第五章 ロランの魔法教室
「ロラン、ごめんなさい」
ルーが泣き出しそうな顔をする。
「とんだ顔合わせになったな。皇帝陛下も予想していなかっただろう」
「それはそうですけれども。お父様、どこか楽しんでいたように見えました」
それは俺も思った。
「今まで魔法を使えなかった人間が一週間以内に魔法を使えるようにするなんて、無理だろう」
俺は頭をかきむしる。
「ロラン、私はどうして魔法を使えないのでしょう」
「……それは、魔力が……」
俺は何を当たり前のこと、と言おうと思ったが、違和感に気が付いた。
ルーは魔力がないわけではない。それどころか、常人よりも膨大な魔力を有していなければおかしい。
なぜならルーは聖剣ブランシュネージュの使い手なのだから。
皇帝陛下は言っていた。
ブランシュネージュの適合者は、グランフルールの血統であること、そして、聖剣に魔力を捧げても倒れることのない魔力量を有していることだ。
「ちょっと待て。ルーは魔力がある。なのに魔法が使えない」
「そうなのです。魔法を使おうと思うと体内に熱がこもってしまって。一度頑張って魔法を唱えようとしたら昏睡状態に陥って倒れてしまいました」
ルーがだんだん俯き気味になる。
俺はすかさず、ルーの両肩を掴んだ。
「魔法が使えない原因さえ突き止められれば、ルーは魔法を使えるようになる」
「それは本当ですか」
ルーの唇が小刻みに揺れる。
「すぐに原因を見つけられるかは、正直自信がない」
「そ、そうですよね」
俺は、ルーの両肩を掴んでいた手を放し、どちらともなくため息をついてしまう。
やっぱり一週間の期限があまりにも短すぎる。
「ところで、今日集まった貴族たちはどうしてルーが魔法を使えるようになってほしいと思っていたんだろうか」
「エクレール王国の第二王子が魔法の使えない私を大人達が見ていないところで蔑んでいたと言いましたよね」
俺はルーの話に静かに頷く。
「エクレール王国の高官たちと関わった者も似たような対応をされていたみたいでして。彼らは表立って馬鹿にはしませんが、それとなく失礼な態度を取られていたようです」
「この国は魔法を使えない人間はたくさんいるからな。国内でちやほやされていた貴族としては今までにない屈辱だったんだろうな」
「そのような経緯もあって、私の婚約解消もすぐに大臣たちが賛成したのだと思います」
婚約解消の原因はエクレールの政情不安だけじゃなかったのか。そのおかげで俺とルーが今同じ空間にいることになったと思うと不思議な気持ちになる。
本来なら俺はルーと直接会うような身分じゃない。
それなのに、こうして婚約者として指名されてしまった。ただ、それもあと一週間後にどうなっているか分かったものではない。
「それで、だ。今からルーを丸裸にするようなことをするけど、いいか」
「えっ。それは」
「恥ずかしいかもしれないが、魔法が使えない原因を調べるのに必要なことだ」
俺は再びルーの両肩に手を掛けた。
「では、背中のホックを外して、ファスナーを下げてもらえますか」
セナカのホックをハズシテファスナーをサゲル?
「ロラン、早くしてください」
ルーは俺の顔を見上げた。
「早速調べてもいいってことか」
「ええ」
「じゃあ、遠慮なく」
一瞬、ルーが背中の…とかなんとか言っていたが俺の気のせいだったかな。
俺がルーから手を放すと、ルーがくるりと後ろを向いた。
「どうぞ」
ドウゾ?
どことなく、ルーの背中がこわばっているように見える。不安なのかな。
いや、やっぱり見れば見るほどルーが緊張している気がする。
「そう身構えられると、こっちもやりづらいんだけど」
「は、はいっ。でもロランに私の裸を見られるのはまだちょっと恥ずかしくて」
オレがるーノハダカをミル?
