最終章 君はここにいる

久しぶりに我が家に帰ってきた。一週間程度家を空けただけだが、懐かしさがこみ上げてくる。

 俺は、自室のベッドでゆったりと羽を伸ばしていた。

 宮殿の客室のベッドは快適そのものだったが、周囲の目がそこかしこにあると思うと全く落ち着かなかった。ルーと結婚したら、それが当たり前になるんだよなぁ。

 俺が我が家に帰ってきたとき、両親や兄弟、伯父の一家が俺を迎えてくれた。

 本来の姿で戻ってきた俺を見て、少し戸惑いながらも優しい声を掛けてくれた。

 従妹のイネスに至っては、号泣しながら

「よがっだねぇ。よがっだねぇ」

 と令嬢とは思えない崩れた表情で俺に抱きついてきた。ルーと俺との間を取り持ってきた彼女だから感動も一入なのかもしれない。

 イネスが抱きついた時間はそれほど長くはなかった。服が汚れるから止めろよと長兄に無理矢理引きはがされたからだ。

 みんな、長い間ずっと俺を守ってきれくれた大切な家族だ。

 その日の夕食は、家族水入らずのものとなった。先週の婚約話を一切触れないというお通夜状態とは違い、俺とルーの婚約の話で大盛り上がりだ。容赦ない新聞記者に取り囲まれたのかと思うくらいだった。病弱で大人しい次兄ですら、興奮気味に根ほり葉ほり聞いてきて、途中で咳がひどくなってベッドに連行されてしまうというアクシデントが発生した。

 その家族とも、これからはあまり会えないかもしれない。来年の春にある戴冠式に合わせてルーと俺は結婚する。その準備のために、俺はこれからしばらく宮殿に滞在し、皇配として必要な教育を受けることになる。

 思えば、父上から、俺の帝都大学進学がなくなったという知らせを受けた日からまだ一週間ちょっとなんだよな。色々なことがあり過ぎて頭が処理しきれない。

 ルーの婚約者に選ばれて、馬車のなかでラッキースケベをしてしまってその失態にかこつけて婚約者を辞退しようとしたら、ルーにキスされて俺の本当の姿をルーに見られたんだったな。それからキラキラ公子様と決闘して、その汗を流すために大浴場で泳いで楽しんでいたら、服を盗まれて、全裸でルーの部屋に駆けこんで…ってルーに俺の全裸見られたんだった。恥ずかしい。あの服は、結局ボロボロの状態で見つかったからあとで父上に謝らないと。

 それから、皇帝・皇后両陛下と一緒に食事をしたのは生きた心地がしなかった。これからもそんな機会があるだろうな。うまく立ち回れるだろうか。

 ルーから俺に対する長年にわたる思いを伝えられて、俺もようやく自分の気持ちに気が付いた。ルーは友人じゃない、俺の大事な女性だ。ルーと一緒に生きていきたい。彼女が苦しんでいるならその苦しみを取り除いてあげたい。ルーが喜んでいるなら、二人で分かち合いたい。

 お互いの気持ちが通じ合ったのを確認した後、ルーと俺が妙な体勢になったところを女官のセリーヌに見られて気恥ずかしい思いをした。近い将来ルーと俺はあんなことやこんなことをするんだよな。18にもなってとは思うが、その手の経験がなさ過ぎて不安なものを感じる。

 謁見の間で俺のお披露目かと思いきや、ルーの叔母のせいで婚約者指名のための最終試験という何だかよく分からないものが発生してしまった。一週間以内にルーが魔法を使えるようにするという試験内容だが、爺さんのおかげでルーが魔法を使えることは初日で判明したのは良かったが、確実に使えるのが、俺の魔法を解くという乙女魔法のみ。明日から頑張ろうと思ったが試験本番前まで様々な邪魔が入って魔法の練習どころではなかった。試験の前日にルーの叔母がさらわれ、ルーと俺は彼女を救いにいった。救いに行った先にルーの元婚約者がいたとは思わなかった。本当にアイツとルーが結婚しなくて良かったと心から思う。

 そういえば、ルーは最終試験で適性がない火魔法を使ったのはなぜだろう。魔法を使うなら聖剣で使い慣れている氷魔法の方がまだ失敗は少なかっただろうに…。火魔法は全ての魔法の基本だから、使うのはごく普通のことだと思っていたが考えてみると妙だ。鑑定魔法でも氷魔法の方がまだ向いていたはずなのに。

