第九話 若狭湾Ⅰ
西日本の原子力発電所が集中して立地し原発銀座とも揶揄される福井県若狭湾沿岸部、2011年の東日本大震災による福島の原発事故以来、停止していた原子炉をその後、再稼働させた2基の原発がある。阪神電力大浜原発である。
凍てつくような雪空の中、原発敷地からほど近い砂浜に、夜陰に紛れて近づく二艘のゴムボート、その中にはそれぞれ六人ずつの人影があった。全身黒づくめで顔には迷彩用のドーランが塗られている。砂浜に乗り上げると、全員が素早い身のこなしで装備品とともに、ボートから波打ち際に降りた。全員が黒っぽいリュックを背負い、その片手には銃身を短くした特殊部隊用のAK-9カラシニコフ自動小銃が握られていた。他の装備が入ったと思しき大きなバッグは、二人がかりで運ばれた。
原発敷地への出入りはセキュリティ上の理由から正門一か所のみで行われ、ほかはすべて高いフェンスで囲われている。十二名のうち半数は正門から少し離れた茂みに隠れて周囲の警戒にあたり、ほかの六名は音を立てることもなく正門に忍び寄った。
そこには二名の民間警備員が外に出て立っていたが、近づいて来る人の気配を感じて「誰か?」と誰何した。しかし返事はなく、直後に2挺のサイレンサー付き自動小銃からセミオートモードで発射された9㎜弾が、正確に二人の左胸を射抜いていた。そして閉じられていたゲートをほかの四人と一緒に押し開け、そのまま警備室に走り寄った。三名の警備員が気付いて外に出たとたん、銃弾を受けて倒れた。
中に残っていたほかの警備員が非常ベルのボタンを押し、周辺にけたたましい警戒音が流れた。同時に複数の原発を一括して担当する、近くの機動隊駐屯地にも信号が届き、直ちに宿直の隊員に緊急出動の命令が下った。ヘルメットと防弾ベストは身に着けていたが、手にしていた武器は標準装備の短機関銃のみであった。
八名の機動隊員を乗せた特型警備車が無警戒に目的地に近づくと、正門近くの茂みから、RPGロケットランチャーを肩に担いだ工作員が、狙いを定めてトリガーを引いた。発射音が周囲にこだまし、白い尾を引く大きな弾頭が目視できるほどの低速で接近してくるため、もしこの中に戦場映画の愛好者がいれば叫んだに違いない。
「RPG(アールピージー)!」
しかし隊員にはどんな危機が迫っているのかもわからないまま、米国製ジャベリンなどの精密誘導型携帯兵器と比べれば極めてローテクであるが、、目標300m以内の至近距離で発射された場合の破壊力は十分すぎるほど大きく、ロケット弾はフロントガラスを突き破って車内で爆発し、運転席と助手席の隊員が即死状態であった。
かろうじて後部ドアから外に出た機動隊員に、道路の両側から十字砲火による弾丸の雨が浴びせられた。攻撃側は全員が暗視ゴーグルを装着しており、その射撃は正確だった。連続した発射音が周囲に響き渡ったが、機動隊員は火点方向に銃を構える間もなく、全員が降り積もった雪を赤く染めて銃弾に倒れた。
一人の隊員が車外に出る前に無線で本部に、武装集団からの攻撃を受けたことを知らせたが、正体不明の侵入者というだけで、果たして敵が何者なのか、確認のすべもなかった。その後の本部からの無線の問いかけに対しても全く応答はなく、深刻な不測の事態が進行していることだけは疑いようもなかった。
原発敷地ゲート付近で合流した二班の侵入者たちに、リーダー格の男から初めて言葉による指示が与えられた。ハングル語であった。ゴムボートによる上陸から正門突破、そして駆け付けた機動隊車両への待ち伏せ攻撃、その流れるような手際の良さから、高度な訓練を受けた集団であることがうかがえた。
北朝鮮特殊工作員、日本人の拉致事件や韓国の要人暗殺、破壊工作にも幾度となくかかわってきたとされる、朝鮮人民軍の中でもエリート部隊である。過去に日本海沿岸部で多発した日本人拉致事件にみられるように、夜陰に紛れて上陸するような作戦は、最も得意とする任務であると思われた。