「ルー、何を言っているんだ」
「ですから、私が魔法を使えない原因を調べるのに裸になる必要があるのでしょう」
俺はようやく自分の過ちに気が付いた。
「しない、しない!ルーを丸裸にするようなことをするとは言ったが、ルーが本当に裸になる必要はないんだ」
すべては俺の説明不足が原因だ。
「えっ。」
ルーが素早く振り返る。
「それどころかルーの身体も一切触らない」
「触ってくださらないのですか」
ルー、なぜ、そこは残念そうな顔をするんだ。触られたかったのか。
「俺は今から、ルーに鑑定魔法を掛ける。鑑定魔法は、ルーのあらゆる能力や身体的特徴をデータ化するんだ」
俺の言葉にルーはコクコクと頷く。
最初から、魔法を掛けるって言えば良かった。
「そうなると、ルーの弱点や隠している能力もすべて俺に知られてしまう。そういった意味では丸裸にするようなことなんだ」
「なるほど、そうだったのですね」
ルーの緊張がとけ、表情が和らいだ。
「ただ、ルーの身長、体重、スリーサイズは俺に知られてしまうぞ」
ルーの顔に緊張が走った。
「どうする。やっぱり止めた方がいいか」
「いえ、構いません。手段を選んでいる場合ではないですから」
ルーの顔に覚悟のようなものが見える。
「よし、始めるぞ」
俺はルーに向けて手をかざして、鑑定魔法を発動させた。
俺は手のひらから光の輪を発し、それは一瞬にしてルーの身体を上から下へと移動した。
「鑑定完了だ」
「え、もう終わったのですか」
ルーがぽかんとしている。
「鑑定結果を表示するぞ」
俺は、鑑定した結果を空中に表示させた。
さて、鑑定結果を…その前に自分の前髪が邪魔だな。後ろに流しておくか。どうせ、ルーしかいないし。
名前:マリー=ルイーズ・リュミエール・グランフルール
性別:女
年齢:十八
生年月日:皇歴168年4月21日
国籍:グランフルール帝国
職業:グランフルール皇太女/剣聖
「ルー、剣聖だったのか」
剣聖とは、剣術使いの最高峰のクラスだ。帝国広しと雖も、そうそういない。
しかもこの年齢でその域に達している人間は他にいるのだろうか。
「それはいいですから、魔法に関しての鑑定結果はどうなっていますか」
ルーが俺の上着を軽く引っ張る。
「ああ、そうだな。えーと」
魔法に関係する部分を急いで探す。
その途中でルーのスリーサイズの情報が目の端に入ったが、急いで読み飛ばす振りをした。うん、どこがとは言わないが結構デカいな。
「ロラン、今見ましたよね」
「……はい、見ました」
何を見たかを具体的に言われていないが、しらばっくれても時間の無駄なので素直に自供する。
気が付かれないように無表情を決め込んだはずなのに、ルーに一瞬でばれてしまった。
「どうして分かった」
「目の動きが一瞬違っていましたので。その後、口が少し緩んでいました」
さすが、剣聖。動体視力が普通の人間と違う。
これだったら、前髪を垂らしたままにしておけばよかったと今更ながら後悔してしまった。
「ルー、すまない。見るつもりはなかったんだが」
「いえ、いいのです。ロランは最初に忠告していましたから。いざ、見られるとちょっと恥ずかしいというか」
気まずくなって、お互いに無言になる。
「……と、とりあえずルーの魔力は…」
体内魔力量 8507
魔法力 3864
「やっぱりかなり高いな」
魔力と一括りにされることが多いが、魔力は、体内魔力量と魔法力二つに分けられる。
体内魔力量は、文字通り体に有している魔力の量の数値、魔法力は魔法を使った場合の基本となる数値だ。
いくら体内魔力量が多くても、魔法力が低ければ魔法の効果が弱くなってしまう。
「普通はどのくらいなのですか」
「んー。普通をどう定義するか難しいけど、体内魔力量が1000、魔法力が350あれば魔法使いの冒険者としてやっていける感じかな」