 それに、使うなと言ったはずの乙女魔法をわざわざ謁見の間で使ったのもおかしい。

 いやいや待てよ。そのもっと前からおかしなことはあった。俺の身の振り方について、ルーは皇帝と一緒に怪しげな笑顔をしていた。やっぱりあの顔は何か企んでいた顔だ。

 一つ違和感を見つけると、どんどんおかしな点が見えてきた。

 そうだ、明日もルーに会う用事がある。その時に確かめよう。



「ロラン、会えてうれしいです!」

 俺はルーの自室に通されるなり、朝陽を背に受けたルーから熱烈なハグをされた。昨日も会ったのに大げさな。

「約束の10時には少し早かったけど大丈夫だったかな」

「ロランに会える時間が増えたので問題ありません」

 ルーは俺に身体を擦り付けるように触れてくる。ルーが動くたびに花のような匂いが広がる。俺に甘えてくるルーが愛らしい!朝からこんなにイチャイチャしても大丈夫だろうか。部屋の端にルーの専属女官セリーヌが控えているのが見えた。

 セリーヌの様子をちらりと見ると、「早く抱きしめ返せよ」と目で訴えていた。

 ここはルーの自室だからプライベート空間だ。ルーの専属女官はいないものとみなしていいということなのだろう。だから思いっきりやればいいということなのだろうが、この感覚にいまいち慣れない。ルーがご所望ならやるけど。

 俺がルーの背中に手を回すとルーが満足そうな表情を向けた。

 可愛い!俺の顔も思わず蕩けそうになる。

 今日のルーの服装もとても似合っている。ピンク色を基調にしたドレスだが、色合いが落ち着いているので幼過ぎるという雰囲気ではなく、今の年齢のルーにぴったりだ。デザインがシンプルなので、ルーの整った顔を強調するようなドレスだった。

 さっきまでごちゃごちゃと考えていたけど理性が飛びそうになる。俺は衝動に身を任せてルーの緩やかなウェーブを描いた金髪を一房持ち上げて俺は唇を落とした。

 ルーもお返しとばかりに俺の喉元に唇をつける。俺も俺で今度はルーの額に、瞼にと唇を落とし続ける。さっきまで人目が気になるとか思っていたのに完全に二人だけの空間になってしまった。

 一しきり二人だけの時間を楽しんで、テーブルを見るとお茶の用意がされており、セリーヌの姿はなかった。

「ロラン、私がお茶を入れて差し上げますね」

 ルーがテーブルに近づく。

「俺が入れるよ。結構得意なんだ」

 皇太女殿下にお茶を入れさせる男にはなりたくない。家が取り潰されたときのことを想定して、俺は給仕の職にありつけるくらいの技術は身に着けている。

 俺はルーを椅子に座らせて、お茶を入れた。

「まぁ、ロラン。お茶を入れるのがお上手なのですね」

 ルーがコロコロと笑った。この笑顔も可愛すぎてまたキスのシャワーを浴びせたくなる。さっきやったばかりなので、ここは我慢しよう。

「ルー、俺は聞きたいことがあったんだ」

 俺はルーの顔をまっすぐ見据えた。すると、ルーは俺に対面にある椅子に座るように促す。

「昨日、火魔法を暴走させたのはわざと?」

 俺は椅子に座ってから改めてルーの目を見つめる。

「どうでしょう」

 ルーは作り物めいた笑顔で小首を傾げた。

「ルー、はぐらかさないで答えてくれ」

 だが、ルーの表情は変わらない。どうやら、答えてくれる気はないらしい、

「だったら、今から俺が長い長い独り言を言うから聞いてくれ」

「ええ、構いません。今日は幸い予定が入っていませんから」

「最初におかしいと思ったのは、俺の本来の姿を皇帝陛下に見せて、今後俺がどうすべきか話を持ち掛けたら、心配ないと陛下が答えて、そのとき陛下もルーも二人して同じ顔をしていたんだ。皇帝陛下についてはよく知らないが、ルーがあの表情をするときは何かよからぬことを考えているときだ。これからいたずらを仕掛けるとか、勉強をサボって屋敷の外に出かけて遊ぶとかそれを思いついたときの顔と同じだった」

