第八章 あなたと一緒に

「ロラン君、君が建国祭の幽霊だったとは!これは傑作だ」

 皇帝陛下がお腹を抱えて大笑いしている。

 ベルナデット大公妃殿下誘拐騒動が終わった翌朝、皇帝陛下に特別に時間をいただいて俺の姿を披露した途端、この反応だった。

「お父様、笑いごとではありません。ロランは私達を思ってひた隠しにしてきたのですよ」

 一休みしてすっかり元気になったルーが頬を膨らませながら抗議した。

「いやはや、失敬。分家の皆にはとんだ気苦労をさせていたようだな。」

「こちらが一方的に気を回して隠していただけですので」

 当家としては、波風立てずに貴族社会の末端で生きていきたいところに初代皇帝陛下と同じ特徴を持つ赤子が生まれてしまっては平穏ではいられなくなる。だからこそ俺自身、なるべく目立たないように生きてきた。

「ロラン君だけでなく、分家の皆にはこれまで不義男爵家と誹りを受けても当家を見限らなかったこと、長きにわたる恭順の意を示してくれたことを感謝したい」

「いえいえ、そんな」

「いやいや、こちらこそ」

 しばらく陛下と俺の、グランフルール本家と分家の謝り合戦になってしまった。陛下に謝っていただいているのは貴重な経験だがこれで時間を浪費するわけにはいかない。

「それで、陛下。今後の私の身の振り方ですが…」

 ルーが魔法を使えるようになったので、これからある最終試験は合格したようなものだ。だが、俺の姿が原因で婚約者指名を取り消す可能性があるし、俺を危険分子みなして軟禁ということもあり得る。頃合いを見計らって暗殺なんてこともあったらどうしようか。

「それについて君は心配しなくていい。私とマールで何とかしよう」

「ええ。ロラン、安心してくださいね」

 皇帝陛下とルーが目を細め、口の端をキュッと結んだ。さすが親子と言ったところだろうか、二人とも全く同じ顔つきだ。

 皇帝陛下については分からないが、こういう顔をしたルーは何かよからぬことを考えている。十年経ってもその癖は変わっていないはずだ。

 本当にこの二人に任せてよいのだろうか。

「そういえば、マール。新年の儀はどうしようか」

 新年の儀とは一体?

「ロラン君、毎年当家では初代皇帝陛下の肖像画の前で去年一年間の報告と新年の抱負を語ることにしているのだよ」

 俺が訝しむような顔をしているのを見てとった陛下が答えた。

 それが俺に何の関係が?

 九月に入ったところなので、新年のことを今話し合う必要があるのだろうか。もしかしたら皇室の年中行事を変更するとなるとそれなりの準備が必要なのかもしれない。

 部外者の俺が何か言うのはおかしいので、ここは黙って聞いておこう。

「来年は、ロラン君に初代皇帝陛下の衣装を着てもらって我々が跪いて新年の抱負を語るというのはどうだろうか」

「あら、お父様それは面白いですね」

 皇帝陛下とルーがキャッキャと楽しんでいる。

 これは、黙って聞いてはいけない案件だった。

「……絶対に止めてください」

 俺の心の底からのうめき声は二人に全く聞こえていなかった。



 陛下との朝のお目見えから半日近く経ち、ついにルーが大臣や高位貴族の当主たちに魔法を披露することになった。

 誘拐騒動があった後なので、日を改めてということがあるかと思いきや残念ながらそんなことはなかった。

 俺たちは謁見の間の前の廊下に立っている。俺の出で立ちは、いつもの冴えない黒髪、前髪の長い猫背の姿だ。服装は、ルーが大量に用意した礼服の中で一番古風なデザインだった。若干、建国祭の仮装衣装にも近い雰囲気だ。ルーが言うには、今日はこれがいいとのことだ。乙女魔法を使われない限り、本来の姿になることはないから誰も俺のことを建国祭の幽霊と思うことはないだろう。

 対するルーは儀礼用の軍服を身に着けていた。襟に装飾が施された上着とタイトなロングスカートで、ドレス姿よりは、華やかさに欠けるがルーが生来持っている凛とした雰囲気を引き出している。いつもと違って、髪を流すことなく、ひっつめ気味に後ろで結い上げて綺麗なうなじを見せている。

「ルー、もしかして緊張している?」

「ええ、ちょっと」

 今回は陛下の命令で聖剣を使わずに披露することになっている。聖剣を使ったら、それがルー本人の能力によるものなのか、聖剣本来の能力なのか、事情をよく知らない大臣や貴族には判別がつかなくなるからとのことだ。