「そうですか。ロランはどのくらいなのですか」
「俺は、そうだな。体内魔力量は1万5026、魔法力は8740って書いてあるな」
俺は片手で自分の過去のデータを表示した。
「ロランは相当な使い手なのですね」
「いや、俺はまだまだだ。俺に魔法を教えた爺さんなんかは、体内魔力量二万越え、魔法力は一万越えだからな」
多分、エクレール王国には爺さん級の使い手が何人かいるはずだから、俺なんてほんのひよっこだろう。
「ルーの魔力がかなりのものだと分かったけど、問題はこの後だ」
魔法適性 総合E
火魔法 E
水魔法 D
雷魔法 F
風魔法 F
光魔法 E
闇魔法 E
無属性魔法 D
習得魔法 解析不能
「悲しいまでに才能ないですね。私。」
ルーが目を伏せた。
「そこなんだよな。体内魔力量も魔法力も高いのに、適性がここまで低いのはおかしいんだよ」
俺は考えを巡らせる。
魔力が高い場合、魔法適性も高いことが多い。
適性がここまで低いということは、魔法それ自体を習得する能力が低いということでもある。
だが、鑑定魔法の結果はあくまでも現在の状況を示しているに過ぎない。
まれにではあるが、魔法の適性がないと言われた人間が努力を重ねた結果、強力な魔法を使えるようになった例がある。
最初こそ習得に手間取ったが、ある魔法を習得した結果、他の魔法を難なく習得できるようになり、適性も上がったという例もある。
それに、ルーは一つだけ魔法を習得しているようだが、解析不能とは。どんな魔法なんだろうか。まだ解明されていない新しい魔法という可能性もある。
あれ?魔法といえば何か忘れているような気がしてきた。そんなに前のことではなかったと思うのだが、思い出せない。
解析不能の魔法が何かを調べるにしても、初歩的な魔法を今から覚えるにしても…。
「一週間で何とかしろと言われても…」
「本当にごめんなさい。ロラン」
ルーが精いっぱい身体を小さくしている。
「ルーが悪いわけじゃないさ」
俺は手を伸ばし、ルーの後ろ頭を優しくなでた。
「失礼します」
セリーヌがドアをノックして入ってきた。
ルーがすかさず俺の前髪を下ろそうとするが、
「セリーヌも知っているから大丈夫だよ」
俺はそれを遮った。
「ロラン様、今日はもう夜も遅いので」
セリーヌに言われて時計を見ると夜七時を過ぎていた。
ルーに魔法の基本知識を教えていたら、かなりの時間が経っていたようだ。
ルーは久しく魔法の勉強をしていなかったので魔法に関する知識が抜け落ちていた。
以前、魔法を唱えようとして倒れて以来、皇帝陛下の命令で魔法の勉強は禁止されていたとのことだった。かれこれ十年以上魔法に触れていないらしい。
というわけで、ルーに初学者向けの説明をしていたら思いの外時間を要してしまった。
「こんな時間か。今日はもう帰るよ。借りた服は明日返しに行くから」
「そのことですが、ロラン様には今日を含めて一週間、こちらに泊まっていただくことになりました」
セリーヌはキリっとした表情で眼鏡の端を持ち上げる。
確かに、ここにいた方がルーに魔法の特訓ができるから都合はいいが。
「それなら尚更、一度家に戻って一週間分の服を持ってこないと」
「ロランの服ならあります」
ルーがきっぱりと言い放つ。
「服がないから、今借りているんだけど…」
「実は言い出しにくかったのですが、あちらに下がっている服は全てロランのものです」
ルーは静々とハンガーラックを指し示した。
ハンガーラックにはセリーヌが運んできた男性用の礼装の数々が下がっている。俺が今着ている服もそこから選んだものだ。
「俺はあそこから服を借りたけど、俺のものじゃないと思う」
「ロランがここに住むことを想定して私が作らせました」
ルー、気が早いよ!