 俺はあのときルーがしていた表情を真似て口角を上げてみた。

「あら、私、そんな顔をしていたのですね」

 ルーは張り付いた笑顔をキープしていた。

「その後の行動でもおかしい点はいくつかあった。謁見の間に入る前に、何が起きても冷静に、堂々と振舞ってほしいとルーからお願いされた。お願いされた当初は特に気にならなかったが後の行動を振り返ると、ルーは何か仕掛けるつもりだったんだろう」

 ルーは答えてくれそうにないが、俺が次に何を言うのか楽しみに待っているような口つきだった。

「軍服に身を包んだのも、髪をまとめていたのも火魔法を使うと決めていたからじゃないかと思う。ドレスのままで火魔法を放って万が一服に燃え移ったら大変だから。髪もなるべく焦がさないようにするために、ひっつめていたんだと思う。ただ、ちょっと気になるのは火の勢いが強くなったときにルーが焦った表情をしていたことだ。あれはルーの想定外だったんじゃないか」

 俺の言葉にルーが片方の眉をピクリと動かした。だが、ルーは何かを言うつもりはないようだ。

「一週間前に謁見の間に入ったとき、皇帝陛下は聖剣を携えていなかった。だけど、今回は聖剣を携えていた。あれは聖剣を使うことを予定していたんだと思う。ルーと皇帝陛下は俺が聖剣を使う姿を大臣や貴族に見せつけるつもりだったんじゃないか。あと、エクレールほど魔法が発展していないとはいえ、宮廷魔術師のレベルが低いのもおかしい。俺以外にルーを助ける手段がないと俺に思わせるために彼らを配置したというのは考え過ぎだろうか。」

「私の周りに配置したのは、宮廷魔術師団の新兵たちです。聖剣の属性は氷ですから、火魔法じゃないといけなかったのです。当初の予定では、火を消せないとお父様に訴えて、お父様がロランに聖剣を預けて結界ごと消してもらう予定だったのです。ロランに聖剣を使わせることでロランがグランフルールの血を継ぐ、私達と同じ一族だと見せつけるために。でも、思った以上に魔法の制御がうまく行かなくて」

 ルーがやっと答えてくれたが、俺はふつふつと怒りがわいてきた。

「ルーのバカっ!あともう少しで自分の魔法で焼け死ぬところだったんだぞ」

「でも、ロランが何とかしてくれると私は思っていましたから、少し焦りましたが死ぬことはないだろうと」

 ルーはニコリと笑ってお茶を一口飲んだ。人が怒っているのに何を優雅に構えているんだ。

「たとえ死ななくても、身体に大きな火傷が残ったり、助け出されても執務できるような身体じゃなくなったりする可能性だって…」

「私、ロランを信頼していますから」

 ルーはきっぱりと言い放つ。

 ルーは昔からそういうところがあった。俺と一緒なら多少の無茶は平気でやる。だけど、俺だって完璧じゃない。今回はたまたま俺の手に負える範囲だっただけだ。

「だったら、最初から俺に相談してくれれば…」

「そんなことをしたら、ただのお芝居になってしまうではありませんか。あのときはロランが何も知らないから真実味があったのです」

 ルーがまたしても作り物めいた笑顔を浮かべた。

「陛下とは打合せ済みだったのに?」

 俺はルーをにらみつけた。

「だ、だって、お父様とは打合せしておかないとお父様が解決してしまうではありませんか。それでは意味がないのです!ロランが私を助けてくれないと」

 俺の顔が怖かったのか、ルーは少し怯んだ様子を見せる。今の俺の顔は初代皇帝とよく似ているからか、威圧感が増しているのかもしれない。

「私はロランの今後を考えて、ロランを見くびっている貴族たちに見せつける必要があったのです」

「俺は、ルーの傍にいられさえすればそれで良かったのに!見くびられたままでも構わなかった!」

 俺はテーブルにこぶしを叩きつける。テーブルにガツンと音がした後、少し遅れてティーカップが揺れる音がした。

「ごめんなさい、ロラン。私にもっと力があればこんな手を使うことはなかったと思います。宮殿での生活は常に人に見られることを想定して生きていかないといけません。そうなると今の私ではあなたの秘密を隠しきれなくなる、そう思ったのです」

「だから、俺の魔法を解いたのか」

 あのとき、陛下がなぜルーを止めることなくにこやかに送り出したのかと思ったが、これもルーと打ち合わせ済みのことだったのだろう。

「その代わり、あなたは何も隠すことなく宮殿で生きていくことができます。今回のことで主だった大臣や上位貴族を屈服させることに成功しましたよ。すぐにとは言えませんが、ロランとロランの家族への風当たりも変わってくるでしょう」