「聖剣なくても魔法は発動できるようになった?」

「ええ、今朝試してみましたが一応発動できましたが…」

「魔法の出来不出来は試練には関係ないらしいから大丈夫。それに暴走しても俺が止めるし」

 俺はエスコートをしている腕を一度解いてから、ルーの右手を両手で包み込んだ。

「ええ。そうですね。頼りにしています」

 ルーは俺に儚げな笑みを向ける。

 あああ、ルーが可愛い。思わず守りたくなってしまう。ルーの戦闘能力を考えれば守る必要性はどこにもないかもしれないけど、守ってあげたくなる。

「さぁ、行こうか」

 俺が声を掛けるとルーが立ち止まった。

「ロラン、今から何が起きても冷静に、堂々と振舞ってくださいますか」

「ん?ルーがそういうならできるだけ努力するよ」

 ルーのお願いは何を意図したものかは分からないが、謁見の場でうろたえる婚約者候補というのはルーの相手としてふさわしくないだろうから、できる限り頑張ろう。

 


 俺にとっては、一週間ぶりの謁見の間だ。

「あの男が皇太女殿下と大公妃殿下を救ったらしいぞ」

「そんなはずはあるものか。護衛に囲まれてついて行っただけだろうよ」

「あの風体で皇太女殿下の横を歩くとは厚かましい」

「尻尾を巻いて逃げると思ったが案外図々しい男なのかもしれない」

 相変わらず俺に対する悪口が聞こえてくる。

 ただ、一週間前と違うのは、ガエル将軍を始めとする将軍たちの俺に対する視線だった。ベルナデット大公妃殿下誘拐事件の顛末を知っているガエル将軍から話を聞いていたのか、俺に対して批判的な目は一切していないが、一戦交えたそうな好戦的な目をしていた。

 いやいやいや、今日はそういう日じゃないから!

 というか、俺は将軍たちと勝負するつもりもないぞ!

 俺が周りの空気に中てられたと思ったのか、ルーが俺の袖を少し引っ張った。

「大丈夫だ。まっすぐ前だけ見るよ」

 俺は小声で応えた。

 前を向いた先には、威圧的な雰囲気の皇帝陛下が鎮座していた。正直言って、怖すぎる。ルーとの言いつけ通り、堂々としていたいが、あの皇帝オーラ全開の陛下を見ながら足を前に出したくない。

 今朝、俺の本当の姿を見て大笑いしていた人物とは本当に同一人物なのかと思ってしまうくらい、纏う雰囲気が違っている。

 心臓が口から飛び出るかと思ったが、俺とルーは何とか最前列までたどり着いた。

「マリー=ルイーズ皇太女殿下、前へ」

 ルーは侍従長の合図に従って、ルーは数歩前に進んだ。

 そこに杖を持った軍人たち、おそらく宮廷魔術師団の者たちがルーを取り囲んだ。

 軍人たちは詠唱を始め、ルーの周りを結界で包み込んだ。万が一、魔法が大臣や貴族たちに当たってはいけないということで安全対策なのだろう。

 あの程度の結界、俺なら一人でできるぞ、なんて野暮なことは言わない。俺は爺さんの弟子だから出来て当然というだけだ。

「皆、大儀である」

 俺を含めて、その場にいる全員が一斉に跪く。

「今日は我が娘、マリー=ルイーズと婚約者候補のロランの最終試験を行う。マリー=ルイーズ、準備はよいな」

「はい。皇帝陛下」

 ルーは、魔法を発動させるべく両腕を伸ばし、両手を交差させた。

 謁見の間にいる誰もが、かたずをのんで見守った。

 ルーの掌から火球が浮かび上がった。

「おぉ」

 貴族たちから小さな歓声が聞こえてくる。

「これにて最終試験は終了とする。ロランをマリー=ルイーズの婚約者として正式に指名する」

 皇帝陛下からの宣言に貴族たちから落胆の声が小さく聞こえてくる。

 無事、婚約者として指名されたけどこの反応からして問題山積だな。

「マリー=ルイーズ。魔法を消しなさい」

 皇帝陛下の命に従って、ルーは魔法を消そうとするが火球が大きくなる一方で、消える気配はない。ルーの顔にだんだん焦りが見えてきた。

 火球は結界の内部に広がり、ルーごと燃やしそうな勢いになってきた。宮廷魔術師団もうろたえて、誰一人結界を解く余裕がない。このままでは狭い結界の中でルーは息をすることもできず、そのまま燃えてしまう。

「いやぁぁぁ!マール!」

 ベルナデット大公妃が取り乱してルーの元に駆けだそうとするが、傍に控えていたガエル将軍に押さえつけられる。

「マリー=ルイーズ殿下!」

 俺もルーのところに駆け寄ろうとするが、足を止めてしまった。

 俺が結界を破ったら、謁見の間全体に炎が広がる恐れがある。できれば、結界を破りながらルーの魔法も打ち消したい。

 俺がちらりと皇帝陛下を見ると、皇帝陛下の腰に聖剣が下がっているのが見えた。

 あれなら、行ける!