この宮殿の衣裳部屋にある服から俺の体格に合いそうなものをセリーヌが選んだとばかり思っていた。セリーヌが服を運び込む前に俺を採寸していたし。
「ロラン様、最初に着た服も今着ている服も裾や袖の長さ、肩回り全てが誂えたようにぴったりでしたよね」
セリーヌの眼鏡がキラリと光る。
「てっきり夜会に来た来客が服を汚した場合に備えて服をいくらか用意してあって、その中から選んできたものかと」
「この宮殿にはそういった用意もございますが、ロラン様の体格に合う服をこれほどまでに用意できません」
セリーヌは笑顔で対応しているが作り物感が否めない。
「殿下も私もロラン様に服をお貸ししますと一言でも言いましたか」
確かに!
俺が勝手に服を貸してもらったと思っただけで誰もそんなことを言っていない。
しかし、ここで一つ疑問が思い浮かんだ。
「ところで、どうやって俺の服を仕立てたんだ」
俺の質問にルーとセリーヌが互いに目配せした。まるで、どっちが答えるか押し付け合っているように見える。
「ロランが仕立ててもらっている仕立屋をイネスから聞いて、そのお店からロランの服に使用した型紙を買い取りました」
ルーがもじもじしながら答えた。
イネス、やっぱりあいつか!でしゃばり従妹め。
この服の出来からして、型紙だけじゃなく、腕の長さ、首や胴、腰回り、足の長さなどの俺の体格の情報も売っていると思って正解だろう。
仕立屋の職業倫理としてどうなんだ。いや、皇太女殿下の命令なら逆らえないか。
あれ、ちょっと待てよ。そういえば靴も大きさがぴったりだ。ということは、靴屋から俺の足の木型を買い取ったのか。
「セリーヌが採寸していたのは、どういう意味?」
「仕立屋を疑うわけではありませんが、こちらはロラン様本人を採寸しないで服を作りましたので最終確認をさせていただきました」
この人は、仕事をとことんまでやりきる女官だ。
「俺が婚約者指名を辞退した場合、この大量の服はどうするつもりだったんだ」
そもそもこれらの服は盗難事件がなければ、今日、俺の目に留まることはなかったはずだ。
「その場合は、長年友達として付き合ってくださったお礼とか、大学合格祝いとか、今回の迷惑料とか適当に理由をつけて『この中から好きな服を選んでください。ロランさえ良ければ全部持っていってもかまいません。』と言うつもりでした」
ルー、太っ腹過ぎるぞ。
でも、このまま服を残されても使い道があるかどうか微妙だから全部持って行っても文句は言えないか。俺の体格に合わせて作られているし。
「ごめんなさい。ロランが貸衣装だと勘違いしているならその方が都合良かったのです。だって、あなたのためにこれだけ服を用意しましたなんて言ったら重い女でしょう」
ルーの問いに俺は苦笑いした。
君の愛が重いよと言いたいが、本人も自覚しているみたいだから言っても仕方ない。
ルーの俺に対する入れ込みようが尋常じゃない。俺にいくらお金を掛けたんだ。根が庶民の俺としては怖くて聞けない。
ちょっと待て。この扱い、どこかで見たような気がする。そうだ、イネスから面白いから読んでみてと無理矢理押し付けられた恋愛小説だ。
確かタイトルは…『貧乏令嬢 褐色あまあま王子様に溺愛されて困惑中』だ!