一度合流した侵入者達は、リーダーの指示を受け、再び二手に分かれて行動を開始した。一斑は制御・管理棟に、もう一斑は原子炉建屋の方向に向かった。といっても敷地内は広いので停めてあった警備連絡用の車両をそれぞれ使った。制御・管理棟にも警備員が配置されていたが、今度は殺害するのではなく、セキュリティが厳重な施設内部への案内役として、銃で脅して利用した。
24時間体制で運転中の原子炉を制御する部屋には、三十名ほどの保安・運転要員が持ち場に配置されていたが、完全武装の侵入者の姿に驚愕するだけで抵抗を試みる者はなかった。武装集団の一人が流ちょうな日本語で口を開いた。
「我々はこの施設を、しばらくの間、占拠する目的でやってきました。しかし我々の意に反する行動をとらない限り、皆さんの生命に危害が及ぶことはありません。我々が何か新たな指示を出すまでは、今まで通り普通に仕事を続けてください。ご協力をお願いします。」
口調は丁寧だが、その言葉には威圧感があった。何よりも彼らの銃口はこちらに向けられたままである。ここの責任者とみられる社員が毅然として訊ねた。
「あなた方がどのような組織に所属するのか、お聞きしてもよろしいですか。」
「今は、この国の隣人とだけお答えしておきましょう。」
それ以上の質問は無用と言わんばかりの短い返事が返ってきた。
一方で原子炉建屋のほうに向かった侵入者の別動隊は、抵抗を受けることもなく運転作業員たちを一部屋に集めて閉じ込めると、直ちに所定の作業に取り掛かった。原子炉圧力容器の中で、高温の燃料棒を直接冷やすための一次冷却水を送る配管部分に、プラスチック爆薬を複数個所ずつ仕掛けていった。圧力容器自体は地震やテロなど、外部からの大きな力に耐えられるよう設計されている。それに対して冷却水の配管部分はそこまでの強度はなく、原子炉建屋内で最も脆弱な部分と言われている。
大浜原発での非常事態は、緊急連絡網を通じて、首相官邸に間もなく届いた。直ちに首相官邸地下に危機管理センターが設けられ、国家安全保障会議が招集された。警察庁本部に入った緊急連絡によると、運転中の阪神電力大浜原発に正体不明の武装グループが侵入した。施設警備室からの緊急連絡で、周辺の原発を担当する機動隊駐屯地から、隊員を乗せた特別警備車が制圧に向かったが途中で待ち伏せ攻撃に会い、激しい銃撃を受けているとの通信を最後に連絡が途絶えた。まもなく大阪にある阪神電力本社に、大浜原発管理棟からのメールが届いた。
「施設は現在、侵入した北朝鮮と思われる武装グループの管理下に置かれ、原発自体は通常運転を続けているものの、その指示に従っている。先ほど侵入者から声明文を受け取ったので、本メールに添付して送る。」
その声明文からは、次のような内容が読み取れた。
「日本政府に対して通告する。我々は大浜原発の3号機、4号機を占拠し、完全なコントロール下に置いた。両原発の冷却水配管系統には強力な爆発物が仕掛けられ、遠隔操作でいつでも爆破できる状況にある。我々に対して敵対行動をとらなければ危機は除去され、原発内で働く民間人にも危害が及ぶことはないであろう。
我々の要求は、台湾周辺における友好国に対する自衛隊の武力行動を、直ちに停止することである。なお、我々以外にも同様の目的を持った別動隊が、準備を整えて待機中であることを付け加える。」
国家安全保障会議のメンバーは顔を見合わせ、現実となった深刻な事態にしばらく口を開く者はいなかった。侵入者は北朝鮮の特殊工作要員らしいが、本当の目的は一体何なのか、新たに降りかかった事態にどう対処すべきか。考えられるのは、中国の軍事行動と連携した陽動作戦であった。しかしロシアのみならず北朝鮮も加わるとなると、台湾をめぐる対立軸はますます複雑さを増してくることが危惧された。
とりあえずの危機対応策は、対テロ用に訓練された警察特殊急襲部隊SATを派遣し、大浜原発に侵入した武装集団を制圧することであった。海沿いの突端に立地する原発施設に向かうには車両では時間がかかりすぎるため、特殊作戦用のヘリを使用することが会議で了承された。本格的な降雪時にヘリを飛ばすことできないが、その晴れ間を縫って作戦を決行するしかなかった。
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