「ロラン君。使いなさい」

 俺の考えていることが分かったのか、皇帝陛下が聖剣を俺に投げてよこした。

 俺は聖剣を掴み、一気に鞘を抜いた。何だか懐かしい感触だ。

「久しいの。少年、いや青年か。お前の大事な人を助けるのか」

 聖剣が俺に語りかけてくる。十年前は魔獣を前にしてこの聖剣がグダグダしゃべっていたな。どういう会話したかはもう覚えていないが。

「悪いがお前としゃべっている余裕はないんだ。力を貸してくれ」

 幸い、聖剣は機嫌を損ねることもなく俺に力を貸してくれた。

 俺は聖剣に魔力を込め、すばやく結界とルーの魔法ごと霧散させた。

「マリー=ルイーズ殿下。ご無事ですか」

 俺に魔法を消された反動か、ルーが倒れかかる。俺は、すかさずルーを抱き起した。

「……あ……ありがとう…ございます、ロラン」

 ルーはゆっくりと立ち上がった。ルーに大きな怪我はなかったが、指先や顔に軽いやけどを負っていた。軍服だったせいか、耐熱性は多少確保されていたものの、やはりところどころ焦げている。

 服はともかく、ルーの火傷をなんとかしないと。ルーの声も力なかったことから、喉も火傷しているかもしれない。なにしろ、あともう少しで結界の中でルーが炎に包まれるところだったのだから、見た目ほど軽い火傷ではないだろう。

「殿下、殿下ぁ~、傷をお治しいたしますっ!」

 状況をやっと理解して駆け寄ってくる宮廷魔術師団を俺は制して、回復魔法をルーに掛ける。これで服以外は全て元通りだ。

「あなたがいてくださって本当に助かりました」

 ルーが俺に身体を預けてくる。

 ん?何故だ?傷は全快したはずだから俺の支えはいらないはずだ。

 ここで表情を崩しては、ルーとの約束を破ることになるので狼狽えずに神妙な面持ちで立っていた。

「そのままでいてくださいね」

 ルーは俺の耳元でささやいた。これから何をしようと言うのだ。

 すると、ルーは俺の正面に向き直し、顔を近づけてきた。ちょっと待て、もしや今アレをするんじゃないだろうな。

 戸惑う俺を無視してルーの顔はどんどん近づく。明らかに乙女魔法を使う気満々だ。一週間前にあの魔法は披露しちゃだめだと言ったはずなのに。

 ここでルーを避けたら、俺とルーが不仲だという噂が流れてしまう。

 逆に俺からルーの口以外のところにキスをしてルーの動きと魔法の発動を止めるというのはどうだろうか。

 いや、ルーなら簡単に俺を押さえつけてもう一度キスするだけのことだ。

 これは、どう行動してもバッドエンド確定だ。

 さようなら、俺の地味で堅実な生活。

 聖剣をぶん回したし、魔法を使いまくっているからすでに普通の人間じゃないことは披露済みだけど。

 18年間、俺と俺の家族が必死に隠し続けてきた秘密が今暴露されてしまう。

 俺をずっと守ってきてくれた家族や俺の家に仕えてくれた人たち顔が次々と浮かんできた。

「心配するな。マリー=ルイーズを信じろ」

 聖剣が俺の頭に直接語り掛けてきた。おそらく、他の人間には聞こえていないはずだ。

 ルーを信じろって言われても。

 どうみてもルーはやめる気配はない。俺の背中に腕を回し始めているくらいだ。

 横目でちらりと皇帝陛下夫妻を見たが、なぜかにこにことほほ笑んでいる。なぜ、娘が凶行に走っているのに皇室スマイルなんだ?