超大金持ちの異国の王子に見初められた男爵令嬢が何も知らされずに王子の宮殿に招かれたら、ドレスやアクセサリーなどありとあらゆるものが用意されていたという展開だった。その物語の男爵令嬢は王子の愛が重すぎて若干引いていた。
俺とルーの場合、男女が逆になっているが大筋は一致している。
「ちなみに、殿下が嬉々としてロラン様の服のデザインを考えていましたよ」
「ちょっと、セリーヌ。そんなこと言わなくていいから」
ああ、だからルーが服を選んだときに上目遣いで俺に意見を求めていたのか。自分がデザインした服を気に入ってもらえるか不安だったんだな。
「となると、これは礼装だからまさかそれ以外にも」
「はい。すべてこちらで用意しております」
セリーヌが自信満々に答えた。
「ですよね…」
俺は肩をがっくりと落とした。
「身の回りのものは問題なさそうだけど、魔法の教本とか、資料とかそういったものを取りに帰らないといけないな。ああそうだ、家族に事情を話さないと」
「心配には及びません。私が直接ロラン様のお屋敷に事情を話しに行きました。その際にロラン様の師匠とおっしゃる方から本をいくつかと手鏡を預かって参りました」
俺の家は屋敷じゃない。クローデル家の屋敷の一部を間借りしているだけだ。
それはさておき、セリーヌの仕事の速さと抜かりのなさに驚きだ。
「ロラン様、こちらの手鏡はどのようなものなのですか」
「見た方が早い」
俺はセリーヌから古めかしい手鏡を受け取り、自分の手をかざした。
俺の手から強い光が放たれ、手鏡がそれをすぐに吸収した。
「爺さん、聞こえるか」
「よく聞こえるよ」
手鏡には俺の姿ではなく、六十代の男性が映っていた。
「この方は…」
ルーが俺の持っている手鏡を覗き込む。
「お初にお目にかかります。皇太女殿下。私はリオネル・マグナ・ティトルーズと申します」
爺さんはなんとも美しいお辞儀をした。さすがはエクレール王国の大臣の息子だった男だ。それに俺にマナーを教えてくれた先生でもある。
「さて、爺さん。早速本題に入るがルーの魔法が使えない問題について一緒に考えて欲しい」
俺は、ルーのステータスのうち、魔法に関する部分だけ書き写した紙を見せた。
「ふむ。これは面妖な。適性が低いとはいえ、これだけの魔力があれば初歩の魔法くらい習得できそうなものを」
「あと気になるのが習得魔法の欄だ。ルーは一つだけ習得しているらしいが、解析不能とされてしまって。俺の鑑定魔法のレベルが低かったか、まだ解明されていない魔法かもしれない」
「私が直接赴いて鑑定して差し上げたいが、そういうわけにもいかんな」
「爺さん、帝国からもエクレールからもどっちもあまりよく思われてないからな。極力出歩かない方がいいな」
俺は深く頷いた。
爺さんが十代の頃、帝国とオラージュ共和国との間で戦争が起こった。
オラージュの同盟国であったエクレール王国は、オラージュに援軍を送り、爺さんも戦争に参加した。
若き魔法の天才と賞賛された爺さんは、帝国の物量攻撃をものともせず帝国の兵士を何万単位で殺した。殺された者の中には帝国随一の将軍、軍人貴族たちが数多くいた。
爺さんの行為は功績と認められ、エクレール王国の要職を得たばかりか、同盟国のオラージュからも勲章が贈られた。
しかし、この功績が爺さんを権力闘争への道を歩ませ、国内で爺さんの神経を擦り減らし続けることになった。
約五十年経った今でも、帝国内では爺さんを恨んでいる人間は少なからず存在している。爺さんは十数年前にエクレールから帝国へ亡命し、エクレールにおいても国を捨てた裏切り者扱いをされている。
「我が弟子よ。今日のところはこのくらいにして、休んだらどうだ」
手鏡に映った爺さんは俺を心配そうに見ていた。
「家に帰らないで済むことになったから、もう少し粘ってみようかと」
「いくら若いからと言って、無理はいかん」
爺さんに注意されて、大きな鏡を探そうとするとセリーヌが姿見を俺の前に移動させてきた。この人、仕事早いな。
爺さんの指摘のとおり、姿見には顔色の良くない俺の姿が写っていた。
「ロラン、慣れないことだらけで疲れさせてしまいましたね」
ルーが上目遣いで俺を見つめていた。言葉こそ出ていないが、ルーの顔には申し訳なさそうな雰囲気がいっぱいだった。
「ロラン様、客室のご用意がありますので今日のところはゆっくりと夕食を取られてお休みになるのがよろしいでしょう」
セリーヌがルーの執務室を出るように促す。
この部屋を出るなら、また冴えないロラン君として振舞わなければ。俺は、さっきまでかき上げていた前髪を下ろし、猫背になった。