 ルーの婚約者になった以上、俺に手出しをしてくる人間はいないだろうし、俺を利用しようと思う奴もいないとは思う。俺とルーの仲を裂く作戦を取ろうにもあんなにお互いを信頼し合っていますアピールをされたら、俺かルーのどちらかから返り討ちに合いそうな予感しかない。既存勢力と反乱分子に両方に対して先手を打ったと言えば、そう言えなくもない。

 それでも、だ。だからと言って、ルーが自分自身を貶める大演説はいただけない。

「でも、俺の立場を良くするためにあんな演説しなくたって。皇室の正当性だって危うくなるようなことを言うなんて。それに、俺が一番悲しかったのはルーが自分で自分を傷つけているみたいに見えたから…」

 俺の声はだんだん弱くなる。ルーが立ち上がって俺の真横に移動してくるのが見えた。

「ありがとう。ロラン。あなたは優しいのですね」

 ルーが俺を包み込むように抱きしめた。

「大丈夫です。お父様も私もあの程度で地盤が揺らぐような、やわな行いはしていません。ただ、お父様の影響力がなくなった後のことを考えると今のうちにあなたを引き上げておかないと」

「本当はこれ以上何も言わないでくれって、あの場をぶち壊してでもルーを止めたかった。でも、ルーにも考えがあって行動しているのは分かっていたから黙っていたんだ」

 俺の目から涙がこぼれ落ちる。ルーは俺の涙をぬぐった。俺の視界は涙で少しぼやけていたが、ルーが俺を愛おしそうな表情を浮かべていたのが見えた。



 俺が落ちつくまで、ルーは俺を抱きしめてくれた。

「ルー、もう大丈夫だ。これ以上情けない姿を見せるわけにはいかない」

「二人きりのときは弱さを見せてもいいのですよ。私もつらい時はロランに甘えるつもりですし」

 ルーはふわりと優しい笑みを浮かべた。俺が問い詰めたときのような、作り物の笑顔とは大違いだ。

 俺達は何も言わずに互いの顔を見つめ合った。言葉がなくても心が通じ合っているかのように。

 すると、突然、ドアをノックする音が聞こえた。

「失礼します。セリーヌです。ベルナデット大公妃殿下をお連れしました」

 セリーヌの声を受けてルーは入室を許可する。

 セリーヌがドアを開け、ベルナデット大公妃が優雅に部屋の中に入ってくる。ベルナデット大公妃の後ろについてセリーヌも部屋の中に入ってきた。セリーヌが持っている筒は何だろうか?いや、それよりも貴人であるベルナデット大公妃への挨拶が先だ。

 俺は急いで席を立ち、当たり障りのない挨拶をベルナデット大公妃にする。

「ふんっ。私が会いたかったのはマールであってアンタじゃないわよ」

 軽い悪態をつかれたが、想定の範囲内だ。俺なんてベルナデット大公妃の頭の中では大事な姪にくっついた悪い虫程度の存在だからだ。

「叔母様!ロランに失礼な態度を取らないでください」

 ルーにしては珍しく、本気で怒っている。

「分かったわよ。もやしにも一応謝らないといけないこともあるし」

 ベルナデット大公妃は少々ばつの悪そうな顔をしている。

「だから、ロランはもやしではありませんっ」

 ルーはまだ怒っている。そこまで俺は傷ついていないから怒らなくてもいいんだよ。俺のせいでベルナデット大公妃とルーとの関係が悪くなったら申し訳ない。

「もや…じゃない。ロラン、今まで失礼な態度をとってごめんなさい」

 ベルナデット大公妃がペコリと頭を下げた。謝っている割に失礼な感は否めないがこれまでの扱いよりは少しはましか。

「久しぶりに実家に帰ってみたら、マールからずっと前から好きだった人と婚約できそうだって聞いて。どんな奴かと聞いたら、分家の出身だって言うじゃない?マールの前で頭ごなしに否定すると、マールが可愛そうだから黙っていたの。自分の部屋に戻ってから、ずっと侍女たちに愚痴を言っていたわ。そのときから侍女たちはあんたへの嫌がらせを考え始めていたのかもしれない。マールがあんなに幸せそうにあんたのことを話していたから、てっきり美丈夫かと思ったんだけど。あんたが宮殿にやってくる日に、マールとあんたが馬車から降りてくる姿を窓から見ていたんだけど、あんたは変なもじゃもじゃ頭で猫背だし、ひょろっこいし。マールが騙されているんだと思ったわ!」

 俺、謝られているんだよな?