 視界の端にベルナデット大公妃殿下が俺を睨みつけながら動こうとしているのが見えるが、相変わらずガエル将軍に押さえつけられたままだ。

 もう、知らない!人間諦めが肝心だ。

 こうして、俺はルーになされるがまま唇を重ねた。

 やはりルーの乙女魔法が発動し、俺の身体は淡い光に包まれた。



「な、なんだあの姿は!」

「建国祭の幽霊!」

「やはり存在したというのか」

 一瞬の静寂が訪れた後、貴族たちの動揺の声が聞こえてきた。俺が今日着ている服は、古風なデザインだから効果絶大だ。似合いすぎて泣けてくる。

「鎮まれ!」

 皇帝陛下が立ち上がって、貴族たちを一喝した。

 貴族たちは一瞬にして静かになり、一斉に跪いた。

「マリー=ルイーズ、何か申し述べることはあるか」

「はい、陛下。私から、この場にいる全ての者に伝えたいことがあります。少々長くなりますがよろしいでしょうか」

「よい、許す」

 皇帝陛下の許可を得て、ルーは姿勢を正してから語り始めた。

「我が婚約者、ロランとその一族にまつわるお話です。彼の家が不義男爵家と呼ばれ貴族たちの間であまり良い待遇を受けていないことを私もよく存じ上げております。それは彼の先祖と私達の先祖との間で起きた醜聞によるものです。皆様もご存知だと思いますが、ここはあえて説明させていただきますね。ロランの先祖は初代皇帝の末子のアンリ皇子でした。彼は兄である二代皇帝セザールを支える良い弟でした。拡大路線を強行する皇帝に民衆の心が離れかけておりましたが、アンリ皇子の努力によって民衆の支持を得て帝国は何とか存続している状況でした。二代皇帝は自分の妻である皇后エリザベトを冷遇し、遠征先で知り合った女性を次々に側妃と迎える始末でした。アンリは皇后を不憫に思い、多忙な政務をこなしながらも彼女の話し相手になってあげたのです。やがて二人の間に愛が芽生え、ついには子を成してしまいました。その子孫がロランです。帝国の皇子と義理の姉である皇后との不義密通。世間に衝撃を与える一大騒動を巻き起こしたことは間違いありません。確かに人の道として許されるものではないと思います。ですが、その子孫であるロランにまで責を負わせるほどの内容のものでしょうか」

 正直、それは思っていたが、そんなことを外で言ったら確実に一族全員抹殺されるので考えないようにしていた。まさか、ルーの口からそんなことが出るとは。

「しかし、殿下。この男の先祖は不義密通で生まれた子ですぞ。男爵位とはいえ、そのような生まれのものが爵位を有するなど厚かましい」

 貴族の一人が吐き捨てるように言う。その周囲の貴族たちもざわざわと話し始める。

「発言を許した覚えはないぞ」

 皇帝陛下が静かに制すると、貴族たち全員が身を縮めた。

「あなたの話からすると、お父様は皇帝の位を返上しなければなりません。もちろん、私も皇女ではいられませんね」

「………」

 もはや誰も口をはさむことができず、場が鎮まりかえる。

「私の祖母は踊り子でした。私の祖父である先代の皇帝陛下が外遊先で出会っただけの、行きずりの関係でした。一夫一妻制を採用しているはずの当家ですから到底褒められた関係ではありませんね。祖父は、祖母に出会う前に数多くの女性を側妃や公妾として迎えていました。当時の祖母は側妃でもなく公妾でもありませんでした。偶然、祖母が男子を生んだために祖母は側妃となったのです。もし、祖父の子に既に男子がいれば、祖母もお父様も宮殿に迎え入れられることもなかったでしょう。また、お父様は皇子として生活していなかったでしょうし、皇帝として帝政に関わることもなかったでしょう」

「そうなると私は旅芸人として生きていたかもしれないな。フッ、それも面白い」

 皇帝陛下がにやりと笑うがだれもが表情を硬くしてつられて笑うものはいない。ただ一人を除いて。

「あら、お父様。楽器も歌も踊りも壊滅的に下手ではありませんか。それでは旅芸人として生きていけませんよ」

 そ、そうなの?知らなかった。皇帝陛下にも苦手なものがあったんだ。

 ルーと皇帝陛下はこの場にいる全ての人間を置いてけぼりにして二人で盛り上がる。さすがに皇后陛下も平静を装う余裕がないようで俯いている。

「失礼。話が脱線してしまいました。私は亡き祖母のことを悪く言うつもりはありません。祖母としても生きるためにできることをしたまでのことですから。貴族の皆様からしたら出自が不確かな私達親子が皇帝と皇女を名乗っているのに何も不平をおっしゃいませんよね。当初は、お父様を好奇の目で見ていたものもいたと聞きますが今となっては…」

 ルーはわざとらしく言葉を切り、周囲を見回す。誰も反論することなくただただじっとしている。

 帝都の民を中心として現在の皇帝の治世は非常に評判が良く、皇室に親しみを感じているくらいだ。ルーに至っては、辺境の民も含めて国民的アイドルのような目でルーを見ている。