「ロラン、ちょっと待ってください」
部屋を出ようとした俺をルーが呼び止める。
何かあったかと振り返ろうとしたら俺の頬に柔らかいものが触れた。
驚いて触れられた頬の方に視線を移すと、やっぱりルーだった。この柔らかいものは、間違いない、ルーの唇だ。
この場にいるのは、俺とルーだけじゃないんだぞ。セリーヌはいるし、手鏡を通して爺さんも見ている。
いきなりの口づけで嬉しいような、人前でされて恥ずかしいような、またしてもいきなりされてルーに負けたような色んな感情が俺の中で駆け回っている。そして、心臓の鼓動は一気に早くなり、体温も急上昇してしまった。俺が動揺したせいなのかどうなのか定かではないが、自分に掛けていた魔法が解けて、本来の姿に戻ってしまった。
「ロラン、ごめんなさい。お休みの挨拶のつもりだったのですが」
ルーがもじもじさせながら、俯いていた。
「馬車のときもそうだけど、いきなりキスされたら驚くよ。記憶ないけど、子供のときも似たようなことをしたみたいだ…し」
俺は話し始めて、突如、欠けているものを思い出した。
そうだ、馬車のときもルーにいきなりキスされて、魔法が解けてしまっていた。もしやルーは無意識で魔法を使っているのではないだろうか。そう考えて俺は記憶の糸をもっと手繰り寄せた。そこで、ルーが話してくれた十年前の話と俺の記憶を照らし合わせると一つの出来事を思い出すことができた。
「そういえば十年前、ルーを見つけて帰ってきた翌朝、目が覚めたら本来の姿だった…」
ルーの話では、十年前、疲れ果てて眠っている俺にルーはキスをしたということだった。俺は朝目覚めたら、本来の姿になっていた。さっきまですっかり忘れていたが、ルーが原因だったのか。
「もしかしたら、ルーは無意識に魔法を使っているかもしれない」
「ほ、本当ですか?」
ルーの声に喜びの色が見えた。
「もしかしたら解呪魔法の一種かも。魔法で変化した相手に口づけすることで相手の魔法を解くことができるのかもしれない」
というわけで物は試しだ。その辺にある物に魔法を掛けて形を変えてみた。
「ルー悪いけど、これに口づけしてもらってもいい?」
形を変化させた物体をいくつかルーの前に並べた。
「え、えぇ。ちょっと恥ずかしいですが、やってみます」
ルーはぎこちないながらも一つ一つの物に口づけてみた。
しかし、どれも元の形に戻ることはなかった。
「物に口づけても魔法が発動しないのか、それとも魔法が発動しているのかもしれないが物に対しては効果がないのか」
「我が弟子よ。物がダメなら、そこの女官で試してみては」
爺さんの言うとおりだ。俺に対しては実証済みだから他の対象も必要だな。
「セリーヌ、魔法で少し姿を変えさせてもらいたいのだが」
「ええ、構いませんよ」
セリーヌの許可をもらったので、変化の魔法を使うことにする。
「セリーヌ、せっかくですから何かリクエストはありませんか」
突如俺は思い付きで発言した。
「リクエストですか。いっそのことがらりと外見を変えて体格の良い男性にでも」
ちょっと意外なリクエストだったが、早速実行してみることにする。
体格の良い男性、どんなのがいいかな。長兄みたいなのでいいか。
長兄っぽい人物をイメージしながら、セリーヌに魔法を掛ける。
小柄だったセリーヌが俺の背丈を超えるたくましい男に大変身だ。ついでに服も軍服風に変化させてみた。
「これが私ですか。心なしか声も低くなって」
セリーヌが姿見で自分の姿を何度も確認し、くるくると回っていた。
「セリーヌがこんなにはしゃいでいるなんて、珍しいです」
ルーが信じられないものを見たという雰囲気で呟いた。
俺もそんなに長い時間接していないが、冷静、完璧な女官というセリーヌがこんなに嬉しそうにしているのは不思議だ。
「楽しんでいるところ悪いが、殿下、そこの女官に口づけをしてみてくれ」
爺さん、魔法の実験となると空気を読まない。もう少し楽しませてあげればいいのに。
「セリーヌ、すみません。少ししゃがんでいただけますか」
「いつも見上げる側の私がこんなことになるなんて!」
セリーヌはいつになく嬉しそうだ。魔法が発動できれば、この変身はすぐに解けてしまうので少し残念に思うかもしれない。
「では、行きます」
少し緊張気味のルーがセリーヌの頬にキスをした。ルーが長兄に似た男にキスをしている姿は何だか複雑だ。もっと別のタイプの男にすべきだったか。
そんなことはどうでもよくて、セリーヌが元の姿に戻るか観察しないと!