「あれじゃあマールが可愛そう、いくら恋は盲目だって言ってもひどすぎるって、侍女たちの前でそれはもう激しく当たり散らしたわ。私が一刻も早くあいつを追い出さなきゃって言ったのを侍女たちが真に受けちゃったみたいであんな悪質なことを…。上に立つ者として失格だわ。マールのことだから冷静になれなくて、……軽はずみな言動は控えることにする」

 ベルナデット大公妃が、だんだんしおらしくなってきた。

「私が誘拐されたときも、ロランのおかげで助かったって後で聞いたし、最終試験のときにマールとあんたは深いところでつながっているって気づかされた。というか、あんた本当は初代皇帝様似の美丈夫だったなんて驚いたわ。勝手な思い込みで人を判断した私が……ゴニョ…わるかったわ」

 これは一応謝っているつもりなんだよな、多分。

「ロラン、叔母様はあれでも最大限謝っているつもりなのです。許してくださいますか」

 ルーが俺に耳打ちする。まぁ、ルーがそういうなら仕方ないか。

「で、でもでも。私はあんたがマールにふさわしい男だと認めたわけじゃないんだからねっ!」

 えっ、この人、いわゆるツンデレ系の人なのか?

「今日はもうブルイヤールに帰るけど、今度こっちに戻ってきたときにマールを不幸にしていたら許さないんだからっ!」

 ベルナデット大公妃は言いたいだけのことを言ってさっさと部屋を出ていってしまった。

「えーっと。俺はどうすれば良かったんだろうか」

「叔母様なりのロランに対するエールと考えていただければ」

 ルーが俺にぴったりと寄り添ってきたので、俺はルーを支えるようにルーの右肩に手をかけた。

 俺たちの様子を見たセリーヌが大きく頷く。これで正解だったんだよな、うん。

「ところで、セリーヌ。あれはもうできたかしら」

「こちらに、ご用意しております」

 セリーヌがずっと持っていた筒状のものをバッと広げてみせる。

 これは城門前の掲示板に張り出す皇室専用の新聞だ。間近で実物を見るのは初めてだが、その内容は俺とルーの婚約発表だった。紙面の目立つところに俺とルーの姿絵が描かれているがこれは字が読めない民衆に向けたものだろう。その姿絵は白黒で表現しているが実にドラマティックな出来上がりだ。しかも、俺の姿はもじゃもじゃ頭ではなく、初代皇帝そっくりの姿で描かれていた。本来の姿を大々的に見せたのはつい昨日のはずなのに、これは一体いつ用意したのだろうか。

「素晴らしい出来ですね!私からは特に何も言うことはありません」

 ルーは素早く全文を読み終え、満面の笑みを浮かべている。

「『マリー=ルイーズ皇太女殿下 十年の恋』この小説風のものは…」

 この文章の運びというか、言い回しというかどこかで見たことがあるが、ちょっと違うような。俺とルーのエピソードの一つ一つが具体的で、それでいてちょっと脚色されているような。

「あら?ロランには分かってしまいますか?これは私とイネスが原案を書いて、デジレ先生が加筆修正してできたものですよ!」

 ルーが若干興奮気味というか、暴走気味だ。

「あ、あいつ!ここでも出しゃばりやがって!というか母上が協力してくれたな」

 確か先週の時点では母上は反対していたはずだ。今は特に反対していないとは思うが。

「本当はデジレ先生にお任せしたかったのですが、なかなか了承してもらえなくて。息子のことを思うと心中穏やかではなかったのでしょうね」

 日数がかかった?いつから説得工作をしていた?

「ルー、これはいつから準備していた?」

「先週から着手していました。ロランが私の思いを受け止めてくださった後、デジレ先生に書いていただけないか依頼を出したのですが、了承してくださらなくて。私とイネスでとりあえずの原案を書きました。そうそう、ロランは知らなかったと思いますがイネスも数日前にこちらに来ていたのですよ」

