したといわれる。さもなくば、ロシア特殊部隊に捕らわれて暗殺されてしまう可能性さえあったからである。しかしゼレンスキーは徹底抗戦を決断し、大統領府の建物から庭に出て、主だった閣僚とともにスマホで自撮りしたその姿をSNSで全世界に発信、ウクライナ国民を鼓舞した。
その後のウクライナ軍の奮戦は目を見張るものがあった。携帯型対戦車ミサイルジャベリンなど西側からの最新兵器の供与支援もあり、キエフ直前にまで迫っていたロシア軍の戦車や装甲車で編成した機甲部隊を次々と撃破、ついにはこの方面からの退却を余儀なくさせた。またトルコからの調達や、自前で開発・製造してきた各種ドローンも前線での偵察や、ヒット・アンド・アウエイの攻撃において絶大な効果を発揮した。結果としてプーチン大統領や西側軍事筋が数週間で降伏するだろうとみていたウクライナ軍の予想外の頑強な抵抗により、ロシア軍はそれ以上の進軍を阻まれ、各地の戦線で膠着状態に陥ったのである。
ウクライナの救世主ゼレンスキー大統領の、世界からの支援を呼び込むための巧みな外交センスも目を引いた。22022年3月のEU議会の場でオンライン演説を行ったのを皮切りに、西側各国首脳と精力的に会談、同年12月にはニューヨークを訪れ米議会で、そして翌年には国連総会でも直接演説を行うなどロシアの侵略行為に対して世界の団結を呼びかけ、西側諸国からの軍事支援を取り付けたのである。
ウクライナ軍が軍事作戦面で最も大きな勝利を収めたのは、キエフに次ぐ第二の都市ハルキウ周辺をめぐる戦闘であった。ロシア軍は侵攻開始間もなく、この要衝の占領を狙って市街地を包囲しようとしたがウクライナ軍の地の利を生かした巧みな強い反撃にあって次第に後退、一度は占領したハルキウ州のほぼ全域から敗走した。国土防衛の使命に燃えるウクライナ軍と、軍事演習の延長で得心できないまま戦場に送りこまれたロシア軍兵士の士気の差が最も強く出た結果と言われている。
ウクライナ軍はその余勢をかってへルソン州ドニプロ川の対岸までロシア軍を撤退させることに成功、ロシア軍は苦し紛れに上流のダムを爆破して大洪水を発生させ、かろうじて敵軍の追撃をかわすという撤退戦を余儀なくされた。これによりウクライナは黒海に面する重要な港湾都市オデーサの陥落を免れ、主要産業である穀物輸出の海上輸送を可能とする生命線を守ることができたのである。
このようなウクライナ軍の目覚ましい反撃は西側から供与された武器支援に依るところが大きい。特に命中精度の高い長射程のりゅう弾砲や、ハイマースと呼ばれる高機動ロケット砲システムなどの最新兵器は、ロシア軍の後方陣地を叩くために非常に有効な攻撃手段となった。ウクライナ軍は更なる占領地の奪還を目指して反転攻勢を画策、NATO諸国に対して攻撃用兵器である主力戦車の提供を求めた。
しかし戦争のエスカレーションを恐れるドイツや米国は当初、難色を示し、結果的に戦車の供給時期が大幅に遅れることになった。その数か月の間にロシア軍は南部ザポリージャ方面で幾重もの地雷原や塹壕で強固な防護陣地を構築、ウクライナ軍を待ち構えた。そこに西側諸国からようやく届いたレオパルドなどの主力戦車で防御陣地の突破を試みるも、大きな損害を出し反転攻勢は完全な失敗に終わった。
プーチンは侵攻開始当初から核兵器使用をちらつかせて西側諸国を恫喝、ウクライナへの軍事介入をけん制した。そのために武器支援もロシアの出方の様子を見ながら恐る恐るといった体たらくで、ウクライナ軍が航空戦力の劣勢を埋めるために、喉から手が出るほど渇望した米国製F16戦闘機の供与は、いまだに実現していない。
一時、守勢に回っていたロシア軍が態勢を立て直して再び攻勢に転じたのは、東部ドンバス方面であった。特に激戦地バフムトを巡っては、ロシアの実業家でオルガリヒの一人としてプーチンにも重用されていたプリゴジン氏が、民間軍事会社ワグネルを率いてウクライナ守備隊に対し激しい戦闘を挑み、大きな犠牲を払いながら奪還に成功した。しかし、その後弾薬補給などへの不満からロシア軍部首脳に対して公然と反旗を翻し、手勢を率いてモスクワに進軍を開始した。一時は内戦に発展しかねないとも危ぶまれたこの反乱に対して、プーチンは「反逆者」と激しく非難、最後はプリゴジン氏とその側近が乗ったビジネスジェットがモスクワ西部上空で墜落、搭乗者の全員死亡が発表され裏切者への見せしめとして恐怖を与えた。
そして当初は「自由と民主主義を守る戦い」に共鳴し、ウクライナに対して軍事支援を続けてきた西側諸国にも、いわゆる支援疲れによる足並みの乱れが目立ち始め、現在、侵攻から2年を経て戦況の潮目が大きく変わりつつある。特に最大の支援国家である米国の上院議会で、ウクライナ支援の緊急予算採決に対する共和党の妨害が伝えられると、ウクライナ軍の弾薬不足が目立ち始め、北朝鮮からの弾薬調達や国内軍需産業を戦時体制下に置いて増産を強化したロシア軍との戦力差が鮮明となってきた。
戦況が不利になってくると、ウクライナ国内でも徴兵逃れや徴兵年齢の引き下げを巡って不協和音が出始め、前線で戦う兵士の士気にも影響する事態が生まれてきた。米国議会でようやく予算案が採決され、武器の支援が再開したからといって、すぐに戦況が好転するとは期待できない状況なのである。何しろ侵略者を相手に、命を懸けて戦っているのは唯一、前線に送られたウクライナ軍の兵士であり、先の見えない戦闘をいつまで続けることができるのか、非常に懸念されるところではある。
ところで日本国内では軍備増強を声高に主張する勢力にとって、ウクライナ戦争は格好の説得材料となった。曰く、
「自らの国を守る気概のない国は他国の侵略を受ける」などと、まるで、かつての日本が現在のロシアと同様に他国を侵略していた側であることを忘れているかのような論調である。
この国の安全保障は、日米安保条約に基づく在日米軍の軍事力に大きく依存しているが、今回のウクライナでも見られたように米議会の承認が滞れば、際限のない軍事支援などいともたやすく途絶えてしまうことを忘れてはならない。かといって日本単独で中国のような軍事大国に立ち向かうなど、無理筋というものではあるが。
日本のような小国にとって必要なことは外交力を磨いて、戦争のリスクを回避することに尽きると思うのだが、最近の世相を見ると軍事力増強の勇ましい話だけが目立ち、いつか来た道のように非常に危うさを感じるのである。
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