結果は………、変化なし。
「だめですね。」
ルーが肩を落とした。
実証は終わったので、俺はセリーヌを元の姿に戻す。
セリーヌが一瞬寂しそうな顔をしていたのは、ルーの魔法が発動しなかったせいなのか、変化した姿が名残惜しかったのか。
「我が弟子よ。もう一度外向き用の姿になってくれ」
「爺さん、もうあれは実証したから意味ないんじゃ」
「私に考えがある」
俺は爺さんに言われたとおりに、冴えないロラン君に変身した。
「ルー、悪いけどもう一度お願いしても」
「もちろんです!」
そういうや否や、ルーは背伸びをして俺のおでこにキスをした。こ、今度はそこか!
またしても、俺の変身魔法は解けていった。
ルーの解呪魔法は俺に有効、セリーヌには無効。俺からルーにキスをしたときは俺の姿に変化なし。物に対しても無効。俺の魔法抵抗力はかなり高いはずなのに、このような結果になったということは……。
「なぁ、爺さん。もしかして」
「我が弟子よ。私も齢63にしてそんなことを思いつきたくないのだが」
多分、爺さんと俺の想像していることは一致しているだろう。俺だって18にしてこんなことを思いつきたくない。
「物語にありがちな、呪いを掛けられた王子様に清らかな乙女が口づけして呪いを解くという」
「あれは物語やおとぎ話だけのことかと思ったが実在の魔法のようだ」
爺さんと俺は頭を抱えた。
ルーの習得魔法は、俺の知らない魔法だから解析不能だったのかと今更ながら気が付いた。
「ロラン!私、魔法を使えました」
俺たちが落胆しているのとは対照的にルーが無邪気に喜んでいた。
これにて、ロランの魔法教室は終了……していいわけがない!
この魔法は公にしてはいけないやつだ。これを使ったら、皇帝陛下と主要な大臣と高位貴族の当主たちに俺の本当の姿をさらすことになってしまう。
「ルー、明日から他の魔法を覚えよう。その魔法は人前で絶対に披露しないこと」
「この魔法なら皆も驚くこと間違いなしですが……あっ、そうですね。私の考えが足りませんでした」
ルーはすぐに俺の意図をくみ取って、しゅんとした表情になった。
「ごめん。ルー。俺の本当の姿は帝国にとって災いの種だから」
「いえ、ロラン。謝らないでください。あなたが姿を偽らなくて済むように私が頑張りますから」
「ありがとう、ルー」
本当はルーを抱きしめたいが、爺さんやセリーヌがいる前ではちょっと。
俺のわずかな躊躇を感じ取った、セリーヌと爺さんは俺に「何もしないのか!」と言わんばかりの非難めいた目をしていた。
いやいや、恋愛初心者の俺に何を期待しているんだ。心を込めて返事しただけでも十分だと言ってほしい。
「ロラン、明日からも頑張りますので魔法を教えてくださいね」
ルーがそっと俺の手を取った。
ルーが魔法を使えることが分かったのは大収穫だが、ロランの魔法教室は明日も続く。
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