 魔法石は使いを出してルーに送ったんじゃなくて、これの打ち合わせのためにイネスが来ていて持参してきたのか。

「私が書くとどうしても公文書みたいな書きぶりになってしまって、イネスが書くと気持ちが先走っていて状況が分かりにくい文章になってしまうので困っていました」

 ルーがはぁとため息を一つ付いた。

「宮殿を出入りしている新聞記者に頼もうかと思っていたところ、急遽昨日の夜にデジレ先生から連絡をいただきまして」

「で、ついさっき出来上がったというわけだな」

 ルーはこくりと頷いた。母上は昨日の俺の様子を見て観念したんだな。筆が乗ったら超早いからこの程度一瞬で書けただろう。

「じゃあ、この姿絵は。いくら何でも準備が早すぎるような」

 俺は姿絵にトントンと指でつつく。

「僭越ながら私の作品です。秘密裏に準備する必要がありましたのでこれは他所に依頼できませんでした」

 セリーヌがくいっと眼鏡の端を持ち上げる。セリーヌ先生、上手すぎる…。女官じゃなくて宮廷画家として生きていけるのはないだろうか。

「一度は黒髪で前髪の長いロラン様の姿絵を準備したのですが、昨日のことがありましたので急遽描き直したのですよ。間に合って本当に良かったです」

 セリーヌの顔が若干誇らしそうだ。

「セリーヌ、今日のお昼の掲示まで時間がありません。急いでください」

 ルーに促されて、セリーヌは部屋を小走りで退出する。俺はその姿を茫然と眺めていた。

「ロラン、どうかしましたか」

 ルーが俺の顔を覗き込んだ。

「ルーの用意周到さがちょっと…」

 冷静になって考えるとルーの準備の良さに怖さを感じてしまったなんて言えやしない。ルーのことだから、リスクを考えつつ、できることは何でも先読みしてやってしまおうというスタンスなのかもしれない。

「ロラン、こんな私は嫌いですか?」

 ルーが俺を見上げながら目を潤ませた。

「私は、ロランがよく知っている、天真爛漫のお転婆なお姫様ではいられなくなってしまいました」

 ルーはドレスの裾をキュっと掴んだ。

「目的を果たすためなら何でもする、こんな狡猾な女は嫌ですよね」

 ルーは顔を伏せ、その声も身体も小さく震えていた。

「ルー、こっちを向いて」

 俺はルーを安心させるように優しく声を掛けるが、ルーはその身を小さくしていた。

 これじゃあ、まるで叱られるのを怖がる子供みたいだ。

「10年ぶりに再会して、ルーが大人になっていて驚いた。見た目もそうだけど、あのころとは全く違う顔を見せていて戸惑うところもあった。でも、女帝になるためにはただの無邪気なお姫様じゃいられないことは俺も分かる」

 ルーの身体のこわばりが少し解けてきているのが肌で感じた。

「今回のことだって、俺の知らないところでルーが色々と策をめぐらせているのに俺は何も知らないし、何もさせてもらえなくて自分の無力さを味わった。だから、さ。俺も頑張るから、秘密を分け合える程度には俺を信頼してもらいたいんだ」

 俺の言葉を聞いてルーはやっと顔を上げてくれた。

「私が怖くないのですか。最終試験のときだってあの場にいた人間すべてを威圧させていましたよ」

「怖くないと言ったら嘘になるけど、それ以上にルーが無理をしていることの方が悲しかった」

 俺はルーの両肩を掴んで強引に俺の方に向かせる。

「でも…」

 ルーはさらに何か言いたそうにしていたが、俺はさっさと自分の口でルーの可愛い口を塞いでやった。いきなりのことでルーの目が大きく開いたが俺は無視してルーを無理矢理抱き寄せる。絶対に離してやるものか。

 これまでの軽い口づけと違い、むさぼるような口づけをしたせいか、ルーは全身から力が抜け、その場にへたり込んでしまった。

「ルー、嫌いな人間にこんなことをすると思う?」

「……思いません」

 ルーが消え入りそうな声で答えてくれた。

「では、マリー=ルイーズ皇太女殿下。私の命ある限り、あなたのお傍に置いていただけますか」

 俺は姿勢を正してルーの前に跪いた。ルーは黙って俺に手を差し出す。

「グランフルール皇帝の正当なる後継者・マリー=ルイーズの名において、ここに宣言いたします。ロラン、あなたを私の夫に任命します」

「この命尽きるまであなたに尽くします」

 俺はルーの手を取った。

 しばらくお互いを見つめ合い、同時に笑い出す。誰も見ていないのに何の儀式をしているのだろうか。おかしくてしょうがない。

 ルーは口を大きく開けて笑った。それは10年前と変わらない、眩しい太陽のような笑顔だった。

                                             《完》

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