「対するロランは、初代皇帝の末子、その相手は建国の英雄の娘でもある皇后です。彼らの間に生まれた子、子孫の相手は地方領主の娘、没落して貴族の地位を失った娘、新興貴族の娘たちでした。全て身元のはっきりとした女性たちです。さぁ、皆様。発言の機会を与えます。私とロラン、どちらが尊い身分でしょうね」

 月の女神のような容姿とは本来相容れないはずの皇帝譲りの威圧感を纏ったルーが立っていた。相変わらず、謁見の間は鎮まりかえったままだ。

「あら、誰も発言できないのですか。それなのに何代にもわたってロランとその一族を蔑んでいたのですね」

 もはやルーの独壇場と化している。

「さて、次に皆様が気になっていることをお話しましょう。ロランのこの容姿のことです」

 貴族たちの視線が俺に一気に集まっているのを感じる。正直、今すぐ帰りたい。でもルーとの約束をたがえるわけにはいかないから、ここは冷静を装って、堂々としていよう。

「初代皇帝の若いころの姿にそっくりでしょう。これは決して魔法で化けているわけではないのです。今まで見ていた姿の方が仮初の姿だったのです。私の数少ない魔法でロランの変装を解かせてもらいました。ロランは面白いことを言うのですよ。私が使った魔法は乙女魔法ですって。乙女が口づけをして呪いを解く、おとぎ話のような魔法だからということだそうです。戦場で命を狩り続けた私が乙女だなんておこがましいですよね」

 ルーとしては面白いのかもしれないが、ここにいる全員一つも笑えていない。

 ルーは帝国を守るために必要に迫られて戦場に赴いているだけだ。戦場では生半可な気持ちでいたら命を簡単に奪われる。

 本当はすべてをかなぐり捨てて、ルーを抱きしめたい。

 もう何も言わなくていい。俺と俺の家族のために自分を貶めるようなことをしなくていい。

 だけど、そんなことをしたらルーの思いを踏みにじることになってしまう。だから、俺はあえて何もしない。

「ロランはいわゆる先祖返りというものだそうです。初代皇帝の記憶があるわけでもなく、生まれ変わりというわけではないそうです」

 ルーは艶めかしい手つきで俺の下あごを指で一撫でした。恥ずかしさで消え入りたいくらいだが、ここは冷静に…冷静に…表情を崩さないように…。

「ここにいる皆様としては、信じがたいですがロランの家系の方にグランフルールの血筋が濃く残っていたようですね。ただ、ロランとその家族としては悩みの種が増えただけで何もいいことはありませんでした。ロランの一族は代々、グランフルール本家に恭順の意を示し、貴族たちからの不当な扱いにも耐え、貴族社会の片隅で邪魔にならないように生きてきたのですから。ここで初代皇帝の生き写しという災いの種になる要素が出てしまっては困るのです。大事な我が子を守るために、新興貴族で野心あふれるロランの祖父に目を付けられないように、皇室に恨みを持つものに利用されないようにロランの姿を偽り続けてきたのです。ロラン本人も両親の言うことに従って、目立たない冴えない人物であるかのようにふるまってきたのです。彼が只者ではないことは、皆様お分かりだと思います。私とお父様しか使えないはずの、聖剣を見事に使いこなしてみせたのですから」

 冴えない男として世間では通したはずだが、その点において俺は二回失敗している。それは五年前の論文大会で優秀賞を取ったことと、帝都大学を首席合格してしまったことだ。中等学院時代に落第寸前の友人に頼まれて友人の代わりに論文大会用の論文を書き上げたら教師にそれがばれてしまってそのまま俺の名前で応募されてしまった。帝都大学も奨学金欲しさに頑張ってしまい、首席で合格してしまった。俺がもう少し金銭的に余裕のある家に生まれていたら、そんなことはしなかったと思う。

 この二つの失敗よりも大きな失敗は、ルーに目をつけられてしまったことかもしれない。ルーを友人だと思って、色々な知恵を絞ってルーを助ける手紙を散々送ってしまった。十年にもわたって、無意識でルーの心をつかみ続けてしまった俺は悪い男だと思う。

「さぁ、ロラン。もう自分を偽らなくて良いのです。私はあなたを取り巻く呪縛を二つ解き放ちました」

 ルーははめていた手袋を外し始めた。

「私の婚約者の指名を受けていただけますか」

 ルーは俺の方に手を差し伸べた。その所作は指先まで実に優雅で美しかった。

「はい、殿下。お請けいたします」

 俺はルーの足元に跪いて彼女の手の甲に口づけをした。

 この先も決して楽な人生を歩むことはできない。だけど、ルーと一緒ならどこまでも行ってやる。

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